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┃ 『MR.CHILDREN 2005-2010 <MACRO>』 ┃
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Mr.Children 3回目(5枚目)のベスト・アルバム作品
‡2012(平成24)年05月10日(木) リリース日
2012(平成24)年05月21日(月) オリコン週間アルバムチャート第1位
2012(平成24)年05月28日(月) オリコン週間アルバムチャート第1位
2012(平成24)年06月04日(月) オリコン週間アルバムチャート第1位
2012(平成24)年05月度 オリコン月間アルバムチャート第1位
2012(平成24)年度 オリコン年間アルバムチャート第1位
2012(平成24)年05月21日(月)「Billboard Japan Top Albums Sales」第1位
2012(平成24)年05月28日(月)「Billboard Japan Top Albums Sales」第1位
2012(平成24)年06月04日(月)「Billboard Japan Top Albums Sales」第1位
‡2018(平成30)年05月10日(木) mora配信開始日
備考・・・・・・・・・・・・・・・・『Atomic Heart』以来、14回目のオリコン週間アルバムチャート第1位獲得作品
備考・・・『Mr.Children 1992-1995』以来、連続09回目のオリコン週間アルバムチャート第1位獲得作品
備考・・・『SENSE』以来、2回目の「Billboard Japan Top Albums Sales」第1位
********************** http://www.mrchildren.jp
②http://www.mrchildren.jp/disco/#album/album20
②https://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children_2005-2010_%EF%BC%9Cmacro%EF%BC%9E
②音源◆https://music.amazon.co.jp/albums/B07D37N9NR
②mora◆https://mora.jp/package/43000034/TFCC-86399/
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|文・小貫信昭|
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1992(平成四)年5月10日(日)にメジャー・デビューを果たした彼等は、今年、20周年を迎えた。『MR.CHILDREN 2001-2005 <MICRO>』と『MR.CHILDREN 2005-2010 <MACRO>』は、そんなタイミングにリリースされるベスト・セレクション・アルバムである。収録されているのは20年のキャリアの後半部分。バンドの在り方を模索し続けたのが最初の10年間なら、それらを経て、日本を代表するバンドへと成熟していくのがここに記録された10年間だ。
タイトルに添えたふたつの言葉だが、ジャケットからは“水”と“太陽”という、対比したイメージも浮かぶ。プロデューサーの小林武史は言う。「ミスチルというバンドはいつもふたつのものを提示して、そのなかで自分達の在り方を考えてきたところがあったし、それは10年ほど前に最初のベストを出した時もそうだった。そしてファンの方達の目線に立てば、あの時と連動したものというのも親しみ易いだろうし、2枚に分けて出すというのは、僕からも提案したことでもあったんです」。
メンバーはどうなのだろう。桜井和寿はベストというものの在り方を、こんな風に説明してくれた。「オリジナル・アルバムを作る時って、その時々の自分達や自分達の周りで起きていること、さらに世の中に対する想いから曲が出来て行く。それをひとつのパッケージにするんだけど、もし一曲一曲が小鳥だとしたら、アルバムは籠のようなもので、そのなかで“こんな風に見えて、こんな風に聞こえてほしい”と提示しているように思うんですよね。でもベストというのは籠からいったんすべて出して、“好きなように飛んでってくれ!”☆\(=^◇^=)/☆という、そんな開放感があったりもするんですよ(笑)」
だったら我々も好きにしよう。
「あの曲には励まされた」
「イントロ聴くだけでいまも泣いちゃう(>▽<)」
「最初は地味かと思ったけど、改めて聞いたらめっちゃいい曲だった」
「ポップでありながら、こんな実験もしてたのか・・・」。
ひとつ言えるのは、ミスチルというのは今も結末のわからない連続ドラマのような存在で、だから耳と目が離せない。ということ。そして彼等はこれからも、♪優しい歌♪で宣言した通り“誰かの為に”“ちいさな火をくべるよな”という、音楽がやれる最小かつ最大なことを続けていくのだろう
これからお読み頂くのは、<macro>に収録された楽曲が制作された2005(平成十七)年から現在に至るまでの彼らの動きである。駆け足であるが、重要と思われるエピソードはなるべく見落とさず、さらにはメンバーや小林武史の証言も織りまぜつつ進めていこう。
2005(平成十七)年はとてもアクティヴな年となった。特に夏。ap bank fes以外にも、「SETSTOCK '05」「HIGHER GROUND 2005」「ROCK IN JAPAN FES 2005」と、数多くの野外フェスに出演したのだ。日本の音楽シーンにすっかり定着したこれらの催しだが、四人にとって“出稽古”のようなものだったのだろうか。普段、ミスチルの音楽には触れてない人も大勢いるなかでのパフォーマンスは、大きな刺激となったことだろう。そして彼らは逞しく日焼けした。
『I LOVE U』のリリースを受け、11月からスタートしたのが初のドーム・ツアーだ。発案したのは鈴木だ。「そもそもこのアルバムは衝動から生まれたし、がむしゃらな感じも出てたし、ドームでやりたいというのも、理屈じゃなくて衝動からだった」。
結果、全10公演で39万人を動員することになるが、『シフクノオト』とは真逆ともいえる、ニュー・アルバムの世界観を全開させたものとなる。前回のステージにあったのは慎ましく“ほっこり”できる日常のなかの幸せだった。でも今回は、“愛”という、時に相手に翻弄されもする、そんな心の状態もテーマとなるものだった。さて、どんなステージに・・・。
そこには攻める彼らの姿があった。広いドームだからといって、保守的な“ひとつになる”演出をするのではなく、時には大胆に客席を突き放す。桜井ひとりがアコギを抱えて出てきて、その日の気分で選曲し、歌を披露するという場面も新鮮だった。こうして充実した一年が終わっていったのだった。
次のアルバムへの準備は、このツアー中から始まっていた。2006(平成十八)年は、年明けの1月からレコーディングが始まっている。小林も含めた5人で、ベーシック・トラックから“お互いが呼吸し合うように”作業を進めていった。
“最初から5人で”という体制は、その後のミスチルと小林の関係に大きな影響を与える。そうやって作ったものなら、ステージでもそう演奏すべきという意見が自然な流れとなるわけだ。
もうひとつこの時期のレコーディングで特徴的だったのは、桜井が曲だけでなく、歌詞も含めて新曲を準備していたことだ。これはメンバーからの要請でもあった。「どういう詞の世界観になるのかを、みんあ予め知りたがった」。桜井はそう振り返る。
さらにさらにこの時期に心掛けていたのは、みんなが一緒に口ずさめるような作品である。ネットを通じて音楽が配信され、それを各々がイヤホンで聴くというのが主流となりつつあったが、そもそも歌の力とは、人々の心と心を繋ぐもののはず・・・。どこかにそんな想いもあったのだろう。
そんな流れのなかで、最初にリリースされたのは7月の♪箒星♪だった。溢れんばかりの疾走感、そして色彩感を持った作品だ。5人の音が渦を巻き、途中、変拍子っぽいアクセントとなる部分のカッコよさといい、これまでとは別のスイッチが入れられた作品だった。それでいて、つい一緒に歌いたくなる親しみ易さもあった。
夏は「ap bank fes」への出演がこうれいとなっていた。フェスの会場の風と緑のなかでこそ栄える歌・・・。それを作るということが、ソングライターとしての桜井に、歌の別の“文体”をもたらした。
しかもこの年は、かつて♪奇跡の地球(ほし)♪をコラボレーションした桑田佳祐もゲストで参加し、そのお返しではないが、ミスチルは桑田が発案した「THE 夢人島 Fes. 2006」にも参加した。もう生では見れないだろうと想っていた桑田と桜井のデュエットは、まさに永久保存版であった。
前年、見事にドーム・ツアーを成功させたミスチルが、次に考えたことはなんとライヴ・ハウス・ツアーだった。この発表には驚いた。しかも単独ではなく、いわゆる“対バン”である。アマチュア時代に戻ったかのようなこの試み・・・。ともに旅をしたのは、以前から親交があったthe pillowsだ。この時、新曲の♪しるし♪ ♪フェイク♪も披露された。
2007(平成十九)年3月。13枚目の『HOME』がリリースされる。理性を捨て衝動へと向かった前作と、どう違うものなのだろう。アルバムを象徴するのは♪彩り♪という作品である。この歌のなかにあるのは、何かの感情を“歌という物語に仕立てていく作業”ではなく、自分が“日頃から想っていることをそのまま歌にする”という行為だった。それがこのアルバム全体の佇まいともなった。
『HOME』というのは、まさに普段の自分達の“居場所”のこと。このアルバムが出た時に桜井は、「日常からやってきて、日常に帰っていくようなアルバム」と自ら評していたが、まさに言いえて妙である。小林の話も聞こう。「『HOME』は私小説的なところもある名盤になった。繋がり、というのも重要なテーマとなってきたし、そもそもジャケットからして、それを示している」。
アルバムの歌詞カードの最後のページには、メンバーと小林、そしてレコーディング・スタッフが一つの輪を描き、俯瞰でカメラに収まっているスナップが掲載された。つまりは、そう。まさにそういうレコーディングだったんだろう、このアルバムは・・・。
ベスト・セレクションのライナーで、ここには選曲されていない作品に言及するのも妙かもしれないが、ベストを聴いて「今度、まだ聴いてないオリジナル・アルバムも聴こう」という賢明な方のために一言添えるなら、このアルバムの最後に入っている♪あんまり覚えてないや♪は必聴曲だ。桜井が雑誌の企画で爆笑問題の太田光氏と対談した際も、太田氏も注目していた傑作である。メンバーも、演奏していてつい涙ぐんでしまうと言って。いた
『HOME』のツアーがスタートしたのは5月からだった。前述した通り、今回から小林もステージで演奏することとなり、これは大きな変化であった。5人で“呼吸するように”ベーシックから作っていったアルバムは、ステージでも見事に呼吸し合っていた。
ただこの年は、ツアー中、鈴木のアクシデントで日程が延期されたり、恒例の「ap bank fes」が台風の直撃のため、3日間のうち2日が中止になるなど、予定外のことが起きた年でもあった。でも逆に、だからこそ、当たり前のものなど何もなく、日々のそのすべてが“掛けがえのないもの”だと痛感することにもなったのだ。
ここで少し、音楽シーン全体に目を転じてみることにしよう。出せばミリオンと言われたCDバブルの90年代はとっくに過ぎ去っていて、活動のペースを落とすアーティストも珍しくない中で、ミスチルは実にコンスタントに活動している稀有な存在に思えた。でも、なぜそれが可能だったのだろう。このライナーのプロローグで紹介した、小林の言葉を思い出してホシ。イ
「ミスチルというバンドは、いつもふたつのものを提示して、そのなかで自分達の在り方を考えてきたところがあった」
自分達の世代の音楽として、大人に対抗してやり始めても、やがて自分達も大人になり、対抗軸は失われる。俺達はロックだ反体制なんだと叫んでも、成功すれば自分達自身が“体制”となる。でも、不思議なほどこの四人の世間一般の評価は、「いつまでも蒼さをなくさない。そこが魅力」といったものである。“蒼さ”が何を意味するのかは人により受け取り方は様々だろうが、小林が言う、常に自分達の“在り方”を考え続けている姿勢が、ある種の清々しさにも似たものとして聴き手に届くのだろう。
10月にリリースされた♪旅立ちの唄♪は、美しいメロディのお手本のような曲だった。携帯小説という、新たな表現の場所から生まれた物語『恋空』の映画化に際し、その主題歌となった。
ただ、ここからさらに何処へ向かうかだった。背伸びをせず、落ち着ける場所としての『HOME』は、居心地がいいのは当然だ。さらには循環していく社会の、その一員としての態度も身についていた。そこからいったい、何処へ?
こういう時にこのバンドに起こること。それは、何かを極めたからこその“反動”だ。小林は言う。「『HOME』とは真逆なところとまでは言わないけど、ここでミスチルは、高度に発達した消費社会のなかに敢えて飛び込んでいく」。それが『SUPERMARKET FANTASY』の世界観でもあった。
この年の「ap bank fes」では、新曲が3曲も披露され話題となる。♪少年♪ ♪GIFT♪ ♪HANABI♪である。特に夏の野外で聴く♪HANABI♪はハマリ過ぎなくらいぴったりだった。そして2005(平成十七)年と同じように、複数の野外フェスに出演することとなった。
オリンピック・イヤーであった。♪GIFT♪は、NHKのオリンピックの放送のテーマに採用された楽曲であり、数限りなく流され(消費され)た。ただ、よく巷でスポーツ中継のために作られる楽曲のような選手を鼓舞するタイプのものではなく、独自の目線が彼ららしかった。アルバムが完成してリリースされるのはその年の12月のこと。
「消費されるであろう場所に自分達の音楽を届けるということをネガティヴに捉えていたわけではなく、そのことで大勢の人々の耳に届き、そこで生まれる奇跡もあるんだろうと信じていた」
桜井の言葉には揺るぎない決意も感じられた。この時代に正真正銘の音楽も“ファンタジー”を届けるんだという、その決意が・・・。
『HOME』がリラックスできる部屋着のようだとしたら、『SUPERMARKET FANTASY』はオシャレ着といった輝き、トキメキに満ちていた。そして、消費される音楽だからこその奇跡を目指したこの年を、初の『紅白歌合戦』出場で締めたのも実にらしかった。
明けて2月からツアーをスタートした。♪エソラ♪や♪声♪などは、観客と繋がるために作られたとも言えたが、まさにそれが証明された。彼らのライヴはさらに頭ではなく、肉体を通してこそ快感に思えるものとなっていった。精力的な年であり、ツアーは年末、ドームへと駒を進めた。思えばこの年は、ミスチルが結成されて20周年。彼らの歴史はライヴとともにあるから、ライヴを初めてからも20年。それゆえにツアーにより一層の力を注いだのかもしれない。
ドームでのライヴでは、事前にサイトでステージ・セットを公開するという、今までにない試みもされた。花道の先にセンター・ステージを設け、その回りをスタンディング・ゾーンにしてお客さんを入れるという、広い会場でありつつライヴ・ハウスのような近距離の歓声も巻き起こる、そんな公演となった。
楽曲のリリースに関しては、♪fanfare♪が配信リリースされ、さらにステージで♪365にち♪が披露されたものの、2010(平成二十二)年に入っても静かなものだった。でも実は、彼らはこれまでにない試みを行っていたのだ。
この年の2月から、スタジオでのレコーディング風景がムービー・カメラにより記録され始めたのだ。それは特別アウトプットの方法も決めない、あくまで純粋に記録する、という行為であった。レコーディングに関しても、いついつまでにアルバムを、というとこから解放されたものだった。
さらに3月に入ると、彼らがいつも使っているスタジオに親しい友人知人が招待され、ゲストが見守るなかでのパーティー形式のレコーディングが行われる。その流れで今度はファンクラブ会員を招待してのライヴ・ハウスでのシューティングを兼ねたセッション。結局、その時の映像は編集され、『Mr.Children / Split The Difference』として劇場公開されることになる。
ミスチルの映画といえば、かつて『【es】Mr.Children in FILM』があったが、あの時はライヴ・シーンが主役だった。今回主体となったのはレコーディング・シーンである。普段は見ることができない真剣勝負の場所。普段は見せない四人の表情・・・。映画の公開後、それはDVDとCDのセットとしてもリリースされたが、特にCDは、その時のセッションの音源がそのまま入っているという貴重なものであった。
この年の11月。突然ニュースが飛び込んだ。12月1日に、彼らの16枚目のアルバム『SENSE』がリリースされるというのだ。アルバム・タイトルも直前までシークレットとされ、メンバーも小林も一切メディアに対応しないという徹底ぶり。すべては「先入観なく自分達の音楽を受け取ってほしい」ということからだったようだ。考えてみたら、すでに『Split The Difference』を通じて、我々はこのアルバムの制作過程の一部を見ていたのだ。映画のエンディングで印象的だった♪Forever♪は、アルバムでもラスト曲だった。
『SUPERMARKET FANTASY』から『SENSE』への流れを小林はどう感じているのだろう。今回このベスト・セレクションのタイミングで、メンバーも小林も初めてこのアルバムに関して口を開いた。「『I LOVE U』ほど勢い余って、ではないんだけど、ここでは敢えて、拡散するみたいな方向でやってみたんだと思う。桜井個人としては様々な想いが作品の中に隠されているだろうけど、バンドとしてはそんな流れだったんじゃないかな」。
2011(平成二十三)年3月11日(金)。東日本大震災が起こり、“Mr.Children Tour 2011 "SENSE"”は日程を大きく入れ換えることとなる。直後、彼らは収益金を全額災害復興支援プロジェクト「ap bank Fund for Japan」へ寄付するべく、♪かぞえうた♪を配信でリリースし、やがて始まったツアーでも心を込めて歌った。この年の「ap bank fes」は復興を願う特別なものとなった。さらに“Mr.Children STADIUM TOUR 2011 SENSE -in the field-”ではアリーナツアーで延期となった東北地方のファンの人達に、一日でも早く音楽を届けたいという思いで9月24日と25日、“国営みちのく杜の湖畔公園 風の草原”のステージに立った。
震災後、しばらく桜井は曲を書くモチベーションを無くしていた。いや、震災が起こったという、そのことをモチベーションに曲を書くということを避けていたのだ。そんな彼も、今は再び旺盛にソング・ライティングに励んでいる。この4月にリリースされた♪祈り~涙の軌道♪/♪End of the day♪/♪pieces♪が、その動かぬ証拠だ。
彼らはさらに、どんな地平を目指すのだろう。5年後、10年後、バンドはどんな音を響かせているんだろう。でもその答を探すのは、<micro>と<macro>を楽しみ、さらにPOPSAURUSのツアーを見終わってからでも遅くはないだろう。
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01|♪Worlds end♪|(5:31)
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2005(平成17)年09月21日(水) 12thアルバム『I LOVE U』収録曲
<MACRO> アルバム『I LOVE U』のオープニング曲であり、この曲がカットインした瞬間、ぐわ~っとその世界観に身も心も持っていかれる。冒頭で歌詞が描いてることでもあるが、我々は旅客機に搭乗し、機体が高度を上げ、体にかかるGを体感するかのような気分となる。バンドの演奏はいきなり全開である。桜井のボーカルと並走するかのようで、時に果敢に挑みかけていく。サラブレッドの後ろ足の蹴りのような鈴木のドラムが演奏を加速させる。実はこれ、試しに演奏した最初のテイクだったという。彼は言う。「そのあと何度演奏しても、それを越えるものにはならなかった。そしたら小林さんの鶴の一言。“やはり 初期衝動みたいなものには叶わないんじゃないの?”」。ちなみに“ワールズ・エンド”という言葉は“世界の果て”と訳される。でもこの歌を聴いていると、ネットワーク化され、世界に“果て”などなくなった世の中を描いているように思える。そう。何処にでもいけるのだ。
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02|♪僕らの音♪|(5:01)
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2005(平成17)年09月21日(水) 12thアルバム『I LOVE U』収録曲
<MACRO> ミスチルのMUSIC VIDEOやアート・ワークでお馴染みの丹下紘希氏が映画を制作するという話があり、その脚本を読んだことがこの作品のキッカケだった。「その話というのが学校を舞台にしていて、主人公の男の子がいて、そこに女の子がやってきて、どちらかがミスチルの大ファンでコンサートを観に行く約束をして・・・」。でもその恋心は、淡いままに終わってしまったのかもしれない。想いの丈をその言葉に託すように、イントロなしで最初に歌われる言葉は“bye-bye”なのだから・・・。実は桜井は、この曲のレコーディングの時、風邪気味だった。声の調子から、聴けば誰にでも察せられることだと思う。しかしスタジオでプレイバックして聴いてみると、逆にそれが主人公の心情に合っていたので、あえて録り直すことはせずにOKテイクにしたそうだ。
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03|♪箒星♪|(5:11)
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2006(平成18)年07月05日(水) 28thシングル
<MACRO> まさに『HOME』というアルバムを象徴する作品と言っていいだろう。この曲をやるにあたって桜井は、「『I LOVE U』がダークな部分もあるアルバムだったんで、次はものすごく明るく手、スピード感とポジティヴなエネルギーだけで出来上がってるみたいな、そんな曲を世間知らずとかお調子者とか言われたって気にせずに、信念を持ってやりたかった(笑)」と言った。その言葉通りの振り切れ方がまさに快感だ。ただ、「一時も気を抜かず、音に反応出来る隙間みたいなものを保ちつつやってないと、なかなか上手くいかなかった」と鈴木は言う。レコーディングはことのほか難航し、最初にCMで流れたものの歌詞は幻となり、結局採用されないという事態も起こり、さらにその後、より歌詞の世界観に寄り添うアレンジの通称“観覧車ヴァージョン”なども試されたのだが、最終的には最初にやっていたものに近い形で決着したのだった。
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04|♪しるし♪|(7:10)
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2006(平成18)年11月15日(水) 29thシングル
<MACRO> シングルとしては異例の7分12秒を冗漫にならずに最後まで聞かせる。切々と歌いあげるバラードという逃げも隠れも出来ないスタイルだからこそ、彼らのポテンシャルの高さも伝わる。しかしこの曲、愛の終わりの歌のようで愛の始まりの歌のようでもある。そんな“感情の双方向性を備えたラヴ・ソング”というのは他では見当たらないのでは・・・。当時桜井は、「そこに無理して物語を与えなくても、人を想う、その想いの深さみたいなものさえ描ければいいんじゃないか」とこの作品に込めた想いを言葉にした。もちろんサビの“♪ダーリン ダーリン”が胸に滲みるが、その最後の最後、もう一度“オーマイ ダーリーィ~ン”と繰り返す時の“出し切り感”が凄い。でも、なぜダーリンを繰り返しているだけなのにこれほど感動するのだろうか? しかし分析は難しい。でも、それが「歌」というものなのだろう。
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05|♪フェイク♪|(4:54)
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2007(平成19)年01月24日(水) 30thシングル
<MACRO> 2007年1月に公開された『どろろ』実写映画版の主題歌として作られた。主人公の百鬼丸がどろろと共に、自らの体のパーツを妖怪から取り戻すという筋立てゆえ、桜井は歌詞に“ほっぺた”や“横隔膜”といった単語を使っている。しかし、ただ原作の粗筋を歌おうとしたわけじゃない。「この物語の主人公は人間のマガイモノとして生きてきて、でも人間のパーツを取り返せば幸福になれるのか・・・。どっちがフェイク、つまりマガイモノで、どっちがホンモノなのかも紙一重で隣り合わせに在る気がして・・・」。さらにこの楽曲が映画主題歌であり、その後は大切なバンドのレパートリーになる、ということも考慮した。「冒頭、“言ってしまえば僕らなんか似せて作ったマガイモノ・・・”というとこは映画館ではエンドロールにも重なって、映画の内容を回想させるだろうし、逆に音楽だけ聴いた人には、ミスチルというものが作り上げられたマガイモノかもしれない・・・、みたいなことでもあるかもしれない。その両方に引っかけてこの曲が聞こえていったらなぁ、と」。ライヴでは、トランス・テクノ的な曲調ゆえに自由に時間を司り、毎回大きなインパクトを与えている。
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06|♪彩り♪|(5:25)
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2007(平成19)年03月14日(水) 13thアルバム『HOME』収録曲
<MACRO> 「ap bank fes '06」で初披露されたということもあり、フェスのテーマである自然との共存や循環型社会の実現といったこととも響き合う歌という印象がある。メンバーと小林のピアノによる5人の等身大の演奏、その典型をここに聴くことも出来る。歌がそもそも発想されたのは海辺、サーフィンをこよなく愛する桜井には、ともに波を待つ仲間がいる。しかし彼等はそれぞれ仕事を持っている。桜井はツアー終了後など、まとまった休みも取れるけど、仲間は“これから夜勤だから”と自動車部品の組み立ての仕事なんかに出掛けていく。「そんな時、自分が後ろめたくもあり、それプラス、なんか僕はミュージシャンとして、なにかしら影響力があるようにみられているけど、自動車を組み立てる作業だって、まわり回って大事な仕事なんだよな・・・。ふとそう想った時、その友達へのメッセージを送るような歌が作りたくなったんです」。その気持ち、その鮮度が落ちないうちに形にしたくなった彼は、急遽メンバーに集まってもらい、セッションは始まったのだった。
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07|♪旅立ちの唄♪|(5:35)
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2007(平成19)年10月31日(水) 31stシングル
<MACRO> 映画やドラマのために主題歌を書き下ろす時は、原作をハッキリと意識する場合と、そうはせず、結果として両者が自然に響き合うことを目指す場合があるそうだが、後者にあたるのがこの作品だ。映画『恋空』の主題歌としてお馴染みだが、原作を読んだのは曲を書いた後だった。でも、あまりにストーリーと楽曲に共通点があって、書いた桜井本人がビックリするくらいだったという。柔らかく美しく、心に襞が折り込まれていくようでもあって、しかし最後にはぎゅっと心を鷲掴みにされる美しいメロディだ。これは彼が旅行中に浮かんだメロディであった。だとしたら、旅先という非日常がもたらした効果もあったのかもしれない。歌詞を乗せる段階となると、作品に対する意図も具体的になる。「卒業式とかで歌われるといいなぁ、というのはあった。まぁこんなこと言うと狙って書いたみたいだけど(笑)。でも実際、ぴったりだと思いますよ」。ライヴで歌う際のMCで、「この唄は別れの唄であるのと同時に新しく何かを始める明日を祝福する唄でもある」と紹介したこともある。
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08|♪GIFT♪|(5:49)
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2008(平成20)年07月30日(水) 32ndシングル
<MACRO> 当時、NHKの北京オリンピック・テーマとして何度も何度もお茶の間に流された楽曲であり、普段彼らを聴かない年代の人々にも届く結果となった。あるおばあさんから“いい歌ねぇ”と声を掛けられたこともあったそうだ。オリンピックのメダルの価値に思いを馳せた時、この歌はクーベルタン男爵の考えにも共通することを歌っているようにも思う。そういえば、この歌がリリースされた時、桜井はこんなことを言っていた。「金メダルがどれだけ金色に輝いてても、そのこと自体に意味はないというか、そこに辿り着くまでの努力は誰にもあるし、支えてくれた人もいるし、そうしたものの中にこそ本当の“輝き”があるんだと思います」。制作中、スポーツ番組へ提供するということもあり、過去のレパートリーでも特にアスリートの支持者が多い♪終わりなき旅♪も引き合いに出されたそうだ。ただ、“自分探し”というテーマは、もはや彼らには無かった。あの歌のように“高ければ高い山のほうが越えた時に気持ちいい”のではなく、ここでは“地平線の先には新しい地平線が広がるだけ”と歌っているのだから・・・。この年の大晦日には『NHK紅白歌合戦』に初出場している。
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09|♪HANABI♪|(5:42)
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2008(平成20)年09月03日(水) 33rdシングル
<MACRO> 実は桜井には、この曲の直前に作っていた別の楽曲があった。しかしそれが、どうもしっくりこなくてお蔵入りとなる。そのこととは別に、この時期、彼はアコースティック・ギターを買う。以前から大好きなジェームス・テイラーのCD+DVD『ワン・マン・バンド』を参考に、ギターのコピーに励んでいた。アルペジオを爪弾き、でもそこに、いったんお蔵入りとなっていた曲のモチーフが呼び覚まされる。そのままではなく、マイナー調のコードにしてジェームスのように弾いているうち、“♪テトテ・テトテ・・・”という、この曲のキャッチィなイントロが出来上がるのだ。曲の構成も決まり、仮歌を歌っている時も不思議な感覚に襲われる。「普段はしない口の開き方とかしてた。でもこれって、そうだ、ずっと歌ってたジェームス・テイラーだって(笑)」。出来上がってみると濃厚な青春歌となっていた。レコーディングはいつものスタジオを出て、かつて使っていたBunkamura Studioが使用された。彼らにとってもそれぞれの楽器がちょっと違う響きに録れたことがとてもいい刺激となったようだ。
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10|♪花の匂い♪|(5:12)
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2008(平成20)年10月01日(水) 着うた 1st配信限定シングル
2008(平成20)年11月01日(土) 着うたフル 1st配信限定シングル
<MACRO> 映画『私は貝になりたい』の主題歌として制作された作品で、配信限定でリリースされた。戦争の悲惨さ、人が人を裁く難しさを描いた重たい内容だが、むしろ桜井は、家族の絆や命の大切さということを思って書いたという。特に主人公・豊松の“どうしても生まれ変わらねばならないのなら私は貝になりたい”という有名な最期の言葉に対しては、「貝になどならず、生まれ変わったのなら木漏れ日や花の匂いになって、家族のところに会いに行きたいのでは・・・」という、そんな私見を歌のなかに込めている。ボーカル録りに際しては、計算ではない“まっすぐな歌”を目指した。この時桜井は、実際に録るのはスタンド・マイクであるのに、あえて手にハンド・マイクも握ってみるという試みをしている。作品の出来だけじゃなく、そんなレコーディングの過程も含め、とても満足している楽曲だという。
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11|♪エソラ♪|(5:06)
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2008(平成20)年12月10日(水) 15thアルバム『SUPERMARKET FANTASY』収録曲
<MACRO>の『SUPERMARKET FANTASY』のジャケット・デザインは森本千絵氏の手によるものだが、依頼する際、完成直前のアルバムの音が手渡される。それを何度も聴きこんだ彼女から、いくつかのデザイン案が届き、その一枚がみなさんご存知のものである。ただ、渡した音には1曲だけ、詞が書けてないものがあった。それが♪エソラ♪だった。「いや、ホントに悩んでた。そしたらこのジャケットが届いた。そのデザインは、とても明るくてポップだった。“そうか、このアルバムってそういう風にみえるのか・・・”。僕はそう思った。そしてジャケットに触発され、もしこの世界観を言葉で具現化するならどういうものかって、この歌詞を書いた」。イントロが鳴った瞬間、カラフルな景色が現れる。歌は当初作っていたキーより下げて歌ってみた。そのことで伝えたかったのは、渾身のシャウトというより優しさや喜びだ。彼らにしては珍しい“ロック・ミー・ベイビー”なんて言葉も飛び出す☆\(=^◇^=)/☆。しかしこれは主人公がこの歌のなかで“聴いている音楽”という設定であるヨ(=^◇^=)
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12|♪fanfare♪ |(6:17)
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2009(平成21)年11月16日(月) 着うた 2nd配信限定シングル
2009(平成21)年12月02日(水) 着うたフル 2nd配信限定シングル
<MACRO>『ONE PIECE FILM DTRONG WORLD』の主題歌として、原作者でありこの映画の総指揮をとった尾田栄一郎氏の依頼で書き下ろされた作品。メンバーは『ONE PIECE』の愛読者であり、快くこの依頼を引き受けるが、特に尾田氏が送った手紙が桜井の心を動かし、「読んだ瞬間、この曲のぎたーりふが頭に浮かんだ」ほどだったという。冒頭の、高いテンションで叫ぶようなところは、「物語の主人公ルフィが時折見せる姿をイメージしてみた」そうだ。曲の構成としては、物語の予兆を思わせる前奏部分があるのが特徴的だが、これはウイングスの♪007 死ぬのは奴らだ(Live and Let Die)♪のような「劇的なものがいいのでは?」という、そんなアイデアからのものだった。リリースはまず配信からスタート。しかし『SENSE』に収録されたのはミックスし直されたヴァージョンだ。最初は録り直ししようかという話もあった。ミックスで変えた点は、「もうちょっとバンド寄りの印象に聞こえるものにしよう」というメンバーの意向からだった。
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13|♪擬態♪|(5:50)
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2010(平成22)年12月01日(水) 16thアルバム『SENSE』収録曲
<MACRO> そもそもはSalyuに提供するために書かれた作品であり、なので当初は彼女が歌うことが想定されていた。伸びのある高い声でピークを迎える感じのサビは、彼女に歌ってもらったら気持ちいいだろうな、ということから生まれている。でも・・・。「作っていくうちに、やっぱりヒトに提供するのはもったいないなぁと思うようになって(笑)」(桜井)。そして自分達でレコーディングすることに。♪擬態♪という、それまでポップ・ソングの歌詞ではお目にかからなかった言葉は、どう桜井のアンテナに引っ掛かったのだろう。「ある日、伊集院光さんのラジオを聞いていたんです。そしたら“『擬態する昆虫』というDVDが面白い”って言ってて。あー、擬態なぁ~、って・・・。それだけのことなんですけどね」。またしても桜井の曲の引き出しは、身近なところにあったということである。歌詞の大きなテーマとしては♪フェイク♪にも通じるところがある。デマカセという言葉と真実という言葉が並ぶ。「ただ、歌詞の脈略うんぬんより、その人なりの“感覚”で聞いて欲しい曲なんです。『SENSE』というアルバム自体、そんなとこがあるし、特にこの曲はアルバムを象徴する曲でもあると思う」
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14|♪365日♪|(5:36)
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2010(平成22)年12月01日(水) 16thアルバム『SENSE』収録曲
<MACRO> この歌を満たしているのは、5分38秒という演奏時間では収まり切らない、溢れんばかりの愛。主人公はただひたすら想う。ここで出会ったね、あんなことをしたね、そんな逸話は介さずに、ただひたすら「君」を想うのだ。歌の誕生にまつわる話としては2006(平成十八)年に遡る。この年の“RED RIBBON LIVE”にゲスト出演した桜井は、イベントのプロデューサー山本シュウ氏と、相手を思いやり愛することの価値そのものを見直すべく、“LOVE CHECK”という言葉を掲げたイベントも思いつく。「メッセージが先走るのではなくて、ただひたすらロマンチックな歌を目指したし、最初からそのイベントで歌うことも考えてたのかもしれない。ただ、イベントは結局無くなって、曲だけ残って・・・」。初めて人前で歌われたのは“Mr.Children DOME TOUR 2009~SUPERMARKET FANTASY~IN TOKYO DOME”の時だったが、CD化される前から大きな反響を呼んだ。静かに静かに滲みて <歌であり余韻も長い。まさに<MACRO>を締めくくるのにも最適な楽曲である。