過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

『MR.CHILDREN 2001-2005 <MICRO>』だヨ(=^◇^=)

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 ┃ 『MR.CHILDREN 2001-2005 <MICRO>』  ┃
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 Mr.Children 3回目(4枚目)のベスト・アルバム作品
‡2012(平成24)年05月10日(木) リリース日
‡2018(平成30)年05月10日(木) mora配信開始日 
********************** http://www.mrchildren.jp
 http://www.mrchildren.jp/disco/#album/album19
 https://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children_2001-2005_%EF%BC%9Cmicro%EF%BC%9E
 音源◆https://music.amazon.co.jp/albums/B07D37QFXZ
 mora◆https://mora.jp/package/43000034/TFCC-86398/
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 |文・小貫信昭|
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 1992(平成四)年5月10日(日)にメジャー・デビューを果たした彼等は、今年、20周年を迎えた。『MR.CHILDREN 2001-2005 <MICRO>』と『MR.CHILDREN 2005-2010 <MACRO>』は、そんなタイミングにリリースされるベスト・セレクション・アルバムである。収録されているのは20年のキャリアの後半部分。バンドの在り方を模索し続けたのが最初の10年間なら、それらを経て、日本を代表するバンドへと成熟していくのがここに記録された10年間だ。
 タイトルに添えたふたつの言葉だが、ジャケットからは“水”と“太陽”という、対比したイメージも浮かぶ。プロデューサーの小林武史は言う。「ミスチルというバンドはいつもふたつのものを提示して、そのなかで自分達の在り方を考えてきたところがあったし、それは10年ほど前に最初のベストを出した時もそうだった。そしてファンの方達の目線に立てば、あの時と連動したものというのも親しみ易いだろうし、2枚に分けて出すというのは、僕からも提案したことでもあったんです」。
 メンバーはどうなのだろう。桜井和寿はベストというものの在り方を、こんな風に説明してくれた。「オリジナル・アルバムを作る時って、その時々の自分達や自分達の周りで起きていること、さらに世の中に対する想いから曲が出来て行く。それをひとつのパッケージにするんだけど、もし一曲一曲が小鳥だとしたら、アルバムは籠のようなもので、そのなかで“こんな風に見えて、こんな風に聞こえてほしい”と提示しているように思うんですよね。でもベストというのは籠からいったんすべて出して、“好きなように飛んでってくれ!”☆\(=^◇^=)/☆という、そんな開放感があったりもするんですよ(笑)」
 だったら我々も好きにしよう。
 「あの曲には励まされた」
 「イントロ聴くだけでいまも泣いちゃう(>▽<)」
 「最初は地味かと思ったけど、改めて聞いたらめっちゃいい曲だった」
 「ポップでありながら、こんな実験もしてたのか・・・」。
 ひとつ言えるのは、ミスチルというのは今も結末のわからない連続ドラマのような存在で、だから耳と目が離せない。ということ。そして彼等はこれからも、♪優しい歌♪で宣言した通り“誰かの為に”“ちいさな火をくべるよな”という、音楽がやれる最小かつ最大なことを続けていくのだろう

 これからお読み頂くのは、<micro>に収録された楽曲が制作された2001年から2005年までの彼らの動きである。駆け足ではあるが、重要と思われるエピソードはなるべく見落とさず、さらにメンバーや小林武史の証言も織りまぜつつ進めていこう。
 でも、まず最初に書いておく。すでに大きな成功を収めていた彼等だが、決して順風満帆というわけではなかったのがここからの5年間だ。予期せぬ出来事でバンドは立ち止まりもした。でも、再び動き始める時は、決しておなじ場所を堂々巡りすることなく、新たな景色へと連れていってくれた。だからこそ、ファンはわくわくした気持ちを無くさず、彼らの新しい音に耳を傾けた。そして今も、傾け続けているのだ。
「ミスチルもここらで“成人”したというか、ちゃんとバンドとして成熟してからのベストだし、すごく充実してますよね」。デビュー以来、ずっとこのバンドを見守ってきた小林は、<micro>収録曲のリストを眺めつつ、ふとそんな言葉を洩らした。“成人”という表現は彼だから出てくるものだろう。
 そんな彼にミスチルの歴史を訊ねると、そこには第一期から現在の第五期に至るまでの道のりがあるという。『Everything』『KIND OF LOVE』『versus』までが第一期、『Atomic Heart』『深海』『BOLERO』までが第二期。小林が率先してバンドを引っ張っていった時期だ。そのあと1997(平成九)年03月28日(金)の東京ドーム公演をもっていったん活動休止する。その後、四人が小林に頼り過ぎず、バンド観を見つめ直したのが第三期である。アルバムでいえば『DISCOVERY』と『Q』だ。やがて21世紀に突入。その時、最初のベスト・セレクション『Mr.Children 1992-1995』(通称“肉”)と『Mr.Children 1996-2000』(通称“骨”)が出される。それを経て、ここからさらに視野が広がり、歌のテーマもバンドのスタイルも変化していくのが<micro>に収められた第四期なのだ。アルバムでいうと『IT'S A WONDERFUL WORLD』『シフクノオト』『I LOVE U』の3枚である。
 さて、いよいよ本題である。“肉”“骨”のベストと同時進行で制作され、彼らの再出発を告げたのが♪優しい歌♪。この曲が<micro>のオープニングを飾る。
「それまでは、ちょっと内向きにバンドの音を追求していたとこもあった。でもここで再び、僕らの音楽を聴いてくれるリスナーの人達と向き合おうと思ったのがこの曲だった」。当時桜井はそんな発言をしている。でもこの歌には、♪やっぱり僕は僕でしかないおんという象徴的なフレーズがあった。であるなら、閉じこもっていてもしょうがない。誰かに会いに行こう。何かに触れよう。世の中の様々なことに積極的にコミットメントしていく時期へ突入していく。
 フットワークも軽くなる。2001(平成十三)年の10月9日(火)に、さいたまスーパーアリーナで行われたジョン・レノンのイベントに、桜井と田原、小林がユニットを組んで出演したのも、その現れだろう。
 “再びリスナーと向き合う”ということは、音楽的にはどういうことだったのだろう? それはPOPというものを再検証することでもあった。事実、この時期の♪youthful days♪や♪君が好き♪といったシングルは、それぞれハッキリ意図された“聴かせどころ”のあるものだった。
 そして2002(平成14)年05月10日(金)にリリースされた記念すべき10作目のアルバムが『IT'S A WONDERFUL WORLD』である。バンドの等身大を追い求めたのが『DISCOVERY』の頃だとしたら、ここで大きく変化する。このアルバムでは寧(むし)ろ、ひとつひとつの楽曲こそが主役なのだ。時に演劇的と言いたくなるほどアイデア豊富であり、それぞれの楽曲が目指すべき世界観に向け、躊躇なく振り切れている。それでいて程良くアルバムのトータリテイもある、そんなできばえだった。
 さらにPOPの再検証という作用から生まれた“反作用”ではないけれど、逆方向への振り幅というか、例えば♪ファスナー♪や♪LOVE はじめました♪は、これまでにない表現の奥行きを感じさせた。もちろん、その前年に起きた9・11の同時多発テロが、それまで前提としてきた生き方を打ち砕き、楽曲制作にも影響を与えたことは言うまでもない。ただこのことに関しては、「受けたショックを完全に振り払えていたわけではなかった」と、のちに桜井は語っていた。
 “この素晴らしき世界”というアルバム・タイトルは、ちょっとした皮肉にも受け取れた。しかし聴き終わってみれば、“WONDERFUL WORLD”とは「決して諦めずに目指すべき場所のこと」と受け止めることができた。
 アルバムの世界観の広がりは、来るべきツアーを大いに期待させた。ところがこの年の7月、桜井が小脳高速で入院することになる。突然のニュースが日本中に衝撃を与える。さぁこれから、という、まさにその時だった。待ちに待った久しぶりのツアーだっただけに、みんなの落胆は大きかった。でも幸いなことに、考えうる最悪の事態には至らず、彼の治療は順調に進んだ。
 ミスチルが休んでいても、音楽シーンでは新たな楽曲が生まれ、新たな人達がデビューしていった。でも彼等にふと想いを馳せると、Mr.Children、さらには桜井の存在は唯一無二のものだという事実は動かしがたいものだった。これほど真摯に音や言葉と向き合ってきたバンドも居ない・・・。しかし我々に出来ることは、一日も早い回復を祈るだけだった。
 桜井が復帰したのはこの年の年末だ。12月21日に、横浜アリーナで一夜限りのライヴをすることが発表された。ツアーだったはずのことを一日のみやるというのは、もちろん興行として成り立つものではなく、事務所の社長としての小林の英断だった。桜井は、みんなに心配されないよう普段どおり歌おうと心掛けたという。
 その少し前に発表されたのが新曲の♪HERO♪だ。復帰に向け、みんなが気持ちをひとつにして作り上げた名曲中の名曲だ。ミスチルというバンドがなぜ常にワクワクするような活動を続けていられるのかは、こうした窮地にハッキリと示される。作品を作る集中力を切らさず、質の高い作品と共に彼等は戻ってくる。そのことでいったん止まった時間を再び動かし始める。そしてこの歌には、父親としての桜井の、初期の楽曲にはない目線も含まれていた。
 突然の病で入院するという、そんな経験が桜井にもたらしたものはなんだったのだろう。それは、「ありのままの自分を認める、足元にある幸せを感じる」ということだったようだ。「最初は“弱気になってる自分は見せたくない”という想いのほうが強かったけど、“自分にも臆病なところがある”ことが分かってきてからは、それも含めて自分だと思うようになった」。
 そして桜井の回復とともに、いよいよ完全復活となるのが2003(平成十五)年だ。と、ところが・・・。順調に楽曲が出来上がりつつあったが、しかし鈴木の腰がどうにも重かった。
 バンドをやるうえでのモチベーションが上がらず、レコーディングは遅々として進まない。彼は人生という名前のドラム・セットをいったんバラし、組み立てて直そうとしていたのだ。レコーディングの予定がズレ込む。またしても窮地であるが、桜井はそんな鈴木を鼓舞するような曲を、敢えてピンポイントで彼に送り届ける。
 別の解釈は自由だし、あくまで“そういう聴き方をするなら”という前提つきで書くが、のちに『シフクノオト』に収録される♪PADDLE♪の♪きっとうまくやれる 行こうぜ♪というフレーズなど、まさにそれにあたるのだ。
 この時期、ミスチルとしての表立った活動は少なかったが、来るべき大きな何かを予感させる動きはあった。9月にラジオのみでオンエアされ始めた♪タガタメ♪は、吐露される言葉の羅列そのものが一秒ごとのドキュメントとして響き、後半に向けて高まるエモーションには鬼気迫るものがあった。
 しかし依然バンドは停滞し、そのかわり桜井個人の活動が目立った。11月には寺岡呼人のイベントに、そして12月には小田和正のクリスマス特番に出演している。でもこの頃すでに、次のアルバムを♪タガタメ♪と♪HERO♪のじゅんで締めくくるという構想はあった。
 2004(平成十六)年はMr.Childrenというバンドが結成されて15周年という区切りの年でもあったが、まったく新たな動きがそこに加わった年でもあった。前年ap bankが創設され、小林と桜井がBank Bandに参加するのである。
 音楽の聴き手という繋がりだけじゃなく、もっと広く世の中のこと、さらに自然とも共生することで見えてくるより良い未来とは・・・。ただアカデミックにテーマを掲げるだけじゃなく、目線を落とした日常からそれを考えていく・・・。そんな活動が始まっていく。このBank Bandでは、他人の楽曲をカバーして積極的に歌うことにもなる。それは桜井の音楽的なルーツを垣間見せ、とても興味深かった。
 待ちに待ったアルバム『シフクノオト』がリリースされたのは4月のことだった。すでにファンの耳に届いていた♪HERO♪にしろ♪くるみ♪にしろ、彼等が何度目かの絶頂期に突入しているであろうことは動かしがたい事実だった。現実にリリースされると、そんな期待をさらに上回る充実ぶりだった。“シフク”とは飾らない普段着の“私服”のことであり、さらに日常のふとしたところに転がっているかけがえのない“至福”のことでもあった。
 「時間は掛かったけど、このアルバムに辿り着けたのは大きな出来事だった。包容力があって、大胆さもあって、内面に入り込んでいく感覚も、より奥深く出てきている」。この時期の充実ぶりを、小林はこう表現した。
 6月12日。いよいよ“Mr.Children  Tour 2004 シフクノオト”が始まった。ツアーは2001(平成十三)年の“Mr.Children CONCERT TOUR POPSAURUS”以来である。待ち望んでいたファンの熱気は凄まじかった。
 初日の横浜アリーナ。ステージの真後ろにもお客さんがびっしりと入っている。360度から歓声が彼らの頭上に降り注ぐ。♪天頂バス♪では、これまで以上にバネが効いた演奏が心地好かった。
 ツアーは秋まで続いていった。2日間で13万人を集めた「横浜国際総合競技場」(現・日産スタジアム)でのライヴでは、あの広いすり鉢状の会場から、音楽への情熱と持てる力が、溢れんばかりであった。年末には♪sign♪で二度目のレコード大賞を受賞する。このバンドは国民的な存在となった。
 ツアーは充実したものだったが、桜井は全国をまわりながら想っていた。「シンプルな日常のなかにある大事なものを大切にしたのが“シフク”のアルバムと♪sign♪は典型だろうけど、でもそれだけじゃ、さらに先には行けない。そして“何が足りないか?”が、ツアーを回りながら見えてきた・・・」
 それを受けて制作された4曲入のミニ・アルバム的シングルが出来上がる。2005年6月にリリースされた『四次元 Four Dimensions』だ。ここに収録された作品でまず最初に届けられたのは、1月からCMで流れはじめていた♪and I love you♪だった。ここでハッキリと、ファンはミスチルのさらなる進化を耳で体験することとなる。
 大きな大きな光のブランケットに包まれたかのような聴き心地だった。桜井がここまで意図的にファルセットを活用した楽曲はなかったし、最終に“I love you”というシンプルな言葉へ行き着くまでのアイデアは、結末から考えつつも書き出しからして鮮やかな小説のようでもあった。それを譜面の上ではなくバンドで音を出しながら組み立てていった。細かく相談せずとも四人が同じ景色を見れることの確認でもあった。バンドの絆もさらに深まった。♪未来♪や♪ランニングハイ♪も、これまでと質感が違う作品で実に新鮮だった。
 でも、桜井が“シフク”のツアー中に気づいたことはなんだったのか。それはシンプルな日常のなかに大切なものを見つけることの否定ではないにしろ、「その反対側、つまり理不尽さとか荒唐無稽なもののなかにも大事なことはあるのでは?」という発想だ。“シフク”というのが足元にあるものを両手で大切に掬い取る感覚であるならば、“四次元”は敢えて別々のものを混ぜて調合し、そこに生まれる偶然を含めた反応を見届ける、みたいなことだろうか。♪未来♪のいっけん脈絡ない歌詞の展開や、♪ランニングハイ♪の大胆なロックとジャズの融合などはそれに該るかもしれない。
 この年の7月から静岡県のつま恋で、「ap bank fes」が始まった。彼等はトリを務め、約1時間のステージをこなした。桜井はBank Bandも含めてほぼ出ずっぱりの印象で、楽屋ですれ違う知人の多くから「疲れない? 大丈夫?」と労われた。
 ap bankへの参加は実に大きなことだったと桜井は言う。「社会に対して、自分に何が出来るんだろう…」という、9・11以降の思いがあった。でもそれを、敢えて「櫻井和寿」という一個人で参加することで、きちっと貢献することが出来た。もしこの場所がなかったら、あれもこれもミスチルというバンドのなかに押し込めて考えなければならなかったかも知れない。それではきっと破綻する。ここで彼の中に、心のいいバランスが生まれていった。
 リリースは順調だった。前年4月の『シフクノオト』に続き、この年の9月にもアルバムがリリースされたのだ。『I LOVE U』。原稿用紙の上でトマトが潰れたジャケットが訴えかけてくるのは、言葉を越えた“衝動”。「思いを思いのまま、あまり言葉で整理しないで伝えたかったアルバムではあった」。桜井はそう言った。彼は自分の中から沸き上がってくるものを疑わず、そのまま作品にした。
 このアルバムは問題作とも言われた。過去の作品を振り返り、そんな称号が与えられたのは『深海』だ。もし両者に共通するものを探すなら、心のダークサイドも隠さず描いているところだろうか。このアルバムに対する小林の評価は興味深い。
 「もちろん充実したいいアルバムだけど、つい勢い余って、というとこもあった(笑)。ちょっと“筋ばって”しまってるというか、男性系の力が強く働き過ぎたというか・・・」。
 
 実は『I LOVE U』は、もう一枚のベスト・セレクションである<macro>にも跨って収録されている。なのでこの話の続きは、そちらのライナーノーツで書くことにしよう。

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01|♪優しい歌♪|(3:36)
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 2001(平成13)年08月22日(水) 20thシングル
 <MICRO> この時期、区切りとなるベスト盤のリリースも決定し、いっそのこと、しばらく休むという手もあった。でも、そうした時期だからこそ「バンドの現在進行形の姿を示そう」と書き始めたのがこの作品。就寝中、明け方の5時くらいに“降ってきた”メロディが元になっている。目覚めた桜井はピアノに向かい、適宜、コードをあてがう。それはメロディという水の流れが曖昧にならない為の“護岸工事”のようなものだろう。デモを作り、同時期に出来た別の曲とともにメールで鈴木に送る。すると彼がこの作品を絶賛。「僕らがデビュー前にやってた曲にも似てて、逆に新鮮だった」。当時のことを鈴木はこう振り返る。「“♪優しいうたぁ~”以下に並ぶ言葉こそがすべて」と桜井に言う。そこに並んでいるのは“誰かのため”に“ちいさな火をくべるよな”という、そもそもPOPソングがまず在るべき姿を確認するような言葉だった。「そこに立ち返って再びやろうよという・・・」♪優しい歌♪とは、その宣言のための歌”でもあったわけだ。
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02|♪youthful days♪ |(5:17)
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 2001(平成13)年11月07日(水) 21stシングル
 <MICRO> 実にハツラツとして瑞々しい。恋する気分は見慣れた景色を特別なものに変える。曲の冒頭、敢えて水たまりに突っ込んでみせる愛車の姿は、日常の中に極上のアトラクションを見つけたかのようだし、雨上がりの街の開放感をリアルに伝えている。それを桜井は、いつもより少し巻き舌を意識したボーカルで表現する。バンドの演奏も元気一杯で、シンプルなコード進行の中、各楽器がそれぞれ別々の景色を取り込むかのように音を響かせ合う。特にドラムの60年代前半のサーフィン/ホットロッド・ミュージックを思わせる重心が低く闊達な音が快感だ。この歌で重要なのは青春の只中でなくてもそれはいつでも取り戻せると歌っている部分(英詞の♪I got back youthful days♪に注目)かもしれない。メンバーはそんな年代に差しかかっていたのだ。ちなみに歌詞の中のサボテンのエピソードは実話であり、桜井が家で育ててたものを親戚に分けたところ、「花が咲いたよ」の知らせを受け、しかしその花の儚さも含め、歌詞に反映させている。
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03|♪君が好き♪|(4:30)
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 2002(平成14)年01月01日(火) 22ndシングル
 <MICRO> 後半に従って大きな仕掛けがあるというよりは、淡々としたバラードである。それがこの歌の主人公の、夜の静寂に紛れのではなく、寧ろ反対に露わにされていく煮え切らない想いを浮かびあがらせていく。いつもながら答を与えるはずの頭上の月も、今日は濁ったまま・・・。当初桜井は、この曲のメロディが浮かんだ時、朴訥として、ちょっと入り組んだ雰囲気を感じていたそうで、だから逆に“君が好き”という「素直な言葉が呼び寄せられたのかもしれない」。ソング・ライターとして大先輩の小田和正に♪自販機で缶コーヒーを買う♪というあたりの歌詞を褒められ、「大きな自信になった」とも語っている。この曲のレコーディングでメンバーが事務所のスタジオに居た時、室内のTVモニターでニューヨークの同時多発テロのニュースを知り、当時現地に家があった小林を気遣い、すぐさま電話している。
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04|♪蘇生♪|(5:49)
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‡2002(平成14)年05月10日(金) 10thアルバム
 <MICRO> 「僕のアイデアの引き出しは、いつも身近なところにあるんです」。桜井がそう話してくれたことがあった。そしてまさに、この歌にもそんな“身近”なエピソードがある。その日、彼は何気なくテレビを観ていた。リチャード・ギアがゲスト出演した番組で、その時、ダライ・ラマの教え、“一日、一日、自分は生まれ変われる”という言葉が紹介された。そしてこう思う。“もしそう考えて生活してたら、いつもポジティヴな気持ちでいられるんだろうな・・・。“そのことが頭の中に残っていた。やがてそれは、“歌が鳴っている数分間だけでも、そんな気持ちになってもらえたら・・・”という、より具体的な想いに変わり、この作品へ結実する。『IT'S A WONDERFUL WORLD』では冒頭の♪overture♪を含めひとつの作品として響いたが、今回このベストのためイントロ部分が再編集されている。その後、2011年9月公開のネイチャー・ドキュメント『ライフ─いのちをつなぐ物語』の主題歌にもなった。
  備考・・・『IT'S A WONDERFUL WORLD』収録曲。本作収録にあたりイントロ・アウトロが再編集されているヨ(=^◇^=)
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05|♪Drawing♪|(5:43)
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 2001(平成13)年11月07日(水) 21stシングル♪youthful days♪のカップリング曲
 <MICRO> ツアー先の福岡で、那珂川の美しい眺めに接し、「何とかこの風景を描いて残せないものか」と考えた桜井。それがこの歌の発端だった。しかしそれだけでは“もしも上手に絵が描けたら・・・”という仮定がメインの歌で終わってしまう。それでは詰まらない。歌にはならない。そこからさらに踏み込んで、「とはいえ自分が描けたとしても、たぶん“描き切れないもの”ってあるんだろう・・・」。そう考えていくうち、この歌は完成するのだった。全体的に打ち込みの精緻なアレンジが印象的であり、でもその世界観のまま完奏すると思いきや、後半、バンドが入ってくるところでもうひとつの扉が開き、全貌が露わになる。この構成となったのは、当初からバンド・サウンドを目指したものではなかったからでもある。当時、「そこしか僕らが入っていくとこはなかった」と鈴木は語っている。
   備考・・・初出がカップリング曲となっている楽曲で『B-SIDE』以外のベストアルバムに収録されたのはこの曲が唯一である。10thアルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』にも収録されているヨ(=^◇^=)
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06|♪いつでも微笑みを♪(=^◇^=)|(3:33)
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‡2002(平成14)年05月10日(金) 10thアルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』収録曲
 <MICRO> 一編のミュージカルを耳で楽しむかのようなファンタジックな作品。聴き終わった時の満腹感も高いが、しかし演奏時間ということでは、彼らの楽曲の中で長いほうではない。冒頭や間奏に出てくるトランペットの口真似は、タック&パティのパティ・キャスカートのステージからヒントを得たものであり、その旋律から“歌のなかにもうひとつ架空の楽曲を鳴らす”というアイデアも生まれていく。なお、タイトルは“微笑(え)みを”と読ませるが歌詞では“微笑(ほほえ)みを”と歌われ、これは“そんな歌が昔あった”と主人公が回想する歌の一節と受け取るのが妥当だろう。ただ歌詞の上でも最後だけ“微笑(え)みを”と締めている。桜井は1962(昭和三十七)年に橋幸夫と吉永小百合の歌でヒットした♪いつでも夢を♪のことが頭の片隅にあったことを否定しておらず、昔あった“そんな歌”とはこの作品のことと解釈することも不可能ではない。冒頭のシンセは実に珍しいことに小林武史ではなく桜井が弾いている。
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07|♪Any♪|(5:07)
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 2002(平成14)年07月10日(水) 23rdシングル
 <MICRO>“感情はナチュラルに保ちつつ、感覚はぽわ~んと張りめぐらせておく。するとそこに音楽が降りてくる”。創作の秘訣を、そんな風に表現する桜井だが、この作品の場合、そこに思わぬ“ゲスト”が現れ、さらにそこで起きた偶然が、曲に大いに活かされることとなる。家で鍵盤に向かい、曲の“第一稿”と呼ぶべきものを構想していた時のこと。そこに我が子がやってきて、彼の右肩越しに手が伸びて、ピアノをキョロンと悪戯する。予期せぬ高音が紛れ込む。でもそれが、実はサビのアイデアとなったのだ。一部ファルセットの部分などは、ファルセットを目指したのではなく、この時の偶然に起因するのだ。『シフクノオト』の中でも初期に出来た作品である。歌詞の♪きっと答えは一つじゃない♪は、「のちに♪掌♪で言いたかったことの伏線となっていたのかもしれない」と桜井は語る。
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08|♪HERO♪|(5:41)
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 2002(平成14)年12月11日(水) 24thシングル
 <MICRO> バンドも人気者となると、時にヒーローのように思われ、子供達のために「何か励ましのメッセージを」と乞われたりもする。実際、ある機関からそんな依頼があった時、桜井は“ヒーロー”という言葉自体に想いを巡らせた。「でもその子にとって、一番身近にいる両親こそがそれにあたるのでは・・・」。アメリカでは9・11以降、ヒロイズムの誇張のような風潮もあった。それにも彼は、どこか違和感を感じていた。そして最後に辿り着いたのが、“ヒーロー”の存在を自分にとって違和感ない存在として歌うことだった。2002(平成十四)年7月、桜井は突然の病で入院し、同年12月、彼の復活に寄り添うようにリリースされたのがこの曲だった。それゆえ彼自身の姿とダブらせて受け取った人も多かったが、曲が作られたのは病気になる以前で、直接の関連はない。ただ、レコーディングの時は体調を考慮し、サビはファルセットで歌うことを選択。「でも最後の最後、桜井は地声でサビを歌った。僕はその時、心を鷲掴みにされた」。小林は当時のスタジオの様子をこう回想している。
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09|♪タガタメ♪|(6:52)
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 2004(平成16)年04月07日(水) 11thアルバム『シフクノオト』収録曲
 <MICRO> 当初この曲は陽気なカントリー調のアレンジだった。メンバーもそのつもりで準備していたのだが、ミーティングがあって、歌詞の方向性の変化により、曲調も大きく変更されることとなる。特にサビに“タタカッテ タタカッテ”という言葉が置かれるや、社会に鋭い視線を送る内容になっていった。でも大上段からではなく、あくまで個人の祈り、という立場を忘れない歌である。歌詞に文脈的な繋がりは求めず、「あえて感情だけがポンポンとそこに置かれていくような構成を目指した」と桜井は言うが、確かにカタカナを多く採用した歌詞の書き方は、そこにゴロリと剥き出しの感情が転がっているようなイメージを伝える。制作中にここまで曲調が変わるというのはそうあることではないが、実は♪I'LL BE♪の時にも、同じようなことが起きている。軽快なシングル・ヴァージョンがまず制作され、それがアルバムでは壮大なアレンジに変更されている。完成した順番と届けられた順番が逆なのもこの二曲は似てる。♪タガタメ♪の当初のヴぁーっジョンは、のちに♪HANABI♪のカップリングとして新たにレコーディングされ届けられた。
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10|♪掌♪|(5:04)
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 2003(平成15)年11月19日(水) 25thシングル♪掌♪/♪くるみ♪の1曲目
 <MICRO> 長い制作期間を経て完成された。当初準備されていたのはエイト・ビートのものだったが、小林から「もうちょっと跳ねる感じのループでやってみない?」という提案があり、現在の形となる。そして早くも『シフクノオト』のツアーでは、二番以降の構成を長くした新たなヴァージョンが披露された。この曲を演奏中の客席の景色は実にいい。会場全体を包むバイブレーションがいい。メッセージとして強く届くのは“ひとつにならなくてもいいよ”という言葉。9・11以降、それまで前提としていたものが崩れ、人々は“もしかしたら、まったく別の生きかたもあるのでは”と考え始めていた。桜井の頭の中にもそれはあった。ただ、彼自身がこの楽曲を象徴していると感じるのは別の場所、むしろサビの言葉の畳みかけだという。そこには“抱く”と“突き飛ばす”、“キスする”と“唾を吐く”といった、水と油のような言葉が敢えて近距離で並べられている。
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11|♪くるみ♪|(5:32)
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 2003(平成15)年11月19日(水) 25thシングル♪掌♪/♪くるみ♪の2曲目
 <MICRO> かつてはともに歩んでいた二人。しかし今は別々の道・・・。その時、ふとどこかで相手を頼っていた自分に気づく・・・。この歌のなかの思い出はまだ生乾きで、額縁のなかに仕舞い込まれたわけではない。だから余計、聴く者の感情は揺さぶられる。「キャリアを積めば積むほど滲みる曲かもしれない」。鈴木はそう言。うステージで演奏していて、目頭が熱くなることもたびたびあるという。「アコーディオンの音がね。これがまた、何かを“誘う”んですよね」。曲の構成に手応えを感じたと桜井は言う。特に2番のサビ。自分自身でも上手く書けたと・・・。「1番まず、聴いてくれる人の耳に飛び込んでいくことが必要だけど、2番では、より深く伝えたいことが届けられる。逆ではダメ。いきなり2番だと、聴いている人複雑に感じてしまうから」。なるほどと思う。いきなり“掛け違えたボタン”という比喩では、確かにそうだ。2番だからいいのだ。
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12|♪sign♪|(5:24)
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 2004(平成16)年05月26日(水) 26thシングル
 <MICRO> 何気ない日常のなかにこそある大切なもの・・・。それに気づくためのサインを見逃さないようにしよう・・・。そんな歌の内容が、言葉を話せない女性が主人公の『オレンジデイズ』というドラマとも自然にリンクして大きな反響を得ることとなった。このシングルがリリースされたのは、このバンドの素晴らしさを新たな形で示し、大評判となった『シフクノオト』がリリースされた翌月だったが、息つく暇なく新たな名曲が届けられたことに、ファンは嬉しさと、このバンドの底力を感じた。「実はこの曲が浮かんだのは『シフクノオト』のアルバム完成打ち上げの次の日で、僕はヒドい二日酔いだった。でも体調の不具合が、自我や客観というものを衰えさせ、新たな創作へと向かわせたのかもしれない。出来上がってみて気づいたのは、この曲って“シフク”というアルバムで言いたかったことを総括しているなぁ、ということ」。ただ・・・。そう前置きして、さらに桜井は続けた。「だからって体調が悪ければいつもいい曲が書けるというわけではない!(笑)」。お酒もほどほどに。お体は大切に。
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13|♪and I love you♪|(5:05)
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 2005(平成17)年06月29日(水) 27thシングル『四次元 Four Dimensions』の2曲目
 <MICRO> 通常の販売促進ではなく、愛や平和といった大きなテーマを掲げたのが日清食品「カップヌードル」の“NO BORDER”キャンペーンだった。そして彼等が楽曲を担当するのは♪タガタメ♪に続き2回目。なので前回と同じではダメ。結果、♪タガタメ♪の核心部分のみシンプルに歌うこととした。電光石火の早業で完成した楽曲としても知られる。他のレコーディングをしている際、桜井は、この企画の提案を受け、「桜井なら1時間もあれば書けるでしょ」という小林の言葉を背に受けつつ別の階へ移動。1時間どころか僅か30分で、彼はこの楽曲を抱えて笑顔で(=^◇^=)戻ってきたのだった。曲のアイデアとしては♪Hallelujah♪の出だしのコード進行をヒントにした。スケールの大きな楽曲だが、聴いてもらうとわかる通り、音数は多くない。「とてもシンプルで、でもダイナミクスレンジが凄く大きい。それを色々な楽器をダビングするんじゃなく、むしろ要らないものを削ぎ落とし、バンドの骨格で表現できたことに大きな喜びを感じた」(桜井)。明らかに、このバンドを新たな表現のステージへと進めた作品だ。
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14|♪未来♪|(5:22)
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 2005(平成17)年06月29日(水) 27thシングル『四次元 Four Dimensions』の2曲目
 <MICRO> 彼等が得意な演奏スタイルとして、本人達も認めるのが“跳ねたエイトビートだ”だ。しかし、「そうではない、新しい入口はないか? もっとブルージーな・・・」。そんな桜井の想いから、この曲のイントロのブルース・ハープの音色も考案された。もともとは朝、物凄く早く目覚めた時に浮かんだ曲。もしかして彼は、その時シカゴかメンフィスあたりを放浪するブルースマンの夢でも見ていたのかもしれない。入り口は決まったが。そこからいかにみんなが期待するようなサビへと繋げるかがポイントとなった。「その“旅”の役割をBメロがしてるんだと思う」。実際、Aメロの歌詞は“名前のない路上”といったように比喩表現が多く、でもサビまで来ると未来と対峙するハッキリした言葉が並ぶ。そこに至る道のりをBメロが担っている。「“どういう風にすればよりよい未来となるのか?”。その答えを歌ったわけではない。どんな未来になろうとも、楽しく生活していくだけの心の柔軟さを持っているべきじゃないか、ということを押しつけじゃなく歌ったつもり」。
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15|♪ランニングハイ♪|(5:19)
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 2005(平成17)年06月29日(水) 27thシングル『四次元 Four Dimensions』の2曲目
 <MICRO> そもそも“ランニングハイ”というのは後から誰かがそう名づけた心と体の状態のことであり、その真っ只中にいる本人(ランナー)は、無自覚にその心地良さに包まれている。バンドの演奏だって同じだろう。最高の演奏とは、その瞬間にメンバーが包まれる、えも言われぬ音楽の幸福感のはずだ。それを後から誰かが“極上のグルーヴ”などと言ってみせるのだ。そしてこの曲の制作過程を調べれば調べるほど、そうした概念に突き当たる。『シフクノオト』のレコーディングの時、帰りのタクシーで桜井が思いついた曲で、詞の世界観も演奏のイメージも歪んだ感覚だったので仮タイトルも「歪み」。あらかじめデモは作らず、簡単なバンド譜をもとに、心より体が先に動く感じでセッションを開始。そして完成された。最終的な仕上がりはジャズとロックが融合した感覚で、前曲(♪未来♪)同様、ファンには新鮮なものとなった。

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