過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今夜の『夜のヒットスタジオ』だヨ(=^◇^=)

 

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 ┃ 過去の今日の松田聖子様 ┃
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 1983(昭和58)年02月01日(火) CF撮り 1日目 TBSニューミュージック
 1983(昭和58)年02月03日(木) CF撮り 2日目 ♪秘密の花園♪発表、10曲連続一位の本記録樹立
 1983(昭和58)年02月04日(金) CF撮り 3日目
‡1983(昭和58)年02月05日(土) CF撮り 4日目(最終日)
‡1987(昭和62)年02月05日(木) 夫も同伴してオーストラリアへ写真集撮影のため出発
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
 http://www.universal-music.co.jp/matsuda-seiko
 http://www2a.biglobe.ne.jp/~seikofan/html/text/his1b.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
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 松田聖子 神田正輝と新婚旅行で抱擁、恩人の葬儀で沙也加さんと号泣…目撃した還暦までの激動の現場
 2022(令和四)年03月12日(土) 6:09 女性自身
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 神田沙也加さん(享年35)がこの世を去ってからまもなく3カ月。
 2022(令和四)年02月04日(金) 四十九日にあたる
‡2022(令和四)年02月05日(土) 翌日には、沙也加さんへ追悼メッセージを寄せることのできる専用ページが開設され、絶え間なくメッセージが届いているという。そんななか、母の松田聖子も悲しみの淵からふたたび歩き始めていた。休止していた音楽活動を再開するのだ。「聖子さんは
 2022(令和四)年03月07日(月)に、4月と5月に中止していたディナーショーの振替公演、6月から全国アリーナツアーを行うことを発表しました。先日ファンクラブ会員向けに配布した会報誌では、『悲しんでいるだけではいけない』という新たな決意が書かれていたそうです。還暦を祝う周年イベントについても計画していると聞いています」(音楽関係者)
 2022(令和四)年03月10日(木)に還暦を迎えた聖子。80年に歌手デビューを果たしてから、42年にわたって“生ける伝説”として芸能界に数々の革命を起こしてきた。しかし、意外にも“満場一致”のデビューではなかったようだ。聖子がデビューから約10年間にわたって所属した事務所「サンミュージック」の名誉顧問である福田時雄(91)は、本誌
 2022(令和四)年03月22日(火)号でこう述懐している。「相澤秀禎社長(当時)をはじめ5人で歌を聴きました。80年には中山圭子というアイドルをデビューさせる予定でしたから、大多数の社員が反対した。ところが、音楽ディレクター(月野清人氏)だけは『いい声だから呼ぶだけ呼んでみましょう』と賛成っした。あの一言がなかったらウチに入ってないでしょうね」そんな試練を乗り越え80年4月に「裸足の季節」でデビューすると、またたく間にスターの仲間入りを果たし、3枚目のシングル「風は秋色」(80年10月発売)から26枚目のシングル「旅立ちはフリージア」(88年9月)まで24曲連続でオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得するという偉業も成し遂げた。デビュー同年に入れ替わるように引退した山口百恵が大人な路線を進んだのとは対象的に、「ぶりっ子」と言われることもあるほど可愛らしさを体現した聖子。“アイドルの原点に立ち返った”とも評されることのある聖子だが、同時にアイドル界に変革を起こしてきた。「聖子さんはデビュー前から憧れていた郷ひろみさん(66)と数年間交際しました、85年1月に突如会見で破局を発表。会見で『生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った』と泣きながら語った聖子さんの姿は、当時、多くの人々に衝撃を与えました。そして、破局報道の熱も冷めやらぬ同年2月に神田正輝さん(71)との交際が発覚。そのまま4月に婚約を発表し、6月に結婚式を行いました。挙式には数え切れないほどのマスコミが殺到するなど、全国民がその一挙手一投足に注目していました」(ベテラン芸能記者)本誌も新婚旅行で訪れたハワイで、ボートの上で神田と抱擁を交わす聖子の姿を目撃している。そして、聖子にとって無上の喜びとなったのが沙也加さんの誕生だ。神田と結婚した翌年の86年10月に沙也加さんが誕生すると、あまりの注目ぶりから病院で出産会見を開くという異例の事態に。当時は異例であったが、聖子は出産後もトップアイドルとしてヒットを飛ばし続け、「ママドル」という言葉を生むなど、日本の女性の生き方にも影響を与えた。89年に契約満了に伴い事務所を退所すると、聖子は活動の場を海外へ移すように。同時にこの頃から楽曲のセルフ・プロデュースも手掛けはじめ、96年の作詞作曲も務めたシングル『あなたに逢いたくて~Missing You~』では久しぶりのオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得し、自身で新たな代表曲を作った。97年1月に神田と離婚し、6歳年下の歯科医師との再婚と離婚を経て、12年6月に医大の准教授と3度目の結婚をするなどプライベートでは数々の変化があった聖子。そんな聖子に大恩人との別れが。13年5月に“育ての親”であったサンミュージックの相澤秀禎さんが亡くなったのだ。89年の退所をめぐって絶縁が報じられるも、00年代にはふたたび親交を深めるなど固い絆で結ばれた2人。それ故、
 2013(平成25)年05月28日(火)に行われた相澤秀禎会長の通夜に姿を見せた聖子はかつてないほど憔悴していた。そんな、聖子を支えていたのが、愛娘・沙也加さんだった。通夜に参列した沙也加さんは、聖子の手を繋いで隣に寄り添うなど、悲しみにくれる母を終始、気遣っている様子。相澤さんと対面し、涙を流す聖子の背中に沙也加さんがそっと手をそえる一幕もあった。恩人との別れを乗り越え、その後は新機軸となる全編ジャズで構成されたアルバムを発表するなど、精力的な活動を続け、20年にはついにデビュー40周年を迎えた。歩き始めた“最強アイドル”聖子の歌声は、待ち望んでいた人の心を明るく照らすことだろうーー。
【写真あり】1月下旬、都内の閑静な高級住宅街に姿を見せた聖子
【写真あり】公園で沙也加さんと三輪車の練習をする聖子
【写真あり】94年10月、沙也加さんの運動会で楽しげな聖子と正輝
【関連記事】松田聖子の医師夫が激変「二度見してしまう」と絶賛の声も
【関連記事】早見優『ザ・ベストテン』のピンチ助けた松田聖子の“優しさ”
◎中山さんの下の名前の漢字を間違えていたり、還暦祝いのイベントなどの計画は、ファンクラブからそんなお知らせはありません。会報誌ではさやかさんとの思い出、今の心境、これからことが書かれてあり、さやかさんへの深い愛が感じられる言葉に涙なくしては読めませんでした。 そして今だ癒えずにいる深い傷を背負いながらさやかさんとともに歌っていくこと、また、ファンに対していつも気遣って下さる言葉で最後締めくくっていることに、本当はいつも聖子さんの大きな愛に私たちファンが癒されていることを改めて実感しました。マスコミさんの装飾や過大した表現、誤った情報はどうぞやめていただきたい。私たちファンは、聖子さんのお人柄を分かっているつもりてすが、聖子さんに関する情報で良い印象のものはないように思えます。特に今回のさやかさんの件に関してはあまり過剰に触れないでほしいです。これ以上、聖子さんの心を傷つけないで。
◎ドキュメンタリー調の記事で、年齢だけ現在のものになってるのが違和感…
◎90年代スキャンダルは、仕掛人もいて作られたものも数ある。
◎間違いだらけの記事でも採用されちゃうんですね‥
◎バツ3とは?神田さん、ビビビ婚、の2度でしょ
◎バツ3は違いますよ
 https://news.yahoo.co.jp/articles/e952ef90f3ef7e0d6b0cd2247896f257ebe24e42

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 ┃1969(昭和44)年の主な出来事┃02/05(水) 常磐熱海温泉磐光ホテル火災
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛(福島・郡山市)。31人が死亡
 02/- 同月の毎週土曜日に東京・新宿西口広場で行われるベ平連の集まりにて反戦フォーク演奏会が催される
 http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/f92c3818b58f247c0378ee274cfccbf5
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会一代目:前田武彦・芳村真理  ┃
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①|歴代出演歌手-前田武彦・芳村真理司会時代Ⅲ(1972~1973)|
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‡第0223回 1973(昭和48)年 2月 5日(月) 青江三奈、由紀さおり、いしだあゆみ、ちあきなおみ、
                   美川憲一、ヒデとロザンナ、山口いづみ、ほか
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②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(11) 前田・芳村時代後期(1972,1-1973,9)|
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 ※本日は初出演歌手はありま千と千尋ですヨ(=^◇^=)
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/23df0c2423d10301d0e9c522196d8746
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/79ab8f979ea471985f0cca0f9ba22e8f
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順  ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代Ⅱ(1978~1979)|
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‡第0535回 1979(昭和54)年 2月 5日(月) 野口五郎、森昌子、柳ジョージ&レイニーウッド、
                   内山田洋とクールファイブ、ピンクレディー、中原理恵、ほか
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②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(8) 芳村・井上時代前期①(1978,4-1980,3)|
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 ※本日は初出演歌手はありま千と千尋だヨ(=^◇^=)
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/f153d204c2a1e41dcf6d81497fb26ae8
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/5706dc23ea0dc61221c1e77858cd4f80 
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』司会四代目:芳村真理・古舘伊知郎 ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・古舘伊知郎司会時代Ⅰ(1985~1986)|
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‡第0895回 1986(昭和61)年 2月 5日(水) 森進一(マンスリー1)、マンハッタン・トランスファー、南こうせつ、高橋真梨子、西城秀樹、HOUND DOG、
                   中森明菜(33)、とんねるず、シブがき隊、松本伊代、木村一八、国生さゆりwithおニャン子クラブ
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②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(4) 芳村・古舘時代前期(1985,10-1986,12)|
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‡第0895回 1986(昭和61)年 2月 5日(水) ♪バレンタイン・キッス♪ 国生さゆり
                   ♪オレたちだけの約束♪ 木村一八
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③|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅷ(1984,4~1986,3)|
 └─――――――――――――――――――――――――┘◎露木茂アナウンサー(当時)が古舘伊知郎の代理司会を担当。◎1985(昭和60)年度グラミー賞12部門ノミネートという快挙を成し遂げた、大物ヴォーカルグループ、マンハッタン・トランスファーが初登場
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④| 古舘伊知郎の司会者代行 |露木茂が代行
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 |『夜ヒット』今夜のエピソード|
 └─―――――――――――――┘芳村・露木という当時の『FNS歌謡祭』司会コンビでこの回は進行がなされたヨ(=^◇^=)

  中森明菜 DESIRE ~情熱~ (石庭)[歌詞]  http://youtu.be/4-EMCZi0kl4
‡第0895回 1986(昭和61)年 2月 5日(水) 中森明菜(33) ♪DESIRE♪(1)
 
 http://youtu.be/hjq-tlskp2c
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1986年2月5日
 ┃ 『中森明菜 in 夜のヒットスタジオ[BOXセット』見どころ! ┃♪DESIRE-情熱-♪初披露
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ボブのウィッグに、着物を洋風にアレンジした独特の衣裳・振りも話題となった。
  http://www.universal-music.co.jp/nakamori-akina/products/pobd-22017/
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/a6be6bb3f1006e42d66239ca790b5340
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/6b6a1988ec68c28a2c0acb6b2118241d
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/958112b9eb3be496a8005047f89c425b
 ④http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA#.E5.8F.B8.E4.BC.9A.E8.80.85
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
************************* http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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 ┃ ♪1986年のマリリン/本田美奈子 路線一転 おじサマも魅了した! ┃
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 |2012(平成24)年 3月 5日(月)|スポニチ Sponichi Annex 情報配信
 |1986(昭和61)年 2月 5日(水)|リリース
 |1986(昭和61)年 3月?日(?)|★1986(昭和61)年3月ランキング★
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1 My Revolution/渡辺美里
2 季節はずれの恋/吉沢秋絵
3 DESIRE/中森明菜
4 じゃあね/おニャン子クラブ
5 OH!!POPSTAR/チェッカーズ
6 1986年のマリリン/本田美奈子
7 青いスタスィオン/河合その子
8 色・ホワイトブレンド/中山美穂
9 今夜はANGEL/椎名恵
10 風曜日、君をつれて/アルフィー
注目どうしてますか/原田
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。
【1986年のマリリン/本田美奈子】アイドル路線でも十分やっていけた。それが、デビューからまもなく1年という時に、「他のアイドルと同じことはイヤ」のひと言で4枚目のシングルリリースを機に一気に路線変更へと舵を切った。86年2月発売の「1986年のマリリン」はそのものスバリ、現代のマリリン・モンローをコンセプトに、秋元康がその世界を作り上げた。後に本田美奈子のトレードマークともなるヘソ出しルックのインパクトは強烈で、スレンダーボディーにミニの19歳の女の子が腰をくねらせて熱唱する姿は、アイドルとは無縁のおじサマまで魅了。レコードが売れない時代に25万枚をセールス。本田美奈子にとって最大のヒット曲となった。高校1年の時に初めて訪れた東京・原宿で芸能事務所からスカウト。しばらく音沙汰がなく、歌手になる夢をあきらめかけていた頃に、アイドルの卵が集う「長崎歌謡祭で歌ってみないか」と連絡が入り、ろくにレッスンもせずに舞台に立ったところ、見事グランプリを獲得。デビューが決まった。家族はカラオケが大好きで、小さい頃からマイクを握っていた。くしくもそれがいい練習になっていた。元々は演歌歌手を目指していたという。デモテープに歌を吹き込んでくるのは「北の宿から」「ラブ・イズ・オヴァー」などその手のものばかり。実は事務所側は、アイドルユニット「少女隊」のメンバーの一人にと考えており、演歌の路線は想定外もいいところだった。それでも細い体に似合わず、パンチの効いた声も出せるし、情感たっぷりに歌う雰囲気に「グループじゃなくソロで」という方針に決定。さすがに演歌とはいかず、アイドルに。本田美奈子の進むべき道が決まった。ロックバンドスタイルを経て、ミュージカル女優、そしてネオ・クラシックのジャンルにも挑戦。「一生歌を歌っていきたい」というほどの天職だったはずが、05年11月6日、急性骨髄性白血病により、38歳の若さで逝去。天性の歌姫の早すぎる死は惜しまれてならない。 
******** http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=2831 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/1986%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%B3
 http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/03/kiji/K20120305002760020.html
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 私が印象にあるこの番組でのアレンジというと、御存知かどうかは分からないですが、亡くなった本田美奈子さんが「1986年のマリリン」で2回目か3回目のヒットスタジオ出演のときのこの曲のアレンジでしょうかね。イントロで凄ましい勢いの電子ギターの音がいきなり出てきて、見ていてかなり「ドキッ」としたのを思い出します。ただでさえ「挑発的」ともいえるこの曲に更に過激さが加わったとにかく凄いアレンジでした。あれは明らかにこうやって言ってしまうとオリジナル音源の演奏者には失礼かもしれませんが(汗)ヒットスタジオのアレンジ、演奏のほうが更に上を行っていたな、と断言できます(汗)。過激なイメージの歌は更に挑発的に、ムーディなものは更に大人向けの雰囲気に、といった具合で曲のイメージを更に広げるアレンジ・演奏というのを、当時のバンドマスターだったダン池田さんやアレンジ担当の広瀬健次郎氏はよく弁えておられたと、当時の映像での演奏ぶりを聞く度に思います。
 http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/781ac428d56837bd1ef713c224ec8bbb

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