過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)


 1986(昭和61)年2月27日(木)放送分には『徹子の部屋』に出演。司会の黒柳徹子にインタビューを受けながら、エアブラシで黒柳の10指にアートを施し、その技術を紹介している[10][11]。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E5%B4%91#.E6.84.9B.E5.A6.BB.E3.83.BB.E7.91.A4.E5.AD.90
 徹子の部屋 岡村瑤子
 February 04, 2008 東京の都心では最低気温が氷点下0.1℃まで下がる厳しい冷え込みの週末だったそうですね。東京に帰省されていた方が、自宅前で雪だるまが出来る程の雪だったので欠航が心配で新幹線に変更して帰って来ましたとおっしゃってました。 今日は「立春」、少し陽が長くはなりましたが、この調子では当分寒さが続きそうですね。私は1月生まれのくせに、寒さに弱く、頭も身体もまだ冬眠中です。外出もしないし、世間との接触もなく、さして珍しいニュースもないので、ブログもスローダウン。必要があって過去の写真を捜してたら、こんなのが見つかったので恥ずかしながらご披露します。 私がネール・アーティストとして張り切っていた頃のものです。1986年、【徹子の部屋】に出演してインタビューを受けながら徹子さんの10本の爪にエアブラシでペインティングをさせて頂いた時のスナップから。...写真が古くて変色してしまってますね...豪華な生け花のバラは私の名前に因んでその名も"Y O K O".
 http://blog.livedoor.jp/cantayoko/archives/50897894.html
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 ┃ 山川静夫 ┃1933(昭和八)年2月27日(月) 誕生
 ┗━━━━━━┛山川静夫、徳光和夫、久保純子ら他局のアナウンサー経験者は当然ながら原則フリーアナウンサーになってから出演しているが、露木茂はフジテレビアナウンサー時代の1976年5月に当時『小川宏ショー』で共演していた小川宏とともに出演したことがある(今のところ他局の現役アナウンサーが出演した唯一のケース)。黒柳と山川はNHK『NHK紅白歌合戦』(1980年 - 1982年)でともに両軍司会を担当した。NHK出身者がゲストの時は黒柳は決まって「NHKは地方へ行かされるから嫌ですよねえ」という発言をする。『ザ・ベストテン』で司会コンビを組んだ久米宏も『ニュースステーション』時代に度々出演した。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B#.E9.80.B8.E8.A9.B1.E3.81.AA.E3.81.A9
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E9%9D%99%E5%A4%AB
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年02月27日(金)立川昭二(歴史学者)
②1978(昭和53)年02月27日(月)あおい輝彦
③1979(昭和54)年02月27日(火)鰐淵晴子
④1980(昭和55)年02月27日(水)バーバラ寺岡
⑤1981(昭和56)年02月27日(金)島かおり
⑥1984(昭和59)年02月27日(月)榎本三恵子
⑦1985(昭和60)年02月27日(水)月亭八方
⑧1986(昭和61)年02月27日(木)岡村瑶子
⑨1987(昭和62)年02月27日(金)篠原勝之
⑩1989(平成元)年02月27日(月)高橋長英
⑪1990(平成二)年02月27日(火)オリビア・ニュートンジョン
⑫1991(平成三)年02月27日(水)チャック・ウィルソン
⑬1992(平成四)年02月27日(木)今井健二
⑭1995(平成七)年02月27日(月)山田五十鈴
⑮1996(平成八)年02月27日(火)安野光雅
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑯1997(平成九)年02月27日(木)辻仁成
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑰1998(平成十)年02月27日(金)小野みゆき
 2001(平成13)年02月27日(火)竹中直人
 2006(平成18)年02月27日(月)岩下志麻
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 2月27日(水) 若村真由美 |第回
 └─――――――――――――――――――┘
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-2-27.html
 ┌─―――――――――――――――――┐
 |2003(平成15)年 2月27日(木) 徳永英明 |第回
 └─―――――――――――――――――┘  
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-27.html
 ┌─―――――――――――――――――┐
 |2006(平成18)年 2月27日(月) 岩下志麻 |第回
 └─―――――――――――――――――┘「携帯と韓流スターに夢中」
 http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
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 |2008(平成20)年 2月27日(水) 德永 英明 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「大ヒットの名曲を次々と…」哀愁漂う美しいハスキーボイスが魅力的なシンガーソングライターの徳永英明さん。カバーアルバム「VOCALIST」シリーズ3作の総売り上げは、もうすぐ300万に到達するという大ヒット。徳永さんの美しい歌声を保つ秘訣は、「とにかく喋らないこと」と明かすと、黒柳はすぐさま美声を保つためのある秘策(!?)を伝授。その話を聞いた徳永さんは、あまりの可笑しさに涙が止まらない…
☆LIVE DVD 『薬師寺LIVE』2月27日発売
  初回限定盤 UMBK-9198/9 \8,800 本編DVD+ボーナスDVD  通常盤 UMBK-1125 \5,800 本編DVDのみ
☆CD
『VOCALIST』UMCK-1195  \3,000 (発売中)
『VOCALIST2』UMCK-1212 \3,000 (発売中)
『VOCALIST3』UMCK-1232 \3,000 (発売中)  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080227.html
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 |2009(平成21)年 2月27日(金) 陣内 孝則 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「母裏切り爆笑事件告白…」昨年50歳を迎え、役者としてますます魅力が増している陣内孝則さんの番組初出演は何と23年前!まだ独身の頃で、ロック歌手から役者に転身しブレイクした頃だった。その懐かしい秘蔵映像とともに当時を振り返ってもらう。またその映像よりも仰天するのが両親の爆笑エピソードの数々。ドラマ「菊次郎とさき」を彷彿させる父の破天荒ぶりや、母の意表を突く爆笑話にスタジオは盛り上がる
陣内孝則さん出演ドラマ『交渉人スペシャル』2009年2月28日(土)よる9時放送  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090227.html
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 |2012(平成24)年 2月27日(月) 島崎和歌子 |第9172回
 └─――――――――――――――――――┘「マツコから無駄な美人と言われ」ドラマにバラエティーなど引っ張りだこの島崎和歌子さんは、今年デビュー23年目。そろそろ40歳を迎える島崎さんの心をとらえているのが、最近よく耳にする「断捨離」。その精神を発揮して島崎さんがとった行動は…。自分磨きに余念のない島崎さんだが、大の仲良しであるマツコ・デラックスさんから掛けられた言葉とは? 
☆島崎和歌子さん著書「美人」主婦と生活社/1350円(税込)※発売中
☆島崎和歌子さん 書籍発売イベント 日時:2012年3月4日(日) 時間:14:00~ 場所:福家書店・新宿サブナード店 
  問い合わせ先:03-3350-0329(福家書店新宿サブナード店) 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/120227.html
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 |2013(平成25)年 2月27日(水) 中江 有里 |第9428回
 └─――――――――――――――――――┘「敬愛する児玉清さんを珠玉映像で」清楚な和服姿で登場する中江有里さんは、本が大好きな女優として知られている。そんな中江さんにとって、亡き児玉清さんは“本を愛する同志”として大切な存在。中江さんが明かす児玉さんの知られざる素顔とは?36歳のとき向学心に目覚めた中江さんは大学生生活をスタート。共に学ぶ学生の中には、89歳になる女性も居て多くの刺激を受けているとか。 
☆番組で紹介する本は 『ティンホイッスル』角川書店から発売中 ¥1,470(税込) 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130227.html
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 |2014(平成26)年 2月27日(木)  川崎 麻世|第9687回
 └─――――――――――――――――――┘「老いた父と瀕死の床で再会」妻・カイヤさんとの結婚生活が注目を集める俳優の川崎麻世さん。妻をめぐる“お騒がせ”を明かして黒柳を笑わせる。川崎さんは芸能界に入るため、わずか13歳で大阪から上京。懸命に育ててくれた母への感謝を込め、今も欠かさずに行っている事は…。幼い頃に両親が離婚し全く会うことのなかった父と再会が叶ったが、それは死期がまじかに迫った病室だったという。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/140227.html
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2015(平成27)年 2月27日(金) 江波杏子 |第09912回
 └─―――――――――――――――――┘「女優だった美しい母の写真を初公開」映画の黄金期に大映ニューフェイスとしてデビューを飾った江波杏子さんを迎える。江波さんの母は女優の経験があるほどの超美人だが、結核を患い江波さんが5歳の時にこの世を去った。母の写真を初めて公開し、若くして逝った母に寄せる想いを語る。また今日は過去の恋愛体験も明かす江波さん。足を骨折した時に治療を担当した主治医に恋心を抱いたというが… 
☆土曜ワイド劇場特別企画「スペシャリスト3」2月28日(土)よる9時放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150227.html
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 |2017(平成29)年 2月27日(月) 園まり 中尾ミエ 伊東ゆかり |「再結成から12年“3人娘”は永遠に」
 └─――――――――――――――――――――――――――┘1960年代前半のテレビ番組内で結成された「3人娘」。程なく別々の道を歩んだ3人だが、12年前に再結成! 全員が古希となる区切りの年に、それぞれの思いを、赤裸々に語る。幼い頃から歌の世界に入った3人。伊東ゆかりさんは、6歳の時には既に進駐軍の前で歌っていた。各々の懐かしい写真を見ながら、中尾ミエさんが放った一言とは…。また12年前の再結成に話が及ぶと「あの時誘ってもらわなければ今の自分はない」と園まりさんが2人へ感謝の手紙を。笑いと涙のトークをお楽しみに! 
☆ ゆかり・ミエ・まり 3人娘メモリアルコンサート~ファイナルスパーク2017~ 3人娘・ひな祭スペシャル
【出 演】伊東ゆかり・中尾ミエ・園まり
【日 時】2017.3.3(金)
【場 所】Bunkamuraオーチャードホール (東京都)
☆「徹子の部屋コンサート」開催決定!詳細は5月中旬に発表予定
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20170227.html
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 |2018(平成30)年 2月27日(火) 長谷川稀世 長谷川かずき|「生誕110年!大スター長谷川一夫の秘蔵映像も」
 └─――――――――――――――――――――――――┘本日は「永遠の二枚目」こと長谷川一夫さんの生誕110年を祝う記念日。娘で女優の長谷川稀世さんと、舞台女優として活躍する孫の長谷川かずきさんを迎え、世に知られる「二枚目」ぶりとは違う、名優が家庭で見せた素顔を語り合う。スタジオには一夫さんが、稀世さんのために自らデザインした豪華な着物を展示。76歳でこの世を去るまで斬新な創作アイデアを発揮し続けた「長谷川一夫の世界」をお楽しみ頂く。今から40年前「徹子の部屋」に出演し、一夫さんの大ファンである黒柳をメロメロにした、あの名場面も乞うご期待! 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20180227.html
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 |2019(平成31)年02月27日(水) 徹子の部屋コンサート(2)|
 └─――――――――――――――――――――――――┘「徹子の部屋コンサート」(2)山本リンダ/クミコ/南こうせつ/加山雄三」
今日は「徹子の部屋コンサート」2日目。山本リンダさん、そしてクミコさん、南こうせつさん、加山雄三さんのステージをお送りする。青春時代から南さんの大ファンだったというクミコさん。南さんのステージに飛び入りをし、名曲「神田川」をデュエットする。加山雄三さんは昨年、愛船を焼失し失意を味わった。熱い想いを込めて「光進丸」を熱唱。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190227.html
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 |2020(令和二)年02月27日(木) 清塚信也 |
 └─―――――――――――――――――┘「天才ピアニスト…モーレツ母の「英才教育」は」※解説放送
☆「徹子の部屋」クラシック2020
 2019(令和元)年6月17日(水) 18時開演 Bunkamuraオーチャードホール
  <出演者>
   清塚信也(ピアノ)
   前橋汀子(ヴァイオリン)
   宮田 大(チェロ)
   大萩康司(ギター)
    LEO(筝)
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200227.html
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 |2023(令和五)年02月27日(月)     |
 |五月みどり&千恵 真野響子&柴本幸 |
 |ロザンナ&万梨音 冨士眞奈美&岩崎リズ |
 └─――――――――――――――――┘「波瀾万丈!?ママと愛娘」
 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20230227.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋

 ウィリアム王子 各界の著名人らと歓談
 2015(平成27)年2月27日(金) 20時44分
 日本を訪れているイギリス王室のウィリアム王子は、都内で開かれたレセプションに出席し、女優の黒柳徹子さんや大相撲の横綱・日馬富士など、各界の著名人と歓談しました。26日から日本を訪れているイギリス王室のウィリアム王子は、27日午後5時から都内のイギリス大使公邸で開かれたレセプションに出席しました。レセプションには■女優の黒柳徹子さん■や、ピアニストの辻井伸行さん、大相撲の横綱・日馬富士など各界を代表する著名人が招かれました。ウィリアム王子は、ピアニストの辻井さんに「隣の部屋でピアノを練習しているのが聞こえました。すばらしい演奏で私も一緒に演奏したくなりました」と声をかけ、プレゼントを手渡しました。また、歌舞伎俳優の中村獅童さんが、ロンドンで歌舞伎を上演したいと話しかけると、「ぜひ歌舞伎を鑑賞したいです。シェークスピア劇場と歌舞伎の連携も考えてみたいですね」と答えていました。ことしはラグビーワールドカップがイギリスで開かれますが、日本代表の子どもサイズのユニフォームが息子のジョージ王子のためにとプレゼントされると、ウィリアム王子は「弟のハリー王子の分かと思いました」とジョークを交え、ゲストを和ませていました。ウィリアム王子は、28日は東日本大震災の被災地を訪問することにしていますヨ(=^◇^=)
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150227/k10015810041000.html
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 2月27日(水) 若村真由美 |第回
 └─――――――――――――――――――┘
黒柳「あなたはそばが好きなのは分かるんですが自分で粉をこねて打って毎日食べてらっしゃる」
若村≪そうですねそば屋さんのそばみたいに本格的なのはあんまりなんですがインスタント食品みたいな作り方でボールみたいなのでこねてピザみたいに広げて切ってゆでて好きなだしで食べる≫
「水団とはだいぶ違うの?細いの」
≪切ってますから。いい粉をいただいて引き立てで茹でたてでかなりおいしくいただけますね≫
「そばって水はどこでとかあるじゃないですかそんなにピザみたいに簡単にやっておいしく?」
≪おいしいです。専門店で何年も修行をされた職人さんがやられたものはまた別の芸術品というか洗練された感じがあるし自分で作るものはまた違うおいしさ≫
「俳優さんとかでおそばが好きな人と話すとすごい言い争いになって」
≪そんなことないですよ≫
「あの2人にはそばの話をさせるなって言うぐらい」
≪一日一食はそばを食べたいという気持ちで今舞台のお稽古をしているんですけど行く前に一杯引っ掛けてお稽古に≫
「すごいですね。時々いらっしゃいますねいいお蕎麦屋さんにいくとお酒を飲んでる人。稽古前にお酒飲んで大丈夫」
≪引っ掛けてっていうのはお酒じゃないです。≫
「あなた引っ掛けてっていうとお酒ですよ。なにを?」
≪おそばを≫
「お酒かと思いました」
≪本当はお酒を飲みながらおそばを食べられたらいいなって思うんですが練習中で≫
「でもあなたはいい店だといわれたら行かないと気がすまない」
≪やっぱりおいしいといわれたら行かないと気がすまない≫
「というのもあなたは長野の方に山村留学というのがあってそういうのをしてらしたんですって」
≪いわゆる私は東京生まれ東京育ちなんですが住民票も全部移して農家でホームステェしながら小学校に通う≫
「1人で」≪はい≫
「そこの家には子供はいましたか?」
≪いいえそこには大きいお姉さんとお兄さんがいて。信州だったのではじめてそのとき蕎麦(そば)の美味さを知って≫
「ホームシックとかならないの」
≪最初は泣きましたね。3日間ぐらいは泣いて4日目からケロッと忘れて楽しくなって≫
「そこのお家で作ったお蕎麦を夕日が沈むときに食べたのが良かったんですって」
≪ああ、もちろん農家なんで蕎麦畑があるんですよね私たちもお手伝いをした後お母さんが蕎麦を打ってくれてお父さんが山に生地うちにいってそれでだしを取ってその後それをいただいて働いた後だったから余計に美味しかったのかもしれないですけど≫
「畑で食べるの」
≪そのときは≫
「何年生ぐらいまでいたの」
≪5,6年生ぐらいまで≫
「割と長く。そのときの思いでは強烈でしょう」
≪はい≫
「でも女優をなさるわけですからこの仕事をしていくわけではいいですよね」
≪そうですね。でもこの仕事じゃなくても大きなものをもらったような気が≫
「とくに農村の人たちのどういうところが大変でそういうところが幸せとか見られたわけでしょう」
≪そうですね天候とか農作物を育てていくというのが大変というか≫
「私も疎開してましたからどういうところが大変か知ってますし見てよかったと思います。山村留学は今もあるんでしょうかね」
≪あると思います≫
「子供さんをそういうところに送ってみるのもいいかもしれませんね」
≪私にとっては良かったです。その子その子に個性があってどういう時期に親元を離すかっていうのもあると思うんですけど。私には良かった≫
「おまけにっていうかその経験もあり日舞のナトリでもある。小さいときからやってらして」
≪はい3つから≫
「そうすると所作、時代物をやっていると」
≪はじめてこのお仕事で時代物をやったのが大河ドラマだったと思うんですけどそのときはものすごく緊張してたんですけど同じ位の年の人に比べたら着慣れているので着物を着ることを知らなければものすごく自分が大変だったろうなって思います。親に感謝しましたねやらしてくれてありがとうって≫
「娘道成寺をやるんですから練習したんだと思いますけど」
≪そうですね物心ついて座るようになった頃から能とか歌舞伎とか劇場中継をみせるといい子にしてたんですって≫
「へえーー好きだったの。だから日舞ってお思いになったのかもしれませんけど」
≪他にもお稽古事はしたんですけど踊りだけは止めたいと思ったことは無かったんで≫
「山村留学の時だけは止めて」
≪そのときももう一年居たいなっていう気持ちもあったんですけど日本舞踊のおさらい会があったんで帰ってきたんですよ。そのぐらい好きだったんです。どっちも好きだったんです≫
「なにかヒマラヤにお登りになった。これもお仕事で」
≪そうです。しごとでハイビジョンスペシャルで一ヶ月≫
「なんでも長野の山村留学のときに山の遭難のことをずいぶんお聞きになったんですって」
≪北アルプスが前にあるので冬になると必ず遭難している人が何名ってニュースできくんですね。で聞いてから学校に行くんですけどアルプスに向かって山を下っていくんですが”あの山に遭難している人がいるんだと”思うと胸が一杯になってしまって何でわざわざあんな危険なところに登りに行くのって。命を落としたら家族も悲しむしとおもって憤ってたんですね。子供心に怒ってたんですね。毎日学校に行くたびに泣きそうになってたりそういうのもあって山登りがしたいと思ったことはないんですが仕事をいただいたときに世界一高いエベレストに世界一高いトレッキングポイントから登るのがコンセプトですと。世界一高いところというのに引かれて”世界一高いところに行ったらどういう気持ちがするんだろう”って≫
「あなたは何と言う山に登ったんですか?」
≪私はトレッキングポイントでカラパタールの丘というところがあるんですがネパールでは6000メートルまでがトレッキングそれ以上が登山。この山は5500メートル≫
「じゃあトレッキング」
≪ネパールでいえばですけど≫
「大登山ですよね」
≪まずカトマンズに行きましてそこからルクラというところまで行ってあとひたすらエベレストのほうに向かって歩くという≫
「あなたは山に登ったことがあるんですか?」
≪ないです≫
「体力には自信がある?」
≪そうですね大きな病気もしたことはないですし≫
「運動はしている?」
≪特別なにか鍛えているというわけではないです。無名塾の塾生の頃ははしってましたけど。トレッキングというのはポーターの方をたくさん連れてコックさんも連れて大名行列みたいな感じなんですよ≫
「ピクニックの遠征っていう感じで」
≪お姫様気分で荷物も牛が背負ってくれますから≫
「コックさんがとてもお上手なコックさんだったんですって?」
≪ネパールの男の子で日本人の隊に付くということで1週間ぐらい日本食を勉強して≫
「どういうものがでるんですか?」
≪すっごくおいしい野菜がでたんです。サグっていう野菜なんですがそれはですねえ向うのほうは乾燥しているからかすごく甘味があって小松菜に近いのかな≫
「あなたが登ろうとしているのはカラカタールという5545メートルの山なんですけどそこでお祭りの人が」
≪私たちがいたところにお祭りの人がお家お家を転々と来てくれて音楽と踊りで私も一緒に踊ったんですけど≫
「そしてカトマンズから何日ぐらいで目的地まで」
≪全体の歩いてたのが21日間歩いてたのでそれの半分ですから2週間ぐらいですかね≫
「歩いたことのないあなたが頂上まで歩いたのは大変でしたか?」
≪普通は3000メートルぐらいから障害が出てきてでもそれはいいんです体をならして少しづつ上に行くんですけど私は5000メートルまではすごく元気だったんです。お代わりはするし、歌は歌ってるし毎日楽しくてしょうがなかったです。自分の足を1歩前に出すということがこんなに楽しいと思ったことがなくてそしたら明日頂上に行きますっていう前の日の夜中に具合が悪くなってきて≫
「びっくりしたでしょ自分でも」
≪朝になって梅干を入れたお湯を飲んでそれまで一食も欠かさずお代わりしてたのに。とにかくいけるところまで無理をしないで行きましょうということで7時間ぐらいかけて頂上まであがりまして≫
「本当ならすっといけるところを」
≪どうでしょうねそこは高度さが結構あるのでそこは大変なんですけど≫
「頂上はいかがでした?」
≪言葉にならないですね。360度8000メートル級の山々であとは宇宙の色と冷たい風。一番上まで行ったら具合が良くなっちゃたんですよ。いっぺんに良くなっちゃって≫
「変わってるわねあなた。そのときうれしかった」
≪今から考えると自分にとってすごく大きなことでシンプルに生きていきたいとなぜかすごく強く思っちゃたんです≫
「だからみんな山に登るんですね」
≪そうかもしれないですね≫
「さてお仕事の話に戻るとあの歌舞伎の三之助さんと演舞場で」
≪私は新之助さんと兄弟の役で今葛藤してます≫
「そう楽しみでしょう。どうもありがとうございました」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-2-27.html
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 |2003(平成15)年 2月27日(木) 徳永英明 |第回
 └─―――――――――――――――――┘
黒柳「徳永英明さんです本当にしばらくでございました
徳永≪今日は
「まぁお元気におなりになって本当によかったですけども約1年8カ月お休みになりましたかね。だけどあなたがベストテンにずっといらしてらしてお会いしていたんだけどもあなたがそのモヤモヤ病というので、そういう病気があったこともみんな知らなかったじゃない。あなたがモヤモヤ病ということで新聞やテレビで出たので同じモヤモヤ病の方たちにとってはよかったですってね。
≪でしょうね。僕もあまりよくはわからないですけどもやっぱり病名ぽくないじゃないですか。だからからかわれたりとかそういう人もたくさんいたようで
「そうか。モヤモヤしてるような感じで。でも本当にあなたがなったときはびっくりしたんだけどもそれよりも私がもっとびっくりしたのは復帰会見というのかこの前なさったときね、あなたはずいぶん変わったんだなって。
≪見えました?
「見えましたよすごく。今日は全体に合わせて帽子がいいということで帽子をかぶってらっしゃるんですけども別に何を隠してらっしゃるわけではないんですけども。髪の毛もほらこう短くなさったじゃない。
≪(帽子を取る)
「ほらかわいくなっている。似合うのねあな短いのが。
≪ああそう
「すぐにかぶちゃった。でも帽子が合っているということで。まあとにかく髪の毛が短くなっただけどもそれはどういうということでもないんだけども手術したわけでもないんだけども。だけでも短くしただけどもでも1番びっくりしたのはあなたが笑っていたのね。あなたが笑いながら記者会見をしていらしたの。私あんなふうにあなたが笑ってらっしゃるところを見たことなかったなと思って。
≪ねえ
「自分でもそう思った?
≪思います。だからなんていうのかなって病気する前というのは歌う姿勢は別としてもしかめ面というかどちらかというと伏し目がちというかでも何か写真を撮るときもで笑えるようになったというのかね。
「そう。今まで自分で笑わないというふうに決めていたわけでもない?
≪決めていたわけではないですけども徳永英明という、歌手徳永英明はこうあるべきではないかというそういう像が自分の中にあって
「何かよろいを着ていたみたいだとおっしゃっていたけども
≪素の自分としては楽屋では面白いのに本番になると何格好つけてるんだみたいなことはスーパーサッカーでも言われたりはしていましたけども。
「ああそうなの。サッカーの番組をやってらしたので。でもその時に笑ってらしたというのが、それと変わったと自分でも思っているってその時に。やっぱり1年8カ月というのはあなたの年齢にしては長いと思いますよね。その闘病生活が。その間にいろいろなことを考えたんだなときっと思っていたんだけどもやっぱりそういうところはありました?
≪あのなんていうのかなみんなが僕の病気に対して深刻になれるんですけどもただ大丈夫ですかとか「ぼくがそんな病気だったら徳永さんみたいに笑顔では会見できません」みたいなことを言われたこともあったんですけども。僕ううなんかは変な話ですけども病気だったりとか例えば会社が倒産するとかに対しては復活すればいいじゃないかみたいなぁそういう変なポジティブなところがあるんですね。逆に誤解を招いたり自分の言っていることが違う解釈をされたときの方がストレスになったりするタイプで前のレコード会社がバンダイというのがつぶれてCD店からバンダイのレコードが全部なくなったんですねCDが。だから歴史が86年から98年までなくなったんですよ1回。
「あなたの曲も全部。
≪それをうちの社長がなくなりますからと深刻に言ってきたんですけどもだったらチャンスジャン。もっといい歌を歌って復刻版をこれは格好がいいとか、変なんですね(笑)
「でも皆が思っていないような大きな事件に対してはとてもポジティブに行けるんだけども
≪小さいのが
「小さいのがどうもそこのところは苦手だったのがきっとその1年8カ月の間にその色々のものがなくなっていろんな鎧とご自分でおっしゃっていたみたいだけどもそれがとれてあのきたんだと思うのね。そのあなたの復帰会見を拝見してて1年8カ月でもあなたのような若い年代の方でもそんな自分を変えることが出来るんだなと思って本当にびっくりしましたよね。あの時あなたの笑顔をを見たときに私はベストテンでほとんど考えたら笑顔って見てないなあとちょっと思ってね。もちろん歌を歌うために来ていただいているからあなたは初めから徳永英明で歌う。ずいぶんいろんな話も聞いたしねあなたが乃木坂のところの喫茶店で働いてアルバイトをやりながらデモテープを作って作ってそれを六本木だっけ?最終的にそれを聞いてもらう。乃木坂から六本木までなんて歩いたら5分もかからないのに長かったというのをとてもよく覚えているんだけどもそういう話の時も、あなた関西弁で話していた?さっきちょっと関西弁みたいなのでてきていたけども
≪思春期が関西なので兵庫県なので
「そういうのも今まで聞いたことなかったので。本当に徳永さんという感じだったんだけどもその復帰会見を拝見していたときにああーーそういうふうな変わり方ってできるんだなっアて。ずいぶん自分の中を見つめる時間だったのかなって思ってね。
≪そうですね。でも三歩進んで二歩下がるのまあそれのなにか、病気したあとの復活するまでに3歩自分が学んで目覚めたりするですけどをすぐに現実に押し戻されて二歩下がってまた三歩進んで2歩下がってまた三歩進んで二歩下がってのその繰り返しにその1年8カ月ぐらい復活までにかかったというのが正直のところです。
「なるほど。結婚なさって今お子さんが2人いらっしゃるんですけども、結婚したときも徳永さんなのであの結婚したことは別に隠しているとかではないんだけども自分のインスピレーションみたいなものがこの結婚によって子供のワイワイしたのによって失われるんじゃないかみたいな考えもどこかにちょっとあったりした
≪うーんやっぱり家庭を持つということは守らなければいけないということだと感じたのでそれまでは自由気ままに本当に何時に寝ようが何時に起きようが何時にご飯を食べようがよかったんですけども子供ができたら守っていかなければいけないという確実に守らなければいけないものなので、それでちょっと自分の自由がなくなるかなというのは当初思いましたね。
「ところがその1年8カ月、それよりもっと病気だということがわかったりして家族と一緒にいなくちゃ本当に一緒にいるというか家族のことも心配であり奥様と一緒にいるというときに随分家族っていいなと
≪何なんですかね。当たり前のことだと思うんですけどもその自分の仕事がらといういったこと優先的に考えてしまうでしょうね。だから素の自分とその歌手徳永英明というのがいつも2ついてそれが一致しないままデビューしてから生きていたという感じがあったような気がしますね。
「だけど奥様がすごい明るい方で太陽のような。
≪というかうちのカミさんもそうですけども自分がそういう気持ちになるとうちの家族もファンの人たちもスタッフもみんな太陽に感じるということが言いたかったですけども
「まあそうの。奥様が太陽みたいだとおっしゃったんですけどうもそういう意味で。だから自分の殻があったので逆に言えばみんなのことも自分の殻の中から見ていたって。人があなたを見る目じゃなくて自分が人を見るときにそういうふうに見ていたかもしれない。
≪そうですね。自分がこう変わったことによって僕のファンの子たちというのは変な話ですけども家が火事になったときに僕の曲を聞いて励まされたとか離婚した時に僕の曲に出会って励まされたとか。よくステージの上でお前たちちょっと暗すぎるよとかという話を僕はしゃれでいうことがあるんですけども。今回その復活してファンの前にトークライブの形式で出ていたときにやっぱりみんな深刻なエネルギーというか深刻にいこうを深刻なんだろうなと思ったんですけども自分がこういう感じに変わった瞬間「ああ客席も全然お花畑じゃない」というような。だから自分が変われば回りがすべて変わっていくし、自分が変わることを自分に許可すればすべてはうまくいくんだというようなそんなこと。
「だから病気になったことはすごく大変なことでしたけどもあなたにとってはもしかするとこれからの音楽生活をやっていく上では楽にもなっただろうしいい曲も作れる環境ができるんじゃないかしらと思うんですけども。だから家族はもしかすると自分の障害にはならないまでも以前の徳永さんから見るとちょっと家族は大変と思っていたものがそうじゃないんだといってとてもいいものなんだと。そうすると子供もすごくなつくだろうし
≪まあ子供はなついていたと思うんですけども何か自分の中でバランスの取り方がやっぱり下手だったというか明日は仕事だからこうしなければいけないとか、さっきも楽屋で話していたんですけども明日仕事だったら寝なければいけないとか思うんじゃないですか。だから寝なければいけないと思うことが不自然であって眠くなければねなければいいジャン。そういう感覚で生活していくことがベターなのかなってまあ当たり前のことなんですけどね。
「でも私本当にあなたと何回もインタビューさせていただいたしほとんど毎日のようにベストテンでお会いしていたんだけどもやっぱりこんなふうにリラックスしたあなたに確かにお会いしなかったように思いますね
≪そうですか(笑)
「でもそんなふうに笑うとか。あなたはもしかしたら笑っていたかもしれないのね。だけでも今のように面から見て笑っているようではなかったのかもしれない。
≪訓練しましたね笑いの訓練を
「あ
≪嘘です嘘です
「冗談も言えるようになったということだけども、でも本当によかったんですがじゃモヤモヤ病というのはどういうものかというのはコマーシャルをはさんでモヤモヤ病についての説明をしていただきます。

黒柳「何か津波というのが日本語だったんだけども今津波というのは外国語になって全部TUNAMIと言われているように
徳永≪へええ
「そうなんですって。そうなんですよ。モヤモヤというのも今や日本の名前なのに外国でもモヤモヤとこの病気に関しては言うんですって
≪そこは詳しくは分からないんですけども外国ではウイリス性なんとか動脈なんとか
「ウイリス動脈閉塞性。
≪うん。というふうに言うのではないかなと思いますけども。ちょっとわからないです。
「でもモヤモヤともいうだそうですけども。だそうですけども、何かの理由で大きな血管が詰まってそのために細い血管が頑張ってそれをカバーしようとして
≪あのね僕もよく本当はわからないです。でいろんな人の考え方があるらしくて中大動脈というのがあってこうでてそこから血管が脳の細胞というか部屋に行っているわけですね。でも僕の場合は左側が閉塞して行って右側がキョウサクしていてを85%までキョウサクをしていて太くなっていっているわけですね。こうキョウサクあって出るからそれがMR TとかMRIで打つとたばこの煙のように映るからモヤモヤ病。
「その細い血管たちがその雲と細いでしょうねきっとそれがカバーしてる奴がモヤモヤ。だいたいからして何で詰まるかというのがわからない。
≪うーんどうなんですかね。僕の場合は何で入院になったかというとレントゲンを撮って血管が左側ぜんぜん映ってないわけですよ。
「普通は写るの
≪うつります。で僕が症状が出ていたのは左側なんです。ということは右脳じゃないですかを右側に血管があるから左側に出るわけです症状が。左側が血管がなくて右側は全然大丈夫なんですよ。だからお医者さんも全然わからなくて
「もともとコンサートをやってらして
≪そうですねふらふら走っていたんですけども、1回ちょっと途中で中座したりとかしてたんですけども何か病院ってに行ったりしても過労だとかしか言われなくて
「まあ脳貧血みたいなものかと思ったりして
≪脳貧血ですね。脳梗塞の前触れみたいな状態だとかいろんなことを言われたんですけども。でもその造血剤というんですか
「造影剤
≪造影剤を脳血管に全部入れてここから注入して。血流はあるんですねたぶんふつうの人たちみたいに
「血の流れは
≪コレステロールもないし、詰まっているところも全然ないし発展としてこう中大動脈があるんですけどもここから違う細い血管がこっちにあるんですよ。でそれがあったから左側完全に網羅していたわけですね。ですからその血流によって右側は全然
「大丈夫だった。
≪右側が85-90%ぐらいのところまで来ていてそれと古い血管が融合していてそれの過渡期というですか変わり目といったところにそういう症状が出たじゃないかというふうにお医者さんは言われていました。だから右側がモヤモヤとして血管があったんですけども。だからそのうちにこの細い血管が網羅するだろうからすぐに大丈夫ですよというふうに
「だけど初めは訳も分からないモヤモヤ病といわれてそれで血管がどうのとか脳がどうのとか言われたときはやっぱり心配だったでしょう?
≪うーん、何というのかな自分の中で大丈夫だという感覚がありました。だから変な話入院したときにコンサートを飛ばしてうちの社長といろんな話をしているときにもうこれは宣伝材料にするしかないみたいな感じで俺は生きるよみたいなことで頑張ったというか過ごしてきたんですけども
「治療法としてはどんなことがあるんですか?
≪治療法はないです。
「ない。
≪ありませんたぶん。子供たちの病気4歳から5歳のモヤモヤ病に関しては
「4歳とか5歳であるの?
≪4歳から5歳が1番多いんですよ。だから僕たちみたいな年齢でなる人はあまりないというか。子供たちといのは本当にモヤモヤ病なんです。モヤモヤとした血管だけで、僕の場合はもともとは血管があったんでしょうけどもいつか閉塞してキョウサクしてこっちの血管と入れ替わっていったというふうに僕は解釈しています。
「人間のからだというの不思議なもので1つだめならこっちというふうに自分でどんどんどんどん勝手に変えていくそうなので他のものがカバーしてくれたんだけども。小さい子供でなるものなんですか。
≪小さい子供の人が80%から90%で大人になってからこの病気になる人というのは見つかる人というのはほとんどが脳出血だったりとかそういうことで死に至ったりとかいう人が多いんですけども。ただ自分の場合はこうか不幸かここにバイパスが生命力でできていましたからですからもしこれがなかったら多分ここにもいないだろうし大丈夫ではなかったかもしれないし
「その体がしびれるとか自覚症状みたいなものはなかったんですか?
≪93年ぐらいから頭痛は何か変に初めて頭痛が出て頻繁にあって。
「ずいぶん前ですよね10年ぐらい前
≪そして3年ぐらい前にこう右手が全然効かなくなったとかあとは1年ぐらい前から左手がしびれて体とかここらへんがマヒというか
「触った時全然感覚がない
≪そんな感じがあったりとか変だなと思って。ゲームのやりすぎかなと最初思ったんですよ。かなりゲームをやっていたので
「寝ないででゲームばっかりやっていた
≪かなりゲームをやっていたので。でもそうじゃなくて
「その時は病院に行かなかったの
≪うん、病気ではないと思っていたので
「普通しびれたりとかして感覚がなくなったりすると心配になって病院に行ったりしない?あなたはあまり行かない方なの?
≪いやいや病院はいっていましたね。何かおやつを食べるように薬を飲んでいましたからね昔は。風邪薬とかねちょっと具合いが悪くなると。でもこの病気にやって退院してある時までは薬を飲んでいましたけどもこういうこと言うとお医者さんに怒られるんですけども今は薬は飲んでないです
「飲まなければいけないの本当は。
≪いやわからないですね。
「でも飲みなさいと言われているの本当は?
≪飲んだ方がいいかもしれないねとは言われていますけども薬を飲むのは僕らの中ですから
「あそうすごいわね。でもあなたは多分大丈夫だろうと思って今はしびれも何もない?
≪うん、まあしびれがあったとしてもねボイストレーニング時にボイストレーニングをすると声を出し過ぎるとしびれたりとかすることがちょっとあるんですね。
「特にあなたは高い声を出したりするからね。
≪でボイストレーニングの先生とかはしびれてきたりとか血液が変わりましたねとか酸素が変わってきましたねとかそういう表現をされるので僕の中でもしびれたりとかそういったことというのは新しい何かが生まれているんだと解釈するようにしてますから。
「でも今度新しい曲をお入れになったんだけどもそういうふうなことはしてもいいと先生はおっしゃっている?
≪わからないです
「あまり相談してないの?
≪というかはじめ先生が徳永さんはバラードだからコンサートやっても大丈夫と言っていてくれていいえ先生それは甘いですよバラードをばかにしてはいけませんよ。ただマニュアルがあってこれはこうだというマニュアルがある。でも人間の体というのはマニュアル通りには行っていない。だから僕はここでこうして座っているし歌うこともできたわけですから病は気からという言葉はちょっとおかしいかもしれないですけども自分の中で大丈夫だという信念を持ち続けることが何かもし行っちゃってもですよその方が幸せかなという気がしますけどね。
黒柳「せっかくハンサムでいらっしゃるんですから帽子もの脱いでいただいたんですけども、こうなるとあなたがあまりにもこの頭がよく似合っているのでも前からこうだったのかと思うんですけども前の徳永さんって徹子の部屋にずっと前ですけども来ていただいたときにはこういう髪の毛をしてらしたんですよね。これあなたですよね13年前のことなんですけどもいらして下さっていてそれは結婚していなくて聞いたらば「結婚は?」と聞いたらば2年間は絶対にしませんと断言してらして結局4年後に本当に結婚なさったんですけども、2年間は本当に結婚しなかったのね。あのそういう構わなくはないのよ人の前に出る人だから。だけどもうこれでいいじゃないかというふうなところもあるかしらね
徳永≪今
「はい
≪何て言うんですかね全然ありますね。
「確かにご自分のことも心配かもしれないけども今は7歳4歳のお子さんが具合が悪くなった時はまだ小さかったわけですものね。
≪でもなんていうのかな放任主義なんですねある種。うちの中は家族全員でもいい意味のバラバラというかだからあまりこう深刻さがないんで。
「それは奥様がそういう方だからだと思うんですけどね。より開放することができると思うんですが、せっかくですので今までのヒット曲ですね輝きながらとか風のエオリア、最後の言い訳そういうものの音楽をちょっと出していただいてまあご存じだと思いますけども徳永さんてこういう音楽を作って歌う方だということをちょっと聞いていただきます。
≪ありがとうございます~音楽~
「この曲の時に涙をあなたがベストテンで出したときに涙を流れたのを覚えています私。どうしたんだろうという何だか分からなかったの自分で
≪あの時なんだろうな歌を歌うこととその歌を歌うことがビジネスになっていることのバランスがちょっと自分の中でとれなかったから無意識に。
「この本当のきれいな透明感のある高い声でお歌いになってらっしゃるんですけども1年8カ月療養なさいまして新しい曲を出しなったのね。今度の曲はなんていう曲だっけ?
≪君を連れてという曲です。
「でも内容としてもいいみたいな内容じゃありません?君を連れてというのは今までとずいぶん違うじゃないだって
≪まあそういう曲もあったんですけどね。
「じゃちょっとコマーシャルを挟みまして新しい声がどうなのかちょっと聞かせていただきますので。君を連れてですって

黒柳「徳永さんの君を連れてでもよかったんですが今日なんとと初のアルバムの発売日。その中の”愛を下さい”というのを聞いた方がいいんじゃないかということになってですね今日がしかもあなたはなにやらお誕生日なんですって
徳永≪そうですね42でございます。
「そうなんですって。まだ42私に言わせてもらえば。ちょっと愛を下さいを聞いてみますね~曲~いい曲ね。あなたこれいつも自分で作って歌ってらっしゃるんですよね。やっぱりそんなにはってあなたは人間が今まで笑ったことのない人が笑ったぐらい音楽も何か変わったことはあるかしら?
≪うんまわりくどく言わなくなりましたね。もういいじゃないか。ある種いい意味でのいい加減さというか。
「いい加減ではないと思いますけども要するに徳永英明なのですというじゃなくても
≪まあその名前も全部出生届の名前に変えたんですね。
「字がね。徳永さんの徳という字1本複雑な1本が入って。英
≪英が割れているんです。
「不思議なんですね皆さんこういう字があったとは思いませんでした。草かんむりじゃないんですよね。
≪これに書き換えてくれと言われていたんでずっと。それで出生届がこれだったのでまぁ今回素になろうという気持ちで。
「じゃあお名前も見たときは分からないんですけどもよく見れば変わっているということですよね。じゃあ今は昔に比べれば晴れ晴れとしているという感じですかね。
≪もう何かどうでもいいというか失うものはないというかまあ自分の生まれたままの命をいただいた状態で生きていければいいかなという。
「モヤモヤ病というのは難病に指定されてるんですってね
≪らしいですね。
「そんなことあなたあんまり気になさっていないと思うんですが。えーとですねこんなところに入っていて大変失礼ですがこれはスタッフからですね。(花束を出す)スタッフがですねあなたのお誕生日もさることながらあなたを支えた奥様にぜひこれを差し上げて下さいということで用意したものだそうですのでお受け取りください。でも本当によかったですお元気で。おめでとうございました。まあお座りくださいいいんですけども本当によかったと思います。これからあなたの曲もますます輝くと思うので。
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-27.html

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