過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のetSETOmeだヨ(=^◇^=)O♂

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 ┃『力道山対木村政彦戦はなぜ喧嘩試合になったのか』┃
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 2015(平成27)年11月16日(月) 北國新聞社出版局 著:石田順一
 力道山研究の第一人者が、戦後70年の節目の年に、解明されずに残されてきた力道山の謎の数々を解き明かす。中でも最大の謎となってきた1954年の力道山対木村政彦戦については、2011年に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が柔道側の視点で取り上げて定説化しているが、本書はプロレスの側から当時の新聞記事などを渉猟し反論する。ほかに世界タイトル戦の勝敗やチャンピオンベルトの謎解きなども楽しい。巻末の「力道山国内試合記録」は貴重
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 https://www.amazon.co.jp/dp/4833020459
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 映像◆「君は木村政彦を知っているか」完全版【木村政彦こぼれ話 番外編】https://youtu.be/No1dCHq1bOk
 

ranchu15さん 
2016/9/2412:23:13
空手経験者です。大山倍達さんが力道山に挑戦したというのは「空手バカ一代」で書かれていたホラ話ですよ。というか、空手バカ一代の内容はほぼホラ話です。
1 特攻隊の生き残りがウソ。(整備兵だった)
2 空手全日本選手権制覇がウソ。(そんな大会は開催されていない)
3 アメリカでプロレスラーに全勝がウソ。
(一緒に戦ったはずの柔道の遠藤が「試割りしかしていない」と証言)
4 地下プロレスの帝王との死闘 (戦っていません)
5 ムエタイ王者との死闘(戦っていません)
6 カポエラとの死闘 (戦っていません)
7 中国拳法との死闘 (戦っていません)
大山さんはこのホラ話で世間を欺き多くの道場生を騙して巨万の富を得ました。大山さんは空手家と言うより「パンチが得意な力持ち」です。特に蹴りの下手さはひどいです。優秀な弟子たちが極真空手を完成しました。大山さんが力道山さんと戦えば・・・・・力道山の圧勝でしょうね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13164734028

プロレスは死んだ 
2015-08-01 18:31:54 テーマ:プライベート 
7月31日(金) 金沢
馳代議士と入れ替わるように、力道山研究家として知られる石田順一さん(金沢市在住)が来訪
プロレスに関する著書を何冊も執筆されており、私も高校生の頃からお世話になっている方
ここ数年はお会いしていないのだが、足を運んでくださる義理堅さに感謝
お参りの後、プロレスについて語り合う
石田「最近のプロレスはどうなっとるんや?」
とりわけ、2001年に暴露本(通称:高橋本)を出版したミスター高橋を糾弾怒る
石田「『すべてのプロレスはショー』って書いとる。高橋は、新日本(プロレス)のレフェリーしかしてなかったやろ?新日本以外のことも書いとる。こりゃ、許せん!」
石田節は止まらない
石田「かつてアントニオ猪木が
  『こんな試合をしていたら、10年もつ選手生命が3年で終わってしまうかもしれない』って言ったけど、
   最近、60(歳)過ぎても、(現役)やっとる。プロレスってのは、楽なんか?苦しいんか?」
川村「ある意味、〝苦しい〟んじゃないですか、現役を続けなきゃならない、という(苦笑)」
石田「(苦笑)俺の中のプロレスは死んだ」
祭壇の前で、衝撃的な発言カオ+汗
さすがは、昭和の〝プロレス者〟だ
川村「近々、本、出されるんですよね?」
石田「俺の〝卒業論文〟や」
http://ameblo.jp/69showtime/entry-12062048734.html

SUNDAY LIBRARY 
小林 照幸・評『力道山対木村政彦戦は…』石田順一・著
2015年12月8日
戦後屈指のヒーローを研究しつくした集大成 
◆『力道山対木村政彦戦はなぜ喧嘩試合になったのか』石田順一・著(北國新聞社/税抜き2000円) 
 1980年代初めより、プロレス誌に力道山の新知見を発表してきた本書の著者の石田氏は「力道山史研究家」としてプロレスファンに広く知られている。52年、石川県金沢市生まれ。81年に自費出版した『わがふるさとの金沢プロレス史』はプロレスと郷土史という視座を提示し、専門誌紙の記者、読者のみならず、当時現役のA(アントニオ)猪木や坂口征二らも評価し、県紙・北國新聞社は「プロレス史研究家」として注目した。 
力道山が日本でプロレス興行を開始したのは54年だ。石川県下初のプロレス興行は同年9月23日、金沢市… 
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http://mainichi.jp/articles/20151208/org/00m/040/044000c

 力道山の足跡を一冊に 金沢のプロレス史研究家  
 2015/12/01 03:19『北國新聞 HOKKOKUSHINBUN』石川 地域スポーツ
 写真◆コレクションの資料を並べ、新著を手にする石田さん=金沢市内 
 プロレス史研究家の石田順一さん(63)=金沢市=は、力道山の名勝負やエピソードを集めた「力道山対木村政彦戦はなぜ喧嘩(けんか)試合になったのか」を北國新聞社から発刊した。
巻頭では1954(昭和29)年に行われた表題の試合、力道山―木村政彦戦について当時の記録を幅広く検証しており、力道山の勝利が日本のプロレス興行の方向を決定づけ、ファンを重視する力道山のスタイルの原点になったと述べる。
チャンピオンベルトをめぐる秘話、米国で行われた世界王座戦にまつわる謎の解明など、力道山研究の第一人者としての視点が楽しく盛り込まれている。巻末の「力道山国内試合記録」は貴重なデータとなっている。
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/LS20151201601.htm


私が愛した池田大作 より「弟子の『永久名簿』」 その1
2014-10-19(sun) 23:30:11 | 私が愛した池田大作
私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年 私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2009-12-22(tue) 
第四章 「政治指導者」として より
弟子の「永久名簿」 その1
 公明党ができてまだ三年。これからどうなるか先がまったく見えない。海のものとも山のものとも分からない段階である。だから池田氏も、何かと党を気遣っているようだった。~中略~あるときなどいきなり、「映画を見に行こう」と誘われた。二月二八日。まだ創価大学を作る準備をしていた時期のことである。大学の建設計画申請を八王子市に出したのが、この年の五月八日。その準備のために、審議会を開いて終った後だったと記憶している。
 新宿の映画館で、見たのは『アルジェの戦い』だった。フランスからの独立を目指す、アルジェリアの抵抗運動を描いた作品である。これを見ようと指定したのも池田氏だった。池田氏と秘書、私と何人かでブラブラ見に行ったと記憶している。当時はそのように、池田氏を囲んで数人で映画に行けるような、気楽な感じだったのだ。今ではとうてい考えられないことである。~中略~映画を見終わった後は、学会本部近くの学会系のレストラン『博文』で一緒に食事した。その場の流れで一緒に食事するなど、これまた今ではありえない光景だろう。この前日には「永久名簿」が作られている。池田氏の認めた忠実な弟子だけの名前が連ねられた弟子帖、弟子名簿である。これはもともと法華経にあるもので、「授記」と言って許可を与えることを意味する。お釈迦様が「お前は何々菩薩」「お前は何々如来」というように、五〇〇人の弟子に仏の尊号を授けたという話に由来している。その2に続く・・・池田氏とブラブラ映画なんて、今の若い学会員さんたちが聞いたら卒倒しそうなくらい羨ましがるんじゃないでしょうかw池田教池田教ってよく言われて実際その通りなんですけど、池田教の信者が信奉しているのは実は「山本伸一」ではないかと思ったりもするんですが、山本教だと何のこっちゃ分からない感じがするのは私だけでしょうか(。・w・。 ) ププッ話を戻しまして、弟子の永久名簿。浅い「永久」ですな。次に書きますが、この名簿はいつでも池田氏の気分一つで削除できる仕組みだそうで、一種の脅しに使われるようになるらしいです。今でもこの名簿は効力を発揮しているんでしょうかね。ていうか五百人、当時の公明党議員は全員載ったらしいですが、他は誰の名が記載されているんでしょう。これは私が知らないだけで公にされているのかな?矢野氏の記述では、弟子が望んで名を載せてもらったのではなく、池田氏の独断と偏見で勝手に弟子に選ばれたようです。まあ、端から見ればいい迷惑ですが当時の選ばれし弟子たちはとても有難がっていたようですね。そうして池田氏への忠誠心をより高められたと、そういうことのようです。前回記事へのコメントに河童さんが書いてくださったのですが、聖教新聞にて「弟子の生命は永遠に若い」っていう長編詩が掲載されたそうです。この中で池田氏は自分が師匠であることを前提として「弟子とは如何なるものか」みたいな姿勢を説いているわけなのですが、自分で言うなよ!っていうツッコミはもう今更な感じがしまして新鮮味が欠けますねwしかし今まで、明らかに池田氏自身がそう望んでストーリーを描いていることはバレバレなんですが、あくまで弟子の側から師匠と求められてっていうスタンスでした。そしてここに来て遂に(自ら師匠と)言っちゃったなって感じだったのですが、実は昭和40年代から既に「自称・師匠」やってたんですね。自称・師匠・・・語呂が悪いですがw師匠とは弟子が決めるもので、自ら師匠を名乗るような制度のものではありません。女房が押しかけてくるのとはワケが違うんですから、押しかけ師匠なんて恥を知れ!って感じですね。これ書くのも3回目ですが、自分で自分のことを師匠と言っちゃうような人間、その場でオカシイと思わなきゃオカシイでしょ。矢野さんだけじゃないけど、その場で気づけ、その場で!
http://blog.goo.ne.jp/ullr-no-hana/e/f7d308557ed37181b31b36808852d400

 映像◆NHKスペシャル 1990.4.8 声~吉展ちゃん事件取調べテープ~ https://youtu.be/31FX1AtC5V8
 1971(昭和46)年12月22日(水) 死刑
 


 映像◆衝撃告白!木村政彦 VS力道山 本人が語る試合の舞台裏 スーパー
 https://www.dailymotion.com/video/x5su78w
 木村政彦は本当に力道山を倒せたと思いますか?
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1093300000
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 ┃ 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 ┃
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 ┌─――――――――――――┐増田俊也による長編ノンフィクション
 |1954(昭和29)年11月27日(土)|松竹大船撮影所 プロレスリング日本選手権試合調印式
 |1954(昭和29)年12月22日(水)|"昭和の巌流島" 木村政彦vs力道山
 |2008(平成20)年 1月号から |『ゴング格闘技』誌上で連載開始
 |2011(平成23)年 7月号まで |『ゴング格闘技』誌上で連載終了
 |2011(平成23)年 9月30日(金)|新潮社から単行本として発売 発売半年で18刷のベストセラー
 └─――――――――――――┘
 映像◆『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』PV  http://youtu.be/tq2bRwMCMt8
 
 映像◆吉田豪『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』について語る①  http://youtu.be/0JSMsgdP3pw
 
 小島慶子 キラ☆キラよりhttp://gyoyu.hamazo.tv/e2839396.html
 映像◆吉田豪『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』について語る②  http://youtu.be/y7e5gfWDnm4
 
 映像◆1954.12.22 プロレスリング日本選手権 "昭和の巌流島"  http://youtu.be/9oNac-RHEIk
 
 映像◆JWA - Rikidozan vs Masahiko Kimura 22.12.1954  http://youtu.be/lxpljYPgZYA
 
 映像◆SRS 木村政彦 伝説の格闘家:西良典、守山竜介、岩釣兼生  http://youtu.be/K-RkP99nmyU
 
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 力道山対木村政彦戦の真相は結局なんだったと思いますか?㊦↓
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1070489120
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%94%BF%E5%BD%A6%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%8A%9B%E9%81%93%E5%B1%B1%E3%82%92%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B
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 君は木村政彦を知っているか 8-1  http://youtu.be/JzitL_UOd6M
 2000(平成12)年8月27日(日) 
 最強と言われた柔道家の記録番組です。私の父はモロ力道山世代でして、多少柔道もかじってたので、木村政彦や力道山の話にな-ると熱かったです。
 

 前田!猪木!力道山!ガチンコセメント、プロレスの不穏試合! 
 今やブックがあることが公然の常識のようになってしまったプロレスだが、ブックなどという言葉では明らかに括れない、一線を超えてしまった試合というのがこの世にはある。それは人はセメント、または不穏試合という。
 更新日: 2014(平成26)年09月18日(木)
 http://matome.naver.jp/odai/2134182697796622101

 Japan Pro-Wrestling Association / 日本プロレス協会
 http://www.youtube.com/playlist?list=PLTjCMeLg07O2W7gF_I1woBlvVmMlZwFw3
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ベースボールマガジン社 分冊百科 全60巻
 ┃ データファイル 『日本プロレス激闘60年史』 ┃記憶に残る960の激闘をファイルせよ!
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛PRO-WRESTLING DATA FILE 定価:680円(税込)
 ┌─――――――――――――┐   全60巻ラインナップ!
 |2012(平成24)年 4月25日(水)|発売 第03号 
 └─――――――――――――┘   馬場、全日本に移籍したハンセンと初激突!
  日本プロレス激闘史 ⇒ 
 ‡1991(平成三)年12月22日(日) 髙田延彦 VS トレバー・バービック 東京・両国国技館
*********** http://www.sportsclick.jp/pro60/index.html
 http://www.sportsclick.jp/pro60/lineup/03/index.html
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 ┃“負け犬”の伝説『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』┃
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 2011(平成23)年10月3日(月) 11時00分 ライター情報:杉江松恋 エキサイトレビュー
 これはすでに現存しない3つのものについて書かれた本である。1つは近世から日本に存在していた武道の系譜、古式柔術と呼ばれるものだ。もう1つは、その古式柔術の流れが絶えたことによって失われた技術である。そして最後の1つは、木村政彦という不世出の武道家の肉体、そして彼が体現していた精神だ。なぜそれがこの世から消え去ったか。答えは簡単である。歴史とは勝者によって綴られるものであり、その意に染まないものは消し去られる運命にあるからだ。正史とはそうした記述の粛清によって成立したものであり、だからこそ非正規の歴史である野史が民衆によって語られていく。だが積み重ねられた歳月は重く、昭和から平成に時代が移ったころには古式柔術の系譜とその技術、木村政彦の名が人々の話題に上ることも稀になった。しかしあるとき、歴史の悪戯のような事件がきっかけで失われたものたちが界面へと浮上し、再び光輝を放ち始めるようになったのだ。増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』はそういう書である。スポーツ・ノンフィクションであると同時に歴史のありようについても語った本だ。木村政彦は戦前の柔道界において「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と賞されたほどの不世出の才を持つ柔道家である。1936年6月に阿部謙四郎に敗れた後は公式戦の個人戦では無敗。1937年10月拓殖大学予科3年在籍時に現在の全日本選手権にあたる全日本選士権で優勝し、初出場にして初優勝を果たす。しかも学生が普通出場する一般の部ではなく、プロの出場が認められている専門の部での快挙であった。以降は敵なしの三連覇を飾って大学を卒業した。初優勝のとき木村は牛島辰熊から誉めてもらうどころか叱責を受けた。「一度くらい勝って喜ぶな。十連覇してからだ」牛島は木村が祝賀気分で増長するのを怖れたのだろう。木村はこう言って返した。「十連覇ではなく二十連覇を狙います」1941年に戦争のため徴兵されることがなければ、木村は本当にそれくらいの偉業を成し遂げていたかもしれない。戦後の1949年に開かれた第二回全日本選手権でも堂々の優勝を果たしているからだ(ただし不可解な判定により決勝の相手である石川隆彦との同時優勝という奇妙な結果になった)。まさに13年間無敗。しかも木村の場合、そうした公式戦以外にも数々の伝説を残している。その1つが1951年10月23日にブラジル・マラカニアンスタジアムにおいてエリオ・グレイシーを破った柔道対柔術の他流試合だろう。…
 https://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20111003/E1317570668105.html
 当時のブラジルでは日系人社会が敗戦のために混乱の極みに達していた。現地ではすでに日本人柔道家・前田光世の流れを汲むブラジリアン柔術が勃興していたが、それを日本の伝統競技である柔道で圧倒し、民族の誇りを取り戻そうと考えた者があったのだ。講道館が支配する戦後柔道界と訣別し、結核に倒れた妻の医療費を稼ぐために海外へと雄飛していた木村に呼び声がかかった。木村はプロレス・プロ柔道交じりの興行を打ちながら現地を訪れ、やがてエリオ・グレイシーの挑戦を受けてこれを一蹴する。決まり手は戦前から得意にしていた関節技の腕がらみだった。グレイシー一族が来日し格闘技界を席巻した際、平成のマスコミはこれを黒船の来襲に喩えた。しかしそれ以前に敵地へと堂々と乗り込み、日本武道家の実力を見せ付けた男があったのだ。すでに木村政彦をめぐる言説が多数流布されている。本書で増田俊也はそうした「伝説」の1つ1つに、一次資料の検証という地道な作業によって光を当て、虚実の別を明らかにしたのである。木村を巡っては正史編纂が可能な立場にある2つの団体がその存在を抹消、あるいは誹謗によって卑小化しようとしてきた。その1つが日本柔道連盟と一体の関係にある講道館、もう1つが力道山の興した日本プロレス協会の流れを汲む団体とその息がかかったプロレス・マスコミである。1993年11月にグレイシー一族の一人であるホイス・グレイシーが第1回UFC大会に優勝し、「マサヒコ・キムラは我々にとって特別な存在である」と発言しなければ、まだまだこの封殺状態は続いたはずだ。本書で増田は木村伝説の検証と同時に歴史の暗部から2つの事実を発掘している。1つは戦後・講道館によって日本柔道界が統一される以前には、2つの対抗勢力があったという事実である。もう1つは、それらの流派には近代以前の遺物(古式)どころではなく、スポーツとしての柔道を標榜する講道館の柔道からは失われた技術が継承されていたということだ。特に高専柔道についての詳細な記述は素晴らしい。講道館に対抗する2つの勢力とは、1つが1895(明治28)年に発足した武徳会である。1882(明治15)年に設立された講道館に対抗するために古流柔術の各派が結束したもので、講道館が独占しようとしていた段位の発行(五段まで)の権利を持ち、特に関西以西では講道館を凌ぐ勢力を誇っていた。前述の唯一木村政彦を破った男である阿部謙四郎はこの武徳会に属していた。…
 https://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20111003/E1317570668105.html?_p=2
 これが戦後になって消滅した理由は、戦中に東條英樹によって組織が私物化された歴史があり、GHQに守旧勢力として睨まれたためだ。もう1つは1914年に第1回大会が開かれた高専柔道である。これは戦前の旧制高校(戦後になって東京大学教養学部などの各国立大学に吸収)旧制専門学校(徳島大学や同志社大学などの前身)の学生が選手として競い合っていたもので、講道館柔道とは一線を画すルールが適用されていた。投げからではなく組み合ってすぐに寝技に入る「引き込み」が許されていること、寝技の膠着状態による「待て」がないことなどの特徴がある。また、十五対十五の団体勝ち抜き戦が適用されていたため、弱い選手であっても技術を学べば強い選手を引き分けで止めることが可能だった。このため選手たちは知恵を絞り、大会のたびに新しい技術を考案されるという技術革新が成し遂げられたのだった。木村の師である牛島辰熊は早くからこの高専柔道に着目し、技術を学んだ。それを木村政彦にも教えたのである。後にエリオを破った腕がらみの技は、高専柔道仕込みの技術から生まれたものだ。高専柔道家たちの闘志はすさまじく、敗れるときとはすなわち意識を失い、骨が折れるときだったという。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の魅力は、この高専柔道を中心とした技術論があることである。牛島・木村の師弟は格闘技術を貪欲に学び続けた。木村は投げ技で大外刈り、極め技で腕がらみという二大武器を身につけたが、それに飽き足らず当時は柔道の下に見られていた空手にも関心を持ち、近代空手の祖である船越義珍の松涛館に通って打撃をマスターしていた。真剣勝負においては組み合っての投げで決することはなく、間合いをつめるための打撃、組み敷いて戦闘能力を奪うための寝技が必ず必要になる。つまり今でいう総合格闘技に近いものを「柔道」として認識していたと増田は指摘するのだ。対する講道館柔道はGHQの手前もあってスポーツ化を意識しすぎたために始祖・嘉納治五郎が認めていた当て身(打撃)を排除し、一度投げてからではないと寝技には入れないというルールを作って柔道における投げ技の特権を確保しようとした。その結果歪みが生じ、東京オリンピック以降に外国人選手の台頭を許してしまうのである。講道館柔道が世界柔道の中で孤立している状況を、柔道を愛する者として増田は憂う。こうした形で一者支配による歴史の粛清、技術が絶えたための弱体化という現状が描かれているのだ。…
 https://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20111003/E1317570668105.html?_p=3
 これが戦後になって消滅した理由は、戦中に東條英樹によって組織が私物化された歴史があり、GHQに守旧勢力として睨まれたためだ。もう1つは1914年に第1回大会が開かれた高専柔道である。これは戦前の旧制高校(戦後になって東京大学教養学部などの各国立大学に吸収)旧制専門学校(徳島大学や同志社大学などの前身)の学生が選手として競い合っていたもので、講道館柔道とは一線を画すルールが適用されていた。投げからではなく組み合ってすぐに寝技に入る「引き込み」が許されていること、寝技の膠着状態による「待て」がないことなどの特徴がある。また、十五対十五の団体勝ち抜き戦が適用されていたため、弱い選手であっても技術を学べば強い選手を引き分けで止めることが可能だった。このため選手たちは知恵を絞り、大会のたびに新しい技術を考案されるという技術革新が成し遂げられたのだった。木村の師である牛島辰熊は早くからこの高専柔道に着目し、技術を学んだ。それを木村政彦にも教えたのである。後にエリオを破った腕がらみの技は、高専柔道仕込みの技術から生まれたものだ。高専柔道家たちの闘志はすさまじく、敗れるときとはすなわち意識を失い、骨が折れるときだったという。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の魅力は、この高専柔道を中心とした技術論があることである。牛島・木村の師弟は格闘技術を貪欲に学び続けた。木村は投げ技で大外刈り、極め技で腕がらみという二大武器を身につけたが、それに飽き足らず当時は柔道の下に見られていた空手にも関心を持ち、近代空手の祖である船越義珍の松涛館に通って打撃をマスターしていた。真剣勝負においては組み合っての投げで決することはなく、間合いをつめるための打撃、組み敷いて戦闘能力を奪うための寝技が必ず必要になる。つまり今でいう総合格闘技に近いものを「柔道」として認識していたと増田は指摘するのだ。対する講道館柔道はGHQの手前もあってスポーツ化を意識しすぎたために始祖・嘉納治五郎が認めていた当て身(打撃)を排除し、一度投げてからではないと寝技には入れないというルールを作って柔道における投げ技の特権を確保しようとした。その結果歪みが生じ、東京オリンピック以降に外国人選手の台頭を許してしまうのである。講道館柔道が世界柔道の中で孤立している状況を、柔道を愛する者として増田は憂う。こうした形で一者支配による歴史の粛清、技術が絶えたための弱体化という現状が描かれているのだ。
 https://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20111003/E1317570668105.html?_p=4
 最晩年のエリオ・グレイシーの述懐は、木村政彦に対する最大の敬意を表したものである。「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘られぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。彼ほど余裕を持ち、友好的に人に接することができる男には、あれ以降会ったことがない。五十年前に戦い私に勝った木村、彼のことは特別に尊敬しています」講道館が黙殺し七段のまま留め置いている男。力道山が日本マット統一のために利用し、負け犬として葬り去った男。その真価は日本ではなく、地球の裏側で伝えられ続けてきた(杉江松恋)
 https://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20111003/E1317570668105.html?_p=5

これで寂しくない!"クリぼっち"の楽しみ方を伝授(13/12/22(日)) http://youtu.be/hsXX1fsqD1o
「ポータル ANNニュース&スポーツ」で12月21日放送の特集ディレクターズカット版。独身男-女3人に2人が「クリスマスひとりぼっち」という衝撃のデータが・・・。そんな人でも-決して寂しくない過ごし方を伝授します!https://www.facebook.com/portalann

 ビートたけし フライデー襲撃事件 当日の報道映像◆http://youtu.be/zND5Z2Ipgdw
 00:00 各局報道
 03:50 後藤田官房長官 ビート君の気持ちはよくわかる
 12:40 NHK 7時のニュース
 16:10 半年後執行猶予判決をうけて地裁から会見するビートたけし被告
 
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 ┃ フライデー襲撃事件 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐
 |1986(昭和61)年12月 9日(火)|事件発生
 |1986(昭和61)年12月22日(月)|午後一時 ビクタースタジオ(東京・青山)
 |1987(昭和62)年 6月10日(水)|判決後当日記者会見
 └─――――――――――――┘今日の記者会見を開いたのを最後に、たけしさんは半年間公式メディアに登場することはなくなるヨ(*´~`*)。o○
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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 暴行のビートたけし釈明会見! 1986.12.22 午後一時 ビクタースタジオ(東京・青山)
 12月22日に記者会見を開いたのを最後に、たけしは半年間公式メディアに登場することはなくなる。
 takeshi interview friday incident 1/2 ⇒ http://youtu.be/NFF98ZgnBm8
 
 takeshi interview friday incident 2/2 ⇒ http://youtu.be/i8Z0Jv7TBPc
 
 ビートたけし判決後会見1987年6月10日 判決後当日記者会見映像◆http://youtu.be/T9AShXCDnPs
 ※12:50より フライデーカメラマンの裁判についてのコメント
 
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 ┃ 『8時だョ!全員集合』 ┃ TBS系列
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛20:00~20:54
 ┌─――――――――――――┐
 |1984(昭和59)年12月22日(土)|
 └─――――――――――――┘
 ①「ドリフのかあちゃんクリスマス万歳!?」
 ②♪不思議TOKYOシンデレラ♪ セイントフォー
 ③♪裸足でダンス♪ 石川ひとみ
 ④ショートコント
 ⑤♪クレイジー・ラブ♪ 堀ちえみ
 ⑥♪にくめないのがニクイのさ♪ THE GOOD-BYE 
 http://blogs.yahoo.co.jp/eizoulist/53903583.html
**** http://www.youtube.com/playlist?list=PLA2B3A023B1B13764
 http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%99%82%E3%81%A0%E3%83%A7!%E5%85%A8%E5%93%A1%E9%9B%86%E5%90%88
 聖子様御写真◆http://vtv.sakura.ne.jp/cgi/dbf/profile.cgi?page=4851&width=100%
 聖子様御写真◆http://3rd.geocities.jp/dream_idol2000/idol/idol/matuda11/index.html
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 ┃ 『笑点』 ┃日本テレビ系列
 ┗━━━━━━┛ 17:20~18:00 (40分) 
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 |1985(昭和60)年12月22日(日)|間近となった『笑点』放送開始20周年と放送1000回突破を記念して、
 └─――――――――――――┘京王プラザホテルで特番を開催。歌丸が「2000回までやろう!」と言う
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E7%82%B9
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 ┃ 『さんまのまんま』 ┃ 関西テレビ
 ┗━━━━━━━━━━━┛19:00~19:30
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①|<No.0080> 1986(昭和61)年12月22日(月) 財津一郎・おさむ 「先輩!吉本のやめ方教えて下さい!!」|
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②|<No.----> 1995(平成七)年12月22日(金)|おやすみだヨ(=^◇^=)
③|<No.----> 1998(平成十)年12月22日(火)|
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④┃ 『さんまのまんま』 ┃ 関西テレビ
 ┗━━━━━━━━━━━┛19:00~19:29
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 |<No.0989> 2006(平成18)年12月22日(金) 奥田瑛二 「あの合コン話の暴露やめて」|
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⑤┃ 『さんまのまんま』 ┃ 関西テレビ 
 ┗━━━━━━━━━━━┛13:56~14:25
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 |<No.1265> 2012(平成24)年12月22日(土) 鹿賀丈史 |【関西テレビ】13:56~14:25
 |<No.1265> 2012(平成24)年12月22日(土) 鹿賀丈史 |【フジテレビ】12:00~12:30
 └─――――――――――――――――――――――┘2012(平成24)年最後の放送、放送時間12:00~12:30最後の日
  放送◎概要・・・俳優の鹿賀丈史が18年ぶりに登場。明石家さんまとは32年前にドラマ『天皇の料理番』で共演して以来の旧知の仲だ。62歳になった鹿賀は、「明かりが恋しいタイプ」らしく、都会のど真ん中に住んでいる。「さみしがりやなんですか」と聞くさんまに「話題変えましょうか(笑)」と切り返す。お土産はパリで購入してきたマンゴーキャラメルとしょうがチョコ。そして部屋に入ってきた時から、さんまが気になっている、とある“武器”。それは鹿賀が正月に主演する舞台の小道具らしい。鹿賀はその西洋劇で着用する衣裳をさんまに着せ、「ちょっと失礼します」と付け鼻も付けさせる。「似合ってますね」と鹿賀は褒めるが、「モニターを見る限り、ちっとも似合ってないと思いますよ」とさんま。その珍妙な姿にご注目!鹿賀が俳優の道へ進んだのは、劇団四季のオーディションに受かったのがきっかけ。小学生の時から少年合唱団に入っており、現在もミュージカルで活躍するなど、一貫して歌を歌い続けている。高校生の時にはへんとう腺の手術をしており、聞くだけで痛そうな当時の手術話に、さんまは顔をしかめる。さぞかし喉に気を使うのかと思いきや、意外にもお酒を飲んでカラオケで歌ったりもするという。おはこは井上陽水やサザンオールスターズ。年齢を重ねて、音域が広がったという鹿賀。ファルセットをあわせれば3オクターブ以上出るという。さんまは「ファルセットってどうやるんですか?一生に一回やってみたいんですけど。」とご教授を願い出る。歌いながらポイントを教える鹿賀をまねてさんまもやってみるが、どう頑張っても「ダチョウのけんか」のようになってしまう。さんまは、加賀と六本木の街でバッタリ会ったことがあることを思い出し、「何であのとき、いっしょに飲もうよって誘ってくれへんでしたん?」と聞くと、誘えなかった深い理由があったことが発覚!果たして、その理由とは?
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 ①http://www.ktv.jp/mamma/backnumber1986.html ②http://www.ktv.jp/mamma/backnumber1995.html
 ③http://www.ktv.jp/mamma/backnumber1998.html ④http://www.ktv.jp/mamma/backnumber2006.html
 ⑤http://www.ktv.jp/mamma/backnumber2012.html ⑤http://kakaku.com/tv/channel=8/programID=4415/episodeID=612059/
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%BE
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