過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)


 /*先輩からの手紙(2/2) */ 
 2013(平成25)年06月12日(水) 先輩からの手紙(1/2)に書いてあった『別紙コピー』です。知人にあてた手紙のコピーです。個人名は記載されていません。一部省略しているところがあります。
‡1997(平成九)年08月23日(土) 別紙コピー『前略。 早いもので、先日お邪魔してから、もう半月が経ってしまいました。直ちに送ろうと思って、ワープロで打ってもらったものを点検しておりましたら、間違いや抜け落ちた部分など、とても一読意味が通じるという状態ではありませんでしたので、「第三文明」掲載分のコピーと照らし合わせて訂正作業をしておりました。意外に時間をとってしまい二部共にやろうと思いましたが、手抜きをさせていただきます。(御夫婦でジャンケンでもして、お一人は自分で修正して下さい)それにしても、先日は、本当にお世話になり、有難うございました。そしてまた、やっと本音で様々な問題点を話し合うことができたことを喜んでおります。それだけ状況が急速に変化したということでしょう。訂正作業をしていて、この約十年のことを種々想い返しておりました。八十九年一月号で終わりましたが、一月号の発刊はその前月の一二月。原稿締め切りは十一月初め。従って想い返すのは、八十九年からのことになります。八十九年一月は、昭和天皇の死がありました。そして、二月に大葬の儀。この時、聖教新聞の一面に全面を使って載った名誉会長名での「追悼の辞」。そして葬儀の時の公明党議員の神道儀式への参加。(社会党等はその間会場の外にいました。)私は、この新聞の内容と、神道儀式への参加を見て、(ああ、学会は本当に変質したのだ)と痛感しました。「牧口会長を獄死させ、戸田二代会長を入獄させ、日本を敗戦に導いたものは、天皇を現人神と敬った神道であった」と言って出発した戦後の創価学会の歩みは、一体何であったのか。「立正安国」を掲げ邪義邪宗こそが不幸の原因であるとして、大折伏戦をしたことは、一体どんな意味があったのか。そのことへの説明、言及は一言もなく、七〇年の「言論出版問題」の総括や反省もないままに、世論に押されて路線変更を強いられたその泥縄的体質が、遂にここまで来たのかとの強い印象を受けました。「歴史」を無視するものは、「歴史」によって、シッペ返しを受けるというのが鉄則だと思います。第二次大戦敗戦後の日本が、その歴史的行為の反省もないままに、経済復興だけを図り、敗戦後半世紀を経た今日でもなお、その過去の行為の清算をしない上に、更にその醜悪な過去を隠蔽しょうと様々な馬鹿な画策をする。そしてそれが世界の人々の顰蹙を買い、多くの国民が恥ずかしい思いをし、結果として国民道義が頽廃したまま、更にそれが進行してしまう。「ごめんなさい。本当に迷惑をかけてしまった。ここの所を間違ってしまったから、以後絶対そうならないようにきちっと対策をこのようにとりました。」ということでないと、また同じ誤りを繰り返してしまいます。今日の日本の様々の問題の噴出と多くの国民の閉塞感は、この戦争への無反省と、戦後の出発に当たって、短絡的な過去の否定によって、過去の日本人の美徳(礼儀正しさとか、恥ずかしいという感覚、隣近所、他人様に迷惑をかけないようにするという心掛けや、繊細な美意識に基づく潔さ、強い独立心等々)をあっさり捨て去り、公共心をほとんど失ったところに、可成大きな原因を求めることができると思います。その意味では、日本全体が、未だに戦争の後遺症を抱え込んでいる状態だと思いますし、新たな国民道義、市民の社会意識の確立までには、まだまだ、二、三世代以上の歳月がかかると思います。戦争によって失われるものは。単に国民の生命や財産だけでなく、精神的なプライドや道義心といったものまでが破壊され、失われてしまい、その国民的トラウマ(精神的外傷)から立ち直るまでには、二世代、三世代とかかってしまうものであるということを、決して忘れてはならないと思うのです。学会も、この日本的健忘症、日本的ご都合主義の埒外にはないということなのでしょう。そしてまた、その学会のリーダー達は、大正から昭和の戦前世代です。激動の時代の中で、価値観がコロコロ変わるという経験を強いられた世代の人達なのです。信念とか、哲学、深い思想性を本当の意味で身に着ける経験を持ち得なかった人々なのです。これは、今の日本の各界の指導者たちにも共通するもので、無理もないと言えば無理もないのです。しかし、やはりその様な覚悟の定まらない、深い思想性もないリーダーによって、運動なり、政治なりが指導されていくというのは、実に不幸なことですし、悲しい、そして迷惑なことでしかありません。平成になってからは、バブルの崩壊、政界の再編成、野党連合政権誕生、55年体制の崩壊、自、社、さ政権へと目まぐるしく動き、その間にさんざん反対してきた小選挙区制導入への加担、新進党への参加。そして次から次へと続く贈収賄汚職。政も官も財も、そして薬害エイズに見られるように学も、従来権威と見なされ、それなりの尊敬を受けてきた立場の人々が、情報公開の波に洗われて、その醜悪な実像を徐々に現わしてきた十年であったと言えましょう。学会もまた、多分、先程もふれた昭和41年の言論出版問題で始まった、迷走、混迷、目標喪失が、89年の現実妥協路線表明で更に加速し、とうとう、組織の生き残り、既得権益の温存を計る事態にまで凋落してきた十年であったと言えるかもしれません。その間、ゴミの山から見つかった謎の三億円金庫事件、ルノアールの絵をめぐっての不透明な三十数億円にのぼる三菱商事や画廊との取り引き、証券会社との利益保証事件での登場、オウム真理教事件で法改正がなされた、宗教法人法をめぐっての佼成会などとの共同歩調。等々。ほとんど既成宗教のゴタゴタとなんら変わることのない内部矛盾のボロが、次々に露呈してきた歳月でもありました。その他、実態のよくわからない本山との対立、名誉会長をめぐる様々な裁判事件・・・。ヤレヤレ・・・というところです。大聖人が現在、御生存であったら、この事態をどう評価されるでしょうか。このような大人たちの混迷ぶりに軌を合わせるようにして、オウム事件、幼女連続殺人の宮崎勤、小中高生のいじめ自殺事件の多発、少年達のおやじ襲撃事件や通り魔事件の続発。そして、神戸の小学生連続殺人事件と、次々に若者や子供たちが社会の精神の荒廃を証明するような事件・事故を引き起こし、または、その被害者になる事態が続いています。一体、私達は、何の為に、身を粉にして活動をしてきたのかと、思わずにはいられません。「道理・証文よりも現証を先とすべし」と御書で御教示の如く、まず否応なく目前に提示された現証に基づいて、私達は道を間違ったと率直に認める必要があると思います。今回、久し振りに約十年前の自身の原稿を読んでいて「何故まともな反応がないのか」と当時嫌気がさしてきた気分を思い出していました。若い読者の一部から、熱烈な感想が寄せられたり、当時男子部の教学室員のメンバーで、今は教学部の中心メンバーの数人から「やっと戒というものが解った」という感想があったことを聞かされたりはしていましたが「信仰論」ともいうべき部分には全くナシのつぶてであったことを思い出しました。そして現在になって、それが無理からぬことと思い至る心持ちです。先日も少々お話しましたように、大部分の人達は、別に大聖人様でも、御本尊でも、御書でも、もっと言えば、弘教なんてどうでも良いのでしょう。要するに「宗教は儲かる」、「大教団は大変なメリットがある」ということであって、また一般の会員も、もう互助会みたいなもので、「何もないよりは気休めになる」「ヒョッとして何か御利益があるかもしれない」「さぼっていて何かあったら困るから」等々の程度のもので、もう本当に日本的信仰になりきってしまっていると思います。日本人の宗教的態度は、そもそも神代の時代から、聖徳太子によって仏教を導入した後も「現世利益」が最大のテーマであって、原理原則などどうでも良いところがあるのです。大聖人の時代には、その原理に対する不誠実さが厳しく弾劾されますが、室町、安土、江戸と社会の経済的な豊かさが実現されてくるにつれ、そのような厳しさが薄れ、信長の既成仏教大弾圧(比叡山焼き討ち、石山本願寺攻撃)に続く、秀吉、家康の日蓮宗弾圧やキリスト教禁圧などによって、徹底的に宗教的生命(信仰の純粋さ、真剣さ)が失われ、気休めと軽い現世利益と、葬式仏教へという長い惰性に陥ってきたのです。数世紀に亘って民族の習慣・習俗として根深く定着してしまった信仰態度は、第二次大戦の敗戦後のような貧・病・争の盛んな時期には一時的に燃えあがることはあっても、社会が安定し、経済的にも恵まれてくると、たちまち、元の木阿弥に戻ってしまうというのが現状のように思われます。創価学会も、戦後の大衆運動としての盛り上がりから、同一のものとは思えない形骸化状態となってしまった本当の理由も、案外こんな日本的宗教態度の為せるわざかもしれません。このように考えてきますとこれからは宗教的熱狂の再現はしばらく(ほとんど?)あり得ないのではないでしょうか。むしろ浅薄なムード的熱狂が去った今日、本当にその思想的・哲学的な意味と内容が問われてくるのだと思います。そして、その厳しい問いかけの中で、真に人類の福利に貢献出来る存在へと脱皮していけるか、それとも既成の諸宗派のように、社会に寄生する存在として、既得権益を守り続け乍らなんとか生きのびるのか、それとも、内紛と分裂を繰り返しながら、夫々にオカルト的小集団へと雲散霧消していってしまうのか、これから十年位の内にその方向はかなりはっきりしてくると思っています。そしてその動向選択の底流をなすものは、結局日本の国民全体が、ボーダレス化する国際社会の中で、どのようなアイデンティティを選択していくのかということだろうと思います。現在の日本の社会は、一部の指導的立場の人間が旗振りをして、国民の行くべき方向を指し示せる状況にはありません。まだまだ自覚と自信が確立した状況とは言えないまでも、既に名もない一般の人々が、自分自身と指導層との距離のなさを実感し始め、中には、指導層などというものは幻想でしかないと思い始めている人々が生まれてきているように思います。その動きは、全国各地で自立的に、町作り、地域おこしをしている人々の中に見出せるものと思います。彼らの動きは、戦前から戦後にかけての労働運動のような異議申し立ての運動ではなく(不平等とパイの配分をめぐる争い)また60年から70年にかけての学生運動にみられる権威打ち壊し運動でも、またその生き残りのメンバーの環境運動を看板にした別天地創造運動でもなく、もっと等身大で、生活に根を下ろした快適空間創造運動とでも名づけたい、非常にセンス溢れる柔らかい発想の運動を起こす人々があちらこちらに生まれてきているのです。しかも彼等の良いところは、
 ①自分自身が面白がってやっていく、変な使命感や悲愴感など全くないということ。
 ②大変に現実的で、合理的思考をもっていて、臨機応変、自在な知恵で、大資本や行政権力など当てにしないという点。
 ③高い教養や知識をもっていて、外国や異文化との交流経験も豊富で、幅広い人脈を持っている点等々が挙げられると思います。豊かな社会がもたらした新しいタイプの人間群であろうと思います。その様な人々が、今は個々バラバラのように見えますが、現在のような情報化の時代ですから、あっという間にネットワークを結んで、かなり近い将来、大きなウネリを起こすのではないかと私は予測もし、それ以上に期待しています。そしてまた、宗教、思想、哲学の分野でもこの二、三十年の間に、明らかにボーダレス化しあらゆる領域が「生命」及び「生命現象(死も含めて)」をターゲットとして「人間」とは何かに迫りつつあります。恐らく、これも割合に近い将来、先日も話しました「センサー付きの対応の智慧ないしエネルギー」というような生命自身の持つ(能)力をキーワードにして、人間の頭の持つバーチャル性というやっかいな能力にどう歯止めをかけ、どうコントロールしていくべきかというようなことが、各学問各領域を統合するような形で方法論として確立されてくるのではないかと予測し、これもまた多いに期待しているとこです。その時に仏教=人間学という評価が定まりセルフコントロール法として「一念三千論」が、人間の知的、人格的成熟論の角度を含み乍ら社会に定着していくのではないかと思います。それが本当に人類の知的共有財産として、各国の教育の基礎として定着した時、それを広宣流布というのだと私は考えています。権力奪取とか、勢力拡大などというのは、考えてみれば幼稚な発想で、境涯論でいえば、「生死の世界を現実世界であると執着している凡夫」の世界、即ち六道輪廻の世界であって、なかんずく対立や勢力争いをしていたのでは修羅畜生の境涯でしかあり得ません。総合学としての「人間学」が打ち立てられれば、宗教宗派の必要性は消滅します。そうならければ、ますます狭くなり、ボーダレス化していく地球で、人類は生き残れないと思います。いずれにせよ、私達自身、もう一度発想を新たにして、スローガンを叫んでいれば事足れりとするような惰性を排して、中身の伴った、豊かで心楽しい人生と社会を実現していくように、真剣に、かつ具体的に努力を始めようではありませんか。随分と長くなりましたが、久し振りに自分の書いたものを読んで、それに触発され乍ら、現在の心境を書き連ねてみました』 
 http://gsg48566.hatenablog.com/entry/2013/06/12/130223
 http://onobushi.blogspot.jp/2013/10/blog-post_6.html


【発がん性物質】 ”たんぱく加水分解物” 食べています?!牛などの血液、毛、骨、皮、じん帯・・
‡2018(平成30)年08月23日(木) 08時02分37秒 | マスコミが言わない健康情報
 ※参考『危ない食卓 スーパーマーケットはお好き?』著者フェリシティ・ローレンス 
 訳 矢野 真千子
 2005(平成十七)年6月30日(木) 発行
ここ十数年あまりでインスタントラーメンの味が飛躍的に美味しくなっている・・その立役者こそたんぱく加水分解物だこれ、どういうわけか「添加物」には分類されない味の素などの化学調味料(最近はうまみ調味料と表現している)だけでは表現できない「うまみ」を魔法のように作りだすことができるそうだ
このたんぱく加水分解物
袋めんやカップめんだけでなく町のラーメン屋さんのほとんどが使っているというのが実態だ また、台所に置いてあるインスタントラーメンを裏返し成分表示を見てみよう ちゃーんと「たんぱく加水分解物」と表示されているはずだ
ラーメンだけじゃない
麺つゆ、納豆のたれ、焼肉のたれ、ドレッシング、カレールー、シチュールー、ミートソース、レトルト食品、冷凍食品、スナック菓子、せんべい、おつまみ、漬物、だしの素・・・・こんなにも多くの食品に入っているのに安全性については多くを語られない
発がん性があるという報告がある
↓クリック
名古屋生活クラブさんの記事にデータが示されている
タンパク加水分解物に発ガン性
アミノ酸は、うま味のもと(グルタミン酸が有名)なので、多くの加工食品に「味付け」目的で加えられています。タンパク質を塩酸で分解することが多く、その際に、塩酸中の塩素が反応して、数多くの不純物ができます。その不純物の中に、クロロプロパノール類と総称される一群の物質があり、とくに、3-MCPDと1.3-DCPの毒性が高いので、WHO、FAOなどの国際機関を中心に安全性の検討がすすめられています。
2006年6月に、このFAO/WHO 合同食品添加物専門家会議(JECFA)が開かれ、3-MCPDと1.3-DCPの毒性を再評価しました。その中で、1.3-DCPについて、発ガン性が重大な健康影響であると結論しました。農水省は、食品中のこれらの物質の実態調査を、平成16年、17年と行っています。その結果をみますと、一部のしょうゆに高濃度に含有する物がありました。しょうゆ:本醸造しょうゆと、混合しょうゆがあり、混合しょうゆは、タンパク加水分解物が多く入れられています。値段の安いしょうゆにつかわれていることが多い。
納豆のたれ、さしみ用のたれ、など付属の様についてくるしょうゆが危ない!!
説明 
2.1mg/kg 体重/日
1日に体重1kgのラットなら2.1mg(0.0021g)の1.3-DCPを投与すること。体重が2kgならこの倍。この発ガンレベルの高いのに驚きます。この実験を読むと、発ガン以外にも肝臓の紫斑などの症状が低濃度でも出ているし、投与したラットの死亡率も高いので、毒性の高さが分かります。
タンパク加水分解物の歴史 ⇒「味の素」の最初は、小麦タンパクのグルテンの塩酸分解だったという記事を目にしたことがあります。それ以来、日本人は、今にして思えば、発ガン物質まみれの「味の素」を長期間食べてきたわけです。昔のことだから、仕方がないとも思いますが、株式会社「味の素」がそのこと(発ガン物質を日本国民に食べさせてきた事)を反省しているのなら、救いだが、その様な反省は無いどころか、いまだに先端科学技術の利用に邁進しています。なぜ、そうなのか、答は簡単です。その道に大きな利益がころがっているからです。しょうゆをちゃんとした大豆で作っていれば、価格は高く競争力は弱いです。しょうゆを水で薄めて、味付けに安いアミノ酸を入れれば利益は莫大です。味付けの研究、添加物の研究さえすれば、消費者好みの味は、作れます。この様なメーカーが日本の食の工業化を押し進めてきたのです。又、それを後押しする学者が「許容基準」などの概念を作って、支えてきたのです。昔ながらの作り方のしょうゆに危険性はないとは言い切れませんが、この種の危険性は無いと言えるのです。「食の安全・安心」は、「工業化された食品」には、無いのです。
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最後にこのたんぱく加水分解物の作り方を紹介しよう
・植物性のたんぱく加水分解物
 大豆、トウモロコシなどの油をしぼったあとのカスを高圧をかけた塩酸で分解する
 または酵素で分解
もちろん原料の大豆、トウモロコシはほぼ100%遺伝子組み換え
・動物性のたんぱく加水分解物
 上と同様の処理だが、原材料がすごい
 屠畜の際に出た血液、毛、骨、皮、じん帯・・もちろん牛だけでなく豚や鶏
 他の鳥類・・
 つまり、鳥の羽もOK!
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もうひとつ参考になるサイトを紹介する
↓クリック
たんぱく加水分解物(添加物)は牛由来?
「たんぱく加水分解物」の、この「たんぱく」ってなんだと思いますか?加工品などによく使われていて、増量目的などに利用されている。たんぱく加水分解物は日本でどのようなものを使用しているのかハッキリとは不明だが、イギリスの本にこんなことが書かれてあった。たんぱく加水分解物を作る際、鶏よりも牛の方が安上がりで、オランダでは昔も今(2005年時点)も牛由来を使っている。イギリスでは特に消費量の多い鶏の胸肉へたんぱく加水分解物を注入し、有名ブランド肉として売られている。イギリスの鶏肉の原産地はタイやブラジル。タイなどの肉がオランダへ渡り手を加えられ、イギリスの工場へ。そしてイギリス産として通っている。実際、イギリスの鶏の胸肉を調べると、豚や牛の成分が検出されている。そして豚や牛が注入された鶏肉をイスラム教やヒンズー教の人達も食す・・・これは、紛れようもない詐欺なのに、詐欺をしても捕まらないのが食品業者の特権みたいですね。このイギリスの工場では、追跡可能システムを取り入れているが、追跡してもウソの情報にしか行き着かないそうだ。これは、日本でもそんなことは十分考えられる。現在ヨーロッパで、たんぱく加水分解物を牛で作っているなら日本も牛の可能性がないとは言えない。そして、恐ろしい新たな詐欺の手口が開発されている。オランダの添加物業者が、たんぱく加水分解物の原料に牛を使用しても牛のDNAを破壊することに成功したそうだ。ビデオに、その手口を誇らしげに発表しているオランダ人の姿が保存されているそうです。この手の関係者達は、BSEが広がることや、それを減らしていくことはまったく頭にないらしい。この先、人類は動物のように10年、20年の寿命が当たり前になるかもしれないですね。食料もいずれ底をつく。それなのに米や大豆までもが燃料化。裕福層だけが生き残れる仕組みをちゃくちゃくと準備しているかのよう。今現在もそれと同じ仕組みで飢餓で苦しんでいる人が沢山いる。私達日本の庶民もそのうち今の飢餓で苦しんでいる人達と同じ仕組みで飢える未来があるかもしれないですね。
※この書籍には、加水分解たんぱく質とは、年老いた動物や、皮、骨、靭帯、羽毛など食用にならない部位から高温で、あるいわ化学加水分解で抽出したたんぱく質だと書かれている。日本では「たんぱく加水分解物」と書くのが一般。この書籍では「加水分解たんぱく質」と書かれているので、まったくの別物かもしれないが、私は同じ物質だとみたので、同一のものとして書いている。※タイトルに、たんぱく加水分解物(添加物)と書いたが、正しくはたんぱく加水分解物は添加物に入らず「食品」として許されている。たんぱく加水分解物で作られた
「安くて旨くて手間いらずの加工食品」おぞましい・・
https://blog.goo.ne.jp/1shig/e/cf702757cb6d6315998c72e6c43b5c89

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 ┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 2015(平成27)年08月23日(日) 寝台特急「北斗星」が運行終了、ブルトレ全廃 ⇒ 1988(昭和63)年03月から上野ー札幌間で運行されていた寝台特急「北斗星」の最終列車が、上野駅に到着した(写真)。寝台特急は「ブルートレイン」の愛称で親しまれ、元祖は1958年に客車が新調された「あさかぜ」。全盛期に全国各地を走っていたブルトレは、「北斗星」の廃止で全て姿を消した【時事通信社】
 1975(昭和50)年08月23日(土) 日本最長の恵那山トンネル開通
 1988(昭和63)年08月23日(火) 不公正貿易国への報復措置を規定したスーパー301条を含む米包括通商法が成立
 https://www.jiji.com/jc/daily
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 ┃ 王貞治 ホームラン(本塁打)記録 ┃
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‡1977(昭和52)年08月23日(火) 750号 広島東洋カープ19回戦 広島市民球場 3回表 池谷公二郎 右越ソロ NPB初 
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/王貞治
 https://www.uta-net.com/song/2025
 https://www.uta-net.com/song/78844
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 ┃ 王貞治756号本塁打40周年記念企画 ┃写真=BBM
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【王貞治756号本塁打(06)】ふたたびエンジン点火!
‡1977(昭和52)年08月23日(火) 750号 vs広島
‡2017(平成29)年08月23日(水) 17:05 1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを当時、王がホームランを打った日に合わせながら、写真とともに振り返る。 
◎11日ぶりのシーズン34号
 写真◆750の大台に乗ったホームラン記録。取材攻勢も日に日にすさまじいものとなっていく
 8月12日、大洋戦(後楽園)で749号を放ってから雨による試合中止もあって、ストップしていた世界記録へのカウントダウン。ふたたび動き始めたのが、8月23日、広島戦(広島市民)。3連戦の初戦だった。 
 広島に向かう前、「この3連戦で1本出ればいいよ」と話していた王だが、3回、先頭打者で打席に立つと、広島・池谷公二郎が3ボール1ストライクから投じた真ん中低めのカーブを右翼スタンド中段に放り込む750号のメモリアルアーチを放った。11日ぶりのシーズン34号でもある。 
「いつもは、ゴロになる球だった。調子がいい証拠かな」と試合後の王。騒動は、過熱する一方だが、「声援はありがたくいただくが、自分まで過熱したら身動きが取れないよ」と笑っていた。 
 打たれた池谷は、「750号目なんてまったく知らなかった。その前にカーブを投げたときタイミングが合っていなかったので、カーブで勝負した。そうと知っていたらストレートで勝負すればよかったかな」と話している。 
 試合は巨人が4対3で勝利。先発の加藤初は、これが311日ぶりの勝利。前年15勝4敗8セーブで優勝に貢献した右腕だが、この年は肋膜炎で前半戦を棒に振り、一度は引退も覚悟したという。その苦しみを知るだけに、「きょうは加藤の勝利がすべて」と語る長嶋茂雄監督の目は真っ赤になっていた。 
 一方、張り切り出したのが巨人の助っ人、リンドとライト。理由はアメリカのマスコミが王の記録達成に向け、大挙来日してきたからだ。「アメリカで、あいつはベンチにいて試合に出ていないなんて記事を書かれたくない」というのが本音だったらしい。<次回に続く>
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170823-17
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1990(平成二)年08月23日(木) 野村監督のボヤキ・パワーで池山がサイクルヒット
‡2018(平成30)年08月23日(水) 8:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月23日だ。 
 写真◆同年、池山はプロ入り初の打率3割到達(.303)
「1年目は種をまき、2年目は水をやり、3年目に花を咲かせる」 
 名将・野村克也氏のヤクルト監督時代の言葉だ。 
 就任は1990年。87年からの関根潤三監督時代、自主性尊重の指導で池山隆寛、広沢克己の“イケトラ・コンビ”らが躍動し、人気は急上昇中ながら、いかんせん弱かった。 
 野村監督は就任後の春季キャンプからミーティング漬けにし、まずは選手の“教育”に時間を割き、シーズンに入ると、もう1つの武器、マスコミを通じた“ボヤキ攻撃”を開始した。 
 その一番のターゲットとなったのが、前年34本塁打ながらリーグ最多141三振を喫していた池山。“しょうゆ顏”と言われ、若い女性ファン人気がダントツの男だった。野村監督には、その荒っぽさが、ある意味、才能のムダに見えた。 
 1990年8月23日は、池山がサイクルヒットをマークした日だ。 
 チームは5位と開幕から低迷し、7連敗を喫していた中で迎えた神宮での中日戦だ。 
 池山は、第1打席、川畑泰博から先制の24号バックスクリーン弾、次も川畑から二塁内野安打、続く第3打席は山内和宏から右翼線二塁打、とどめの第4打席は鹿島忠から風にも助けられ、右翼手がバンザイしての右越え三塁打で、自身初のサイクルヒットを達成した。 
「サイクルなんて全然知らんかった。ベンチに戻ってきて教えてもらって分かったくらい」とは試合後の池山だが、この日は試合前から目の色が違っていた。 
 前夜、1本塁打を含む3安打をマークしながら、平凡な遊ゴロを一塁に悪送球し、逆転負けのきっかけを作ってしまった。右肩痛を隠しての出場もあったが、それは言い訳にできない。試合後は、あえて明るい顔で記者団に向かった。 
 しかし、朝、新聞を見ると、野村監督の「エラーをしても平気な顔。ヒット3本打ったと言って大はしゃぎしとる。チームリーダーとしてなっとらん」のコメントを見た。 
 それで「メチャ気合入った」と池山。野村監督もこの日は、「池山の一発が効いたな」とニヤリとしながら語っていた。 
 ヤクルトはこの年5位ながら、翌年3位、そして野村監督の言葉どおり3年目の92年にリーグ優勝を果たす。池山は広沢、古田敦也らとともに、その中心メンバーとなった。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2002(平成14)年08月23日(金) 代打で珍しいホームランが……
‡2019(令和元)年08月23日(金) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2002年8月23日だ。 
 写真◆快足を飛ばして一気にホームを突いた井出
 日本ハムの井出竜也が珍しいホームランを打った。この日、大阪ドームで行われた近鉄戦は5回まで両チーム無得点の静かな展開。均衡を破ったのは日本ハムで6回表一死後、オバンドーが左前打を放った。 
 続く田中幸雄は左飛に倒れたが、ここで代打・井出が好投のパウエルから右前打。これを右翼・鷹野史寿が後ろへそらしてしまったので、快足の井出は二塁、三塁を回って一気にホームを陥れてしまった。 
 11年ぶりと、まことに珍しい代打ランニング本塁打。「こんな経験は初めて」と井出。しかし、試合は2対3で日本ハムは負けてしまった。 
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170823-12
 ②https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190823-10
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 ┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.378 ┃  60円
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‡1965(昭和40)年08月23日(月)増大号 スペンサー対野村克也
 2019(平成31)年01月16日(水) 10:33 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、平日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎殺人スライディングの波紋
 写真◆表紙は左から巨人・王貞治、南海・野村克也
 今回は『1965年8月23日増大号』。定価は60円だ。 
「にんにく対まむし、異常な敵がい心」 
 派手なタイトルは南海・野村克也(にんにく)と阪急・スペンサー(まむし)のホームラン王争いだ。 
 最初に書いておくが、なぜ野村がにんにくで、スペンサーがまむしかの言及はない。 
 8月6日現在、スペンサーが29本塁打、野村が24本塁打で、野村の5年連続ホームラン王に黄色信号が灯っていた。 
 この年、スペンサーと野村が仲良く並ぶ写真が小社にも何枚かある。 
 実はオールスター第1戦の際、カメラマンが2人に依頼したものだった。スペンサーに頼んだ際の返事は、 
「いくらくれるんだ」 
 だった。結局5000円を渡したらしいが、当時、時間をそれなりに割いての取材はともかくオールスターでの写真撮影で謝礼を求めるとは異例中の異例。記者たちも大ブーイングだった。 
 しかもスペンサーに対する反感が南海以外のチームにも広がっていた。これはスペンサーの危険スライディングによるものが大きい。 
 遊撃手・小池兼司の胸のあたりにスパイクが向けられた際、南海・鶴岡一人監督が「あんな殺人的なプレーが許されていいのだろうか」と吐き捨てたが、南海以外でもスペンサーのラフプレーに怒りを感じているチームは多い。 
 スペンサー自身は「大リーグでは普通のこと。プレーヤー同士ケガをさせるようなことはしていない。ケンカではないんだからスパイクを向けることはしない。ヒザを曲げてももから体当たりをしている」と言い、ケガをさせた選手に謝罪したことで自身に悪意がないことを強調したが、その謝罪した相手がブルーム。正直、納得はしづらい。 
 では、またあした。<次回に続く>
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.721 ┃ 100円
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‡1971(昭和46)年08月23日(月)号 べらんめえ監督、ロッテ・大沢語録
 2020(令和二)年06月02日(火) 10:34 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎阪急を猛追しゲーム差なしに
 写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
 今回は『1971年8月23日号』。定価は100円。 
 前回紹介した二代目親分、ロッテ・大沢啓二監督だが、その契約が話題になっていた。なんと5年契約だったのだ。 
 8月3日の会見で発表されたもので、年俸は840万円だった。 
 中村長芳オーナーは「大沢君からロッテ王国を築きたい、という言葉があり、その言葉にほれ込んだ。これまでの監督の契約は2、3年というところだが、私はそれを破った」と話し、大沢監督もまた、
「オーナーの期待にそえるロッテ王国を築くために頑張る。そしてプロ野球として恥ずかしくないチームを育て上げたい。オリオンズに対する愛着は誰にも負けないつもりだ」と言った。会見後は大沢節がさく裂。 
「俺は5年契約しても、自分に自信がなくなったら、あしたにでもきっぱりやめる。俺も若いころは横浜の進駐軍に潜り込んで、闇屋からニコヨンまでやってきた男だぜ」 
 ニコヨンの意味は調べてほしい。平塚工高を中退したころの話だろうか。 
 当時、ヤクザに絡まれていた石原裕次郎を助けたという逸話もあった。 
 大沢語録が話題になっていたようなので、きょうはそれをいくつか紹介しておこう。 
 当時、ロッテは首位阪急を猛追していた。 
「俺は生まれたばかりのひよっこ監督よ。まだろくに毛も生えてないんだ。実際まだ一軍監督をしている気がしねえ。鈍感というか、ぼけてるというか、まるっきり責任感を感じないんだからな」 
 7月25日、東映3連戦にいずれも逆転勝ちし、首位阪急に6ゲームとしたとき。 
「歌の文句じゃねえが勝つと思うな、思えば負けよ。だから俺は今度阪急に4連勝するとは言わねえ。あくまでお客さんにいいプレーを見せたい。それが俺たちの本当の務めじゃねえのか。それで試合が終わって勝っていたら一番いい」 
 7月29日、阪急に4ゲーム差とし、西宮で4連戦を迎える。 
「絶対勝たねばという西本(幸雄)さんの談話を新聞で読んだとき、こっちのほうが有利だと思ったよ。戦う前から四分六分でうちは勝っていたんだな」 
「西本野球? そりゃ先輩のやることは皆いいことだ。まあ勝ててよかったな。おめでとう。いけねえ、てめえで言ってやがらあ(笑)」 
 7月30日、敵地での初戦に勝利し、3ゲーム差に。 
「俺という男はだがな、試合になるとメシはたとえ米一粒でも食わんことにしておる。第一そんな暇はねえ。メシを食うと勘も鈍っちゃうからな」 
 31日、ダブルヘッダーに連勝。差は1ゲームに。 
「阪急に4連勝して、なんか気持ちが悪いみたいだ。監督が代わったからと言って、勘がいいとか采配がいいなんてことはねえよ。選手が勝手にやってくれてるだけさ。野球は人間同士の戦いだからファイトあるほうが勝つだけさ」 
 1日も7対6で勝利し、ついにゲーム差なしの2位。9日間で8ゲームを縮めたことになる。 
 では、またあした。<次回に続く>
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‡1971(昭和46)年08月23日(月)号 阪神・村山実、江夏豊の微妙な関係
 2020(令和二)年06月03日(水) 10:14 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎張本勲は巨人へ?
 写真◆江夏はこの年、15勝14敗
 今回は『1971年8月23日号』。定価は100円。 
 同じ号からもう1回。 
 まず、阪神・村山実兼任監督と江夏豊の不仲についてだ。 
 7月30日から甲子園での対巨人3連戦。阪神はこの時点で最下位だったが、さすが伝統のカード。球場には3戦とも大観衆が集まった。 
 しかし30日の試合の前、担当記者が「おらんぞ。何かあったんか」と騒ぎだした。練習が始まっているのに江夏の姿がなかったのだ。 
 実は虫歯が悪化し、骨膜炎になったらしい。合宿所の部屋をのぞいた村山監督は「おばけみたいに顔が腫れていた」と驚いていた。 
 あの9連続奪三振の球宴の後、7月27日の大洋戦(川崎)で完封勝利を挙げていたが、その際も「歯が痛い」と訴えていた。 
 しかし、結果的には江夏不在のまま阪神は3連勝。上機嫌だった村山だが、記者たちに「江夏がおらんでも勝てましたね」と言われたとき、何とも言えぬ嫌な顔をした。 
 記者たちの底意地の悪さを感じたのだろう。 
 関西マスコミは、阪神の御家騒動が“大好物”だったからだ。 
 確かに当時の江夏、村山の関係はかなり微妙だったが、これは過去のバチバチにぶつかり合う御家騒動と違い、江夏の反抗期みたいなところが根本にあった。 
 前年の70年に兼任監督となったときから村山は「これからは江夏がエース」と言い、勝ちゲームの後では「エースの自覚を持って投げてくれた」といつも大絶賛だった。 
 ただ、江夏のほうは、たとえば打たれて交代の時期、村山自らマウンドに向かっても、村山が来る前にさっさとマウンドを降りてしまったり、以前も書いたようにオールスターの9連続三振の後も、なぜか村山と握手しなかったりと、微妙な態度を見せていた。 
 記者たちにも「監督が行け言うたら、毎日でも投げます」と言いながら、陰では「雨でも降らんことには休まれんからつらい」とこぼしたりした。 
 これは村山が憎いというより、良かれと思って、いろいろ干渉してくる村山に対し、「エースを任せてくれたんなら、信頼してください。あれやこれや言わんでも分かるから」ということだったのだろう。弟が兄、子が父をうるさがるような心境だったのではないかと思う。 
 さらに言えば、村山もエース時代は同じように、お山の大将。好きなようにやっていた。 
 東映では張本勲と田宮謙次郎監督の関係がきな臭くなってきた。チームが5位に低迷する中、田宮が張本の無気力に見える守備への批判をし出し、張本は張本で、口を開けたら「チームプレー」の田宮監督にあきれ、「それ以前の問題があるだろ」と話していた、 
 こちらは巨人移籍がウワサされていた。では、またあした。<次回に続く>
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‡1971(昭和46)年08月23日(月)号 大洋がショック療法で急上昇も別当薫監督は不機嫌に
 2020(令和二)年06月04日(木) 10:14 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎阪神・高山が蒸発
 写真◆ホームランを打った松原を出迎えるワーハス
 今回は『1971年8月23日号』。定価は100円。同じ号から3回目。大洋はバタバタしてきた。序盤は2位にも立ったが、5月末から急失速で最下位に。それが球宴明けは課題の打線が活性化し、徐々に勝ち始めた……。 
 と、チーム状態はよくなり始めたのだが、別当薫監督の顔が渋い。 
 実は、自分に相談なく宮崎剛がヘッドコーチに返り咲くなどコーチ陣がいじられたことに加え、青田昇が球宴ブレーク中の臨時コーチに就くなど、中部オーナーが勝手なことをしていたからだ。 
 中部オーナーは「ワーハスが来年も使ってほしいと泣き込んできたんだ。そこに青田君がいたので一度見てもらったらと進めたのだ」と説明する。 
 期待されて入り、開幕戦は四番も打ったワーハスだったが、以後、まったく打てなくなった。 
 青田の指導は2回。1回目はワーハスを、金光秀憲コーチを追い払ってアドバイス。 
 2回目はチームの全体練習の前にワーハスだけではなく、松原誠、長田幸雄、近藤和彦ら主力選手をこっそり指導し、かん口令まで敷く徹底ぶり。ただ、それでも球界は不思議と情報がもれる。 
 別当は、これを聞き、激怒した。 
「優秀なコーチに見てもらうことはいい。が、責任者の僕が立ち合い、相談し、議論しながらやってほしかった」 
 新聞では「次期監督に青田氏が濃厚。別当監督は休養か」とも書かれた。 
 結果的にこの後、打線が急上昇。中部オーナーも上機嫌で8月2日の激励会では、まだ最下位ながら、 
「Aクラスだなんて言わないで、優勝だよ。優勝するには、まだ8敗もできるんだ」 
 と言った。残り50試合近くあり、首位巨人には10ゲーム以上の差、あと8敗で自力優勝がなくなる展開だったようだが、さすがポジティブ。 
 実際、翌日からの巨人戦が3連勝。14日には巨人が独走で2位以下が混沌状態とはいえ、2位に浮上したのだからすごい。中部オーナーは 
「青田効果? いやショック療法だよ」 と言っていたが、別当監督の顔は曇る一方だった。ウエーバー会議(二軍選手に対するドラフトのようなもの)でヤクルトから移籍してきた阪神・高山忠克が8月4日、コミッショナーから無期限失格選手となった。 
 高山は7月14日に寮から“蒸発”。ギャンブル好きで有名だった。この件はまた次回で。では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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①┃ Jackie Robinson ジャッキー・ロビンソン ┃
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 1919(大正八)年01月31日(fri) Born
‡1945(昭和20)年08月23日(thu) 契約金3,500ドル、月給600ドルの契約でドジャースの傘下のAAA級モントリオール・ロイヤルズへ入団。その時にリッキーは「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ」とロビンソンに言い、右の頬を殴った。ロビンソンは「頬はもう一つあります。ご存じですか」と答えたというヨ(=^◇^=)
 1972(昭和47)年10月24日(tue) Died (aged 53)
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②┃ 『42~世界を変えた男~』 ┃
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 2013(平成25)年04月12日(fri) US released
 2013(平成25)年04月15日(mon) US&カナダ公開3日で2730万ドル(約27億円)初登場1位、野球映画史上最高のオープニング記録達成
 2013(平成25)年11月01日(fri) JP released
 1945(昭和20)年08月28日(tue) 0:09:16 Brooklyn Dodgers契約試験
 1947(昭和22)年04月15日(tue) 1:03:00“EBBETS FIELD”Opening Day“エベッツ・フィールド”開幕戦
 amazon・・・4月15日。その日、大リーグではグラウンドにいる全員が背番号「42」をつける。どのチームの、どの選手も。敵も、味方も、関係なく。「42」――それは、大リーグで唯一の、全球団共通の永久欠番。その裏側に、鳥肌の立つようなドラマがあった。Rating G (C) 2013 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
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①https://en.wikipedia.org/wiki/Jackie_Robinson
②https://en.wikipedia.org/wiki/42_(film)
②https://www.amazon.co.jp/dp/B00JCUV2AG
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