過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)



 西日本の「物流大動脈」山陽線の特殊な事情 急曲線と急勾配で貨物大量輸送に不向き
 2018(平成30)年11月10日(土) 04:50 梅原淳:鉄道ジャーナリスト
 写真◆山陽線の八本松―瀬野間が急勾配のため前後の区間は貨物列車の最後尾に補助機関車を連結する(写真:T.Tsuchiya / PIXTA)
 「平成30年7月豪雨」によって不通区間が生じていたJR西日本山陽線は、
 2018(平成30)年09月30日(日)に広島県の三原駅と白市(しらいち)駅との間の30.6kmが復旧し、列車の運転が再開された。この結果、JR西日本が第一種鉄道事業を実施する山陽線は神戸―下関間528.1kmを通して列車の運転が可能となっている――。と思ったら、
 2018(平成30)年09月09日(日)に豪雨災害から復旧したばかりの山口県の柳井駅と下松(くだまつ)駅との間27.7kmが台風24号の影響で
 2018(平成30)年09月30日(日)から再度不通となり、約半月後の
‡2018(平成30)年10月13日(土)にようやく復旧を果たした。
■重要路線なのに課題が多い山陽線 ⇒ 山陽線には課題が多い。多数の旅客列車、貨物列車が運転され、人や物の流れのうえで極めて重要な路線である割に線路は大変お粗末で、高速での運転や大量輸送に向かない区間が多々存在するからだ。その傾向は三原―海田市(かいたいち)間65.0kmで顕著になる。高速での運転のためには、列車の速度に制限を課さないよう、できる限り曲線半径を緩くしたい。新幹線それも山陽新幹線以降開業のような半径4000m以上は在来線では無理ながら、JRの主要な幹線では半径600m以上というのが一応の基準値となっている。半径600mでの制限速度は、電車やディーゼル動車が用いられる高性能列車であれば時速90km、高性能列車以外の一般列車であれば時速85kmだ。振子車両であれば制限速度はさらに向上し、たとえば名古屋―長野間の特急「しなの」に投入されているJR東海の383系特急形直流電車であればこのカーブを時速120kmで通過できる。乗り心地や線路の保守の手間などは別として、最高速度が時速130kmの383系電車にとって半径600mの曲線はもはや直線並みと言ってよい。山陽線三原―海田市間の場合、本線上に存在する最小曲線半径は300mだ。数も多く、筆者の計測では22カ所に達するうえ、うち半数の11カ所は急勾配区間でもある八本松(はちほんまつ)―瀬野間10.6kmに集中している。半径300mの区間での制限速度は高性能列車で時速65km、一般列車で時速60kmにすぎない。先ほどの383系電車はさすがに時速90kmで走行可能だが、曲線区間での運転に関しては国内で最高の性能をもつ383系でさえ、最高速度の時速130kmとの速度差は時速40km分も生じてしまう。
 https://toyokeizai.net/articles/-/248156


 削除URL◆Mr.Children 1999年、夏、沖縄(字幕あり) http://youtu.be/FE_Jkm6oIe4
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 ┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 2010(平成22)年10月13日(水) チリの鉱山落盤事故で閉じ込められた33人全員が生還 ⇒ チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山で発生した落盤事故で閉じ込められた作業員33人全員が、発生から69日ぶりに奇跡の生還を果たした。深さ約700メートルの避難所から、特殊カプセルを使って1人ずつ救出された。写真は、最後に救出され、手を挙げて歓声に応える現場監督(中央)【EPA時事 ※2020(令和二)年記事追加
 2016(平成28)年10月13日(木) 米歌手のボブ・ディラン氏にノーベル文学賞 ⇒ ♪風に吹かれて♪などのヒット曲で知られる米シンガー・ソングライターのボブ・ディラン氏にノーベル文学賞が授与されることが決まった。半世紀にわたって創作してきた楽曲歌詞の文学性を評価されての栄誉となった。ミュージシャンのノーベル文学賞受賞は初めて。写真は1981年撮影【AFP時事】
 1955(昭和30)年10月13日(木) 左右両派に分裂していた日本社会党が再統一
 1994(平成六)年10月13日(木) 大江健三郎氏のノーベル文学賞受賞が決定 ※2020(令和二)年記事削除
 https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1990(平成二)年10月13日(土)“マサカリ投法”村田兆治、最後の登板
‡2017(平成29)年10月13日(金) 07時05分 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月13日だ。
◎最後は“完封”
 写真◆万感の思いを胸に仲間たちとファンへの感謝を語る村田
 球史には数多くの鉄人がいるが、この男は別格だ。鉄腕・村田兆治、67歳となってなお、130キロ台の速球を投げる文字どおり“スーパーマン”である。
 1990年10月13日は、ロッテ・村田兆治の引退試合である。
 若手時代から剛速球を武器に頭角を現し、誰もマネできない豪快なフォーム“マサカリ投法”、さらには“魔球フォーク”の習得により、超人化を進め、リーグを代表するエースとなっていく。
 ただ、本当の意味で村田の名が全国区となったのが、当時、投手にはタブーと言われたヒジの手術から奇跡のカムバックを遂げた84年終盤以降だ。
 1985(昭和60)年は毎週日曜の登板からスタートし、11連勝。不屈の闘志がファンの心を打ち、“サンデー兆治”の名は社会現象となった。同年17勝、200勝を達成した1989(平成元)年には、39歳にして最優秀防御率にも輝く。
 翌1990(平成二)年、川崎球場での「引退試合」も壮絶だった。決して顔見せ的な登板ではない。先発し、初回からストレートでグイグイ押し、強打の西武打線を封じ込める。予定の5回まで無失点に抑え、その後、雨でコールド。秋の長雨で引退試合の予定が伸びていたが、その雨が最後に“完封”をプレゼントしたことになる。
“男の美学”を貫く
 最後の試合もマサカリ投法で、全力で投げ抜いた
 これはシーズン10勝目でもあった。40歳以上での10勝は若林忠志(阪神時代)以来、史上2人目の快挙でもあった。
 試合後のセレモニーで、村田はマウンドに立てられたマイクの前に進み、まず深々と頭を下げた。
「私は今日をもってマウンドを降りることになりました。私の人生の喜びも悲しみも、すべてこのマウンドの上にありました。これまで投げ続けてこられたのも皆様のおかげです。心からお礼申し上げます。ありがとうございました」
 球場中に「ムラタ」コールが鳴り響いた。雨模様の中、マサカリ兆治のラスト登板のために集まった2万2000人の大合唱だった。
「自分のイメージする球が投げられなくなった。とにかくプロとして恥ずかしくない終わり方ができました。それができたことに悔いはないと思います」
 体を誰よりも鍛え、誰よりも酷使した村田。その苦労を見守ってきた夫人は、「これ以上、頑張れなんて言えません」と涙を見せた。
 投球数83球、その1球1球が村田の魂の叫びのようでもあった。
「人生先発完投」 座右の銘どおりの最終登板まで、村田は男の美学を貫きとおした。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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 1992(平成四)年9月11日(金) 阪神が優勝を逃したのは“幻の本塁打”が理由だったのか
 2017(平成29)年9月11日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月11日だ。
 写真◆歓喜の表情でサヨナラのホームを踏んだ八木(背番号3)だったが……
 低迷期の真っ只中だった1992(平成四)年、亀山努、新庄剛志、“カメシン・コンビ”と呼ばれた若虎2人の活躍もあって旋風を起こした阪神。例年苦戦する8月の死のロードを10勝6敗と10年ぶりに勝ち越すと、勝負の
 1992(平成四)年9月は、9日(水)から引き分けをはさむ6年ぶりの7連勝で、
 1992(平成四)年9月13日(日)には首位に。1985(昭和60)年以来の優勝に向け、一気に加速した。
 そして、この7連勝の間の引き分けが、
 1992(平成四)年09月11日(金)のヤクルト戦(甲子園)だった。あまりの悔しさからか、この引き分けで優勝を逃したかのように記憶している阪神ファンもいるようだが、実際には22日からのロード13試合で3勝10敗の負け越しが響いた。さらに言えば、最後の2試合、
 1992(平成四)年10月10日(土)、甲子園に戻っての首位・ヤクルトとの2連戦に連勝すれば、まだプレーオフの可能性もあったのだが、初戦に敗れ、目の前でヤクルト・野村克也監督の胴上げを見る屈辱を味わうことになる。では、
 1992(平成四)年10月11日(日)、“幻の本塁打”として語り継がれる一戦を簡単に振り返る。
 3対3で迎えた9回裏二死一塁だった。阪神の八木裕がフルカウントから左翼方向へ大飛球を放ち、スタンドイン。阪神のサヨナラ勝ちだ。八木はバンザイしてホームイン。阪神ナインが八木を囲み、お祭り騒ぎとなった。
 しかし、ここでヤクルトの野村監督が猛抗議、37分の中断。「フェンスのラバー上部に当たってのスタンドインであり、エンタイトル二塁打」と判定が覆る。今度は中村勝広監督が怒って猛抗議した。
 提訴試合を条件に試合を再開したが、そのまま互いに得点はできず、日付が変わった
 翌1992(平成四)年10月12日(月)の午前0時26分、延長15回3対3のまま引き分けとなった。試合時間は史上最長の6時間26分となった。
 ただ、この引き分けが響いて優勝を逃したわけではなく、前述のように、その後も連勝を続け、
‡1992(平成四)年10月13日(火)に首位となった。のちの当時の選手のインタビュー記事を読んでも、この一戦がどうこうというより、中村監督がロードの前に「大きな土産を持って帰ります」と発言したのをきっかけに、監督も選手も優勝を意識してガチガチになってしまったのが、最大の原因になったようだ。
 もちろん、この試合をサヨナラで勝てば、さらに勢いに乗り、また違った状況になった可能性もないわけではないが……。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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 1974(昭和49)年10月14日(月) 長嶋茂雄、引退。涙の後楽園
 2017(平成29)年10月14日(土) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月14日だ。
 1974(昭和49)年10月14日(月)、月曜日の話をしよう。
◎マスコミへのかん口令
 写真◆伝説となった引退あいさつ
 東京地方は雨が降り続いた前日とは打って変わり、秋晴れとなった。
 この年、開幕戦で5年連続の本塁打を放った巨人・長嶋茂雄だったが、4月末には打率が3割を切って、以後は不振にあえぐ。58年の入団以来、チームを、球界を引っ張ってきたスーパースターにも“現役ラストイニング”が確実に迫っていた。
 引退の意思を川上哲治監督に伝えたのが、オールスター終了後だった。その後、球団にも伝え、当初球団は発表を
 1974(昭和49)年11月24日(日)「11月24日のファン感謝デー」に決めていたというが、長嶋自身が「ファンに直接感謝の言葉を捧げたい。優勝できない場合は最終戦終了直後に」と希望した。当時、チームは3位。永遠に続くかに思えたV9の終焉を長嶋は予感していたのかもしれない。
 その後、巨人の広報担当部長・小野陽章氏は、新聞各紙の運動記者部長を集め、かん口令を敷いた。憶測による抜け駆けは、大選手の晩節を汚しかねないと思ったからだ。
 1974(昭和49)年10月12日(土)、中日が2試合を残し優勝決定。巨人はその日、神宮球場でのヤクルト戦の後、「川上監督勇退、長嶋現役引退」の記者会見を行った。
‡1974(昭和49)年10月13日(日) 翌日、後楽園での中日ダブルヘッダーが最終戦となり、長嶋の引退試合となるはずだったが、雨で14日に延期となる。
 小野氏は13日夜、祈るような思いで空を見上げたという。
◎一瞬の静寂
 1974(昭和49)年10月14日(月)、第1試合の開始は正午。中日は名古屋で優勝パレードを行い、主力選手は不在だった。
 長嶋は「三番・サード」で出場。第2打席で通算444号本塁打を放つと、さらにヒット2本を加え、生涯通算186回目の猛打賞、試合は7対4で巨人の勝利となった。試合後、両軍選手はベンチに引き揚げ、グラウンドは無人となる。
 突然、長嶋が飛び出した。これはシナリオにはないものだった。
 警備の問題から「自重してほしい」と言われた長嶋だが、「(予定されていた)セレモニーでは外野に近づくことができない。俺はファンにあいさつしたいんです」と聞かなかったという。
 一塁側からライトへと大歓声に応えながらゆっくり歩く。スタンドから「ナガシマ!」の大歓声、言葉にならぬ涙声と叫びが飛び交い、異様な雰囲気となる。
 笑顔だった長嶋の足が止まる。ポケットから出したタオルで顔を覆い、泣き始めた。どよめきの後、静寂が訪れ、みな長嶋とともに泣いた。
◎伝説のあいさつ
 第2試合、午後2時41分開始。今度は「四番・サード」だ。第3打席がセンター前ヒット。通算2471本目にして最後になる。第5打席は併殺打。それでも勢いを緩めず、一塁ベースを駆け抜けた。
 試合終了は午後4時57分。すでに夕闇が後楽園球場を包み、長嶋があいさつのために向かうころには真っ暗になっていた。
 周囲のライトが消され、一条のライトが鮮やかに背番号3・長嶋茂雄の姿を浮かび上がらせる。スコアボードのビジョンには「ミスターG 栄光の背番号3」の文字が光った。
「私は今日ここに引退しますが、わが巨人軍は永久に不滅です!」
 甲高い声をさらに張り上げたとき、再び後楽園球場、そしてテレビ中継で見守った全国の野球ファンが涙を流した。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/baseballonline/sports/baseballonline-097-20171013-13
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170911-14
 ③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171014-11
 ③https://www.uta-net.com/song/44469 https://www.uta-net.com/song/51514
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 ┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.601 ┃  70円
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‡1969(昭和44)年10月13日(月)号 史上初、予告表紙「来週は太田幸司」です
 2019(令和元)年12月02日(月) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎永淵は史上もっともイケイケの打者?
 写真◆表紙は阪急・長池徳二。初出修正
 今回は『1969年10月13日号』。定価は70円。
 セでは巨人の5連覇が見えてきたが、パは阪急、近鉄がデッドヒート。巻頭記事で特集していたが、雰囲気的には近鉄が初優勝し、巨人・川上哲治監督、近鉄・三原脩監督の対決が見たい、というほうに寄っているようだ。
「やっと猛牛になった」
 と元監督・千葉茂(解説者)が言うイケイケ近鉄打線の象徴が、2年目の永淵洋三だ。小柄ながら首位打者目前の強打者。
 三原監督も
「私は大下(弘)、青田(昇)とか心臓に毛のはえたような度胸のある選手を今までも使ってきましたが、永淵ほど強気の選手はいなかった。大下でも青田でも不調のときは自分を守ろうとするのか、消極的なバッティングをしたものです。しかし永淵はそういうことをしない。いつも強気で向かっていく」
 昔の名選手を引き合いに出し、今の選手を称賛(逆に批判)するのは三原の常套策ではあるが、それを差し引いても大絶賛と言えるだろう。
 永淵は東芝時代、西鉄の入団テストを落ちてから酒の味を覚え、大酒のみに。結果、月給2万5000円ながら、飲み屋への借金が30万円あったという豪傑だ。
 1年目は投手との二刀流。この年から打者専門となった。
 バルボンの「チコのニッポン日記」は軽快に進む。
 もともと外角が得意だったバルボンは、投手の「打者は外角が苦手」という先入観でずいぶん助かったらしいが、内角が苦手とばれてからは、徹底した内角攻めにかなり苦労したらしい。特に稲尾和久(西鉄)、杉浦忠(南海)の内角球には苦しんだ。
 バルボンは一度、杉浦に「どないしたら、そんなに狙ったところに投げられるようになるんや」と聞いたらしい。杉浦はこう答えたという。
「チコの顔を見たら、勝手にボールがそこにいってしまうんや。ワシのせいやないで、堪忍してや」
 バルボンを通すと、みんな河内弁になる。
 バルボンはまた、杉浦をはじめ、日本の投手が練習から投げすぎや、とも言っている。
「人間の肩なんてパチンコと一緒や。打ち止めがある。早く出れば、それだけ早く終わってしまう」
 グラビア記事は三沢高の太田幸司。ブラジル遠征から戻った羽田空港の大混乱や、甲子園準優勝を祝した三沢でのパレードなどを報じている。その隅にこうあった。
 来週も太田を特集します、表紙も太田です。
「予告表紙」はたぶん最初で最後だ。
 一方で、あれこれ太田家のプライベートをほじくり返すような記事もあった。有名になるのも大変だ。
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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 https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20191201-01
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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