過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)

 

 削除動画◆美女の国!ベトナムでやりたい放題!男の天国?しかし... http://youtu.be/sMjbC98bipk
‡1966(昭和41)年02月12日(土) タイヴァンの虐殺 開始
 1966(昭和41)年03月17日(木) タイヴァンの虐殺 終了
 1966(昭和41)年02月26日(土) ゴダイの虐殺 (4:04)
 1968(昭和43)年02月25日(日) ハミの虐殺
‡1968(昭和43)年02月12日(月) フォンニィ・フォンニャットの虐殺
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 ┃ ボンカレー ┃
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‡1968(昭和43)年02月12日(月) 大塚食品工業[注釈 1]より世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売
‡2009(平成21)年02月12日(木) 箱ごと電子レンジで温めるボンカレーネオを発売
 2009(平成21)年02月11日(水) 関根勤&ゴスペラーズ:黒沢薫を呼んで『ボンカレーネオ誕生祭』
 2009(平成21)年09月08日(火)『ボンカレースマイルプロジェクト』スタート 関根勤がCBO(Chief Boncurry Officer―最高ボンカレー責任者
 2010(平成22)年03月XX日(X)まで半年にわたり展開
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC
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 あなたは「19世紀のセックス」をどれだけ知っているだろうか?
 例題:ベッドに入る前、生殖器を冷水で洗わなければならない? 
‡2018(平成30)年02月12日(月) 17:01
 https://www.buzzfeed.com/jp/sallytamarkin/bathe-ur-genitals-people-1

 石原慎太郎『河野というバカが従軍慰安婦を捏造させた』その通り!! 
‡2014(平成26)年02月12日(水) http://youtu.be/Vhw38RSzAWc
 自民党は証人喚問を了承してケジメをつけなさい!!衆議院予算委員会 日本維新の会・石原慎太郎
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 ┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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‡2019(平成31)年02月12日(火) 競泳の池江選手が白血病を公表 ⇒ 競泳女子の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを明らかにした。長水路で個人5種目の日本記録を保持。18年のアジア大会では6個の金メダルを獲得して最優秀選手に輝き、20年東京五輪での大活躍が期待されていた【時事通信社】※2020(令和二)年記事追加
‡2013(平成25)年02月12日(火) グアム島で無差別殺傷事件が発生、日本人3人が死亡 ⇒ 米グアム島の繁華街タモン地区で午後10時20分ごろ、地元に住む男の車が暴走して通行人をはね、商店の壁に激突した。男はその後、周囲にいた人々を刃物で無差別に襲撃、3人の日本人が死亡したほか、10人以上が負傷した。※2020(令和二)年説明削除
 2013(平成25)年02月14日(木) 写真は事件現場で手を合わせる観光客ら【時事通信社】
‡1984(昭和59)年02月12日(日) 植村直己さんが初のマッキンリー冬季単独登頂。その後、消息絶つ
‡1997(平成九)年02月12日(水) 北朝鮮・金正日総書記の側近が韓国に亡命 ※2021(令和三)年削除
 https://www.jiji.com/jc/daily
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 ┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2000(平成12)年02月12日(土) 長嶋茂雄監督の背番号3の初披露
‡2018(平成30)年02月12日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は2月12日だ。 
 写真◆ユニフォーム披露の瞬間、大きな拍手が起こった
 2月10日、ジャイアンツ-ホークスのOB戦の集合写真で1人、グラウンドコートを着ていたのが、長嶋茂雄終身名誉監督だった。おそらくだが、長嶋氏は自身が試合に出られるならコートを脱いでいたはずだ。栄光の背番号3、誰よりもこだわり続けたのが、長嶋茂雄氏自身だったから……。 
 長嶋監督2期目、同じ宮崎での2000年巨人春季キャンプを思い出す。この年、長嶋監督は広島からFAで加入した江藤智に背番号「33」を譲り、自らの永久欠番「3」を着けた。キャンプ初日からのマスコミの注目は、いつグラウンドコートを脱ぎ、背番号3を披露するか、だった。 
 2月12日、ついにその瞬間がやってきた。 
 午後1時30分過ぎ、宮崎市営A球場に報道陣とファンが続々集まる。特に公式発表はなかったが、みんな、これから何が起きるか分かっていた。 
 2時15分、原辰徳、篠塚和典らコーチ陣と江藤が姿を現し、15分後、監督専用の白い車から長嶋監督が降り立ち、一斉にシャッター音が響き渡る。 
 そして5分後、長嶋監督がバッティンググラブを手にし、一気にグラウンドコートを脱ぎ捨てる。伝説の引退式から9252日、あの栄光の背番号3が久々に陽光を浴びた。一斉に拍手が沸き起こる。 
 驚きはその後にやってきた。単なるセレモニーかと思ったノックの打球が鋭いのだ。 
「どうした江藤、俺は死んだ球は打たんぞ!」 
 64歳の誕生日を目前にしていた長嶋監督がほえる。1球1球、ゲキを飛ばし、三塁線の際どいコースに打球を打ち込み、江藤が泥だらけになる。 
 過去、移籍組の落合博満、清原和博にもノックの洗礼を浴びせた長嶋監督。「ノックは最高のコミュニケーションになるんですよ」と言っていたが、確かに41分、223本のノックに1本足りとも無駄球はなかった。 
「本当は初日で脱ごうと思ったんですが、いつの間にか脱ぎづらい雰囲気になって(笑)。ただ、私自身は3というものにそんな意識はありません。3から90、33、3と再び新人時代のバックナンバーに戻っただけですから」 
 ウソに決まっている。5日間にわたり、エアドームでノックの練習をしてきた。見られることで輝くスーパースターの中のスーパースター。巨人の背番号3は、間違いなく、長嶋監督の勝負服だ。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180212-11
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓最後の30円
①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.202 ┃  30円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1962(昭和37)年2月12日(月)号 12球団緊急情報
 2018(平成30)年5月18日(金) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎復活に燃える小山正明
 写真◆表紙は左から巨人・藤田元司、堀本律雄
 今回は『1962年2月12日号』。定価は30円だ。12球団のキャンプが各地で始まり、キャンプ情報が満載の1冊となっている。 
 阪神では、小山正明が復活に燃えている。3年連続20勝以上だったのが、61年はまさかの11勝22敗に終わった。球速も落ち、限界説がささやかれていたが、投手育成の名人と言われる藤本定義監督は「原因は35年(60年)の登板過多だ。昨年は考えながら使ったから大丈夫。今年は調子が上がる年だよ」と語っている。確かに60年は362イニングだったが、61年は291イニング3分の1。藤本監督は60年はコーチでスタートし、途中から監督になった。 
 少し後日談になる。藤本監督は「30勝投手を出すのは監督の恥」と語り、投手ローテーションを確立させた人物と言われる。62年は小山と村山実に関しては、1年間のローテをほぼ決め、本人たちに伝えていたという伝説がある。 
 ただ、何年か前、それを小山に尋ねると、「そんなわけあるかい」と一言で否定された。 
 このあたり難しいのだが、62年の小山は352回3分の2と投げまくっている。47試合で先発40と先発投手はあくまで先発で使おうという意図は感じられるが、小山にしたら藤本監督が投手を酷使しなかったという論調には、ひっかかりがあるのだろう。翌年14勝14敗で、オフに移籍となるのだからなおさらだ。 
 南海では、右腕の動脈閉そくの手術を受けた杉浦忠がキャンプ初日から参加したが、まだ痛みが残り、ピッチングはまだ先になりそうだ。本人に展望を聞くと、 
「人並みに勝ち星を挙げればいい。20勝できるか30勝できるかという質問には答えられない。とにかく投げられるのは間違いない」 
 とそっけない。 
 また、前所属のホワイトソックスとの契約問題でもめていたスタンカは、南海側が1万5000ドルといわれるトレードマネーを支払うことで解決しそうという記事が載っていた。 
 前年15勝21敗で新人王となり、開幕投手候補とも言われた近鉄の徳久利明は、秋季キャンプで左目に打球を受けた後遺症に苦しんでいる。1.2だった視力が0.1に落ち、いまだボールがぼやけて見えるという。キャンプにも遅れて参加となった。 
 阪急は、レインズと再契約の方向で動いている。53年盗塁王、54年首位打者となり、メジャーに移籍した内野手だ。セカンドの本屋敷錦吾は「レインズが入るなら僕はいらんでしょ」とすねたようなコメントを残している。61年、メジャー昇格はなかったが、マイナーでは活躍した、と伝えられたレインズ。彼については、この後の号で触れることもあるだろう。 
 契約でもめていた巨人・宮本敏雄(日系人選手)は1月24日来日。27日に契約を結び、すぐ多摩川の練習に参加した。 
 以下、宣伝。週べ60年記念シリーズ『巨人編』『日本ハム編』『阪神編』が好評発売中、『ロッテ編』を鋭意制作中です。 
 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.509 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1968(昭和43)年02月12日(月)号 巨人・正力オーナーのドラフト改革案
 2019(令和元)年07月19日(金) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎中日・杉下茂監督誕生
 写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
 今回は『1968年2月12日号』。定価は60円。 
 前年12月25日、巨人・正力亨オーナーがドラフト制度の改革案を発表した。 
 まずドラフトは解消し、自由競争に。懸念される契約金高騰、一部球団への選手の集中と、その先の二軍で飼い殺し状態については、以下のようにし、対処するという。 
 1球団の選手を25人に減らし、12球団で300人をセ・パの両リーグの所属とし、残りはイースタン、ウエスタンに登録する。 
 3年間で選手登録(支配下)された日数が一定数に届かなかった場合、オフの選抜会議の対象になる。ここで1位は1000万円、以下これに準じた金額でトレードされる(詳しく書いてないが、お金は前所属球団に支払われるということだろう)。 
 これで契約金高騰を抑えられるかは分からないが、選抜ドラフトは、これ以前から、そして今もまた話題になっていることだが、悪いものではあるまい。 
 ただ、この発言がそれほど大々的に扱われたわけではない。 
 もし大正力が同じことを言ったら、どうなるのか、とも思った。 
 中日の新監督に杉下茂が就いた。ただ、中日内部でも必ずしも歓迎ムードばかりではない。59、60年に監督を務めているが、成績不振もあって「監督の器でない」と批判され、追い出された過去がある。 
 本人も、 
「私は監督をやりたくなかった。心を決めたのは、なんとか20年間、プロ球界でやってこれたのは中日のおかげ。その中日が前代未聞のピンチに立ったからだよ。もうシーズンが始まるという時期に監督になるなんて自殺行為ですよ。だから小山社長に言ったんです。私を殺すつもりなんですか、と」 
 就任の条件が田中勉の獲得だったらしい。 
 実は田中の交換要員の最有力候補は、広野ではなく、江藤慎一だったらしい。江藤と杉下の確執もまた有名だった。 
 江藤は、このトレード決定を聞いた際、「本当に広野で決まったのか」と言い、ほっとしたような表情を浮かべていたという。 
 東京の新人・村田兆治の評判がいい。自主トレからビュンビュン投げこみ、捕っていた捕手が「最初からそんなに投げると、こっちも手が痛い」とこぼしたほどだ。 
 では、また月曜に。<次回に続く> 
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180518-13
 ②https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190718-01
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
 ┃ プロ野球仰天伝説 No.051 ┃ ONLINE
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   【助っ人トンデモ話 No.02】
 日本の活躍でメジャー入りも2度目の入団書類はすべて偽造
‡2018(平成30)年2月12日(月) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 レインズ[1953―54、62阪急/内野手]
 阪急・レインズ
 黒人リーグから1953(昭和28)年、阪急に入団したラリー・レインズ。俊足もあって“黒いハヤブサ”と言われ、1年目は61盗塁で盗塁王、いまもパ・リーグ記録の16三塁打をマークした。2年目には首位打者となっている。その後、メジャー・リーグのインディアンスと契約し、
 1954(昭和29)年限りで退団し、帰国した。 
 と、ここまでは優良助っ人だったときの話だ。 
 1961(昭和35)年オフ、前回の来日時にレインズを紹介したサパスタイン氏から球団に手紙が届き「さらにレベルアップしている。ぜひ再契約してほしい」と書いてあった。それで再契約となったのだが、
 1962(昭和36)年秋に解雇されてしまった。 
 実はレインズが5年前に離婚した夫人から慰謝料、養育費の未払いで訴訟を起こされ、その分を球団が肩代わりしたのだが、さらなる借金があることが分かり、成績不振もあり、解雇となったのだ。 
 調べると、紹介状自体もレインズの偽造だった。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180212-10
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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