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┃ ジッドゥ・クリシュナムルティ (Jiddu Krishnamurti) ┃1895(明治28)年5月12日(日) 聖誕
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛1986(昭和61)年2月17日(月) 逝去
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|1986(昭和61)年 1月23日(木)|精密な検査の結果、末期の膵臓癌が発見され、
└─――――――――――――┘死期が迫っていることが明らかになった[5]。このころ以降、苦痛が耐えがたくなることがしばしばあり、栄養以外にモルヒネや睡眠薬の点滴、時には輸血も受けるようになった。しかし、それにも負けず、クリシュナムルティ学校や出版の死後の体制等、死ぬまでに整理しておくべき課題を議論し、解決していった
**************************** http://homepage1.nifty.com/spr/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/archive?word=%2A%5B%A5%AF%A5%EA%A5%B7%A5%E5%A5%CA%A5%E0%A5%EB%A5%C6%A5%A3%5D
http://www.geocities.jp/andreaskjp/jk/framepage4.htm
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┃ クリシュナムルティ ボンベイ・トーク ┃『はからない精神(MIND WITHOUT MEASURE)』
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①|1983(昭和58)年 1月22日(土)|1 原因があるとその消滅もあります
②|1983(昭和58)年 1月23日(日)|2 善い精神
③|1983(昭和58)年 1月29日(土)|3 心理的な進化があるのでしょうか
④|1983(昭和58)年 1月30日(日)|4 宗教的精神とは何でしょうか
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昨夕我々が話していたことを続けても宜しいですか? 我々は言いました、イスラム教徒とヒンズー教徒、ユダヤ人とアラブ人、アメリカとヨーロッパ、ロシア、中国などとしての現在の人種的分断、言語的分断、宗教的分断、国家的分断がひどい多くの戦争をもたらしてきたと。分断があるところには争いがあるはずです、男と女の関係性の中の分断だけではなく、人種的、宗教的そして言語的分断です。そしてまた我々はなぜ人と人との間にこの絶え間ない争いが存在するのか、そのルーツとは何か、これら全ての無秩序、無政府状態、無政府状態に近いもの、劣悪な政府、どの国も戦争を準備していること、一人のグルが他のそれよりも大切なことなどを検討しました。我々はこの分断を世界中に目にします、そしてまた歴史的にも、それは何世紀も何世紀も存在してきました。その原因は何ですか? その責任は誰にあるのですか? 我々は言いました、思考が人と人とを分断してきたと、そしてまた思考はこの上もなく途方もない建築、絵画、詩と全技術的世界、医学、外科手術、通信手段、コンピューター、ロボットなどを生み出してきたと。思考は健康、良い医薬品と様々な形の人間の慰安をもたらしてきました。しかし思考は人と人との間のこの大きな分断をも生みだしてきました、そして我々は問います、これら全ての原因は何かと。これら全ての責任は誰にあるのですか? そして我々は言いました、原因があると、その消滅もあると。あなたが何らかの病気を患うとき、その疾患の原因が発見されます、そしてその疾患が治されます。そのように何らかの原因があるところには、その原因の消滅も起こります。それは明らかな事実です。もし思考がこのような混乱、このような不確かさ、このような絶え間ない危険を生み出したのなら、もし思考が使われないなら、何が起こるでしょうか?
我々は一緒に探究しています、なぜ世界中の人間が自分自身の中だけではなく外の世界でも―社会の中で、宗教の中で、経済の中などで―争いを生き、争いを継続しているのかを問うています。思考がその混乱に、その分断に、人間の全ての悲惨に責任があることは極めて明らかです。もし人がそのような事実を認めるなら、何らかの理論や哲学的な言い方としてではなく、その実際の事実として認めるなら、思考がどれほど賢くて、巧妙で、博識であっても、思考にこのような混乱の責任があると認めるなら、人は何をすべきなのでしょうか? 我々の検討はそこで昨日終わりました。そしてまた我々は言いました、思考は驚くべき大聖堂や寺院やモスクを生み出してきたと、そして寺院の中の、モスクや教会の中のあらゆるものが思考の発明であると。思考は神を生みだしてきました、なぜなら思考が安全性の発見を追い求めるからです。この世界の中に不確かさ、安全性の欠如、争いを見つけると、思考はそれに安全性、慰安を与える何らかのもの、何らかの原理、何らかの理想を発明します、しかしそのような慰安、そのような安全性は思考の発明です。それは極めて明白です、もしあなたが自分自身の考えることを観察するなら、思考がこのような分断やこのような争いを生み出してきたことを観察するなら。そうすると我々は問うことができます、なぜこのような争いは存在するのか、なぜ我々は太古の昔から争いと共に生きてきたのかと―善いことと悪いこととの間の、“現実”と“あるべき様”との間の、現実と理想との間の争いです。
なぜ人は争いの中を生きるのですか? 争いとは何ですか? 争いの性質とは何ですか? 私はあなた方の中のどなたかが南フランスの洞窟群を見たことがあるのかどうか知りません、そこには二万五千年あるいは三万年前に描かれた雄牛の形をした邪悪な何かと戦う人間の絵などがあります。何千年も我々は争いと共に生きてきました。瞑想することが何らかの争いになります。争いは比較するときに起こるのですか? 比較することははかることを意味します。人は自分自身を他の誰かと比較します。比較すると恐れが生じるに違いありません、争いが生じるに違いありません。人は比較を全くせずに生きられますか? 我々は考えます、自分自身を誰かと比較することによって我々は進歩していると。あなたはあなたのグルのようになりたいと思います、あなたは悟りを開きたいと、悟りの境地に達したいと思います、あなたは信奉者になりたいと思います、あなたは尊敬されるようになりたいなどと思います。そのように、心理的に何かになろうとすると、争いが生じるに違いありません。何の比較もしない、従って何の争いも生じない生を生きることは可能ですか? 我々は心理的に何かになることの全プロセスを問うています。子供は大人になり、大人の世界に成長していきます。我々が何らかの言語を習うには時間を要します、我々が何らかの技術を習得するには時間を要します。我々は問うています、心理的に何かになることが争いの理由の一つですかと―“現実”が“あるべき様”に変えられること―“私は善くないが私は善くなるでしょう、私は貪欲で、嫉妬深いです、しかし恐らくいつか私はこれら全てから自由になるでしょう”と。何かになるという欲望、それははかることであり、それは比較することですが、それが争いの原因の一つですか?
争いには別の理由があります―それは二重性というものがあるということです。我々は争いの性質を理解するために、そして争いから余すことなく完全に自由になることができるのかどうかを自分自身で明らかにするために、検討しています。争いは頭脳を疲弊させ、精神を老化させます。争いとは無縁に生きてきた人は途轍もない人間です。争いを理解することの必要性を認識することが重要です。我々は、はかること、比較することが争いをもたらすと分かります。そしてまた我々は二重性があると発言しました。あなた方の哲学者たちの幾人かがそのように言ってきました、二重性があり、そしてこのような争いの理由の一つがこの二重性であると断定してきました。二重性があります―朝と夜、光と影、高い低い、輝く朝とどんよりした朝、日の出と日の入りなどです。物理的な二重性があります、あなたは女性であり、他の人は男性です。しかし我々は問うています、心理的に二重性というものがあるのでしょうかと。それともただ“現実”があるだけですか? 私は暴力的です、つまり、暴力だけがあって、非暴力というものはありません。非暴力というのはただの観念にすぎません。それは事実ではありません。暴力と非暴力があると争いが起こるはずです。この国では、あなた方は非暴力についてとめどなく話しますが、恐らくあなた方は非常に暴力的な人々でもあります。事実は、世界中の人間が暴力的です。それは事実です。暴力は物理的な暴力だけではなく、模倣すること、順応すること、服従すること、受け入れることをも意味します。
色々な形の他の暴力がありますが、ただ“現実”があるのみです。しかしもしあなたが暴力的であるのに非暴力を追い求めるように条件づけされているなら、つまり、事実から立ち去るように条件づけされているなら、あなたは争いを抱えるに違いありません。一方、もし人が“現実”を扱うなら、ただ一つの事実があるにすぎません―つまり、私は暴力的です、そして暴力の性質と構造を理解する中で、暴力の消滅が起こるかもしれません、しかし暴力の消滅が問題になるのではありません。我々の精神は問題を解決するように訓練されています、教育されています―数学的問題、経済的問題、政治的問題などです。我々の頭脳は問題を機械的に扱うように条件づけされています。そして我々は心理的に生を一連の終わりのない問題にしてしまいます。我々はそのことを昨日検討しました。そのように事実だけがあって、その対極はありません。このことは非常にはっきりしていますか―理想や原理、あなたが崇高なものと呼ぶものは全て幻想です。事実は何かといえば、我々が暴力的で、愚かで、無知で、不確かなどであるということです。それらが事実であって、我々は事実を扱う必要があります。事実は、もしあなたがそれらに面と向き合えば、問題を作り出しません。私は、自分が暴力的で、私にはその対極がないことを発見します。私は対極を余すことなく拒絶します、それには意味がありません。ただ事実があるだけです。
それではどのようにして私は事実を扱うのでしょうか? どのようにして私は事実と取り組むのでしょうか? どのようにして私はそのような事実を見るのでしょうか? 事実を見る私の動機とは何ですか? 私が事実にそうなってほしいと思う方向性とは何ですか? 私は事実の性質と構造に気づかなければなりません、私は事実に取捨選択せずに気づかなければなりません。どのように人は事実を扱いますか? つまり、どのように私は私が暴力的であるという事実を観察しますか? そのような暴力は私が怒っているとき、私が嫉妬しているときに現れます。もし私が自分自身を他の人と較べようとしているなら、もし私がそれらのことをしているなら、事実と向き合うことは不可能です。善き精神は事実と向き合います。もしあなたがビジネスの世界にいるなら、あなたは事実と向き合って事実を扱います、事実を変えます、あなたはあなたが事実とかけ離れた他の何かをしているようなふりをしません。そのようなことをすると、あなたは良いビジネスマンではありません。しかしここでは我々はとても非効率的です、なぜなら我々は事実を扱っていないからです。心理的に、内面的に、我々はそれらを避けます。我々はそれらから逃げます、あるいは我々がそれらを発見すると、我々はそれらを抑圧します。そうするとそれらのいずれも解決されません。そのことから、我々は他の何かを問います、つまり、善き精神とは何かを。知識に溢れているのが善き精神ですか?
知識とは何ですか? 我々はみな知識を持っていることを非常に誇りに思います、経験を通じての学者的な知識であり、出来事、事故を通じての知識です。収集蓄積された記憶が知識です。経験というものは決して完全ではありえません。善き精神は自由な、包括的な、グローバルな精神ですか、それとも善き精神は狭量な、狭い、民族主義的な、伝統的な精神ですか? 善き精神は自由な精神です。それは時代的な精神ではありません。善き精神は時間を出自としていません、善き精神は時間や環境とは関係ありません。それは環境を扱えますし、それは時間を扱えますが、それ自体は全く自由です。そのような精神は恐れを抱きません。一方、我々の精神はとても教育されていて、とても訓練されていて、我々はオリジナルではありません。深さがありません、知識はいつも表面的なものです。我々は人間の理解に、その精神、その行動、その振る舞いに関心があります、人間の反応は限られています、なぜなら人間の感覚が限られているからです。人間が完全であること、全体的であること、自由であることは可能ですか? 人は善き精神を持たなければなりません、それは単なる言葉の収集蓄積ではないし、それは賢い精神、巧妙な精神を意味するのでもありません。我々は非常に狡賢くて、巧妙で、捕えがたいのですが、それは善き精神ではありません。それでは、様々な影響や新聞や絶え間ない繰り返しが引き起こすあらゆる活動と共に、ヒンズー教徒、シク教徒などとしてコンピューターのようにプログラムされている我々の精神と共に、我々は力強く、健康的に、活動的に、気を抜かずに余すことなく気をつけていることができますか? そのような精神が必要です。そうするときのみ心理的な革命を生み出すことができます、そうして新しい社会、新しい文化を生み出すことができます。
私はあなたが耳を傾けていることを願います。聴き方を知ることは重要です、その真理に耳を傾け、その真理を見て、そして行動することです。我々の場合は、我々は真実な何かを見ます、我々は論理的に、合理的に、非常に明確に理解します、しかし我々は行動しません。知覚と行動との間に間隙が生じます。知覚と行動との間に他の全ての出来事が起こります。従ってあなたは決して行動しません。もしあなたがあなたの中の暴力が事実であると見て取って、非暴力―それは事実とかけ離れています―になろうとしないなら、、もしあなたが暴力の性質、暴力の複雑さに気づいて、あなた自身の暴力に耳を傾けるなら、それはそれ自身の性質を露わにするでしょう。そうすると暴力が消滅します、完全に。
我々が以前言ったように、お喋りしている精神は不健康な精神です。それは絶え間なく話しています、ビジネスの問題、数学的な問題などだけではなく、夫、妻、子供たちや隣人との関係性の問題についても話しています。それは絶え間なく何かに塞がれています、そしてそのように塞がれていることで、頭脳の能力が必然的に消耗し疲弊します。それは明らかです。お喋りしないことはできますか? 我々がこのようなお喋りを認めて、それを止めることができるかを問うと、我々はそれを問題にしています。我々の頭脳は問題を解決するように訓練されています。そうすると我々は、私はお喋りをしてはならない、私はコントロールしなければならないと言って、それを解決しようとします、そうすると問題が起こります、コントロールするものは誰ですかという問題です。コントロールするものはコントロールされるものと異なりますか? 問題が起こると、あなたはすでに問題を解決することになっています、そして頭脳は、我々のような頭脳は、問題を解決するように訓練されています。一つの問題を解決する中で、他の問題が増大します。ですから、あなたが暴力的であるという事実を見て取って、その暴力にその一部始終を語らせてやってください、そうするとそれは語りだします、もしあなたの精神が静かにしているなら。しかし、それを問題にしないでください―「どのようにすれば精神は静かになるのか」と。あなたの貪欲、嫉妬、野心、あなたの傲慢さを何の取捨選択もせずに見ること、観察することができますか? いかに多くの人たちが傲慢であるのかにあなたは気づきませんか? 政治家ではありません、それは了解済みです、その人たちは権力、地位、名声を欲しがります。権力があると邪悪なものが生じます。絶対的な権力は絶対的に腐敗します。
宜しいですか、あなたは傲慢ですか? 心理的に何かになろうとしている人は傲慢です。その人がそうではない何かになろうとしているとき、その人は傲慢です。何かになろうとすることは傲慢な行為です。宜しいでしょうか、それを見てください。それは謙遜する感覚を全く否定します。あなたが事実と面と向き合っているとき、あなたは余すことなく謙虚でなければなりません、謙虚を培うのではありません。虚栄心の強い人たちだけが謙虚なるものを培います。その人たちは、虚栄心が強く傲慢なときに、謙虚なるものを培うのかもしれませんが、その人たちの謙虚は依然として傲慢です。我々はみな何かになろうとする同じ道を歩んでいて、従って我々はみな全く不正直であり、現にそうではない自分を装っています。一方、善き精神は事実に面と向き合います、あなたが暴力的であり、傲慢であるという事実です。誰も私にあなたは暴力的であると言う必要はありません、それは余りにも明らかです。あなたの話し方、あなたの立ち居振る舞い、もし人が気づくなら、人は傲慢の性質が分かります。それを見て取ること、それを理解することやそれを取り逃がさないこと、それから逃げないことがそれを解決することです。現にあるものに気づくとき、それは傲慢さですが、そのような正に気づきが待ったなしの行動に駆り立てます。それが叡智です。もし私が何か危険なものを見るなら―そして暴力は健全で、正気で、理性的で、熱気のある精神にとって途轍もなく危険です―そしてもしそのことに気づくなら、その正に気づきが瞬時の行動を促します。それがその消滅です。気づきは分析を求めません。気づきは現実的な何かであり、それを理解することであり、それを見て取ることであり、それを消滅させることです、そうするとそこからあなたは理性的に考えることができます。そのような正に理性的に考えることは論理的でしょう。しかしもしあなたが論理や理性から始めて、原因を明らかにしようとすると、あなたは時間を必要として、その原因が増幅するでしょう。
そうすると、一つの問題も抱えずに生きることは可能ですか? 我々は数学的な問題などを話しているのではなく、関係性の問題を話しています。関係性の中に何の問題も抱えないこと―それは可能ですか? あなたはあなたの妻、あなたの父親、あなたの母親、あなたの子供たちとの間に問題を抱えています。なぜですか? もしあなたの日常生活が秩序正しくないなら、あなたは血の気が引いてあなたの顔が青ざめるまで瞑想できますが、そのような瞑想には意味がありません。それはただの逃げであり、それはあなたがドラッグを服用して楽しむのと同じことです。もしあなたがあなたの家を秩序正しくさせないなら、それはあなたの関係性のことですが、もしその家が秩序正しくないなら、あなたの社会は秩序正しくないでしょう。非常に遠くへ行くためには、あなたは非常に近くから始めなければなりません。近くとはあなたの関係性のことです。なぜそこに問題があるのですか? なぜあなたはあなたの妻、あなたの夫、あなたの子供たち、あなたの隣人、あなたの政府、あなたのコミュニティやその他の全てとの間に問題を抱えているのですか、つまり、関係性とは何ですか? 生は関係性の中の活動です。それから逃れられません。あなたは世捨て人になるかもしれませんし、何らかの誓いを立てるかもしれませんし、奇妙な衣装を身に纏うなどその他の全てを行って、自分自身を途方もない人間、例外だと考えるかもしれませんが、あなたは関係しています。関係性を理解することは生の中で最も重要なことです、神でも、それら全ての経典でもなく、関係性の深さ、その意味、その美、その質を理解することです。
宜しいですか、あなたは沢山の言葉に埋もれているのですか、それともあなたは更なる説明や更なる分析を聞くことなく関係性の深さ、その美、その質を即座に捉えて、関係性の途方もない重要性を見て取りますか? あなたは関係性の美が分かりますか? 関係性がないと、秩序の乱れが起こります。それでは何か真剣なことに至るために或いはそれに耳を傾けるために、それを一緒に見てみましょう。あなたは我々のほとんどが家を持っているのを、住宅やマンションを持っているのを知っています、そして我々はそれらを自分のものとして所有しています。それが我々の家です。我々は、我々がその家の中ではゲストでもあることを決して認めません。あなたはその意味が分かりますか? あなたは家の中で、あなた自身の家の中でゲストでありうるのです。あなたはそれが何を意味するのか分かりますか? それは人が教師でもあり弟子でもあることを意味します。あなたの外に教師がいるのではありません。あなたは教師であり、そしてあなたはその教師から学んでいる弟子でもあります、グルとしての教師からではありません。あなたは学んでもいますし、教えてもいます。あなたはあなたの家の持ち主でもあり、あなたはあなたの家のゲストでもあります。それはあなたがその家に気をつけること、あなたがその家を気にかけること、あなたがその家の中の誰にも気を配ることを意味します、なぜならあなたはゲストだからです。話し手は世界中を過去六十年間旅してきました、そして彼がどこにいようと、彼はゲストです。それは彼が、大いなる水量をたたえた大河のように、いつも自分自身を適合させていることを意味します、そしてあらゆる大きな石、あらゆる岩があり、それはそれをやり過ごします。ゲストとはそのようなものです。それでは戻りましょう。
関係性は生の中の最も重要なものの一つです。なぜ我々はそれをそれほどまでに混乱したものに、それほどまでに悲惨なものにしてきたのでしょうか? 関係性とは何ですか? その言葉は触れていることを意味します、物理的に触れているだけではなく、性的に触れているだけではなく―あなた方がみな知っているそれだけではなく―精神的に、感情的に、内面的に他の人と触れていて、そのような触れ合いの中に分断がないことを意味します。それが関係性です。しかし我々はそのような触れ合いを手にしていません。あなたは野心的であり、あなたの妻もまた野心的です。あなたはこれを欲しいと思い、彼女は他の何かを欲しいと思います。彼女が正しいかもしれません、そしてあなたが間違っているかもしれません。彼女は驚くような家に住みたいと思い、あなたは言います、「どうか、後生だから、そう言わないで」と、彼女は評判良くしたいと思い、あなたは気にしません。あなたはあなた自身の狭い領域の中で学者、教授であり、彼女もまた彼女自身の狭い領域を持っています。そのようにあなた方はお互いに性的なことを除けば決して触れ合いません。これは事実です。そしてあなたはそれを関係性と呼びます。あなたは彼女について何らかのイメージを持っています、あるいは彼女はあなたについて何らかのイメージを持っています。これらの中のどこに愛が生まれるのですか? あなたは私の質問が分かりますか? 人が妻に愛している言うとき、それはどういう意味ですか? 私はあなたがそう言うかどうか知りません。私はそれを疑います。しかしもしあなたがそう言うなら、他の人を愛するとはどういう意味ですか? 関係性は他の人を愛するという意味です。その愛という言葉は何を意味するのですか? それは賞罰に基づいているのですか? 宜しいでしょうか、それを見てください、なぜなら我々はいつもその二つの間に囚われているからです―見返りと罰です。私はグルに従います、なぜなら彼が私に天国を約束するからです、私に慰安を与えるからです。我々はこのことに囚われています。関係性は賞罰のプロセスですか? 愛はそのような活動ですか? それをよく考えてください。
あなたの妻あるいは夫、あなたの子供たち、あなたの隣人と同じ時を共有して、同じ次元で、同じ熱気で出会うこと、それが愛です。あなたはこのことが分かりますか? 誰かと出会うためには、あなたはその人と同じ時を共有して、同じ次元で、同じ熱気を持って出会わなければなりません。そうするとそれが関係性です、しかしもしあなたが野心的で、あなたがその道を突き進んで気高くなるなら、卑しくなるなら、彼女もまた他の道に突き進みます。もちろんあなたは結婚するかも知れませんし、あなたは子供たちなどその他の全てを手にするかもしれませんが、あなたは決して出会いません。それは絶望的な孤独感を生みます。あなたはこれらのことを知りませんか? 私は誰とも関係性を持っていません―私の妻とも、私の上司とも、私の親方とも―私は誰とも何の関係性も持っていません、なぜなら私は自己中心的だからです。そのように、そのような自己中心性と関係性の欠如は深刻な孤独感をもたらします。そのような孤独を発見すると、我々はそのような孤独から問題を作り出します―私が孤独なとき、私はどうすればよいのでしょうかと。あなたの頭脳はすでに問題を解決するようになっています。しかしあなたは決してそのような孤独のままでいようとしません、あなたはその原因を決して検討しません。
愛があると孤独なことはありません。あなたの心の中に愛があると問題は生じません。そう述べたからと言って、それを問題にするのは止めてください。事実を見てください。事実は我々が感受性豊かではないということです、我々が美の深みを手にしていないということです。事実は我々が愛さないということです、我々はその事実を見ません、我々はその事実と共にいようとしません、それを合理化しようとしないで、“そうである”と見て取ることです。そういうことなのです、私は妻を愛していません、あなたはそれを自分自身に言うことの意味を知っています。あなたは恐らく泣くでしょう。私はあなた方みんなのために泣きたいと思います。宜しいでしょうか、それは二つの平行線が決して交わらなくて、従って、あなたが死ぬまで争いを毎日毎日増大させているかのようです。あなたの心の中に愛がないという事実、あなたがあなたの心の中に精神を持っていないという事実を見てください。我々は愛が成就されうる、育成されうると考えます。愛は育成される何かではありません。あるのかないのかのどちらかです。もしないなら、それを見てください、それを取り逃さないで、あなたの心の中に愛がないという現実のあなたを認めてください、それはそうすると何らかの機械になります―感受性を欠き、洗練を欠き、粗野で、セックスと快楽にだけ関心を持つ何かになります。宜しいでしょうか、私はあなたを悩ましているのではありません、私はあなたを叱っているのではありません。私は起こっていることをただ指摘しているだけです。あなたの知識、あなたの書物はあなたを破壊してきました、なぜなら愛は書物の中には見つからないからです。それは知識と共にはありません。知識と愛は共存しません。そうするとあなたは言います、「私は私の妻を知っています」と、しかしそれはあなたの彼女についてのイメージであるあなたの知識です。そのような知識は思考によって作り上げられます、そして思考は愛ではありません。それでは、これら全てを述べてきて、あなたはあなたの心の中に愛がありますか、それともそれはロマンチックな、無意味な、非現実的な、無価値な何かですか? それはあなたに一銭ももたらしません、それはそういうものなのです。これら全てを聞いてきて、その言葉の深さが理解されると、あなたの精神は心の中にありますか? そうするとあなたは正しい関係性を手にします。あなたが正しい関係性を手にすると、それは愛ですが、あなたは決して過つはずがありません。
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①http://www1.icnet.ne.jp/abelia-2/end.html
②http://www1.icnet.ne.jp/abelia-2/good.html
③http://www1.icnet.ne.jp/abelia-2/evolution.html
④http://www1.icnet.ne.jp/abelia-2/religious.html
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/archive?word=%2A%5B%A5%AF%A5%EA%A5%B7%A5%E5%A5%CA%A5%E0%A5%EB%A5%C6%A5%A3%5D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3
http://blog.goo.ne.jp/beatle-lennon/e/aeae62427309fe0d6030fef7acf0b426
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ベトナム戦争 韓国軍「ゴダイの虐殺」を生き残った人の証言
2014年03月26日(水) 07時00分提供:NEWSポストセブン
ベトナム戦争当時の韓国の指導者は、陸軍少将の時にクーデターを起こし、軍事独裁政権を樹立した朴正熙(パク・チョンヒ)大統領だった。現在の朴槿恵(パク・クネ)大統領の父親だ。彼は30万人以上の韓国兵を戦地ベトナムに送り込んだ。そこで起こった「虐殺と陵辱」にいま改めて注目が集まっている。ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、現地取材を通じ、韓国軍による民間人の無差別殺戮や女性の性的陵辱といった戦争犯罪について、多くのベトナム人から直接の証言を得てきた。ベトナム中南部ビンディン省の省都・クイニョンにほど近い「ゴダイ集落」は、韓国兵の暴虐が最も苛烈を極めた地だ。●1966年1月23日から2月26日にかけ、多数の民間人が殺された。ベトナム国内では〈ゴダイの大虐殺〉と呼ばれ、いまだ民族の悲劇として語り継がれている。同集落にあるタイヴィン村に住むグエン・タン・ランさん(62)は、15発もの銃弾を受けながら奇跡的に一命を取り留めた。同村を襲撃したのは韓国陸軍・首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」だった。「100人を超える韓国兵が村を襲撃したのはまだ朝靄の残る9時頃でした。怒声とともに彼らは村の1軒1軒のドアを足で蹴破ると、屋内にいた人間の髪の毛を掴みながら引っ張り出し、全65人の村人を1か所に集めました。韓国兵は一斉掃射で私たちを皆殺しにするのではなく、銃で追い立てて数人単位のグループに分かれさせ、4、5人ずつ集中砲火を浴びせ殺していくという方法を取りました。私の両親や親族も私の眼前で殺されました。その最中、韓国兵は中に若い女性を見つけると、寄ってたかって引きずり出し、地面に乱暴に転がした。そして私たちの目の前で輪姦し始めたのです。乱暴の限りを尽くされ、すでに微動だにしなくなった娘を、最後には撃ち殺した」
※週刊ポスト2014年4月4(金)・11日(金)号
http://news.ameba.jp/20140326-67/
ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言
2014.03.17(月) 07:00
ベトナム南部最大の商業都市ホーチミンから、飛行機で約1時間北上するとクイニョンに到着する。南シナ海に面したこの港町は今、静かなリゾート地として旅慣れた観光客の間で人気のスポットになりつつある。そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。そして気付かされる。ここがベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった血なまぐさい戦場であったことを──。ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。“つり目”で表現された武装した軍人たち。彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。右腕には、ゴダイ集落を襲撃した「猛虎部隊」の紋章である虎が描かれている。集落全体では、1966年1月23日から2月26日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという。15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。「韓国軍が村に来たのは朝9時ごろ。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一か所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せつけられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを1度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親や親族も殺されました」この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。その傍らにはゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。そこには「韓国軍が行なった非道は忘れない」という内容の文字も書かれていた。
※週刊ポスト2014年3月28日(金)号
http://www.news-postseven.com/archives/20140317_246337.html
韓国軍が民間人135人殺した「ハミの虐殺」 石碑に犠牲者の名
2014.03.18(火) 07:00
「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」──3月1日、独立運動記念式典で韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本をそう批判した。その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による蛮行を明かす。ベトナム戦争で派遣された韓国軍は、1966年1月から2月にかけてビンディン省ゴダイ集落で1004人の民間人を虐殺した(ゴダイの大虐殺)。ベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行なわれた。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一か所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。逃げようとする私にも銃を乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」フォンニャット村周辺では74人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。1968年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0~9歳までの子供が57人も確認できた。殺戮と破壊──これがベトナム戦争で韓国軍が行なったものだと、現地の人々は口をそろえた。
※週刊ポスト2014年3月28日(金)号
http://www.news-postseven.com/archives/20140318_246350.html
韓国農村部に嫁いだベトナム人妻を韓国人夫が虐待する例頻発
2014.02.09 07:00
最近、アジア諸国で嫌韓ムードが広がっている。その中でもベトナム人からは恨みの声が聞こえてくる。かつてベトナム戦争(1960~1975年)に参戦した韓国軍は、現地で陵辱、虐殺行為を行い、「ライダイハン」と呼ばれる戦争犯罪の落し子を身籠るベトナム人女性問題は現在に至るまで大きな禍根を残しているが、韓国人は今でも違う形でベトナム人女性を蹂躙し続けている。「ベトナム人花嫁問題」だ。嫁不足に悩む韓国の農村部では、2000年代からベトナム人やカンボジア人の花嫁を積極的に受け入れてきた。しかし、国際結婚斡旋業者の甘言に騙され嫁いだベトナム人妻を、韓国人夫が虐待するケースが頻発。妻が自殺に追い込まれたり、夫から激しい暴行を受けた末、惨殺される事件も起きている。2007年に夫に惨殺されたベトナム人妻(19)は、肋骨が18本も折れた状態で、死亡から8日後に自宅で発見された。「ベトナムの人々も当然、こうした事件の数々を知っていますから、韓国人を快く思うはずがない。しかし当の韓国人はベトナム人の感情などまったく意に介さない。ベトナムの韓国系企業では、韓国人社員が女性従業員を殴ったり、人前で怒鳴りつけるなどしてストライキが起きることが度々ありました。ベトナム人は恨みつらみを口にしませんが、過去の傷を忘れることはないでしょう」(元朝日新聞サイゴン支局長・井川一久氏)
※SAPIO2014年2月号
http://www.news-postseven.com/archives/20140209_236237.html
ベトナム 50歳以上、年の差16歳以上の韓国男性との結婚禁止
2012.09.25 16:00
李明博大統領の竹島上陸、天皇陛下への不敬発言があって、日本人の「嫌韓感情」に火がついている。しかし、嫌韓は日本だけではなくアジア各地にも広がっている。ベトナムの例をジャーナリストの山村明義氏が紹介する。
* * *
2010年7月、慶尚北道清道郡に住む37歳の韓国人の夫が、20歳のベトナム人新妻を、韓国に来てわずか1週間で殺害するという悲惨な事件が発生した。前年の2009年7月にも、釜山市で精神疾患を患った韓国人男性がベトナム人妻を殺害する事件が起きた。その以前から、「韓国人は、女性を商品のように扱う」とベトナム主要紙が韓国を批判的に報道していた経緯もあり、ベトナム・韓国間の外交問題になっていた。実際にベトナム政府は2011年以降、「満50歳以上、または年齢差が16歳以上」の韓国人男性とベトナム人女性との国際結婚を禁止する厳しい制限規定を設けた。先進国で韓国以外の国が規制対象になることはあり得ないだろう。海外商社の現役ベトナム駐在員が語る。「一般的にベトナム人には、ベトナム戦争時代、韓国人兵士との間に混血児として生まれた“ライタイハン問題”への悪感情が今なお残っているため、韓国人への嫌悪感が強い。それでも最近、ベトナムへの著しい経済進出で、大人しいベトナム人女性と国際結婚したがる韓国人男性が増えてきた。
一昨年7月のベトナム人新妻惨殺事件でも、ベトナム政府は、あまりにも多い韓国人男性による殺害事件の再発防止のため、男性の財産や病歴などの情報提出を求めたほど。ベトナム人女性を韓国へ連れ帰る際には平気で“韓国の生活は良い”と嘘をつき、“ベトナム人女性は逃げ出さない”などと見下す。DV(家庭内暴力)などの事例が相次いでいるから、韓国人の評判は悪いままだ」
※SAPIO2012年10月3・10日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120925_144616.html
韓国が教科書に載せないベトナム戦争時の虐殺と売春ビジネス
2014.02.24 16:00
朴槿恵大統領をはじめ韓国の国家ぐるみの「反日アピール」が止まらない。慰安婦問題では、「旧日本軍が20万人の少女を強制連行して性奴隷にした」という史実と異なる嘘の主張を続け、謝罪と賠償を求めている。さらに特筆すべきは、韓国政府がベトナム戦争(1960~1975年)に参戦した韓国軍や現地に渡った民間韓国人の所業を歴史から消し去ろうとしていることだ。ベトナムでは戦時中から韓国への憎悪が燃え盛っていた。3月12日に発売される『日本人が知っておくべき嘘つき韓国の正体』(小学館)の中で、元朝日新聞サイゴン支局長の井川一久氏は、ベトナム戦争当時の様子をこう振り返っている。「1972年にサイゴンに赴任した直後、私の車がベトナム人青年のオートバイと接触事故を起こし、100人近い群衆に取り囲まれるハプニングがありました。興奮した群衆は『ダイハン!(※ベトナム語で「大韓」の意)』と口々に叫びながら、憎悪に満ちた眼でこちらを睨んでいる。私を韓国人と勘違いしたのです。パスポートと記者証を見せて難を逃れましたが、現地でどれほど韓国人が嫌われているかを痛感する出来事でした」サイゴン(現ホーチミン)など旧南ベトナム地域では、韓国は友軍だったはずだ。しかし、韓国軍による同胞の虐殺、婦女子への暴行、凌辱はベトナム国民なら誰もが知るところであり、むしろそれらの地域で反韓感情は強かったようだ。「韓国軍のベトコン掃討作戦で破壊された村の女性たちは、運良く逃げ出しても戦争難民になるしかなかった。そうした女性を売春ビジネスに送り込んだのが、民間の韓国人業者だったのです」(井川氏)
http://www.news-postseven.com/archives/20140224_242774.html
李明博氏 ベトナム政府の逆鱗に触れ国賓訪問一時拒否された
2014.01.16 16:00
「韓国人は横柄だ」「乱暴だ」「ずるい」「嘘をつく」「信用できない」。欧米はもとより、アジア諸国で嫌韓ムードが広がっている。ベトナム国民がどう思っているかを紹介しよう。
ベトナム戦争(1960~1975年)に参戦した韓国軍が暴虐の限りを尽くしたことは世界的に知られている。それを詳らかにしたのは韓国人ジャーナリストだった。1999年当時、韓国紙『ハンギョレ新聞』ベトナム通信員だった具スジョン女史は、同紙の系列週刊誌『ハンギョレ21』で韓国軍の蛮行をリポートした。
「1965年12月22日、韓国軍はビンディン省クイニョン市の村を急襲し12歳以下の子供や妊婦を含む50人以上の村民を虐殺した。韓国兵は2歳の子供の首をへし折って殺害し、別の子供は木に投げつけられ殺害後、焚き火に放り込まれた」(『ハンギョレ21』1999年5月6日号より)
韓国兵は現地女性を見れば強姦し、凌辱の末、焼き殺すこともあった。殺害を免れた女性たちの中には「ライダイハン」と呼ばれる戦争犯罪の落とし子を身籠る者も多数いた。当時、サイゴン支局に赴任した元朝日新聞の井川一久氏は街中でベトナム人に囲まれ、「ダイハン!」(大韓)と呼ばれた。韓国人と間違われて憎悪の目を向けられたのだ。しかしその後も韓国人に反省の色は皆無だった。そればかりか、2009年の李明博政権はベトナム帰還兵を称えるため「国家有功者優遇法」の改正を急ぎ、ベトナム政府の逆鱗に触れた。李大統領はベトナムへの国賓訪問を一時拒否されるなど異例の事態を引き起こしたが、未だに韓国政府は戦争犯罪を償っていない。朴槿惠大統領も態度を改めず、昨年のベトナム訪問ではセールス外交に終始した。周知のとおり、ベトナム派兵を決めたのは父の朴正熙だ。償いもなく、金儲けの話ばかりしていては嫌韓感情が高まって当然だ。
※SAPIO2014年2月号
http://www.news-postseven.com/archives/20140116_236145.html
韓国軍 ベトナム戦争で戦果を上げる勇猛部隊として知られた
2014.03.24(月) 07:00
ベトナム戦争といえば、共産主義陣営の北ベトナムと、資本主義陣営の南ベトナム及びそれを支援したアメリカによる戦争というイメージが強い。韓国軍が米軍に次ぐ規模で参加していたこと自体、日本では一般にあまり知られていない。産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘氏が解説する。「米・韓・南ベトナム側からすると、韓国軍はよく戦果を上げる勇猛な部隊として知られていた。当時、ベトコン(北ベトナムの兵士)から最も恐れられたのは韓国軍だといわれています。韓国にとってみれば大韓民国が成立して初めての海外派兵。アメリカや世界に存在感を見せるため、精鋭部隊を送り込んだ」韓国政府がアメリカ政府からの要請を受けベトナム派兵を決定したのは1964年。当初は医療部隊など、南ベトナム政府軍の後方支援に限定した派兵だったが、1965年10月、戦闘部隊の大規模派兵を決定する。そして韓国は1964年から1973年までに延べ32万人を派兵。万を超える兵を派遣したのはアメリカと韓国だけである。
※週刊ポスト2014年4月4(金)・11日(金)号
http://www.news-postseven.com/archives/20140324_247456.html
韓国サイト 韓国軍人に暴行されたベトナム人女性の証言掲載
2014.03.20(木) 07:00
韓国ではベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、ここに来て問題視され始めている。3月7日、かつて日本軍の慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開き、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えたのである。
韓国がベトナム戦争に参戦したのは1964年のこと。1973年まで、のべ32万人もの兵士を南ベトナムに派遣している。実は、ベトナムでの韓国軍による蛮行を、当事者である韓国人が知ったのは1999年で、戦争終結からかなりの年月を要していた。発端は週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が始めた1年以上にわたる連載記事だった。記者がベトナム当局から資料を入手し、現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。とくに殺害方法に触れた箇所は凄惨を極める。
〈生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。
●子供たちの頭を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
●女性たちを次々に強姦したあと殺害
●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉
まさに韓国史のタブーに初めて切り込んだ記事だった。しかし、長く封印されてきた蛮行を暴いたことに、政権は怒り、元軍人たちも大反発した。同誌を発行する本社の幹部が、退役ベトナム参戦軍人らに監禁、暴行される事件まで起こった。それから10年以上を経て、ようやく同誌に追随する動きが出始めた。先の市民団体の声明の前日、韓国の市民参加型ニュースサイト『オーマイニュース』に、韓国軍人に集団輪姦されたベトナム人女性の証言が掲載されたのである。韓国軍の基地で働いていた当時20歳の女性が、兵士たちに輪姦された挙げ句に妊娠。「ライダイハン」を出産し、現在に至るまでの苦労の人生を回顧している。
ライダイハン──。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称である。
※週刊ポスト2014年3月28日(金)号
http://www.news-postseven.com/archives/20140320_246384.html
ベトナム戦争時 韓国軍駐留基地内に「慰安所」的な施設存在
2014.03.22(土) 07:00
韓国ではベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、ここに来て問題視され始めている。その象徴が韓国軍兵士がベトナム人女性をレイプするなどして生まれたライダイハン(ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称)だ。ベトナムにはこのライダイハンは数千人から3万人いるといわれている。戦争終結後にベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性との間に生まれた子もいるが、韓国兵による性被害により生まれたライダイハンも少なからず含まれているのは事実だ。ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏も、「クイニョンの韓国軍基地の食堂で働いていたという女性から、4、5人の韓国兵にレイプされライダイハンを身ごもったと聞いた」と語る。ただ、こうしたレイプがすべてではない。かの戦争時、少なからぬ韓国人にとってベトナム人女性は、“性の商売道具”でもあった。ベトコン掃討作戦により、農村部から命からがら逃げ出した人々のうち、多くの若い女性は売春で家族を養うほかなかった。そのブローカーや雇い主の多くが民間の韓国人だったという。ベトナム戦争では、戦争の特需にあやかろうと建設業者や運送業者、飲食施設経営者など、総計1万5000人もの民間人が韓国からベトナムに渡っていた。中でも外国人相手の売春斡旋業に手を染める韓国人は少なくなかった。ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏はこう語る。「米軍や韓国軍の駐屯地に近い都市には、韓国人経営のナイトクラブ、バー、キャバレー、ホテルなどが密集していて、その多くは売買春施設でもあった。風俗産業の相当の部分が韓国人に握られていたといっても過言ではない。その種の事業に関係する日本人は私の知る限りは2人だけでしたが、韓国人は数百人単位でいた」一方、韓国軍が駐屯していた中部の激戦区では、基地内に「慰安所」というべき施設が存在したという。井川氏が明かす。「サイゴン東北の米軍ライケ基地には、有刺鉄線を張りめぐらした性的慰安施設があったが、それと同種の施設が韓国軍の主要野戦基地にもあった。外部の人間からは隔離されていたので確認できなかったが、韓国軍がベトナム人女性を慰安婦として扱っていたことは間違いない。当時、親日的な在ベトナム韓国軍高官に夕食会に招かれ、彼の公邸に行ったことがある。応接間には、超ミニのワンピースのお仕着せをまとった少女が数人いた。揃いも揃って美人。年齢は15~17歳ぐらいにしか見えず、少女のあどけなさを感じた。そのうち2人の少女が私をはさみ、食事を口に運んでくれるのです」彼女たちはただの接待要員ではない。次に高官が口走った一言で、井川氏は確信したという。「少女たちをどこから集めたか問うと高官は答えをはぐらかし、『気に入った子がいたら連れ帰ってもいい』というのです。彼女たちは明らかに戦争難民でした。私はもちろん断わったが、高官の態度から察するに彼女たちは友好国の上級軍人や高官をもてなす存在だったのでしょう。ベトナムで韓国人は軍民一体となり、管理売春に手を染めていたのです」
※週刊ポスト2014年3月28日(金)号
http://www.news-postseven.com/archives/20140322_246505.html