言葉では説明できないことの中にも生きています。
特に、神への愛についてはそうです。
愛や思いやりのこもった単純な行為が、
神の光の輝きとなるのです。
(マザー・テレサ)
だれも、
ふたりの主人に
兼ね仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛し、
あるいは、
一方に親しんで
他方をうとんじるからである。
あなたがたは、
神と富とに
兼ね仕えることはできない。
(マタイ6:24)
このみことばは、5/19のマザー・テレサのことばそのものだと思います。
神の目で見るなら、他の言葉はみつかりません。
私の住んでいるマンションは、
二匹の猫が飼える住まいを探している時に、
友人が見つけてくれた住まいです。
総合病院(老人ホーム併設)、
小さな病院がいくつもあって、
スーパーも徒歩圏内にたくさんあります。
郵便局の集中局、ヤマト運輸の集配所、
すぐ近くに運河があり、公園がいくつもあります。
学校も多くあるので、
当時、病気の百貨店のような身体で苦しんでいた私にとって、
老後も安心な環境だと思えました。
迷うことなく決めて引っ越しました。
神さまが病気を癒やされたので、
公害以外での理由ではほとんど病院とは縁がありません。
その後、ネコは1匹だけという管理組合の取り決めができたのは、
マンションに引っ越す時にいた2匹のネコたちが天に還ってからのことでした。
大型犬がエレベーターに入ってくる恐怖もありました。
そのお宅は1匹だけ。
ネコは室内飼いなので、人に迷惑をかけることはありません。
犬も猫も何匹も飼っている家はありませんでした。
管理組合の理事長が決めたルールでした。
人がつくる取り決めは、決める人たちの思いで成立します。
法律も同じで、日本の法律は弱者への配慮がありません。
日本では、恐れるものがない無宗教の国だけに、
おかしなことが法律になっていて、エスカレートしています。
AI人間になっているのかな?
内閣2050年計画が進んでいるのかなと思うようなことも見受けられます。
人は人であってAIや機械ではありません。
小さき者への配慮、
弱い者への配慮
神が人として地上に降りてこられたイエス様が気にかけてくださったのは、
社会から程遠い、弱く貧しい人たちでした。
誰も区別しない目
もし、自分がそうだったら・・・
立ち止まって祈ることを、祈る時間を一日5分でいいから持ちましょう、
私はよく人にそう言います。
為政者であれ、伝道者や牧師、司祭であれ、教師や医者であれ、
お金持ちであれ、貧しい人であれ、
病に苦しむ人や生活できないという人であれ、
祈る者には必ず神さまの語りかけがあります。
まず第一とすることは、神との和解です。
創造主に目を向け、自分の日々おかしている罪をゆるしていただき、
新たに主と生きる日々に変えていただきましょう。
主なる神は、人が罪の中にいること、
また、罪を持ったままで人生を終えることをを願われないかたです。
創造主を信頼して祈り続けましょう。
祈るものを必ず主はけして見放さず、
守ってくださり、正しく導いてくださいます。
神の最善が成りますように。
愛と平和の主に祈ります。
キリエ・エレイソン、Amen.
6月7日の花言葉
クチナシ
喜びを運ぶ・優雅・とても幸せ
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(近所の総合病院の周囲に開花しているクチナシ。
甘い香りが漂います。
通るたびにいやしの祈りもしています。
クチナシは生薬として多くの薬効があります。
病に苦しむ人たちにクチナシの自然な香りがいやしとなっていきますように。)
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