2月10日の花言葉
ネコヤナギ
自由・開放的・率直・気まま・親切 努力が報われる
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思いやりのある行為へのもっとも確かな近道は、
言葉を使うことです。
ただし、他人へのよいことのために使いましょう。
もしあなたが、人のことをよく考えるのならば、
人についてもよく話すようになるでしょう。
言葉の暴力はとても恐ろしいものです。
どんなナイフよりも鋭く人を傷つけます。
言葉によって傷つき生まれた悲痛な苦しみは、
神の恵み以外には、癒やすことはできません。
(マザー・テレサ)
言葉を使うことです。
ただし、他人へのよいことのために使いましょう。
もしあなたが、人のことをよく考えるのならば、
人についてもよく話すようになるでしょう。
言葉の暴力はとても恐ろしいものです。
どんなナイフよりも鋭く人を傷つけます。
言葉によって傷つき生まれた悲痛な苦しみは、
神の恵み以外には、癒やすことはできません。
(マザー・テレサ)
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なおりたいのか
(ヨハネ5:6)
今日、多くの人は不健康だと言われています。
ネット社会の影響も大きくて子どもたちやペットが生活習慣病という恐ろしい時代。
ケミカル時代の利益を貪る人たちの餌食になっています。
話しても信じない、聞くためにある耳をふさがれている人も増えています。
脳に異変が起きてくると、制御できなくなるため、自己中心主義、争いのもとになっていきます。
30年ほど前に、教会の受付担当で、受付に座っていた時のことでした。
いやしを祈る教会でしたので、礼拝が終わると、初めて教会にこられた方、
祈ってもらいたい方がたが長い列を作って並んでおられました。
その中に、ある高齢の御婦人がおられるのを受付から見ていました。
なんだかつらそうですね、イエスさま・・・
私は心の中で思いながら、イエスさまに話しかけていました。
その婦人は帰り際に私のところに来て挨拶をされました。
「お大事になさってください。お祈りしています」
話している時に、
「帰ったら電話をしてあげなさい」
え???
婦人を見送っている時も気になって仕方ありませんでした。
夜に電話をかけると、
病気のことでいやしを求めて教会に行ったと話されました。
高齢者の病気と心臓のことも話しながら、その婦人は、
「辛くて・・・お薬がいらないようになりたいです」
と言われました。
私は、どんな生活習慣をされているのでしょうか?と質問しました。
今日、教会でイエスさまから電話をするように示されたので・・・と話しながら、表示の見方のことを伝えると、
そんなこと知らずに今まで生活をしてきましたと素直に語ってくださいました。
誰でも知りませんよね・・・よほど科学者や研究者などと親しくならないとわからない原料がいっぱい書いてありますよね。日本消費者連盟から本も出ています。
買ってはいけないがブームになっていたことで話はしやすいと思いました。
今でも週刊金曜日では、スポンサーなしで有識者たちが社会問題を取り上げています。買ってはいけないも毎週取り上げられています。
婦人はやがて自分でも法律や表示の見方、買い物に行ったら裏の表示を見てものを買うなど・・・調べられるようになりました。
本当だったのですね。希望が持てます。
やがてお元気になられました。
神さまが示される人というのは、よほどのことだと思いました。
信仰の一致だったことを感謝して祈りました。
行列に並んでいた一人ひとりに神さまのいやしが注がれるように毎週祈り続けていました。
いやしは、神の業が成るため。
人を見るためではなく、人に依存することでもありません。
全ては神の栄光のためにだけ。
生活習慣を安全に切り替えれば妨害しないものに気付かされます。
それがすべての命に与えられている自然治癒力です。
化学物質は妨害してしまって、その人の弱いところを傷つけてしまいます。
修復していると見せかけて一気に細胞を破壊していきます。
聞く耳のあるものは聞くが良い・・・
御霊が語ることなのだと思いました。
御霊、つまり、一人ひとりの心に住まれる聖霊はキリストへと導く真理の御霊です。
私は聖書に書かれていることを信じていました。
けれど、10以上の病気を持っており、交通事故の後遺症も持っていましたから、長い年月をつらい思いで過ごしていました。
神がいるならどうして私はこんなに病気が治らないのですか?
聖書に書かれているイエスさまのいやしが、
どうして私に起こらないのですか?
悪いのは私と責めつけて、何でも自分のせいだと諦めていました。
そんなある日、聖霊を信じているというNさんから電話がありました。
Nさんは今も交流があり、いつも祈ってくださっている婦人です。
ある時、数年ぶりに再会した時、
まだ主人はまだ救われていなくて、家に来て祈ってほしいですと言われました。
コロナで簡単に訪問はできない中、祈り続けました。
以前、家に招かれて行った時、ご主人は、
「家内から聞く聖書の話は、神さまが遠い。あなたが話す神さまはよく分かる」と、Nさんが席を離れた時に言われたことがありました。
あの時、洗礼そ授けるべきだったかな?でも、Nさんの教会で受けられたほうがいいのではと思ってしまいました。
(警告:Evelyn,人を見てはいけない)
教会籍というものがあるため、洗礼は受けたいけれど、これがネックになる人も多くいます。
毎月、収入の1/10の献金を教会に捧げる。
何らかの奉仕をする。
教会員としての規律を守るなど・・・
教会の頭はイエスさまです。
無教会主義になった人たちも多くいます。
背景には教会の形への矛盾があります。
大きくなればなるほど、人がつくっていく教会になってしまいます。
一致しない人をさばく教会もあります。
神さまに喜んでいただける教会、
「カトリック教会はいいよね」
という娘のいわんとするところかもしれません。
宗教改革にも教会のあり方が問われていました。
私はローマ教皇と同じく、カトリックもプロテスタントでもなく、イエス・キリストを信じています。
このような人たちが増えてくれば、その姿を見て、誰もが、使徒行伝に書かれているように誰からも好意を持たれてクリスチャンになっていくことでしょう。
あなたの中にキリストを見たから・・・
そう言われて救われる人のことばは、主にハレルヤ!です。
神はすべてを見ておられます。
「なおりたいのか?」
イエスさまはすべてをご存知の神さまですが、あえて病人にこう問われました。周りの環境も読んでみると、信仰とは>が見えてきます。
ヨハネ5:5~書き添えてみます。
そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
この病人はイエスに答えた、
「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。
わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
イエスは彼に言われた、
イエスは彼に言われた、
「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
その日は安息日であった。
そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」。
そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った、「きょうは安息日だ。床を取りあげるのは、よろしくない」。
病人はこのとき、「主よ」と答えています。
ここにもうすでに、信仰の扉が開かれています。
その反面、いやされた人を見ないで、安息日という律法を見るユダヤ人たち。
いやされて良かったねとは言わないシーンを思います。
38年の苦しみから解放された人は、自分の癒やされたことを誰彼となく伝えていくでしょう。言わずにおれない人になって。
かつて、
「母が病気でつらそうなのです」という人に、
「どうして安全な生活をさせてあげないのですか?これ以上悪化しなくなることは目に見えています。」
ある時、私がそんなことを知人に言いました。
その知人は、
「もう90年以上も生きたのですから十分です。本人の好きなようにしていればいいと思います、」
その答えに、この方には何も伝わっていなかったことを悟りました。
高齢者で認知も入ってくると、家族がサポートをしてあげなければ、誰も安全にはできません。入院や施設などに入れてしまったのではもっと大変です。
危険や安全のことが理解できたら、家の中から避けられるものを避けて普通に生きていけるのにと思いましたが、ほどなくその方の母親は亡くなりました。
辛く苦しい最期になってしまったことを聞いて祈りました。
後悔しない親孝行についても考えさせられました。
信仰も生活も、心の扉が閉まっている人には、
どう語ればよいのか躊躇して祈ります。
聖霊さま、お語りください。
ほとんどの人はそれでOKです。
相手の心が閉ざされて、何も入らない時は?
手放して祈るようにしています。
心を閉ざす社会現象過多のなかで、
それでも神さまはあなたを愛し、あなたと共におられる。
そのことを見れるようになって自分の中にストレスではなく、祈りになって平安があることを気づきました。
感謝で受け止めて祈り続けています。
いやしをされる方はすべてをご存知の神。
この神さまがすべてを見ておられるから、
何も持たずに祈れば、
神さまの方から手を差し伸べられて救われる日が来ます。
私や私の両親や娘や多くの救いを受けた人たちのように・・・。
なおりたい・・・
苦しむ人に、
あらゆる人、あらゆる手段を使ってくださる愛の神がおられます。
生活習慣を安全にすることも、
罪の悔い改めと同じで、自然に帰ることだけです。
悪魔諸霊が入るスキを作らない、
Jesusが十字架で流された血潮によるブロックになって
守られていくでしょう。
主よ、傷ついた人々をおいやしください。
からだよりも心のいやしをそそぎたまえ。
傷ついた大地の叫びをお聞きいただいている主よ、
大地をおいやしください。
わたしたちをおゆるしください。
わたしたちも、彼らも自分がなにをしているのか、わかっていないのです。
ナザレのイエスの御名の権威を持って祈り続けます。
光の朝に。
NameJesus,Amen.