あるお金持ちがわたしのところへきて、
家とか車とか、彼の生活の中の何かを差し上げたいと言いました。
わたしはこう勧めました。
「あなたがお店で新しいスーツとか、何か衣類を買うとき、
いちばんいいものを買う代わりに、
少し安いのを買うようにして、
その残ったお金で、
だれかに何かを買って差し上げたらどうでしょうか。
貧しい人たちになら、もっといいですけれど。」
わたしがこう言い終わるや否や、
彼はほんとうに驚いた様子で、こう叫びました。
「ええ? それでいいんですか、マザー?
今までそんなふうに思ったことはなかった。」
彼が立ち去るとき、他の人の役に立つことを考えて、
彼はほんとうに幸せそうで、喜びに満ちあふれていました。
(マザー・テレサ)
あなたは、自分は富んでいる、
豊かになった、
なんの不自由もないと言っているが、
実は、あなた自身がみじめな者、
あわれむべき者、貧しい者、
目の見えない者、
裸な者であることに気がついていない。
(ヨハネの黙示録 3:17)
聖書にはお金持ちのことがいくつも書かれています。
例えを変えて言われている箇所もあります。
持つものが多いほど、人はやがて苦しくなってくる、
中には、世界を支配したような錯覚に陥っている人も多く見られます。
でも、人は裸で生まれて裸で死んでいく土塊でしかありません。
いつも空っぽでいなさいと言われる神さまの願いを見せられます。
本当の喜びは神の願いに生きているときです。
咲いたお花を見て心が踊る時、
ありがとう!さいてくれてありがとう!
何度もいいたくなります。
人に親切にした時、
相手からありがとうと言われる言葉で元気をもらったりします。
心が通えるのは生きている者同士の触れ合いです。
ロボットやAIなどではできません。
まず神の国とその義を求め、
次に、自分を愛するように
あなたの隣人を愛しなさいと言われたイエス様の言葉をいつも心に過ごせますように。
すべての道に通じる神の言葉が生きて働きます。
今日も笑顔と感謝の一日でありますように。
Amen.
9月6日の葉な言葉
ナスタチウム(キンレンカ)
愛国心・困難に打ち勝つ・勝利・あざけり