ムスカリ
寛大な愛・失望・明るい未来
夢にかける思い・通じ合う心
真の愛は、いつも傷つきます。
人を愛することや、人と別れることは痛みを伴います。
あなたは彼らのために、
死ななければならないかもしれません。
人々は結婚するとき、
お互いのためにすべてを捨てます。
子どもを生むとき、
母親は苦しみます。
それでこそわたしたちは、
ほんとうに愛することができるのです。
「愛」という言葉は誤解され、間違って使われています。
(マザー・テレサ)
”覆われているもので現されないものはなく、
隠されているもので知られずに済むものはない。
(ルカ 12:2)”
日本の政治面でも、聖書のいうとおりに、
神はすべてをご存知で、ある時は黙認、
ある時は光をあてられます。
神に忠実に生きることを神さまは喜ばれます。
今年も2月5日、日本二十六聖人殉教の日がやってきます。
1597年、豊臣秀吉によるバテレン追放令が出て、
大阪、京都のカトリック信者と宣教師が幕府の命令で捕らえられました。
京都・堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされて、ひきずりまわされました。
そして、長崎の西坂の丘の上で処刑される場所まで1000キロを一ヶ月かけて裸足で歩かされました。
西坂の丘はイエス・キリストが十字架を背負って歩かれたゴルゴダの丘に似ているそうです。
子どもの頃に一度しか行ったことがないので、深い記憶はありませんが、
残酷すぎると、子どもながらに思った場所でした。
「私は(自分の死刑に関わった者も含め)すべての人々を赦(ゆる)す。」
「私はすべての日本人がキリスト教の信者になることを望みます。」
日本最初の殉教者、日本二十六聖人の一人、
聖パウロ・三木(1564~1597年)が殉教前に説教で語った言葉です。
日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名。
昨年の2/5のミサをYou Tubeで観ました。
今年は、この場所に大和カルバリーチャペルの大川従道先生が招かれて行かれるそうです。
カトリックとプロテスタントが一つになることを祈っておられる先生。
礼拝の中でも祈祷会でもいつも、多くの教会の名前をあげて祈られています。
私も一緒に祈っています。
その祈りが叶う日が近づいています。
何という感動的な日が来ることかと思います。
神さまは日本を愛しておられるのですね。
ローマ教皇が来日の際におっしゃったように、
私たちはカトリックもプロテスタントもない、イエス・キリストを信じている。
それだけです。
神の愛のなかにあって隔ての壁はないと思います。
謙遜に神の前にへりくだり、礼拝する一人ひとりでミサにあずかりたいと祈ります。
二十六聖人やキリシタン迫害の書物を読むと、
日本人のキリシタン迫害は、
欧米の殺人や虐殺等とは違って、いじめの典型に思えました。
長崎の迫害は、そこまでしなければいけないのかと思えるものが多くあります。
それでも、人々は憎まず呪わず、愛を持って祈っていました。
殉教した人たちが見ていたのは十字架のキリスト。
十字架上ですべての人類の罪のために祈り、
死なれたイエス・キリストと一つになることだったと思います。
苦しみの向こうにある光、
天国の光のなかから、
主イエスさまが両手を広げて迎えてくださる姿に希望を抱いていたと思います。
”また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
(マタイ10:22)”
”そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。
また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。
(マタイ24:9)”
こうなることがわかっていること、
イエスさまはあえておっしゃいました。
”わたしは思う、今のこの時の苦しみはやがて現そうとされる栄光に比べると、とるに足りない。
(口語訳)
”現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、
取るに足りないとわたしは思います。
(新共同訳)
(ローマ8:18)”
私たちの人生のなかでも、
いわれのない迫害や、いじめなどにあうことがあります。
つらく苦しい苦難の道を歩むこともあるでしょう。
けれど、どんな目にあっても、どんなに苦しくても、そばに神はおられます。
神はすべてを見ておられるのです。
キリストの名前によって受ける迫害も、
正しいことに対しての迫害も見ておられます。
あざけるものの座に座らず、
時に地の塩となることもご存じです。
この地上では目的の地に入ることができなかった先人たちのように、
迫害を受けて殺された人たちのように、
ただ、神を信じ、
信仰に生きる人を神さまはそばにいて
永遠の命の世界へ招かれます。
”義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
(マタイ5:10)”
使徒パウロは獄中からこんな言葉を送っています。
獄中からこのように言える信仰、
それはキリストと出会い、
すべてを捨ててこの方に従う人の言葉です。
”あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。
祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
(ローマ12:4)
神の祝福の祈りは、人を変える力を持っています。
信じて天を仰ぎ見て祈り続けます。
2月5日のミサに、大川先生のメッセージに祝福を!
長崎で流された尊い人々の血は、
キリシタン迫害から原爆投下、その後の平和の祈り、
核兵器のない世界への祈りに重なっています。
愛を知らない人は神を知りません。
神は愛だからです。
日本を憐れんでくださる神の愛が
すべての日本人に受け入れられて、
すべての日本人が救われますように。
愛とは?パウロ三木の言葉に重ねて祈ります。
キリエ・エレイソン
Amen.
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