聖餐式に頻繁に通う習慣を身に着けなさい。
それもとりわけ、あなたたちが聖餐式にふさわしく自己を整えたとき、
すなわち、心のうちで罪を悲しんでいるときこそ。
それは、あなたたちが私たちの救い主イエス・キリストを忘れずに、
主の犠牲と死とに思いを向けるためです。
主は私たちからこのこと以外を期待してはおられません。
「自分が下手であるとか、弱いとか、不忠実である」と感じるときに、
あなたは主以外のどこから力をさがすつもりなのですか。
汚れのない強い人間になるのを待ち続けるのは愚かなことです。
そのような存在には決してなれません。
もしも、自分がそのような者だと思い込んでいるなら、
聖餐式はあなたにとって何の益もありません。
(マルチン・ルター)
教会でも聖餐式を毎朝するように勧められています。
主が介入してくださる、見える形を体験するようになります。
自分の人生がどんなに何不自由なくても
主が介入されていない人生はむなしいものです。
今日は主の最後の晩餐を覚える日です。
十字架から流れてくる愛とゆるしが限りなく注がれていることを感謝して
主の愛に生かされますように。
Namejesus,amen.
”わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。
すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
感謝してこれをさき、そして言われた、
「これはあなたがたのための、わたしのからだである。
わたしを記念するため、このように行いなさい」。
食事ののち、杯をも同じようにして言われた、
「この杯は、わたしの血による新しい契約である。
飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。
だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、
それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。
(第一コリント11:23~26)”
4月14日の花言葉
ハルジオン
さりげない愛
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