そういう命を尊重するということを、
どのように力説すればよいのでしょう?
わたしたちは命の偉大さに気づかなくてはなりません。
すベての子どもは神からの贈り物なのです。
わたしたちは、もっとすばらしいことのために、
つまり、愛し愛されるために創られたのだ、
ということに気づくことが大切です。
愛を壊してしまったら、そこには何が残るのでしょうか?
だれでも、若者であれ、お年寄りであれ、
一人残らず、このことに気がつかなくてはなりません。
このことに気づいたなら、
わたしたちは、互いに愛を共有できるでしょう。
わたしたちは、互いを受け入れ合うことができるでしょう。
そしてほんとうに自由になり、イエスさまのお役に立てるでしょう。
(マザー・テレサ)
『権力によるのでも、
能力によるのでもなく、
わたしの霊によって』
と全能の主が言われる。
あなたがたは少数で、弱いが、
わたしの霊のゆえに
やり遂げることができる。
(ゼカリヤ書 4:6)
(ペンテコステの翌朝、一輪目に開花してしてくれたユリ)
今日は三位一体主日だそうです。
ペンテコステの次の日曜日。
(6月3日の朝、台風の風で一輪目のユリが散ってしまいました。)
我が家では愛猫の召天記念日。
逝去記念日という言葉がなんとなく日本人には合うような気がします。
礼拝の賛美のなかで、
イエスさまの腕に抱かれた愛猫に会えた時の喜びと感謝と憐れみを忘れません。
すべての命は主のもの。
永遠まで創世記の神の願いがあることを感謝します。
キリエ・エレイソン
Amen.
(つぶやかず、あるがままに・・・その姿も美しい)
6月4日の花言葉
マツバギク
順応性
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