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HappyChristmas

なぐさめ

1月4日の花言葉
ヒアシンス
スポーツ・遊び・無分別・初恋のひたむきさ
変わらない愛情・悲しみを超えた愛



わたしたちが気づかなくてはならない、
大事なことがあります。
ほんとうの意味で愛するということは、
傷つくということなのです。
事実、他の人たちを傷つけないで
彼らに善いことをするためには、
それが、わたしから何かを奪うことであっても、
喜んで与えなくてはならないのです。
このことは、
傷つくまで与えることを、
喜んで受け入れるよう要求します。
そうでなければ、
わたしの中にはほんとうの愛は存在しないということになり、
周りの人たちに、平和ではなく、不正をしてしまうのです。
(マザー・テレサ 1/4)


”万物は、神からいで、
神によって成り、
神に帰するのである。
栄光がとこしえに神にあるように、
アァメン。
(ローマ11:36)”

神さまがいるならなぜ?
世の中の不条理に出会うと、私はよく叫んでいました。
自分の側からはそう問いたくなります。

神さまの側から神さま第一で見ると、ローマ11のみ言葉で納得します。

そして、最も深いこととして、
十字架にかけられたキリストの姿があります。

罪がない神の子キリストは、人となって33年を過ごされました。
罪なきかたがなぜ十字架にかかって、
血を流し、傷を受けてののしられても、神は沈黙されていた。
キリストご自身、十字架の上で7つの言葉を遺されましたが、
そのなかのひとつに、
「エリエリ、レマサバクタニEli, Eli, Lema Sabachthani?
(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
(マタイ27:46)

人々はキリストを罵って言いました。

神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。
もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい
他人を救ったが、自分自身を救うことができない。
あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。
自分は神の子だと言っていたのだから。

彼らが期待していた神は、
自分たちの願いを叶えてくれる神。
こんな惨めな姿ではなかった。


「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」
(ルカ23章34節)
「よく言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
(ルカ23:43「)
「女よ、見なさい。あなたの子です」「見なさい。あなたの母です」(ヨハネ19:26~27)
「渇く」(ディプソォー)(ヨハネ19:28)
「すべてが終わった」。(ヨハネ19:30)
「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。(ルカ23:46)

この言葉の意味を知ってから、問わなくなりました。

すべてが御手の中にある。
疑わず信じ切る信仰です。

神さまご自身も痛んでおられる。
共に祈られ、苦しみ、慰めてくださっている。
苦しみの向こうに光があるから。

犬や猫は、飼い主が悲しんでいると、そばに来て涙を舐めてくれたり、
小さな声で鳴きます。

神さまは目には見えませんが、
そんな空気以上に包んでくださっているような空気を感じます。
光や自然界は目に見える形で神さまを表しています。

人が急に亡くなった時、
地上、この世界とのお別れの時間に、
もう十分ですと言うまで、そばにいて待っておられる気がします。

さあ、行こう、もう人としての苦しみは終わった。

人がこの地上の世界にお別れができたら、
手を取って天に引き上げてくださる。

このことは私の父の召天の時に感じたことでした。
父は洗礼を受けていましたので天国へのチケットを確保していたため、
心配はしていませんでした。
父の脈が止まった瞬間、不思議な贈り物を神さまがくださいました。
私は父と会話をしていました。
父がずっとそばにいました。
会話をしてくれるのが不思議でしたが、
神さまは父に時間を与えてくださっていると思いました。
人の目から涙を拭い取ってくださる神さま、
父は自分の肉体を見ながら、火葬の時もそばで会話をしていました。


聖書は旧約から新約まで、すべて、イエス・キリストについて書かれています。
このかたを信じて洗礼を受けた人はみな救われると聖書には書かれています。

では、信じないで、知らないで亡くなった人は?
私はイエスさまを知らないで亡くなった人もみんな天国に行けると信じています。

神さまの愛は、すべての人の救いのために十字架を用意された、世が知らない愛です。
この愛を100%知る人はいません。
人には理解できない愛だからです。

わかったちゃんも、頭脳明晰ちゃんも、AIちゃんにも、知識の宝庫ちゃんにも、
預言者ちゃんも・・・
誰にも分からない愛。
神さまのことは人間にはわからないように、聖書に書かれており、罪深い人間に示されています。

”神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じるものが一人も滅びないで永遠の命を得るためである。
(ヨハネ3:16)”

人の思いを遥かに超えた神の愛だから。
出会う機会がなかった人でも悲観しないで祈れるチャンスが与えられていると信じています。
元はすべての人は神の元にいた人たちだから。

罪のない動物や、人間以外はもっと天使にされていると。

聖書を読んでいると、聖霊様が語られている、広くて美しい天の御国を想像するのです。

地上での苦しみはもう永遠にない世界。

あなたはわたしの愛の中に帰ったのだよって、神さまが笑顔で迎えてくださる。

生きてる時に出会えていたらもっと良かったね。
わたしと生きる人生を体験できたね。
あなたが気づくように、すべての自然を与えていたけれど、
忙しくなった時代の中で、自然を見ることもなくなっていた。
生きるのに必死で自然を見ることも触れることもできないほど、忙しく過ごしていたね。

重荷を下ろしてわたしの平安のなかにいなさい。

地上での仕事はもう終わったのだから、安心していなさい。
キラキラと光り輝いている天の世界ですべてのことから解放されなさい。

神さま!
ありがとうざいます!!

両手を広げて神さまの御手の中に走っている姿は、みんなおさな子。
あの時に帰りたいと願っていた姿かもしれません。

いつまでもいつまでもと願っていたしあわせがある神さまの御国で
愛する人たちのために
天使になって働いていくのかもしれません。

永遠に続く愛のなかで・・・。
永遠にアイラブユーの声を聴きながら・・・。

インマヌエル!Amen.
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