DFEの屋根裏BLOG

人生論

ここ暫く、どーでも良いような「現実的な話」を取上げてきたけど
ここらでちょっと立止まり「自分の人生論」なんかを考えてみる。。。

人生は自分自身が主人公の自分を育てるRPGゲームのようなもの。数々の分岐点で思い悩み、色々な物を取捨選択しながらゲームは止まる事なく進行している。。。

実は16才で家を離れたのは、親の考え方にずーっと違和感を感じてて、志望校を決める際にたまたま自分の居場所が見付けられたから。30年近くも前の話しだけど…

そーは言っても、独り立ちするまでお世話にならなきゃならないし、独り立ちしたとしても縁を切るわけにはいかないけど、正直自分が人の親になったら、もっと良い関係を築ける自信はあった。

自分を育ててもらった事には心から感謝してるし、息子の面倒を見てもらっている事にも凄く感謝してるけど、物事の考え方に関しては絶対に理解し合えないと思っている。

親子と言えど、歩いてきた道が違えば価値観だって違いがあって当然。別に互いに合わせる必要もなければ、違うからと言って別居する必要もない。互いにそれを理解し合って、ぶつからないようにすれば上手く行くはず…と自分は思っている。

人間は長い人生の中で、色々な人と出会い、色々な壁にぶつかり、色々な経験を積む事で個々の個性が育まれ、自分なりの価値観、人生観、集団の中で生きていく術を学ぶ生き物だと思う。それは一番近くにいる親から学ぶものも当然多いのだが、それらが自分にとって全てプラスに作用するとは限らない。マイナスだと感じる事も大事だと思う。

画一的な義務教育を受けてきても、金太郎飴みたく全く同じ人間に育たないのは、同じ物を見聞きしても人によって感じ方が違うし物事の捉え方も違うから、そこから新しい思想が生まれ、人類の繁栄に繋がってきたのだと思う。

そーいう意味では、自分と違う思想を持つ人を否定してはいけないし、一つの生き方として逆に尊重されなければならないはず。自分の考え方を無理強いしたり、相手の考え方に耳を傾けないなんて事はしてはいけない。素直に相手の話を聞く事は、見聞を広めるきっかけになるし、感性が磨かれて人としての幅を広げるきっかけにもなると思う。

仮に自分を否定されたからと言って、自らを否定する必要は一切ないし、自分自身を肯定的に捉え胸を張って生きていけば良い。

何だか支離滅裂な事をつらつら書きつらねたけど、これも数々の失敗から学んだ自分なりの教訓。人生ゲームを進めて行く上での、自分なりの人生論なのである。何故こんな事を書くのかと言えば、年明け早々自分の生き方・考え方を強烈に否定されたから。

っま、どーって事ない話しなんだけどv(^^ゞ
自分の人生、自分自身が主人公なんだし。。。 
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