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児童虐待被害からの回復への戦い 其の21

2021-03-20 18:48:52 | 日記
今初めてACの治療を受けだした頃の自分を振り返ってみた。その時は共依存の事など解るはずもなく、ただ親密性と言う言葉が妙に心に残った。親友だと思っていた関係は共依存でこれは偽の親密性、言い換えれば自分勝手な優しさの事だ。今何年も経ちようやくべたべたしない関係を作れるようになって来た。共依存を辞めたかったら簡単な方法がある。今ある人間関係をすべて断つことだ。確かに寂しくなるが慣れれば案外一人でも生きられる。そう言った人間関係の断捨離を2度行って来た。

共依存にはくどいほど時間を割いているが、止めるのに苦労している人も多い。僕は今クリニックのカウンセラーが退職したので大学の心理臨床相談室なら低価格なので申し込んであるが、もう既に私たちには無理です、と断られている。僕もクリニックの心理士は物足らないと感じたが、大学院生だと話について来れないかもしれない。まぁ、やってみなければ解らない。心理士でも嗜癖行動学会に所属している人も東京にはいたので、でも僕の街では無理だと思う。

心理士さんのカウンセリングは傾聴のみだ。一切話しかけてこない。でも話すことで自分で気持ちの整理が出来るので、指示やアドバイスは必要ない。以前養護施設出身者の茶話会があることを突き止め承諾を得て参加した。みな早い時期に保護されているので傷は浅いが、一人の臨床心理士の男性は僕が親の話をしたら怒りが出始めて止まらなくなった。虐待は心理士の心まで影響するようだ。やはり心に悩みを持つ人が心理学を学ぶようだ。けれど先日まで僕のカウンセリングをしていた女性は思春期もいつもどんな時も気持ちが乱れたことが無いと言っていた。流石だ。愛情をもらうと強くなれる。

でも心理士は知識は遭っても体験が無いので、本当に虐待を理解できるのか分からない。ちなみに以前書いた復職支援のセンターの心理士は沢山いたが皆レベルが低かった。でも今カウンセリングもないし、コロナでお家時間が増えストレスが溜まる。笑いヨガも閉鎖になっている。

今はオンラインでの繋がりがメインだが、実際人の温もりを感じないので物足りない。でも今は昔と違いもたれ合う関係の共依存には関心が無くなった。でも昔の独りぼっちの時期には共依存と言えど必要だったと思う。今僕はこうして一人きりでパソコンに向かっているが、出来るのなら友人と一緒に食事でもしたい。これは健全な感情なので自分を責めないようにしたい。

今こうして文章にしているが読んでくれる人はいるのだろうか。一般には馴染みのない分野なので興味のない人も多いだろう。けれど僅かでも関心を持ってもらえれば幸いだ。


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