BikeRide&Climbing
クライミングと自転車。
エナジー日記。
・・・飲酒日記と料理の日々・・
 



超大作の沈まぬ太陽を読破
なんか、、軽いのはさみたかったんだけど、、、
手元にある、「神々の山嶺」夢枕獏
よみはじめちゃった!!


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心が,,イタイ。
ぐいぐい。。引き込まれるのは致し方ないとしても

羽生丈二はいわずもがな、、モデルは森田勝。
ドキュメントは、「狼は帰らず」がある。
長谷常雄は、、長谷川恒男。

この二人だけ、、、架空の名前だけど、歴史的記述に関しては全部実名。
尾崎隆、加藤保男、など。

羽生と森田は、、、はせつねも、、まったくの虚構、ノンフィクションとして読むべき。
が、、、、、、
そこにかいてある挿話、は、、、、かなり事実。

グランドジョラで結果、、森田勝が失敗し、長谷川恒男が成功。
映画までできた。
当時、われらは高校生だった。
山岳関係連中は、、、森田負ける。と、、、揶揄していたものだ。


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たとえば。。。
加藤保男が石黒久と登頂した1973N第二次RCCのとき、、
登頂後、8600mでビバークした彼らを向かえに行ったのが長谷川恒男。
このときは、、高度障害で、加藤保男はほとんど目が見えてない。
石黒さんは、、けっこう大丈夫だったみたい。
(加藤保男本人の講演会が、ワセダであったのよ、、、。)


そして、、、
日本山岳会のエヴェレスト南西壁。
これは、、、まさしく物語どおりだった。(らしい。)
南西壁は失敗し、派生の南東稜一般ルートからの登頂を果たす。
もうう、、、これは書き出しからワカッタ。

シェルパのアンツェリンっも、、超有名タイガだ。

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森田勝も長谷川恒男も、、ともに昭和20年代生まれ。
そう、団塊の世代なのだ

昭和30年。
高度経済成長期
社会人山岳会は、こぞって谷川岳の初登を争っていた時期だ。
森田も長谷川も、自分の居場所を必死で模索している時代背景があるのだ。




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わしの師匠森正弘も、、一時ICI石井のアドバイザーからキャラバンへ移籍した。
おそらく森田勝もその道を取ったのであろう。
石井に一時、、いたからね。
ヒゲの森田。どっちかってと、、小説の羽生より、、カッコいいんだよね。
長身痩躯。ヒゲ。喧恢。。。

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***しかし、あの、胸がひりひりするような山-頂上を見上げれば胸が押しつぶされて
しまいそうになるような思い、そういうものからは別の世界に自分は行くことになる。
***


***誰もいちいち過去の自分の感情にひとつづつ名前を与えながら生きていけるわけでも
ないし、自分の行動に理由をつけながら生きているわけでもない。****


***呼吸するのさえ、苦しい日々が続いた***

***「違う?」
  そう、
  そうだ、違うのだ。
  「何が違うの?」*****

  サガルマータ
  世界にただひとつしかない、この地上の最高の点。
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「羽生のことでひとつだけわかっていることがあるとすればね・・・」

「どこにいようと、何があろうと、生きて体が動く限り、彼は山の現役だってことです。」


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(続く)

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