もう四半世紀以上も前のこと。大学生の頃、所属研究室の飲み会で、二次会(カラオケ)が終わり、三次会(夜中でも開いている居酒屋かうどん屋)も終わって、それでも朝にならないので、誰かの下宿先に集まって明け方まで(もうお酒は飲まないでお茶などを飲みながら)マッタリ過ごそう、ということが何度かありました。そんな時、一度ではなく複数回リクエストされたと記憶しておりますが、四年生の女性の先輩から、ア・カペラで歌ってほしいと言われて歌ったのが、「22才の別れ」でした。でも、この曲のリリースは1975(昭和50)年のことですので、当時4歳だった私は、もちろんオンタイムで憶えたものではなく、中高生の間にラジオで聴いて憶えたのです。
高校を順調に卒業し、浪人しないで大学に進んだ者が、大学を4年で無事に卒業するその時に経験する別れが「22才の別れ」ではあります。でも、歌詞を読めば分かりますし、1975(昭和50)年の大学進学率が27.2%だったことを踏まえても、この曲は、大学卒業時の別れの歌として捉えるのは甚だ苦しいです。そのことは分かっておられたのでしょうが、きっと女性の先輩は、22歳という御自身の年齢に重ねて、この曲を私に何度もリクエストされ
たのだと思います(実は、谷村新司の「22歳」もリクエストされた記憶がありますので、やはり御自身の年齢に重ねて、曲をリクエストされたのだと思います)。
さて、この「22才の別れ」については、私は全然解せない所があります。これは、私が男だからかもしれません。以下は、この曲に対する私の理解です(間違っていたら、何卒御寛恕下さい)。
この曲は、同棲している男を見限って(男の「知らないところへ嫁いでいく」ために)自発的に別れていく22歳の女の心情を歌ったものです。でも、この女の人、いつの間にか黙って立ち去るのではなく、男にきちんと「さよなら」って言って別れるんだよなぁ。そして、「さよならって言えるのは今日だけ」なのです。なぜなら、女は男が好きだから。明日、また、男の「あたたかい手にふれたら」「さよなら」を言えなくなりそうだから、「今日だけ」なのです。
では、好きなのに、なぜ、別れるのか? それは、女は現実言い換えれば将来を考えたのです。女は、親戚のおばちゃんから、とても良い条件の縁談の話をもたらされ、同棲している男に内緒でお見合いしたのです(たぶん)。以下は、私の妄想?です。
お見合いの席を立ち、二人で近くの喫茶店で話をしたあと、駅でお別れした。「会ってみたら、私にとても優しくしてくれるし、さわやかだし、定職に就いていらっしゃるし、申し分ないわ。」女は率直にそう思った。その日の夜、親戚のおばちゃんが電話をかけてきて、こう言った。「どうだった?良い人だったでしょう。さっき、先方の世話人から電話があって、結婚を前提にお付き合いしたいです、という返事をもらったのよ。ねぇ、どうする? このチャンスを逃したら、こんなに良い縁談、これから先、あまり無いと思うわ。勤務先も安定した所だし、毎日きちんと食べられるって、とても大事なことよ。早く結婚するって、何よりの親孝行よ。お父さんとお母さん、安心すると思うわ。まぁよく考えてみてね。」
その夜、女はなかなか眠れなかった。「隣で寝ているこの人のことは好きだけど、夢ばかり追いかけていて、先が見えない。」女は、17歳の時に知り合った男との五年間を振り返り、なかなか眠れなかった。
翌日、男が出かけている時に、女は、親戚のおばちゃんに電話をかけた。「私も、結婚を前提にお付き合いしたいです。よろしくお願いします。」何かを吹っ切るように、力強く、そう言ったのだった。
妄想、終わり!
でも、大体、こんなシチュエーションでしょう。
“一緒にいる男のことは好きだけど、これまでの五年間、夢ばかり追いかけて、全然うだつが上がらない。そこへ、甚だ条件の良い縁談が舞い込んできた。親戚のおばちゃんの強い勧めで、会うだけと思って会ってみたが、当初の意に反して、お相手に好印象を抱いてしまった。お相手は、私のことをとても好いてくれている。どうしよう。一晩悩んで決意した。翌日、おばちゃんに伝えた、よろしくお願いします、と。”
女は、五年間の膠着状態を打破したかったのです。いつ抜け出せるか分からない男との貧乏暮らしに終止符を打たない限り、「次」へ進めないのです。女は、「次」に進んで見たかったのです、できれば五年間一緒にいた男と。でも、それは無理だと分かっているから、自分を「次」へ連れていってくれる別の男に嫁ぐことに踏み出したのです。
この曲のサビのところの歌詞が、一番・二番とも意味深です。
(一番)
わたしには鏡に写ったあなたの姿を見つけられずに
わたしの目の前にあった幸せにすがりついてしまった
(二番)
今はただ五年の月日が長すぎた春と言えるだけです
あなたの知らないところへ嫁いでゆくわたしにとって
ここまでは、解るのです。ところが、私が全く理解できないのが、最後のところ。
(最後)
ひとつだけ こんなわたしのわがまま聞いてくれるなら
あなたはあなたのままで変わらずにいてください そのままで
いやぁ、男としては、この「わがまま」を聞くことは、できないでしょ。男の側にしてみれば、女から別れを切り出されるのは、寝耳に水。「あなたのままで変わらずにい」たので、夢が叶わず、貧乏暮らしから抜け出せないでいるのに、「あなたのままで変わらずにい」ることが果たして良いことなのか。加えて、別れを切り出された側としては、平静でいられないですよ。下手すると、自暴自棄に陥るでしょうし、ふつう、「俺、変わらなきゃ。」と思うでしょ。だから、
あなたはあなたのままで変わらずにいてください そのままで
は、男にとって、とても酷な要請です。でも、女にとってみれば、「わたしが好きになったあなたは、そのあなたなのだから。」という思いなのでしょう。それは、そうなのかもしれないけれど、やはり男としては、「あなたはあなたのままで変わらずにいてください そのままで」は、受け入れられないです。だったら、俺と別れるな、と思うのです。
この曲の最後のところは、こんな風に思ってしまって、未だに理解できていないのです。
作詞・作曲は伊勢正三、しょうやん。しょうやんは、多くの国民が大好きな名曲「なごり雪」や「海岸通り」など、他にも別れの歌があり、私もこの2曲は大好きです(「海岸通り」は、自室にいて陽光が入らなくなってくる夕方にラジオから流れてくると、思わず泣きそうになります)が、「22才の別れ」だけは、約半世紀生きてきても、理解できない部分があり、スッキリしないのです。