台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

997 ブログ997 今日は、節分。

2014-02-03 16:45:40 | 台湾
わたしが初めて、キス・接吻をしたのは、いつの頃か?
確か、高校生の夏だった様に覚えています。
もちろん、幸ちゃんや雅代さんではありません。
 名前は、秘密。
どうして、そうなったのか、わからないうちに、お互いの唇に・・・していました。
若かったのだと思います。
若いと言うことは、「性への衝動」が強いですから。
彼女は、とても可愛い人でした。
 愛してもいなかった。彼女も、わたしを愛していません。
男と女。
 不思議です.そう言う行為をしている間に、別の愛が芽生えてきます。
本質は、愛のない行為は、お互いしたくないものです。
  愛がなくても、そう言う行為は、できるものです。
だから、互いに、お互い愛し合っているという錯覚を起こさせるように激しくむさぼり合いました。
それから、何人の人と・・・。したのか忘れました。
 
今は、・・・。キスは、孫にしたい。
孫は、可愛いと思います。毎日、なめ回しそうです。

 もうしばらく。そう言うこととは、遠ざかっています。
もう歳ですから。
相手が許せば・・・します。
けど、・・・。強姦とか痴漢行為は、嫌です。
そう言うことは、一度もしたことありません。
和姦が一番。
 生涯、キス・接吻・節分をしていくだろう。
再見。

996 ブログ996 大学時代の友達。

2014-02-03 15:58:09 | 台湾
わたしにとって、大学というのは、「落語研究会」に入るためのものでした。
ここでわたしは、「人間」とは、「芸」とは、「貧乏」とは、「どもりである」と言うことは、・・。ともだちとは、たくさんのことを学ばせてくれました。
もちろん、すべて身体で覚えたことです。
 身体を通して、学んだことは、いつまでも忘れません。
落語家がいつでも、「落語」が話せるのは、必死になって、自分の芸を磨いたから・・・るわたしのレベルは、みがくと言うほどのレベルではありません。
かじったと言う程度。
けど、それを通して、生きる喜びを人に与えることも出来ました 。
そう言う意味では、「落語」は、わたしのバイブル。
教科書。何となく、間が抜けたような自分がそこにいました。
もちろん、わたしより、落語のうまい奴は、たくさんいましたる
松沢、標、福田、雄ちゃん、本多、いとう。酒井

挙げればきりがありません。わたしよりへたな人間を捜すのが大変でした。
いなかったかもしれません。
いいんです。落語がヘタでも、働ければ。落語がヘタでも、麻雀が強ければ
いいんです。・・・でも。
この生き方は、わたしのこの後の人生の考えの基本。
誰でも苦手があります。それを他のもので補えば・・・る
落語研究会の仲間は、本当に暖かい人達でした。
とくに、『石井』という人物は、わたしに安心感・安らぎを与えてくれた人物。
初めて、自分より、不器用な男に会いました。
まるで「寅」みたいな奴でした。現実社会には、中々適応できませんでしたが・・・。
とても「ユニーク」な発想する奴でした。
それと、よく女の子に振られていた。これもわたしによく似ていました。
彼のアパートにいるだけで心安らいだ日々を過ごしたように思います。
 四年間で、四ヶ月ぐらい一緒に生活してようにに思います。
だって、彼の家に行けば、飯は、ありつけたし、麻雀したり、ギャグ考えたり、
楽しいことばかりでした。
 一つだけ嫌なことは、一緒に風呂屋に行くこと。
彼の逸物は、すさまじくでかい。
わたしは、日本人で、このでかい逸物は、・・・。
アメリカで、「エロビデオ」を見た時、彼を超える黒人がいると言うことを確認しました。

 今となっては、すべて「走馬燈」のようなよもやま話です。 再見

995 ブログ995 青春の蹉跌。

2014-02-03 15:52:39 | 台湾
石川達三の本です。石川達三は、大体読みました。かれと黒岩重吾の作品が好きでした。青春というのは、いつまで言うのだろう。
10代、20代、30代がギリギリか。
わたしは、現在も・・・。身体が言うことを聞かないでしょう。

若い頃は、みんな失敗をします。人をだますことも、ダマされることも・・
今と成った今では、想い出の一つ。
この主人公は、貧しく育ち、いつか金持ちになりたいとあこがれていた。
彼には、献身的な彼女がいた。そして、幸せに生活していた。
ところが突然、かねもちの美しい女性が現れて、・・・。彼は、この女の結婚すれば、
金持ちになれると思い・・・思惑通りに事が運ぶ。
 一つだけ。邪魔なものが・・・障害があった。
それは、元彼女。彼女のお陰で今日まで生活出来たのに・・・。
かれは、計画的な殺人計画を思い立つ。
いろいろ巡らし、湖に彼女を沈めようと・・・る
結論は、・・・・・。
 是非お読みください。
わたしは、余り悪人には、なれない。人に対しての恨みとかは、ない。
もし、いたとしても、反面教師にして、この人からも学びました。

若い頃は、一杯・・・・しました。
けっしてだますつもりは、全然ありません。
「縁」がその程度だっただけです。
人とひとは、「縁」の中で出会う。
そして、自分なりに良い人、少し嫌な人をかぎ分け・・・。
もうわたしは、良い人しかつきあいません。
 仕事ならつきあいますが、自由時間けずってまで、嫌な人とつきあうのは、ごめんです。
わたしの人生の中で、わたしにダマされたと思っている人ごめんなさい。
良い先生を演じていただけです。
本当は、いつもドス黒い血がどこどこ流れているのです。 今となっては、すべて時効です。


どうかわたしにダマさせたと思っている人ごめんなさい。 再見。


993 ブログ 993 わたしの劣等感。

2014-02-03 02:15:50 | 台湾
わたしは、自分の人生は、劣等感との闘い。
一番は、なんと言っても、「どもり」これは、なぜ起こったのか未だに、わからない。
ただ小学校四年生の時、みんなの前で話そうとしたとき、突然始まった。
どうして、なぜ「ドモル」のか自分ではわからない。只必死に話そうとすればするほど、みんなに笑われた。だから、みんなの前では話せなくなった。ゆっくり話すとそうでもないのだが・・・。わからなった。吃音というものがどうして起こるのか?
十歳で始まり、二十歳ぐらいまで。この十年長かったように思う。
それでも人並みに恋をし、生活的には 、何ら変化は、ない。大学で落語と出会い・・。
これは、すごい。他の人になることが出来る。「演じる」と言うことを覚えた。
演じている人は、不思議とドモらなかった。理由は、わからない。
そんな与太郎や若旦那など、落語の登場人物を自分の生き方に投影すると、言葉がなめらかに話すことが出来た。これは、わたしにとっても、10年来の課題を克服出来た。
これが一番大きい。課題は、誰でも持って居る、劣等感という奴は、誰にもある。どんな大人物だろうと・・・。みんなある。
それが目立つ人のと目立たないだけの差。
 後は、頭が良くないと言うことかな。けど、それは、それぞれの能力の違いだから。
自分の中で、時間さえ掛ければ、解決できると信じている。自分で、そんなにたくさん勉強してこなかった。特に大学時代は、自分の好きなことだけ。好きなことは、そんな苦なくできたが、苦手だと思うと・・。英語がそうだった。「HE」{SHI} の区別が付かなくて、悩んだことを今でも覚えている。自分では、HEと言っているのに、相手には、SHIにきこえるらしい。これは、諦めた。
 今でこそ、小さな問題だが、当時のわたしには、どれも大きな問題。
 そう言う反面。自信があったことは、どんな困難にもめげないこころ。忍耐力。
これは、子供時代の新聞配達から。あさ三時に起きる習慣は、今では、不思議なことだが
当時は、楽にこなせた。それと、身体を切るような寒さ。これは、未だに苦手。
暑さは、耐えられるが寒さは、わたしは、余り得意ではない。
 楽天的な生き方。これは、身につけると、そんなに困らない。それだけ、いろいろ失敗を重ねたと言うことです。結婚して、財布を何度無くしたことか・・・。妻に呆れられた。こんな自分とつきあうのは、もうごめんだと言うときもありましたが・・・。
今も、自己愛は、強い方。だから、人の失敗は、命に関わらなければ、大体許せる。
「にんげんだから」と言う言葉が大好き。  
  今、自分の人生を振り返ると、教師という仕事を選んだことが、大正解。
これ以上、自分のような怠け者にぴったしなしごとは、なかった。
仕事選びは、結構苦労するだろうがやってみると、楽しい。現役教師時代のことは、
わたしには、楽しい想い出。もちろん生徒とのふれあいも。
 今どういうわけか、自分の人生を振り返っている。
ああこんなこともあんなことも・・・。今となっては、良い想い出。
 新しい、想い出を作るために今日は、頑張ろうと思う。
再見。

994ブログ 994 わたしに影響を与えた人物編。 恋をした人達。

2014-02-03 00:38:05 | 台湾
まずは、なんと言っても、「幸ちゃん」。
この人は、わたしの永久のマドンナ。
中学二年生から、この人のことを教師一年目まで、9年間わたしに人を好きになる喜びを教えてくれた人です。想い出も、一つや二つではありません。
今も、元気に生活していると信じています。もう何年も連絡取っていません。
 けど、いいのです。自分の心の中に息づいていますから。
昔、幸ちゃんとの思い出を綴ったら、一万字をゆうに超えてしまったことを覚えています。
その原稿は、データを無くし、・・・。
今それを復元しようとすると・・・、果たして出来るか自信ありません。
ゆっくりゆっくりたどれば、きっと欠けると思うのですが。
わたしの青春時代を代表する人です。いつも彼女の笑顔を想い出して生きて居ました。

 もう一人は、雅代さん。彼女とは、ほぼ1年間の付合い。
幸ちゃんとは、また違うタイプの女性。
耐える女性。いつまでも、待っていてくれた人です。
 後年、退職前に何度か、会い。変わっていませんでした。
今も、昔も。同じ性格で生活していました。迷惑とは、思いましたが連絡し合い、
会いに行ったのを覚えています。

 この二人ですね。妻とは、まったく別物。妻は、妻なんです。
自分の若い頃のノスタルジア。故郷のようなものです。

 誰でも持って居る故郷。そんな若い頃の想い出です。

いつまでも、思っていることだろう。
                       再見。