1873年は明治6年のお話です。時代は( `ー´)ノ文明開化の時代到来します。皇室で皇后陛下が「お歯黒」「眉墨」をやめ、文明開化の模範を示された日が今日なんだそうです。気になるお歯黒・・・調べてみました(笑)
「お歯黒」は明治初期まで長い歴史を経て続いていた女性の習慣でありました。文字通り・・・歯を黒く染める風習でありますが??その別名を鉄漿(かね)」「かね」「はぐろめ」「歯黒」「涅歯(でっし、ねっし)」とも呼ばれていたそうです。化粧品の一種で、時代の風俗によって歯を黒く染める鉄の溶液や、またそれを使用して歯を染めること、あるいは、染めた歯を示すような習慣であったそうです。 お歯黒の起こりは日本古来からあったという説、南方民族が持って来たという説、インドから大陸、朝鮮を経て日本に伝わったという説があるそうです。ん~・・・これもこ深そうです!!!この三つの説はいずれも定説がないのが現状なんだそうです。外国から伝来した風習であるとして日本特有の文化に練り上げ千年以上の永きにわたり日本婦人のむし歯の予防にも役立っていたとされています( `ー´)ノこれは素晴らしい( `ー´)ノ 日本国最古の辞書といわれる938年刊本に「・・・黒歯 (こくしの) 国 (くに)、東海中にあり。その土俗、草を以て歯を染むる故に曰く。歯黒は俗に 波 (は) 久 (く) 路女 (ろめ) と云ふ。婦人黒歯具有り。故にこれを取る」の記載があるそうです。少なくとも千年前にはすでに化粧の道具の一つとしてお歯黒道具のあったことが推察されているそうです。
江戸時代においては既婚婦人のしるしであったお歯黒( `ー´)ノまずは白い歯を染めて、「二夫にまみえず」との誓いの意味あいがあったそうです。江戸時代の浮世絵には医療を取り扱ったものや 房 (ふさ) 楊枝 (ようじ)による歯磨き、婦女子のお歯黒などがみられます。いろいろな意味があったんでしょうね!!お歯黒て・・・・
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