北朝鮮による拉致被害者、有本恵子さん、現在は60歳になっておられます。拉致された当時は23歳だったそうです。恵子さんのお母様、嘉代子さん(94)が3日に心不全で亡くなった報道。ご親族によると、心臓病を患っていた嘉代子さんは5年ほど前から入退院を繰り返していたそうです。
行方不明から5年後の1988年9月、恵子さんが北朝鮮で暮らしていることが判明。その後30年以上にわたり、娘の帰国を願って明弘さんと2人で政府などに救出を訴え続けていました。よく報道で見ました。拉致された娘さんにきっと会いたかったと思います。
神戸市外国語大の学生だった恵子さんは1983年7月、留学先のロンドンで北朝鮮に拉致されました。恵子さんは自分で学費などを工面し、明弘さんら家族の反対を押し切ってロンドンに旅立ったそうです(T_T)恵子さんからの手紙は、同年10月に届いたデンマーク・コペンハーゲンの消印が残るものが最後になりました。しかしこの手紙は北朝鮮の偽装工作と指摘されています。88年には、別の家族に届いた封書から恵子さんは北朝鮮で暮らしているとの情報がありました。
以降、「拉致」を疑った明弘さんと、調査・救出を求め、何度も外務省や各政党、警察に足を運んだそうです。すがりつくような思いで・・・訴え続けましたが、当時の担当者は「根拠がない話で、動けない」などと繰り返したそうです。
事態が動き始めたのは、よど号乗っ取り犯の元妻が法廷で、恵子さん拉致を証言した2002年3月。同年9月には小泉首相が訪朝し、北朝鮮側が正式に拉致を認めました。拉致から、20年近くの時が過ぎていました。当時、北朝鮮側から示されたのは「ガス中毒で死亡した」との死亡診断書。しかし、嘉代子さんは信じず、希望を失わなかった。工場経営で家族を支える明弘さんに代わり、拉致問題の解明、被害者救出を訴えた講演活動を何度も繰り返し、思いをつづった著書も出版した。近年、拉致被害者の再調査の中止や、ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮への怒りを募らせるばかりだった。しかし、18年6月にトランプ米大統領が米朝首脳会談を実現させると、会談の度に「生きている間に解決を見届けたい」と希望を抱いたそうです。毎年、恵子さんの誕生日の1月12日には自宅で赤飯やケーキを机に並べ、一緒に祝える日が戻ってくることだけを願い続けたそうです。「拉致された人が戻るよう朝晩、神頼みしている。恵子は必ず帰ってくると信じている」と話していたそうです。
何度も書きますが、難しいのは理解しますが、なんにも動かない拉致事件(T_T)みなさんご高齢です・・・なんとか会わせてあげたい!!帰してあげたい・・・何とかならんのかいな???
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