2008年10月、中国・北京市で「ワールドマインドスポーツ」という名の下に、シャンチー、チェスなどのマインドスポーツの祭典が行われました。
このとき参加したシャンチープレーヤーらに『象棋文化』と題する冊子が配布されました。この中に「シャンチーの起源」という1章が設けられていますので、紹介します。
ここではシャンチーの起源について断定的なことは書かれていませんが、現状におけるこの問題に対する中国シャンチー協会の見解を示すものとして、意味のあるものと考えます。
シャンチーの起源
『象棋文化』(2008 中国シャンチー協会編、非売品)より
シャンチーの起源はいつ、どこなのか?
すべてのシャンチー愛好者はそれを知りたいと考える。しかし、手に入る限りの参考書のページをめくっても、その「模範解答」を得ることはできない。
この問題は、チェスにも関係することから、世界の棋類史界の関心を集めてきた。総じていえば、シャンチーの起源には「外来説」と「中国起源説」の二つがある。外来説の中では、インド、エジプト、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、アラビアなどの発祥説がある。
インド起源説を唱える学者は、シャンチーの最も古い雛形は2世紀から4世紀にインドで流行した「チャトランガ」であると言う。それは4人でするゲームで、「四方棋(Four Party Chess)」と称する。盤には81の升目があり、4人はそれぞれ8個のコマを持つ。統帥(キング)1個、象(ビショップ)1個、戦車(ルーク)1個、騎士(ナイト)1個、歩兵(ポーン)4個である。コマは升目の中に置かれ、サイコロを振ってコマを動かす。取ったコマの数によって勝負が決まる。
この「四方棋」はかつて中国で流行した古代のゲーム「六博(りくはく)」を思い起こさせる。四方棋同様、サイコロを振ってコマを動かす。両方とも同類の比較的低級なゲームである。しかし、六博は1対1の二人で行うものである。したがって中国生まれの六博は、チャトランガよりもシャンチーの「鼻祖」としての資格を有している。
『論語』中に六博に言及があるところから(※)、六博は少なくとも二千年前の春秋時代には生まれていたことになり、明らかにチャトランガよりも古い。(孔子は紀元前552-479)
さらに、中国とインドという二大文明国の正式の交流は東漢(日本では「後漢」という)の明帝(在位57-75年)の時代に始まったものであり、1世紀後半のことである。つまり中印両国の文化交流が始まった後に、チャトランガはインドで流行したのである。中国の六博がインドに伝えられ、それが変化してチャトランガになったのではないだろうか?
以上の分析を通じ、中国で億万の愛好者を有するシャンチーは、「舶来品」である可能性よりも「国産」の可能性が高いといえるのではないだろうか?しかし、注意すべきは、これはあくまで「可能性」であって、決して唯一の「模範解答」ではないということだ。
もしこのような棋類史上の大問題がかくも簡単に解決するとすれば、棋類史は学問とはなりえないのだ。
※『論語・陽貨第十七』
子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉、不有博奕者乎、爲之猶賢乎已。
子曰わく、飽くまで食らいて日を終え、心を用うる所無し、難(かた)いかな。博奕(はくえき)なる者あらずや。これを為すは猶(な)お已むに賢(まさ)れり。
孔子がおっしゃいました、「腹一杯食べるだけで一日何もせず何も考えない、困り者だな。囲碁や将棋というものがあるだろう。たとえ遊びでも何もしないよりは役に立つ。」
(「博」は六博、「奕」は囲碁を指すとされる。)
