「ネコの手も借りたい多忙苦戦格闘日記」オーダー専門店k.nyangoケイドットニャンゴの裏側

名古屋に拠点を持ち持続可能な想いの中で創り続ける”いのうえきょうこ”の
デザイン・イメージの現場

呉港

2007-08-15 01:43:57 | 背筋が伸びる想い

 

原爆ドームの写真を探していたら、呉の写真が出てきた。

広島と云う場所は、生まれ育った東京以外知らない私が
初めて暮らした地方都市である。
京都から西は、行ったことがない頃であった。
神戸も知らず、明石のトンネルを越えると、途端に寂しくなる風景が
ひどく心細かった。

何もかも、東京と比較してしまう時期を、乗り越えてしまうと
どんどん、面白くなっていった。

今、住んでいる名古屋辺りと、広島辺りのを地図で比べると
南の太平洋側から北の日本海までの距離が、半分以下である。
ところが、南の海を向いても、山があるのである。
つまり、飛行機に乗って上からみると、よくわかるが、
深い谷に、水を流し込んだら、瀬戸内海になったと云う地形で、
ちょっと高い山が頭だけ、チョンと出しているように、無数の島があるのだ。

しかも、四国が防波堤のように、風を遮ってくれるおかげで
穏やかな気候で、冬、雪が降っても、光りは春のうららかさのようである。

そんな、うららかな海を見ながら、海岸沿いを島の方に向うと呉がある。
呉の街を越えて、少し小高い山の道を行くと
両手を広げるようなドックを見下ろせる場所に出た。
呉軍港であった。
かつて、”戦艦大和”を秘密理に造船した処である。

対岸に、海軍兵学校があった、江田島がある。
無数にある島のひとつである。

綺麗な音戸大橋を渡って、兵学校後に着いた。

そこの写真は、一枚も残っていないが
記憶では、奇麗な木造の建物であった。
そして、もっとも、鮮明に覚えているのが、昇降口のようなところに
ひっそりとある”山本五十六”の胸像だ。
ちっとも、華々しくなく、偉そうでもないところが好感が持てた。
そして、つややかに、光っているところが、尊厳を表しているようにも思えたのだ。

今になって思うと、もし、東京しか知らないで暮らしていた自分と
地方都市の暮らしをも知っている今の自分とでは、明らかに違う。
そして、初めて暮らした街が広島であったことは、本当によかったと思える。

横須賀を見た時、大きなクレーンが立ち並んで、巨大な軍事工場に見えたが
呉の記憶は、菜の花やツツジの花の向こうに潜水艦があるような
もっと、普通に身近にある。

せめて、一年に一日位、そんなことを想う日にしてもいいのではないだろうか。

 


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