関西ヤングジュオン日記

森林ボランティア講座in関西
の修了生たちのその後の活動日記

5/3~8 震災ボランティアに行く

2011年05月08日 | 震災復興支援
5/3 
早朝に9人が集合し、2台の車で仙台に向かう。新潟で1人をピックアップする必要があったので、ルートは京都南~米原から北陸道を通り、夜21時すぎに宿泊先の仙台市内に到着。運転手が沢山いたので交替しながらでしたが、途中渋滞もあったので約14時間の行程でした。仙台に近づくにつれ、震災の影響でしょうか、高速道路もギャップが多く、一部工事している箇所もありました。

5/4

大学生協が主催して集めた、大学生たちのボランティアグループに混じって、私たち元学生のおじさん9人と1人の女性が私たちJUONグループとして活動することになります。ただこの日は作業がなく、仙台市のJUONの理事の方のお宅をお邪魔して、地震の時のお話などを伺いました。

仙台市内(仙台駅周辺)も歩きましたが、すでにこのあたりは一見、普通の生活が営まれていたような気がします。(気づかないところはいっぱいあったでしょうが)。お昼は名物の牛タンをいただきました。

夕方には、ボランティアにあたってのオリエンテーションがありました。

5/5~7
私たちJUONグループは、東松島市の大曲地区というところに行くことが決まりました。大学生たちに混じってバスで1時間半ほどの移動です。

私たちも5人ずつの2グループに分かれて、大曲地区のボランティアセンターの指示で、各家庭に赴き作業のお手伝いをします。




ヘルメット、防塵マスク、ゴーグルなどを装着して、シャベル、土嚢袋、ほうき、ちりとりなどを一輪車に乗せて、グループごとに指示されたお宅に徒歩で向かいます。






当然ながら、まだまだ周囲の状況はこのような状態です。

5/4の夕方のオリエンテーションでも事務局の話に次のような話が印象に残っています。「ボランティアしたい人は多いが、ボランティアされたい人は多いわけではない」

私たちも、一番初めのお宅に伺ったときに、「別にもうあんまりないの、大丈夫よ」という声。たしかにそこのお宅は、床上浸水で2mぐらいまで水はきたらしいが、かなり片付いている方であった。

でも、そこは年の功といいますか、色々当時の状況などお話をお聞きしながらやりとりをしていますと、やっぱりやることはあるんです。「それじゃあ、これやってもらえるかしら」とそのお宅の奥さんはおっしゃいました。


一軒目が終わって、ボランティアセンターに電話連絡すると、「次は○○さんのお宅に向かってください」との指示。

そこは大きな農家のお宅でした。先ほどのお宅より少し海側であったこともあり、被害は相当ひどい状態です。
家財道具(タンスなど)を運びだそうにも、家の中に相当のヘドロが流れ込み、タンスも、その中の服も水をすってしまい、中のものをださないととてもじゃないが運べません。


旧家のようで、どのタンスも今のような合板ではなく、全て1枚板でしっかり作られているものばかり。壊しても良いとのことですが、簡単に壊れてくれません。
持参していたバールやノコギリ、ハンマーなどを使って、タンスを壊して中のものを出します。中の服などはもちろん全部水につかって、ヘドロも相当たまっている状態です。当然臭いもきつくなります。


ここでも大事なのは、作業をするだけがボランティアではないような気がします。そこのお宅の奥さんは、気さくな人でよくおしゃべりをされます。私たちもその方を「お母さん」と呼びながら、いろいろ話を聞いたりしながら作業することを心がけました。それも大事な作業だと思いました。




お昼は、ボランティアセンターに戻って食べ、また午後は同じお宅に行く場合もあり、違うお宅に行く場合もあるなど色々です。どのようなニーズがあるかなどのヒアリング、ボランティアの存在を知らない方もいるので、お知らせのチラシなども配布しながらの作業です。


ほぼ3日間、同じような形でお手伝いをしてきました。


毎日夜には、各地域から戻ってきた大学生たちと、活動の報告、ふりかえり。
初日などは、大学生たちも思うように活動ができずに、彼らなりに悩んでいる人もいましたが、全体でシェアをしたり、自分たちで考えたり、元大学生の私たちからも少し助言をしたりして、1ターム4泊5日の活動を終えました。


5/7夜
大学生たちはあと1日作業がありますが、私たち関西グループは、一足お先に帰路につきました。
幸いにも全く渋滞に合うこともなく、8日の早朝に関西に到着、解散となりました。





まだまだこの時期の東北は、時折涼しいくらいでしたが、これから梅雨に入り暑くなってくると、ヘドロなどの臭いも更にすごくなるでしょう。復興への道のりはまだまだ遠い感じです。


今回の被害は、地震もさることながら、津波の被害がすごいということです。これは阪神大震災とは全く異質なものだと言えます。そして被害エリアが広いということも・・・


今回の活動への参加にあたって、数名の方からカンパを頂きました。交通費や昼食代の一部に使わせていただきました。
ご報告ともに、お礼を申し上げます。
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