家庭菜園の土壌改良のために、寸暇を惜しんで堆肥づくりにいそがしい。
昨日もお天気を気にしながら落ち葉拾いにでかけた。
時折『なにしとってん』と声をかけられることがある。
しかし今日の声掛けはいつもと違った。
「ふるさとって---」
要するに私にとって故郷わ?って問われたら、あなたならどう答えるか?という意味の問いかけであった。
すばらしい童謡 ≪ ふるさと ≫に歌われたような故郷はどんどん減少している。
かくいう 私の通っていた小学校は大阪市南区にあった東平小学校だったので私にとっては、大阪地下鉄の谷町線の
谷町九丁目駅を地上に上がったところ近辺ということになる。しかもここには私の家の菩提寺もある。
ところが探してみても菩提寺と大きな道路を挟んで反対側にあった本照寺という懐かしいお寺は今は存在しない。
大通りを作るために、移転を余儀なくされて移ったとのことであった。
ふるさと----という観点でみると、私の懐かしい故郷の光景はもうこの世に存在しないのだ。
そんな意味の答えをすると、『 ふるさとって---- 』と尋ねたその古稀を過ぎたぐらいのお方は
『 そうだねー 日本人の多くは 心の故郷を失いつつあるんだねえ 』とさみしげにお礼を言われて過ぎ去られた。
振り返ってみるとそんな今の私には、自分達で作ってきた故郷といえるこんな光景がいつも見守ってくれている。
大都会のような利便性は極めて低く問題にならないが、心という観点では地方都市が優れているように思えた。
今日はなんか感慨無量の落ち葉拾いであった。