“K.mama”の気ままな1日

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3・17 信徒発見から150年

2015年03月16日 | ★長崎の風景・話題

大浦天主堂の前を通ったのは先週の土曜日、その時の写真です。

久しぶりの友人とこの近くのカフェで待ち合わしました。

ちょうど観光客は韓国人が多くて飛び交う韓国語に興味津々、

耳を傾けながら歩いてました。

ちょうど通りかかったいつもと同じ顔の天主堂。観光客に交じ

って写真を1枚だけ撮りましたが、明日17日が150年目に当た

るというある記念日だったとは。

 

たまたま今日のローカルニュースでの『信徒発見から150年』

の言葉と大浦天主堂の映像。

 長崎に住んでいる者としては知っている話ですが正確な内容を

お借りしました。 ↓

 

「日本の信徒発見」とは、幕末の1865年(元治2年)3月17日、

大浦天主堂のフランス人宣教師ベルナール・プティジャン神父の

もとに、隠れキリシタンが訪れ、自らの信仰を表した出来事である。

長崎の大浦天主堂は、居留フランス人の司牧のために同年2月に

献堂されたが、信徒たちが訪れたのは、そのわずか1ヵ月後のこと

であった。

この時、十数名の男女を代表して、一人の女性が同天主堂のプティ

ジャン神父に、「われらのむね、あなたのむねと同じ」と信仰を

表明しながら、「サンタ・マリアのご像はどこ」と聞いた。

これが長く厳しい弾圧に耐えながら、信仰を固く守り抜いてきた

日本の信者たちが再び名乗り出た瞬間であった。

これは世界の宗教史上の奇跡と言われている。

 

 

さて、ニュースからの補足ですが、大浦天主堂は当時はフランス寺

と呼ばれていたそうで、実際に向かったのは浦上のキリシタン14、

15名。

奉行所の目をかいくぐるために海経由、山経由といくつかのルート

に別れて神父様の元に向ったそうです。

隠れキリシタンは文章を残さず口伝で継承したそうですが、受け継

がれた内容にはほとんど間違いのが無かったとか。

集落で一致団結して守られたからこそ守れたのかもしれないとも。

15日には浦上教会で「信徒発見150年記念の聖母行列」が。

ここ浦上から大浦までは長崎駅を挟んで北と南に同じくらいの

距離でしょうか?浦上↔長崎駅の距離の方がちょっと長いかも。

 

今日16日は長崎駅に近い中町教会で記念庭園の完成式。

1633年~37年にかけ殉教の聖トマス西など15人の殉教者が

並んだ像の除幕式があったとの事です。

 

ちょうど150年目の明日17日は大浦天主堂で(狭い場所なので

何度かに分けて)記念ミサが執り行われるそうです。

10時からのミサではローマ法王特使の方が法王からのメッセー

ジを読まれるそうです。

信者の方々が希望されている法王の来崎は難しいようですね。

 

これからも信仰を受け継ぎ「長崎の教会群の世界遺産登録」に

向けても大きな努力と期待をされている現在の長崎のカトリッ

ク信者の方々です。

 

そうそう、この件では浦上の隠れキリシタンのお話ですが、私が

住んでいる南部地区にも二つは知っている隠れキリシタンの里が

あります。

大山地区と善長谷地区。どちらも山奥で今も目立たぬ静かな場所。

当時の暮らしはいかに大変な苦労があった事だろうかと胸が痛む

場所でもあります。

 右側カテゴリー「教会・寺院」に善長谷も含む数年前に行った教会

の写真があるのを忘れてました。


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