大浦天主堂の前を通ったのは先週の土曜日、その時の写真です。
久しぶりの友人とこの近くのカフェで待ち合わしました。
ちょうど観光客は韓国人が多くて飛び交う韓国語に興味津々、
耳を傾けながら歩いてました。
ちょうど通りかかったいつもと同じ顔の天主堂。観光客に交じ
って写真を1枚だけ撮りましたが、明日17日が150年目に当た
るというある記念日だったとは。
たまたま今日のローカルニュースでの『信徒発見から150年』
の言葉と大浦天主堂の映像。
長崎に住んでいる者としては知っている話ですが正確な内容を
お借りしました。 ↓
「日本の信徒発見」とは、幕末の1865年(元治2年)3月17日、
大浦天主堂のフランス人宣教師ベルナール・プティジャン神父の
もとに、隠れキリシタンが訪れ、自らの信仰を表した出来事である。
長崎の大浦天主堂は、居留フランス人の司牧のために同年2月に
献堂されたが、信徒たちが訪れたのは、そのわずか1ヵ月後のこと
であった。
この時、十数名の男女を代表して、一人の女性が同天主堂のプティ
ジャン神父に、「われらのむね、あなたのむねと同じ」と信仰を
表明しながら、「サンタ・マリアのご像はどこ」と聞いた。
これが長く厳しい弾圧に耐えながら、信仰を固く守り抜いてきた
日本の信者たちが再び名乗り出た瞬間であった。
これは世界の宗教史上の奇跡と言われている。
さて、ニュースからの補足ですが、大浦天主堂は当時はフランス寺
と呼ばれていたそうで、実際に向かったのは浦上のキリシタン14、
15名。
奉行所の目をかいくぐるために海経由、山経由といくつかのルート
に別れて神父様の元に向ったそうです。
隠れキリシタンは文章を残さず口伝で継承したそうですが、受け継
がれた内容にはほとんど間違いのが無かったとか。
集落で一致団結して守られたからこそ守れたのかもしれないとも。
15日には浦上教会で「信徒発見150年記念の聖母行列」が。
ここ浦上から大浦までは長崎駅を挟んで北と南に同じくらいの
距離でしょうか?浦上↔長崎駅の距離の方がちょっと長いかも。
今日16日は長崎駅に近い中町教会で記念庭園の完成式。
1633年~37年にかけ殉教の聖トマス西など15人の殉教者が
並んだ像の除幕式があったとの事です。
ちょうど150年目の明日17日は大浦天主堂で(狭い場所なので
何度かに分けて)記念ミサが執り行われるそうです。
10時からのミサではローマ法王特使の方が法王からのメッセー
ジを読まれるそうです。
信者の方々が希望されている法王の来崎は難しいようですね。
これからも信仰を受け継ぎ「長崎の教会群の世界遺産登録」に
向けても大きな努力と期待をされている現在の長崎のカトリッ
ク信者の方々です。
そうそう、この件では浦上の隠れキリシタンのお話ですが、私が
住んでいる南部地区にも二つは知っている隠れキリシタンの里が
あります。
大山地区と善長谷地区。どちらも山奥で今も目立たぬ静かな場所。
当時の暮らしはいかに大変な苦労があった事だろうかと胸が痛む
場所でもあります。
右側カテゴリー「教会・寺院」に善長谷も含む数年前に行った教会
の写真があるのを忘れてました。
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