今日、用事があって、学校に行ったら、
自由なかえるの、友達が、教室に入らず、玄関にいた。
彼も、まあまあ、しんどそうだ。
今日は、クラスに入ってないんやって。
先生、ほったらかしかい?
いろいろ話しを、していたら、
その子に、
『自由なかえるって、運動神経いいけど勉強できへんやんな~』って
言われたので、
『そやねん。勉強は、いまいちやけど、めっちゃ、運動神経いいで、もう最高やで!』
『でも、勉強も、運動も、両方できたほうがいいやんな~』と、その子がいうので
『おばちゃん(わたし)は、めっちゃ、運動神経よくて、最高によかった!って思ってんねん
もう、最高やで!』って、ガッツポーズで、言うときました。
その子は、長男で、
いいお兄ちゃんでいなくてはいけないんやけど、
彼自身が、持ってる抑えにくい気持ちとかを、親は理解してなくて、
比較され、できないことを、探され、怒られ、
自分に自信が、なくなってる。
自分以外の子に、自分が親に言われているようなことを
言っているのだろう。
自由なかえるは、ほんとに、勉強がしんどい。
やばい。
いろんなこと勉強してなくて、
他の子と比べたして、彼を責めたりしたら、
彼は、どうしたらいいのかわからなくて、
自分を見失ってしまうだろう、、、、。
この前の、注射のときだって、
突然暴れだした我が子を見て、
冷静に先生に『この人、ちょっと気持ちが抑えにくいひとなんです。』
と、言えば、
それまで、『小学校になって、そんな暴れたらはずかしいよ』と
言っていた、先生も、
『僕も、気持ち抑えにくいからいっしょやな~』と言ってくれて
みんなで、おさえつけて、注射できた。
否定せずに、注射できたことで、
すぐ、気持ちは、おさまった。
世の中の親は、
顔の形が違うように、気持ちの箱の形もちがうことを
知っているのだろうか?
ただ単に、わがままを言っているだけではなく、
気持ちが、抑えにくい子がいることを、、。
わたしは、そんな自由なかえるに付き合いながら、、
いつも言うのだ。
『運動神経よくて、ほんま、最高やな。しかも、優しくてめっちゃ気がきくし
ほんま、最高やわ』
自由なかえるの、友達が、教室に入らず、玄関にいた。
彼も、まあまあ、しんどそうだ。
今日は、クラスに入ってないんやって。
先生、ほったらかしかい?
いろいろ話しを、していたら、
その子に、
『自由なかえるって、運動神経いいけど勉強できへんやんな~』って
言われたので、
『そやねん。勉強は、いまいちやけど、めっちゃ、運動神経いいで、もう最高やで!』
『でも、勉強も、運動も、両方できたほうがいいやんな~』と、その子がいうので
『おばちゃん(わたし)は、めっちゃ、運動神経よくて、最高によかった!って思ってんねん
もう、最高やで!』って、ガッツポーズで、言うときました。
その子は、長男で、
いいお兄ちゃんでいなくてはいけないんやけど、
彼自身が、持ってる抑えにくい気持ちとかを、親は理解してなくて、
比較され、できないことを、探され、怒られ、
自分に自信が、なくなってる。
自分以外の子に、自分が親に言われているようなことを
言っているのだろう。
自由なかえるは、ほんとに、勉強がしんどい。
やばい。
いろんなこと勉強してなくて、
他の子と比べたして、彼を責めたりしたら、
彼は、どうしたらいいのかわからなくて、
自分を見失ってしまうだろう、、、、。
この前の、注射のときだって、
突然暴れだした我が子を見て、
冷静に先生に『この人、ちょっと気持ちが抑えにくいひとなんです。』
と、言えば、
それまで、『小学校になって、そんな暴れたらはずかしいよ』と
言っていた、先生も、
『僕も、気持ち抑えにくいからいっしょやな~』と言ってくれて
みんなで、おさえつけて、注射できた。
否定せずに、注射できたことで、
すぐ、気持ちは、おさまった。
世の中の親は、
顔の形が違うように、気持ちの箱の形もちがうことを
知っているのだろうか?
ただ単に、わがままを言っているだけではなく、
気持ちが、抑えにくい子がいることを、、。
わたしは、そんな自由なかえるに付き合いながら、、
いつも言うのだ。
『運動神経よくて、ほんま、最高やな。しかも、優しくてめっちゃ気がきくし
ほんま、最高やわ』