今日も色々気になるニュースがありました。
例えば、靖国参拝をめぐって日本遺族会が 「遺族会の悲願としてありがたいが、英霊が静かに休まることが大事だ。近隣諸国に配慮し、理解してもらうことが必要だ」と述べたことについて、遺族会会長である古賀誠氏(元自民党幹事長)が「発言は私見だ」 とし遺族会としての発言ではなかった旨の説明したことや、奥田経団連会長が従軍慰安婦や強制連行などの歴史について近隣諸国と認識を共有すべきだとの見解を述べたこと。さらに中山文部科学相が自らの従軍慰安婦問題を巡る発言について閣僚懇談会で陳謝したとか、しなかったとかよく分からない状況になっていることなどです。
また、靖国関連記事で初めて知って驚いたのは昭和天皇が戦後、45年から75年にかけて計8回も靖国神社を参拝していたことです。民主党の岩國哲氏の国会質問も核心をついているように思いますが、天皇でも 「私的参拝」 ということがありえるとは・・・。 公的役職にある人が 「私見」 とか 「私的」 とか言うのは、ちょっとどうかなぁ。
先日、民主党の菅直人前代表が昭和天皇の責任に関し 「(敗戦時に)天皇陛下は退位した方がよかった。明治憲法下で基本的には天皇機関説的に動いていたから、直接的な政治責任はない。しかし象徴的にはある。政治的にも象徴的にも、ひとつのけじめをつけるべきだった」 と述べたと報じられていましたが、靖国問題は小泉首相だけの問題では済まされなくなってきたような気がします。
あと、NHKの不正経理問題を内部告発した職員を懲戒処分されていたことがニュースで流れていましたが、この件については後日改めて論及したいと思います。
さて、少し間が空いてしまいましたが、自治会に関する連載(というより資料集めという段階)を再開します。
今日は、コミュニティと自治会との関係について調べてみました。
1.「コミュニティ」とは何か?
コミュニティ(Community)の語源はラテン語で「義務」を意味するMunusと、「共に」のCom(=Con)がついたCommunis(義務を共にする→共通の)がもとになっているものだそうです。
また、R.M.マッキーバーは、著書「コミュニティ -社会学的研究:社会生活の性質と基本法則に関する一試論」(1917年)の中で、次のように定義しています。
著書「コミュニティ」(R.M.マッキーバー)より
コミュニティとは、共同生活の相互行為を十分に保証するような共同関心が、その成員によって認められているところの社会的統一体である。
ある領域がコミュニティの名に価するには、それより広い領域からそれが何程か区別されなければならず、共同生活はその領域の境界が何らかの意味をもついくつかの独自の特徴をもっている。(中略)コミュニティは、社会生活の、つまり社会的存在の共同生活の焦点であるが、アソシエーションは、ある共同の関心または諸関心の追及のために明確に設立された社会生活の組織体である。
アソシエーションは部分的であり、コミュニティは統合的である。一つのアソシエーションの成員は、多くの他の違ったアソシエーションの成員になることが出来る。コミュニティ内には幾多のアソシエーションが存在し得るばかりでなく、敵対的なアソシエーションでさえ存在出来る。(中略)しかし、コミュニティはどの最大のアソシエーションよりも広く自由なものである。それは、アソシエーションがそこから出現し、アソシエーションがそこに整序されるとしても、アソシエーションでは完全に充足されないもっと重大な共同生活なのである。 |
(参考)マッキーバーによるコミュニティとアソシエーションの概念
コミュニティ
地域性と共同生活の存在と共属感情による基礎的社会集団で、共同関心により成立し、なんらかの自足性を持つ。
アソシエーション
特定の類似の関心に基づいて限定的目標を達成するための集団で、人為的に構成されるもの。
わが国では、国民生活審議会の中間報告「コミュニティ~生活の場における人間性の回復」(1969年)の中で、「コミュニティ」を次のように定義しています。
国民生活審議会での「コミュニティ」定義
「生活の場において、市民としての自主性と責任を自覚した個人及び家庭を構成主体として、地域性と各種の共通目標を持った、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」
「従来の古い地域共同体とは異なり、住民の自主性と責任制に基づいて、多様化する各種の住民要求と創意を実現する集団」 |
この考え方の根底には、伝統的な地域共同体や近隣組織のようなものではなく、それに代わって市民の主体性や開放性、多様性に基づき民主的に運営される新しい地域社会を創造する指向が感じられます。しかし、実際には他の施策同様に上からの一律的な形でコミュニティ形成がなされてきたことも起因して、本来のコミュニティのありようについて分かりにくい状況となっているように思います。
最近になって、コミュニティの形態も大きく様変わりしています。従来はコミュニティというと自治会や学区単位での生活圏を軸にしたイメージが定着していましたが、今ではインターネット上で総合交流を図る「ネットコミュニティ」という言葉も生まれているほど多様化しているのです。また、NPOに象徴されるように、環境や福祉などのテーマによってつながることを「知縁」(=テーマコミュニティ)と称して、自治会などの「地縁」(=地域コミュニティ)との分類を明確にする動きもあります。
たとえば、武蔵野市コミュニティ条例では、コミュニティの定義を次のとおり定義づけしています。
武蔵野市コミュニティ条例より引用
(コミュニティの定義)
第3条 この条例において、次に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
(1) 地域コミュニティ 居住地域における日常生活の中での出会い、多様な地域活動への参加等を通して形成される人と人とのつながり
(2) 目的別コミュニティ 福祉、環境、教育、文化、スポーツ等に対する共通の関心に支えられた活動によって形成される人と人とのつながり
(3) 電子コミュニティ インターネットその他高度情報通信ネットワークを通して、時間的及び場所的に制約されることなく形成される人と人とのつながり
▲武蔵野市コミュニティ条例▲ |
さらに、板橋区・大東文化大学地域デザインフォーラムの分科会中間報告書では、コミュニティ論のパラダイム転換として、T.パーソンズが主張する現在の社会実態に即したコミュニティ論を紹介しています。
板橋区・大東文化大学地域デザインフォーラム 分科会中間報告書
(コミュニティ論のパラダイム転換)
コミュニティの古典的概念は前述のように、地域性と共同性(共同感情)を基調としていた。しかし、それは19世紀末頃の社会を念頭に置いたものだった。それが第一次大戦後の1920 年代以降、機械文明、とくに交通通信手段の発達で、生活圏が拡大し、社会的流動性も増した。それにつれて、地域の共同性が薄れ、近隣社会(neighborhood)が変質あるいは崩壊していったのである。そこでコミュニティ研究のパラダイム転換が試みられた。
それらの視点のひとつは、コミュニティを社会システムの一局面と考え、共同性や連帯性、共同感情を改めてとらえ直すことである。次は、T.パーソンズが主張したことだが、地域性の中身について、①生活を営む場としての居住地、②生活を支える職場(多くは職住分離となっている)、③行政サービスや公権力行使に関わる基礎的自治体の範域、④交流や参加のベースとなるハード、ソフトのコミュニケーション・プロセス、の4つを設定し、総合的にアプローチすることである。
▲PDFファイル▲ |
2.コミュニティと町内会の違い
自治会は、主に世帯によって構成され、行政との協力関係を保ちながらその地域の代表性を確保する傾向にありますが、コミュニティは主に個人を構成主体として自由な意思で多様な活動を行う指向性があります。また自治会は、生活や地域の伝統に根ざした保全的領域の活動を主なものとする一方で、コミュニティはより未来指向的に、あるべき地域の姿を掲げて地域の一層の発展に取り組もうとする傾向にあります。
21世紀の地方自治戦略「コミュニティと住民活動」(ぎょうせい)の「部落会・町内会とその周辺(筆者:中田 実)」の項で、町内会の特徴について、(1)地域によって構成員が区切られている (2)地域内での居住でないしは営業する全世帯・事業所が構成員となることが想定されている (3)機能が包括的である と整理した上で、町内会のとらえ方を、コミュニティとアソシエーションに区分することが適当であると述べています。
「21世紀の地方自治戦略」より引用
~以上、部落会・町内会の基本的な特徴のみを概観したが、いづれも集団というより社会のもつ特徴という性格が強く、したがって部落会・町内会については、その基盤となる村落社会ないしは町内社会(コミュニティ)と、これらの社会の上に結成された管理運営組織としての部落会・町内会(アソシエーション)とを一応区別しておくことが適当である。 |
また、著書「町内会の研究」(御茶の水書房)では、町内会は住むことを縁起として形成されるアソシエーションだとし「住縁アソシエーション」と定義づけしています。
ちなみに、 町内会の協力組織として次のような組織があります。
(属性別組織)
子ども会、青年会、婦人会、老人会等の属性別組織。
(機能別組織)
防犯・防災・防火組織、保健委員会、公園管理会、社会福祉協議会、社会教育委員会
これらは、それ自体が一定の自立性を持つ組織である場合と、町内会の下部組織ないしは専門部会の場合があります。例えば、婦人会の場合は任意加入制をとっているところと自動的に加入となる町内会があるようです。
地域にはNPOや個人ボランティア、商店や事業所、学校などの教育施設や公民館などの公共施設といったものが存在しています。これらの様々な主体および相互の多様なネットワークがコミュニティを形成するものではないでしょうか。
以上のことから、町内会はコミュニティを構成する重要な組織の一つではありますが、伝統的(農村的)な地域共同体としてではなく、現在社会にあってはT.パーソンズが定義するように地域は①生活を営む場としての居住地、②生活を支える職場、③行政サービスや公権力行使に関わる基礎的自治体の範域、④交流や参加のベースとなるハード、ソフトのコミュニケーション・プロセス の少なくとも4つが設定しうるとするならば、そこで存在する様々な属性を持った組織や個人を総合的にとらえることが必要だということが分かりました。
言葉や定義はその実態を表すものであって、実態を抜きにして概念だけを論じることはあまり意味がありません。
しかし、地域には様々な主体が存在していること、また町内会を始めとしたアソシエーションとその総体としてのコミュニティがあるというように、一元的ではなく多様で重層的なものとして地域をとらえることはこれからの地域のありようや政策を考える上で必要な感覚だと思います。
次回は、学区単位でのコミュニティを推進する施策について考えていきたいと思います。
本日は、ここまで。