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ローカル・デモクラシー

2005年05月17日 | 読書感想
 昨日、佐賀地裁が命じた諫早湾干拓工事の差し止め決定を福岡高裁が覆した件は、本当に残念に思いました。この件について、NEWS23で築紫哲也さんが地裁決定はガス抜き的な役割となっていて実際は国策で司法決定がなされているのではないか、との疑問を投げかけられていたことが印象的に残りました。
 また、衆議院予算委員会でのアジア外交に対する小泉首相の答弁には、北朝鮮の核問題などアジア各国の連携が不可欠な時期にあって非常に残念でなりません。「罪を憎んで人を憎まず」はないでしょう、実際。
 日常生活でも開き直った人や常識が通じない人に対して論理的に説得するすべが無くて困惑することが多々ありますが、これが国民が選び支えてる人であればなおさら為す術を持たないという状況が国会での質疑でも見て取ることができます。もし「罪を憎んで人を憎まず」と言ってドイツの首相がヒトラーに対して敬意と感謝の誠を捧げたとしたら、これを国際社会が容認できるかどうか考えてみてほしものです。これは、政党の違いによる歴史認識の相違とか内政干渉といった問題とはちょっと違います。これでは、せっかくこれまで築き上げてきた外交努力やODAに多額の資金を費やしてきたこともすべて無駄になってしまいます。年金問題もそうですけど、日本の国益に反し、また国民の求めるものから乖離している状態はいつまで続くのでしょうか・・・。

 暗澹たる気持ちで一杯ですが、今日は昨日の予告どおり「ローカル・デモクラシーⅠ ~分権という政治的仕掛け~」(著者:藪野祐三)▲書籍紹介HP▲ を紹介することにします。 


 以下、本書の章ごとに要旨をまとめてみました。


 書籍「ローカル・デモクラシーⅠ ~分権という政治的仕掛け~」の紹介
 

 
 本書で言う「ローカル・デモクラシー」は、これまで、国家やグローバルに対抗するアクターとしてローカルが語られることが多かった中で、「ローカルがローカルとして足もとに設置されたデモクラシーを語る必要性」 が顕在化しているとの観点から出発しています。
 ここでいうローカルとは、田舎を意味するのではなく、現場とか現地とかいう意味で、かつデモクラシーとは選挙や議会の装置ではなく、日常的な行為そのものを表しています。
 そして、ローカルという枠組みにふさわしいデモクラシーを再構築していくことが、全体の目的となっています。
 
 具体的には、ローカル・デモクラシーの可能性を探り、またそれを創造するため次の3つの条件について詳しく分析されています。
 
  その3つの条件とは、次のとおりです。
 
   1.自立した分権型社会を創造するための構造条件
   2.誰がローカル・デモクラシーを担うかを確定する要素条件
   3.その担い手がどのような働きを果たさなければならないかを確定する機能条件
   
 始めにこう書くと、難解なもののように思われるでしょうが・・・いや、実際にそうなんですけれど、私たちが地域でどのように取り組んでいくのかの根本的な問いかけをしている内容で、非常に有益な論点を示していますので何回(難解じゃなくて)かに分けて詳しく紹介していきたいと思います。
 
 
序章:協奏するローカルとデモクラシー
 
 デモクラシーは、一般的に「民主主義」と訳されます。デモクラシーは、選挙や議会のしくみ(装置)として理解されますが、装置という意味だけでなく「自己決定を基底とするイデオロギー」(精神)としての機能にも着目することが必要です。そして、デモクラシーを活用する舞台(器)やその方法について再構築すべき時期にきています。
 ところで「協奏」とは、独奏楽器と管弦楽とが合奏する形式などを指す音楽用語ですが、ここではデモクラシーを台詞と置き換えます。そして、それを演じる舞台は国家や企業・社会・家庭などあらゆる領域で存在しますが、ローカルという舞台こそがデモクラシーを引き立たせ、相乗効果を与えるとして相応しいものです。
 デモクラシーの原則は (1)権力集中化を拒否する原理 (2)社会構成員の全員が決定に参加できる原理 (3)公共性を創造する原理 といったものですが、それをローカルという広がりの中で再構築していくことが必要なのです。
 
第1章 ローカル・デモクラシーの時代

 ここ述べられているローカルは、「そこに住む人を中心として展開する意味関連をもった生活空間」のことです。
 そして、このことが意味を持ち始めたのは次の要因にあるます。
 (1)政治的機能を国家が独占してつかさどる時代から、ローカルという地域社会が担う時代へ移行している
 (2)政治的課題が社会化しそれを民主的に対処しなければならない中で、ローカルがその現場となっている。
 
 また、ローカル・デモクラシーを創造するためには、次の図のとおり3つの条件整備が必要です。

 
 
 
 
第2章 ローカル・デモクラシーの権力構造

 分権型社会は、「一部の人々が権限や情報あるいは職業を独占してはならない社会」を意味しています。また、分権とは非集中を意味していると共に、地理的な意味での分権だけでなく機能的な意味での分権をも意味するものとして捉える必要があります。さらに、分権のイニシアチブを政府が行う「上からの分権」と、市民自らが主体となっておこなう「下からの分権」があります。
 「上からの分権」は、新保守主義のよる「小さな政府」を指向した政策として表れています。日本では「官から民へ」との理念で電電公社や国鉄の民営化が行われてきましたが、単に民営化というのではなく「分割」という言わば分権的要素も組み込まれていまることに着目することが必要です。また、これは地理的に「分割」すると同時に、民営化という手法で政府が行ってきた機能分権が同時並行的に行われたと考えることができます。
 地方分権も含めた「小さな政府」を指向する「上からの分権」に対して、「下からの分権」は、平準化社会がもたらせたものです。
 
 なお、ローカル・デモクラシーは、自己責任と自己決定を基礎とするものだと考えることもできます。  
 
  
  
  
  
  
 今日はここで一旦終了します。
 論理展開の部分を相当省略していますので、著者の趣旨と若干異なる場合や分かりにくい文章になった感もありますが、ご了承ください。

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1 コメント

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Unknown (学生)
2008-01-28 17:12:41
面白い授業でした。ここにも先生の本が載っているとは思いませんでした。
こういう風に「先生」って呼んで、怒られるかも知れないですから、自分の身分を明かしません。
ぜひとも先生の授業を受けられたらいいなと思います。{/onigiri_2/}
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