会計ニュース・コレクター(小石川経理研究所)

有名無実化した「戦争の原価計算」(J-CASTニュース より)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(36)
有名無実化した「戦争の原価計算」


旧日本軍にも「戦争の原価計算」を行う「経理将校」がいたが、役割を果たすことができなかったというコラム記事。

「戦争も行き着く先は原価計算の世界である。最小の投資で最大の戦果を上げるというのが鉄則である。そういう計算を行うのが経理将校(主計将校)である。例えばある海戦が行われるとすると、そこに日本側はどれだけの艦艇でどれほどの武器弾薬を用いて、アメリカ軍との戦いを行ったかを計算する。その戦いで日本海軍が与えたアメリカ軍の被害、同時に日本側が受けた損害などが数量化されていく。大破した艦艇があるのなら、その修繕、改修にはどこから鉄を調達するか、その予算はどれほど必要かなどが、たちまちのうちに試算されていく。この艦艇は修理すべきであるとの結論が出たら、応急手当てで修理の後に再び前線に出ていくのである。主計将校のそうした計算はきわめて厳格に行われなければならなかった。」

「日本海軍は有能な人材を陸軍に重用されるのを恐れて、1938(昭和13)年から一般大学の法学部や経済学部、商学部の卒業生で大手企業や官庁に入っている新人に的を絞り、厳しい試験で短期現役士官制度(短現)を適用させた。半年、あるいは1年間、みっちりと教育して戦争の原価計算を教えたのである。中曽根康弘元首相も1941(昭和16)年、東京帝大を卒業後、内務省に入省するが、この短現制度で海軍主計中尉に任官している。このグループは、本来なら戦争の原価計算を通じて戦争の意味を考えるブレーンの役割を果たすことも可能であった。しかし現実には海軍のどの部門も自らの損害など教えることはなかったし、主計将校が調査に赴いたところで事実を伝えて、損害の実態を示すわけではなかった。

そのために主計将校の存在などは有名無実と化していった。日本には戦争の軍事学はまったく育たなかったのである。3年8ヶ月の太平洋戦争は当初の意思とは別に、次第に予算の裏付けもない戦いに変質していったのだ。

主計将校は机に向かって数字を見るのではなく、大体は司令官や連隊長の周辺にいる参謀のような役割を演じることになった。中には戦闘に参加する主計将校まで存在した。これはある将校の話だが、確かに当初は、つまりは戦争に勝っているときはきちんと会計帳簿もつけていたが、次第に記述することもなくなり、戦闘の渦中に引き込まれたというのであった。もし戦争の原価計算を正確に行っていたら、日本軍の敗戦は、経理将校なら真珠湾から1年ほどで知ることになったであろうと断言していた。」

一般企業も負け戦になるとこういう傾向があるのでは...

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「企業会計」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事