『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』という書籍の宣伝記事。
「開成高校、東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省したエリート官僚でありながら、保守本流の道は歩まず、「異能の官僚」として数々の金融事件に対処し続けた佐々木清隆氏。金融犯罪を追い続けてきた男が目にしてきた“腐敗”にはどんなものがあったのだろう。
ここでは、朝日新聞記者の大鹿靖明氏が、佐々木氏の奮闘に迫った著書『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』(講談社)の一部を抜粋。不公正なやり取りに手を染める企業・監査法人を監視するために設置された「公認会計士・監査審査会」でみた、札つきの問題監査法人によるあくどいやり口の実態に迫る。」
いまはなき監査法人ウィングパートナーズなども登場します。現在、金融庁で検討中の中小監査法人の品質問題や監査事務所への検査・品質管理レビューの問題などにも関係していそうな部分です。
「監視委で不公正ファイナンス案件の摘発にかかわるなかで、クライアント企業の法令違反を疑われるケースを監査法人が黙認していると考えられるものが少なからずあった。ライブドアにおける港陽監査法人が一例だが、「現代の仕手筋」と呼ばれた問題企業の監査には、必ずセットのようにして登場する“札つき”の問題監査法人があった。
その一つが、東京・渋谷を拠点とした監査法人ウィングパートナーズだった。...」
同監査法人は金融庁の行政処分を受けて解散に追い込まれましたが...
「「いったん解散したのに、そこにいた会計士が別の人間と一緒になって新たな監査法人を作ってしまうんです。簡単に離合集散ができてしまうんです」(佐々木)。監査法人は公認会計士法上、公認会計士が5人以上集まれば開設することができる。仮にその会計士が、監査ではなくてコンサルティングや税務を受け持っていても、あるいは常勤ではなく非常勤であったとしても、5人の会計士がそろいさえすれば、金融庁の認可を受けることもなく、届け出るだけで設立できるのだった。
解散したウィングパートナーズのメンバーは処分後、別の新しい監査法人を創設し、そこが再び問題企業の監査を受け持つようになった。それを佐々木は「駆け込み寺」監査法人と呼んだ。「どこが駆け込み寺なのかは言いませんが、その監査法人も、あるいはそこにいる公認会計士も我々はずっとフォローして監視していました」と言う。このウィングパートナーズの後継とみられる監査法人の一つに対しては、公認会計士・監査審査会はずっと注視し、あるときは狙いをつけて検査したものの、明確な法令違反行為を発見できず、結局、処分に追い込めなかった。向こうも同じ愚を犯さず、手ごわいのである。」
佐々木氏は、金融商品取引法の193条の3の利用を推奨していたそうです(この規定の内容については記事本文を参照)。
セラーテムテクノロジーや春日電機の事例では、この規定が使われましたが...
「とはいえ、これらは極めて珍しいケースだった。「通常は監査法人から指摘を受けたら企業は改善するんです。それでも企業側に改善の意思がない場合は、『もうお宅の監査は受けません』と監査法人が交代する。たいていはそこで終わってしまうんです」(佐々木)。だから、佐々木がいかに金商法193条の3の効用を推奨してみても、金融庁に告げ口までして監査法人が改善を促すような例は稀だった。いわば監査法人にとっては、抜かずの宝刀であった。
その、めったに使われることのない宝刀を、四大監査法人のひとつ、あずさ監査法人は抜くことを考えたことがあった。クライアント企業はオリンパスだった。」
この続きは、抜粋されておらず、本を買って読んでくださいということのようです。
佐々木氏のキャリアと重なるここ20年ぐらいの証券取引監督当局の動きを知るのに役立つ本かもしれません(佐々木氏や著者のバイアスがかかっていますが)。