父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

人間は神から多大な恩恵を受けている

2020年02月22日 | メイン【4周目】
神が、人間の住む地球に生まれ出ることはなく、人間の感覚を味わいたい時は「体の一部」を人間の感覚を味わえるように変更して味わい、人間に「神の言葉」を伝える時は、人間用の波長に合わせてシンクロして伝える。
あなたが目で見ている映像は「神が映像化している」映像なのだから、あなたは、常に、神と繋がっている、ということになる。
人間の目は、今の人間の科学力では絶対に作れない身分不相応な目で、神から与えられて使わせてもらっている目で、神から離れた世界、神がいない世界へとあなたが行けば失ってしまう「神科学に依存している」目なのだ。
「見る」という行為だけでも、あなたは、神から多大な恩恵を受けながら生きている。
目耳鼻口、美しい大自然、鈴虫が奏でる音色、花の香り、美味しい果実、これら全てを神が与え続けてくれているから、あなたは、見て、聞いて、匂いを感じて、味を感じることが出来ている。
神に対して文句がある人間は、まず、神が与え続けてくれている目耳鼻口を神に返してから、文句を言えばいい。
いや、その「言うこと」ですらも、神がいなくなれば、出来なくなってしまうのだ。
「言葉を発する」というのは、本来、人智を超越した技術が不可欠な行為で、「永遠の命」である神が永き年月をかけて築き上げた神科学だからこそ成し得ている技なのだ。
神が原子を作り出して供給し続けて「作業を簡易化してくれている」から、人間の知識レベルでもコンピューターなどを使って音声化できているのだけど、神が原子の供給を停止すれば、人間科学はチリと化すことになる。
人間科学は、神科学のサポートがあって、やっと、成立している科学なのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

神世界の科学力が宇宙を形成している

2020年02月21日 | メイン【4周目】
神は、重力が欲しくなった。
だから、重力を作った。
神は、地面が欲しくなった。
だから、地球を作った。
人間の目では確認できないけど神の目では確認できている「重力発生装置」と「素材発生装置」というのが存在している。
イメージとしては、重力発生装置が、宇宙の「ある1点」を中心にして中心方向に力を働かせ続けていて、素材発生装置が、その中心付近に金・銀・銅・鉄などの土を形成する素材をバラまいた結果、上手い具合に重力に引き寄せられていって、ランダムに様々な素材が交じり合った、良いあんばいの地面を所有する地球が出来上がった、という感じだ。
正確には「重力」じゃなくて「万有引力」と書いた方がいいのかもしれないけど、いずれにせよ、その力は「完成形を維持するために」神が作り出した力なのであって、元々から存在している力ではないのだから、神には、「いかようにも変更可能な力」、ということになる。
卵子1つから細胞が増えていって目鼻耳口などが付いた「人間という体」の完成形へと到るように、神には、最初から、「地球という惑星」の完成形が見えていて、「遺伝子」という人体の設計図が存在するように、「このような星にする」という設計図が存在していて、その設計図通りに地球は作られたのだ。
そして、もう1つ、「火力発生装置」というのが存在していて、それが、地球の内部を燃やし続けている。
あなたが感じている感覚は、全て、「神の脳」が神経を通して信号を送って感じさせている感覚だから、「燃えている」「あつい」という表現はどうかと思うけど、とにかく、あなたが「燃えている」「あつい」と感じている地球の中心部は、火力発生装置によって燃やされ続けているから、マグマのような高温な物質が存在し続けることが出来ているのだ。
惑星だけじゃなく恒星も同じように作られていて、星の主な構成成分をガス系に変更して、後は、惑星である地球に対しては火力を抑えて、恒星である太陽に対しては火力を増大させている、ということになる。
もちろん、地球に適度な温度と光を与えるために、火力の調整が常に行われていて、太陽と地球の配置関係も、常に調整が行われている。
恒星、惑星、衛星の全てに設計図が存在していて、設計図通りに力を加え続ける装置というのが存在していて、その力によって公転や自転は成立しているのだ。
たまたま、そうなった訳じゃない。
神によって、完璧に、計算され尽くしているのだ。
宇宙内に星がいっぱいあるのは「神の遊び心」による産物で、人間の子供が公園で砂遊びをしていて「どんな団子が出来るかな」「どんな団子が出来るかな」と夢中になって作っているうちに「団子がいっぱい出来ちゃった」のと同じで、神が、「どんな恒星が出来るかな」「どんな惑星が出来るかな」と遊びに夢中になっているうちに、いっぱい星が出来ちゃったのだ。
地球から見て「夜空に星がいっぱいキラキラ輝いてキレイだから」という理由もあるだろうけど、星以外にも、地球上に様々な種類の生き物がいたりするのは「子供心で夢中になって作って遊んでいたらいっぱい出来ちゃった」というのが、だいたいの理由なのだ。
神が、今、この世に存在している素材で作ることが可能な完成形を考え尽くして数多の完成品を存在させているから、人間が何を作っても「神作品の模倣品」という感じになる。
「電線」は「神経」の模倣で、「コンピューター」は「脳」の模倣で、「注射器」は「蚊の口」の模倣で、「暗視スコープ」は「フクロウの目」の模倣で、「懐中電灯」は「ホタルの光」の模倣で、「パラグライダー」は「ムササビ」の模倣で、「飛行機」は「鳥」の模倣で、神が作った作品の方が、よっぽど高性能なのだ。
人間が何をやっても「神の真似事」となってしまうのは、神が、人間から見て「はるか未来のテクノロジー」である神科学を日常的に軽々と使用できている存在だからなのであって、だからこそ、人間が何をやっても「神の後追い」となってしまうのだ。
常に、神科学の下に人間科学が存在していて、もちろん、今の人間科学で作ることが出来ない「体」も神作品の1つ、ということになる。
「人間の体」「鳥の体」「イルカの体」、いずれも、神がデザインした超未来型の作品なのだ。
人間は、超未来型のロボット(体)に搭乗しながら、ソレと比べたら、はるか昔の古臭い旧型であるロボットの研究・開発を一生懸命に進めていて、超未来型の飛行機である鳥やトンボやチョウチョを片目に見ながら、ソレと比べたら、はるか昔の古臭い旧型である飛行機の研究・開発を頑張っている。
まるで、先生が手本を見せてくれて生徒が教えてもらいながら授業してるみたいで、「みたい」ではなく、まさに、それが、現実なのだ。
人間が思いつける未来の、さらに、さらに、さらに未来。
VRスコープが進化した「目」という超未来型の映像受信装置、イヤホンが進化した「耳」という超未来型の音声受信装置、スピーカーが進化した「口」という超未来型の音声発生装置が開発された。
そして、さらに未来に、神科学の結晶である「宇宙」が誕生した。
1つの宇宙に1つの神、だけど、神が所有している宇宙は1つだけ、とは限らない。
宇宙を複数所有している神だって、いる。
神がやっていることは、全てにおいて、壮大だ。
無限の存在である神を、有限の存在である人間の物差しでは、はかれない。
「できるはずがない」という人間特有のリミッターを外せば、「神々の世界」の片鱗が見えてくるはずなのだ。
「人間に思いつけることは、とっくの昔に、神は思いついてる」
「神は、人智をはるかに越えた超未来型の道具と科学力が溢れている世界に住んでいる」
「人間は、神から与えられた子供用のオモチャで遊んでるだけ」
この3つを頭の中で何度も唱えて、そして、日常にある「有限」を「無限」に変換すれば、答えが見えてくるはずなのだ。
う~ん、唱えて答えが見えてきた結果、どうやら、上記で書いた「装置」という表現よりも「プログラム」という表現の方が適切かもしれない。
人間が作ったテレビゲーム画面の中で、人型キャラが岩に邪魔されて通れなくなるけど、それは「岩があるから通れない」のではなくて、「通れないようにプログラミングした上で岩の映像を被せている」だけの話だ。
それと同じで、人間であるあなたが石で作られた壁をすり抜けることが出来ないのは、そういう風にプログラミングされた上で石の映像が被せてあるだけの話なのだ。
神が「人間の体は石をすり抜けられる」とプログラムの変更を行えば、あなたは、石をすり抜けることが可能になる。
そう、あなたは、神がプログラミングしてルール化してから、その上に映像を被せたり、音声を被せたり、においを被せたり、味を被せたりしてデコレーションした世界、感覚化の超プロである神が様々な感覚を上手に組み合わせて作った「神科学で彩られた世界」に住んでいるのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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全ては神の設計図通りに進行している

2020年02月20日 | メイン【4周目】
トンボは空中で止まるような飛び方が可能で、チョウチョはヒラヒラと不規則な飛行経路で舞うように飛んで、それぞれ飛行形態が違う、「人間が空を飛ぶ乗り物を作る時にとても参考になる」飛行テクニックを、人間の目の前で、披露してくれている。
鳥なんかは、もの凄くスムーズに、見事な曲線を描いて、美しい流線形の翼で優雅に飛んでいる。
神は、長年の試行錯誤で手に入れた「飛行テクニックの真髄」を、惜しげもなく、無料で、公開して見せてくれているのだ。
人間は、「鳥の翼」を参考にして飛行機を作ったけど、今現在でも、まだまだ神の飛行技術レベルには、全然達していない。
「雪の結晶」が美しくデザインされているように、神は、作品の細部まで気を配っている。
そして、人間が所持している小型化の技術よりも、はるかに上の小型化の技術を所持している存在なのだ。
「蚊が賢い」のではなくて「神が賢い」。
地球上の生き物たちは、ただ、神から与えられた体を操縦しているだけで、その体は、神の技術力によって作られた「借り物の体」にすぎない。
鳥やトンボやチョウチョが使用できている「飛行技術」は、神が与えた技術なのであって、神世界で神科学を日常的に扱っている神が、その科学を駆使して作った「空を簡単に飛べる体」を与えたから、鳥たちは軽々と空を飛べているのだ。
遺伝子という設計図は神が設計したものであり、空気や重力ですらも神が設計したものであり、だからこそ、揚力や空気抵抗などを完璧に理解して見事にデザインされた「体」が存在している。
神がいなければ、神が手助けしなければ、鳥やトンボやチョウチョが有する「知識レベル」では絶対に手に入れることが出来ない高度な「飛行技術」なのであって、サナギから羽化したチョウチョがすぐに空を飛べるようになるのは、全てが「神のおかげ」なのだ。
この世の全ては「神の設計」によって成り立っている。
普通に考えれば、太陽から約1億5000万km離れた地球にまで太陽の重力が及んで、地球が太陽の周りを「ちょうどいい距離で」ずっと回り続ける、なんて有り得ない話で、「重力の調整」を神が上手く行ってくれているから、成し得ている技なのだ。
そう、「重力」ですらも「神が設計したもの」なのであって、この世の、元々からある設計は全て神が行っていて、まさに、「創造主」という言葉通りの存在が、神なのだ。
太陽が、地球に適温を与える「ちょうどいい火加減で」燃え続けているのは、人間の体温が36度くらいの適温を保ち続けているのと同じことで、神が「地球の気温を適温にする」と決めたから、地球は、生き物が住むのに最適な温度になっているだけの話なのだ。
神が、太陽と地球の配置を「設計」したのであり、太陽の火加減を「設計」したのであり、太陽と地球の重力を「設計」したのであり、人間の体温を36度くらいに「設計」したのであり、全ては、神の「設計図」通りに、神の思いが実現した形で、この世は運営されているのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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恐竜は神の脳内に今も存在している

2020年02月19日 | メイン【4周目】
化石発掘で恐竜の化石を発見して大騒ぎしたりして、人間達は、「恐竜ってどんな存在だったのかな」という話題で盛り上がってる。
「こういう姿だったんじゃないかな」「こんな鳴き声だったんじゃないかな」と想像を膨らませて、「ジュラシックパーク」みたいな恐竜映画を作っちゃったりして、観客たちも「恐竜ってこんなに大きかったんだ」「凄いね~」なんて言って感動している。
実は、恐竜というのは、人間にとっては「未知」の存在だけど、神にとっては「熟知」の存在で、神目線から見ると、人間は、かなり面白い言動をしている存在となっている。
「神が恐竜の体をデザインした」のだから、もちろん、恐竜に関する全てを神は知っていて、神にお願いしてOKさえもらえれば、本物の恐竜を、いとも簡単に見ることが出来る「最短ルート」というのが存在しているのだけど、それは、教育上の理由で「極秘ルート」という感じで隠されているだけなのだ。
恐竜の姿は「映像」として、恐竜の鳴き声は「音声」として、ちゃんと、「神の脳」にリアルに保管されている。
神は、「恐竜」という芸術作品の作者なのだから、気に入った自分の作品のデータは、ずっと大切に保管しているのだ。
もちろん、恐竜が生きていた時代の様相も、ちゃんと、残されている。
恐竜の息使いまで感じられるようなリアルな感覚が、ちゃんと、記憶として残されていて、恐竜が生きていた世界の映像も鮮明に残っているのだけど、あなたは、まだ、見せてもらえていないだけなのだ。
人間はボケーと過ごしている。
目の前で、チョウチョの幼虫が変身して空を飛んでいっても大事に思えず、軽い感じで「凄いね~」なんて言って感心してる。
「ちょっと変わった」という程度のレベルではなく「全く違う」体になって、さらには、幼虫の頃にはモゾモゾと歩き回っていただけなのに、成虫になったら「羽を生やして空を飛んでいっている」のに、そんな天地驚愕な奇跡が目の前で起こっているのに、それでも、大事に思えないのだ。
「蚊は口から唾液を出して“血が凝固しない成分”と“痛みを感じさせない麻酔みたいな成分”を同時に人間の肌に注入しているから人間は針で刺されていても気付けないんだ」という知識を得ても「へぇ~、蚊って賢いんだね」って、軽い感じで言ってる。
「血液の仕組み」と「神経の仕組み」を完璧に理解している者じゃないと出来ないビックリ仰天なテクニックが目の前で軽々と披露されているのに、それなのに、軽い感じで言っているのだ。
神が、目の前で奇跡をいっぱい起こしてくれているのに、どういう訳だか、人間は、全然、気付こうとすらせずにボケーとしている。
ちょっと考えれば分かる話なのに、何故か、「神に関すること」となると頭がショートした感じになって思考力が散漫になってしまっていて、おそらく、これは、神による「封印」という力が働いていて、普通に過ごしているだけでは絶対に「神の存在」に辿り着けないように「人間の脳」は仕組まれている、ということなのでしょう。
チョウチョも人間も同じ「遺伝子システム」によって作られた存在なのだから、もう、そろそろ、矛盾点に気付かなければいけない。
「人間に出来ていること」の全てをあなたが出来るのはもちろんのこと、「チョウチョに出来ていること」の全てもあなたに出来る、というのが、当然あるべき姿なのだ。
そして、もちろん、この世の創造主であり「全知全能」である神は、ソレが当たり前のように出来ていて、この世で実現できていることの全てを「自分の能力」として所有している存在であることは、言うまでもない。
神が「凄すぎる存在」であるから、人間は「神の存在」に気付けなかっただけの話なのだ。
地球上に存在する全ての「体」が、遺伝子システムを駆使して神がデザインした作品であることに気付いていないから、人間は、チョウチョが「変身して空を飛んでいってる」現実を見ながら、テレビでヒーローが変身して空を飛ぶ場面を見て「現実では有り得ない話だよな」と言ってる。
蚊の体、チョウチョの体、人間の体、恐竜の体、さらには、空気、重力でさえも「神が創った芸術作品」なのだから、体の大きさに関係なく、「空を飛ぶこと」なんて、神世界では、お茶の子さいさいで実現可能なことなのだ。
神は、「重力」の作者であり「体」を自由に選べる立場なのだから、「重力の影響を受けない体」へと変身すれば、羽がなくても余裕で空を飛ぶことが出来ている。
「人間の体は重力の影響を受ける」と神が設定しているから、そうなっているだけで、臨死体験をした人が「幽体離脱みたいに部屋の中をフワフワと漂って天井からベッドで寝ている自分の体を見れている」という事実は、「重力の影響を受けない体」となって、その体からの視点で見ることが可能であることを指し示している。
そして、もちろん、神の場合は、そんなフワフワした曖昧な存在ではなく、鮮明でハッキリとした「自分の体」を維持したまま、自由自在に空を飛べていることは、言うまでもない。
「この世」と「あの世」のどちらも、神世界の劣化版だから「100点満点の体」が与えられていないだけで、「この世」で出来ることは神世界でも出来るし、「あの世」で出来ることは神世界でも出来るし、「この世」と「あの世」を足し合わせて、さらに、それ以上のことが当たり前に出来ているのが「神世界」なのだ。
「走馬灯」や「臨死体験」など、数々の体験談が記録として残されていて、そして、これだけ科学が進歩した今なら、気付けるだけのパズルピースは、もう、十分に、揃っている。
あとは、それを組み立てさえすれば、誰でも、神の存在へと辿り着ける時代になっているのだ。
蚊の体も、神が考案した「遺伝子システム」によって作られた体。
蚊の口先に付いてる高性能な注射器は、神が試行錯誤して生み出した1つの作品なのだ。
「蚊が賢い」のではなくて「神が賢い」のであって、蚊は「麻酔が効いていて人間は痛みを感じていない」という事実に気付いてすらいない。
もちろん、人間だって、例外ではない。
教科書で自分の体のことを勉強して、やっと自分の体の仕組みが分かるようになったのであって、教科書がない時代の人間は「肝臓がアルコールを分解している」なんて全く気付かずに暮らしていたのだ。
人間よりも神の方が、はるかに賢い。
そして、人間は、常に、「神から教えてもらっている」存在なのだ。
アルコール(エタノール)の化学式は複雑で、誰かが思い描かなければ、実現させることは出来ない。
偶然に出来上がるほど、簡単な副産物ではないのだ。
神が「アルコールが欲しい」と思ったからこそ、今、アルコールが存在している。
神が、「人間がアルコールを飲むと酔って上機嫌になるようにしよう」「何か楽しみがないと生きていけないだろうから一時的に辛いことを忘れて楽しめるような飲み物も用意しておいてあげよう」と思ったから、その「思い」が実現しているのだ。
「アルコール」と「肝臓」、どちらも神の作品であり、「アルコールを摂取すると人体がどんな反応を示すのか」を決めたのも神であり、神目線から見ると、全てが、出来レースなのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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「人間の脳」は「神の脳」の劣化版

2020年02月18日 | メイン【4周目】
常に、目や耳などから得た情報や感じたことの全てを記憶として残せていて簡単に思い出せる状態で、その上で、さらに、「何度も見たい記憶」を思い出しやすくするために部分的な記憶に「ランク付け」を行って、「全部の記憶」「重要な記憶」「最重要な記憶」という風に整理を行って、自分で自分の記憶を見やすくしているのが、「神の脳」の仕組みであり、これが、通常運転なのだ。
これは、宇宙を丸ごと記憶できる程の膨大な記憶容量を持っている「神の脳」だからこそ成し得ていることで、宇宙を丸ごと処理できる程の驚異的な処理能力を有している「神の脳」だからこそ可能なことなのであって、「神の脳」の1部分を借りた状態で記憶できている「人間の脳」の場合は、「教育用の脳」であるがために「神の脳」よりもはるかに劣るスペックとなっていて、だからこそ、人間は、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という、おかしな生き物となっている。
「人間の脳」の場合、「短期記憶」と「長期記憶」に分けられていて、重要な記憶が「長期記憶」の方に残されていて、一見、使いやすく整理されているように見えるけど、使いやすくはない。
「神の脳」みたいに、「まず全てを記憶して全てを思い出せる」という「第一段階」が抜けてしまっているのだ。
「走馬灯」を見ている時、「人間の限界」を越えて、無理矢理こじ開けて、「自分の鮮明な過去」を見ているのだけど、緊急時だけじゃなく平常時でも、この機能を使えたとしても何の不都合もなく、むしろ、有り難い機能であるはずなのだ。
暗記テストの時に、「走馬灯」という機能を活用すれば、簡単に100点が取れるようになる。
なのに、「受験の時に走馬灯を見た」という話は、聞いたことがない。
おかしな話だ。
そういう機能が付いているのに、自分の意思では、その機能を発動できない。
出来るはずなのに、「そうなることを強く望んでいる」のに、出来ない。
「一体、誰の願望が実現しているんだ?」って話なのだ。
そう、これは、ただ、「人間の脳は神の脳の劣化版とする」という理由で、「人間の脳の作者」である神によって、その機能が閉じられているだけなのだ。
もちろん、「神の脳」の場合は、常に、その機能が快適に使えている、ということになる。
使えないことの方が異常で、人間は、かなり不便で使い勝手が悪い脳を使って生きているのだ。
人間の脳は100%出来ることを何%かに抑えた「制限装置」なのであって、目的は「脳力に恵まれた者」「脳力に恵まれない者」「サヴァン症候群」など様々な者で彩られた世界にするためであり、それぞれの立場となった時に「どう生きるのか」をテストするためであり、そのために神の手で固定化されているだけの話なのだ。
「サヴァン症候群」とは、自閉症やアスペルガーなどの知的障害や発達障害がある者の中で「特定分野に限って優れた能力を発揮する者」の症状で、「発明王」と呼ばれているエジソン、「現代物理学の父」と呼ばれているアインシュタイン、「日本のゴッホ」と呼ばれている山下清がそうだったと言われていて、「知的障害」「発達障害」という障害が「世の常識を拒む形」になっているから「新常識を生み出しやすい脳内環境」になっていて、だからこそ、「新たな時代を切り開く役割」を担った偉人に多く見られる「脳の形」だ。
本を一回読んだだけで全て記憶できたり、絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できたり、電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来たり、時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来たりして、天才サヴァンの人は、常軌を逸した能力を発揮することが出来ている。
画家である山下清の場合は、驚異的な映像記憶能力を持っていて、旅先で見た景色を鮮明に覚えたまま実家に帰って、その目に焼き付いた景色を風景画として見事に描くことが出来ていた。
様々な「脳の形」があるけど、この世に存在する全ての「脳の形」が神の想定内であり、もちろん、神は、「人間の脳の作り手」なのだから、今、ある、「脳の形」で神が知り得ない形はなく、全てが神の手で再現可能な形、ということなる。
神は「全部」の存在であるから「人間の脳で出来ていることの全てが神の能力の一部分」ということになり、神は、一度見た景色は忘れないし、本を一回読んだだけで全て記憶できるし、絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できるし、電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来るし、時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来る存在なのだ。
全てにおいて、神が「全部」で、人間は「一部」で、「人間の体」は「神の体」の劣化版であり、神が「人間の体」を作って維持し続けてくれているのだから、「人間の体の仕組み」は神によって完全に掌握されている、ということになる。
「神の脳」が、人間からの「手足を動かしたい」という思考を受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、遺伝子システムを駆使して、人間の手足を動かしている。
神が、人間からの思考を全て受け取って、実現可能なお願いだけを厳選して、代行して叶えてあげているのだ。
「人間の脳の仕組み」も、例外ではない。
あなたが見て聞いて感じた記憶は、まず、「神の脳」へと全て送られて全て記憶されていて、そして、あなたが「自分の記憶」を引き出す時は、「神の脳」に「記憶をくれ」とお願いして、そのお願いを聞き入れた「神の脳」が、「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で「あなたの記憶」を引き出してあなたへと渡している。
若い頃よかった記憶力(記憶引き出し力)がだんだんと衰えていくのは、「老いたら記憶力を衰退させる」という雛形になっているからで、そうなるように、神が、「リミッターの調整」を行っているだけの話なのだ。
老いても鮮明に記憶できているのだけど、そのリミッター機能が働いて記憶を容易に引き出せなくなってしまっているだけで、ちゃんと、「神の脳」に、その記憶は鮮明な状態のままで残されている。
走馬灯を見ている時は、そのリミッターが一時的に解除され、一瞬だけど、その記憶を見れている、ということになる。
そして、もちろん、「神の脳」の場合は、リミッターが全て解除されている状態が通常運転であり、常に各種機能のONとOFFを自由に選択できる状態であり、ずっと老いなくて、ずっと記憶力が衰えなくて、未来永劫、ずっと快適な動作環境のままであることは、言うまでもない。


Author:神描人(かみえがきびと)

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第6感である「思考覚」

2020年02月17日 | メイン【4周目】
神世界の日常生活において、口を使わずに「思ったこと」を直接相手に伝える会話手段を成立させている神経を「思考覚神経」と名付け、そして、「思考覚」は人間の五感以上の感覚なので「第6感」としておく。
この神経は、神と神の間では会話的に使用されているのだけど、人間に対しては、「人間から一方的に思考を読み取る」「人間に一方的に思考を送る」という風に、一方通行となっている。
神対神の場合は、「この思考は伝えるけどこの思考は伝えないでおこう」という選別が出来ているのだけど、神対人間の場合は、人間側が思考覚を扱える状態ではないため、常に、神側が主導権を握っており、「神が人間からの思考を全て受け取って実現可能なお願いだけを代行して叶える」という形が、今現在での通常運転となっている。
あなたからの「手足をこう動かしたい」という思考信号を「思考覚神経」を通して「神の脳」が受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で、「神の脳」が「手足をこう動かせ」と指令を出して、その指令に従ってあなたの手足は動くこととなる。
その指令は、「遺伝子システム」を活用して「人間の体」の各部位の細胞1個1個を同時に動かす形で実現されていて、もちろん、「遺伝子システム」の考案者である神が完全支配している世界であることは、言うまでもない。
「人間」という生き物は儚い存在で、神がいなければ体を動かすことすら出来ない存在で、常に、神に思考を読まれている存在でもある。
なんとなく思っている「退屈だな~」だとか「困ったな~」だとか「嬉しいな~」だとかも、神からは丸聞こえで、だからこそ、それらの「思い」の雛形である「退屈顔」や「困り顔」や「笑い顔」などの「顔の表情」が、神によって用意周到にデザイン化されているのだ。
人間が思っている以上に、人間は、神に依存して生きていて、「記憶管理」ですらも、完全に神のコントロール下に置かれている。
人間は「神の脳の1部分を借りた状態で」記憶することが出来ていて、だからこそ、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という「おかしな脳」となっている。
「暗記するのに苦労する」という苦しみは、神世界では、有り得ない苦しみなのだ。
「神の脳」に、リミッターは付いていない。
だから、膨大な量の記憶を、余裕で保有できている。
あなたの目は「神が与えたもの」であり、あなたの耳も「神が与えたもの」であり、あなたが見た映像を神も見ていて、あなたが聞いた音声を神も聞いていて、人間達が「アカシックレコード」と名付けた巨大な「神の脳」に、全てが記憶されて残っている。
「1つの宇宙」を軽々と管理し続けている脳なのだから、「1個人の一生分の記憶を残す」なんてことは余裕で実現できていて、それだけじゃなく、生と死を何度も繰り返して違う体で生きてきた「あなたの魂が生まれてから今までの記憶」も、ちゃんと「神の脳」内に残されているのだ。
神が「記憶処理能力」に制限をかけているから、人間は、目や耳などから得た100%の記憶を思い出すことが出来ないのだけど、その「100%の記憶」は「神の脳」にちゃんと残されていて、「それは、後の、お楽しみ」という感じで、サプライズプレゼントとして、神が大切に保管して預かってくれている。
この世は「神が作った世界」であり、神に対して隠れて出来ることは、何1つとして、ない。
神は「人間の脳の作者」なのだから、あなたの記憶は全て掌握済みで、神と初対面した時に自己紹介する必要はなく、「私です」と一言いえば、「ああ、あなたのことなら何でも知ってるよ、それ以上、自己紹介する必要はない」と神が応える形となる。
あなたのことで、神が知らないことは、何1つとして、ないのだ。
あなたに思い出せることは、神にも思い出せる。
むしろ、あなたは、何%しかあなたの過去を覚えていなくて、神は、100%あなたの過去を覚えている存在なのだ。
そして、将来、あなたが神となり、「思考覚」を扱える存在となれたなら、走馬灯で見る「不完全な過去の記憶」ではなく、「神の脳」に鮮明に残っている「完全なる過去の記憶」を、神対神の会話的な形で、あなたの魂の産みの親である神から手渡されることになるでしょう。
その時、現世だけじゃなく、前世・前前世・前前前世……という過去世の自分の記憶をも、鮮明に目にすることになる。
人間の親が子供にしていることは、あなたの魂の産みの親である神もしていて、そして、それは、人間よりも「はるか上」のことをしている。
神は、宇宙の作り手なのだから、宇宙を丸ごと撮影して「あなたの成長記録ムービー」として、残してくれているのだ。
神から見たら、人間が使っているビデオカメラは、子供用のオモチャだ。
そのオモチャは、「親である神」が「子供である人間」に創意工夫を学ばせるために、「子供の頭でも作れる程度に」わざと簡単に作れるようにしたオモチャで、神が試行錯誤して用意してくれた数々の「雛形」を組み立てるだけで作れてしまうオモチャで、やっていることは、人間の子供が親から与えられた「積み木のオモチャ」で遊んでいる程度のレベルでしかない。
神技術と人間技術では、それぐらい、大きな隔たりがある。
そして、神技術が凄すぎるから、目の前で披露してくれているのに、今までの人間は、自分が「圧倒的な技術力で作られた世界」に住んでいることに気付けなかっただけの話なのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

体の死を乗り越えて魂は生き続ける

2020年02月16日 | メイン【4周目】
サナギになってチョウチョの幼虫の体がなくなることを「死ぬ」として、サナギからチョウチョの成虫の体が形成されることを「生まれる」とすると、「死ぬ前」と「死んだ後」で同じ魂が入っていると考えるのが普通で、「幼虫の時の魂と成虫の時の魂は別物だ」と考える人は、いないはずだ。
サナギの時点を受精した受精卵だと考えると「人間の誕生」の仕組みが見えてきて、生まれる時に、生まれる前の体(チョウチョの幼虫みたいな状態)から生まれた後の体(チョウチョの成虫みたいな状態)へと神の手によって変更されていて、人間の場合は、その時に、記憶の封印処置も施されている、と考えるのが一番しっくりくる自然な流れだ。
「生」と「死」というのは、「体が変更される」というだけの現象で、「生まれる前」「生まれてから死ぬまで」「死んだ後」いずれも同じ魂で、神が存在を認めている限り、ずっと魂は生き続ける、ということになる。
いつか神となれる未来を見据えて、そのために、沢山の教材(雛形)を用意して、神が人間を親身になって教育してくれているのだから、「体が死んだら終わり」というのは、おかしな話だ。
人間の体が死んだ後も、中身である魂は、「神の目」には見えているけど「人間の目」からは見えなくなった「新たな体」を与えられて生き続けている、と考えるのが、一番、理論的に納得できる話なのだ。
「真の死」は魂の消滅を意味し、神世界へと行く前であっても、神が消滅させない限り、「体の生と死を繰り返す」という変則的でいびつな形だけど、魂は永遠に生き続けるのだ。
「体が死んだら終わり」じゃなく「体が死んでからが始まり」で、新たな始まりを、人間世界よりも上の世界で成し得たいのであれば、自分の魂を自分の手で良き方向へと導いていく必要がある。
なぜ「体の死」という苦しみを課せられているのかというと、すぐに「悪魔の誘惑」に負けてしまう未熟な魂だから、罰的な意味もあり、教育的な意味もあって、そうなっているだけで、ちゃんと「神の言葉」に従って良き魂となれば、「体の死」という苦しみから解放されて、「永遠の命」と「自分の体を自由に選べる」という、真に永遠であり、真に自由である神世界で、いつか、きっと、暮らせるようになる。
神が100%の能力を発揮した神技術や神作品で彩られていて、夢みたいな世界が実現しているのが神世界。
神が能力をセーブして作った「この世」で実現できている結果から神世界を推測して、ちょっと覗いただけでも、とんでもなく凄い世界であることが、うかがえる。
例えば、の話。
あなたが、録画したテレビ番組を再生して見ている時、「ちょっとトイレに行ってこよう」と思って「一時停止」して、トイレを済ませて戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。
ちょっとした、人間生活のひとときだ。
神の場合は、こうなる。
神が、自分が作った宇宙を再生して見ている時、「ちょっと世界中をじっくりと見て回ってこよう」と思って「一時停止」して、世界中をじっくりと見て回って戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。
これが、ちょっとした、神生活のひとときなのだ。
う~ん、神の例え話の方は、「一時停止」というよりも「スーパースロー」と表現した方が、いいのかもしれない。
人間が走馬灯を見ている時は、ありえないほど膨大な量の「自分の過去」を、一瞬で、見ることが出来る。
その時、おそらく、「人間の思考速度」に制限をかけているリミッターが一時的に解除されて「神の思考速度」に近づいている状態なのでしょう。
「自分の思考速度を調整できる」神は、自分の思考速度をMAXにして、それから「自分の宇宙内を巡回している」という感じなのだと思います。
もしくは、そのMAX状態が通常運転で、人間側の思考速度の方を調整しているのかもしれない。
いずれにせよ、神が軽々と行っている日常生活が、人間の想像をはるかに超えたものであるのは、間違いない。
神は、人間世界を随時チェックしていて、ダメな部分の修正をいつでも行える立場なのだから、もちろん、人間が走馬灯を見ることも想定の範囲内であり、修正することなく残し続けているのは「神がどんな存在であるのか」「神世界がどんな世界であるのか」を知るヒントとするために、あえて、残している、ということになる。
「遺伝子」「サナギ」「走馬灯」、神が粋な計らいでわざと残した数々のヒントを繋ぎ合わせていくと、衝撃的な事実へと辿り着けるように、この世は作られているのだ。
当たり前なことが当たり前に出来るのが神世界であり、神であり、神世界の科学力は、人間世界の科学力を、圧倒的に凌駕している。
人間技術は、常に、神技術の後追いであり、劣化版なのだ。
だから、人間世界で実現できている技術の「さらに上」を考えると、神世界の技術が浮き彫りになってくる。
人間が、グーグルマップで世界を「拡大」「縮小」して地図を見ているように、神は、「宇宙規模」「太陽系規模」「地球規模」「国規模」「都市規模」「家規模」「人間規模」「細胞規模」「原子規模」という風にズーム倍率を変更して、宇宙のどこであっても鮮明に見ることが出来ている。
人間よりも「はるか上」の技術を使用している神なのだから、これくらいのことは出来て当たり前なのだ。
そして、もちろん、「神の目」は、「人間の目」みたいに、酷使したら充血したり疲れ目になったり頭痛になったりすることはなく、衰え知らずで、疲れ知らずで、ずっと快適に使用できて健康なままであることは、言うまでもない。


Author:神描人(かみえがきびと)

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神の掌の上で踊る科学者たち

2020年02月15日 | メイン【4周目】
神が「飲んだり泳いだりすることが出来る水が欲しいな」と思ったから「飲んだり泳いだりすることが出来る水」が実現しているのであって、「なんかビョーンって伸びて縮むゴムが欲しいな」と思ったから「ビョーンって伸びて縮むゴム」が実現しているのであって、「南国のトロピカルなパイナップルが欲しいな」と思ったから「南国のトロピカルなパイナップル」が実現している。
ぜ~んぶ、神が思ったことが実現できてしまっているのだ。
「人間の体」だって、例外ではない。
神世界では、自分で自分の体を選べるのだから、強制的に「オスの体」「メスの体」という風に固定化されていない。
「男と女に分けた方がよりドラマチックな展開になるだろう」と神が思ったから、その「思い」が実現して、この世に男と女が存在しているのだ。
異性を誘惑する「フェロモン」ですらも、神が考案して生み出したものなのであって、「青春や恋愛を彩るために男女をメロメロにしちゃおう」と神が思ったから、人間は、異性に夢中になってメロメロになっている。
直接会わなくても、テレビやラジオから異性の魅力が十分に伝わってくるのは「神の表現力の凄さ」故で、芸術的センスが抜群だから成し得ている技で、男性のかっこいい立ち振る舞い、女性のかわいい仕草、かっこいい声、かわいい声、これら全ての雛形を神が用意してくれたからこそ、「かっこいい」と「かわいい」が実現できているのであって、それ故に、さらに、もっと、男女が魅力的になって、異性にメロメロになっているのだ。
同性を好きになったりするイレギュラーも発生するけど、そのイレギュラーも神にとっては想定の範囲内であり、存在しているのであれば、何かしらの意味があるから、修正することなく、そのまま存在させている。
同性愛であっても美しく愛し合っているなら、それは、それで、良いことだと思うし、神は「性別」を超越した存在なのだから、「愛し方」さえ間違っていなければ、ちゃんと評価してくれているはずだ。
レギュラーである男女のカップルであっても、醜い欲望でくっついているだけなら、それじゃ、何の意味もない。
神から、何を期待されているのかを、ちゃんと感じ取って生きていくことが大切で、心に愛が芽生えたら、なぜ、この世界が、このような仕組みになっているのかが、見えてくるようになる。
科学が進歩して様々な脳内ホルモンが発見されて、快楽が得られる「ドーパミン」だとか、不安や恐怖などの感情を抑えて精神を安定させてくれる「セロトニン」だとか、愛を感じて心地良い気分にさせてくれる「オキシトシン」だとか、色々と脳内の仕組みが科学的に解明されてきたけど、それらの、いずれも、神が思い描いて生み出した仕組みなのだ。
ドーパミンは、何かを達成した時や激しく運動した時や笑った時などに分泌されて、セロトニンは、太陽を浴びたり軽めの運動をしたり美味しいものを食べたりした時などに分泌されて、オキシトシンは、人や動物とスキンシップをしたり相手を思いやったり親切な行動をしたり誰かと一緒に食事をしたり誰かを褒めたりした時などに分泌される。
「作り手」側である「神の立場」から考えてみると、見えにくかった真実が明らかになってきて、「何をやらせたいのか」が見えてくる。
愛や絆を大切にしたり、運動や勉強や仕事を頑張って目標を達成したら、「幸せホルモン」と呼ばれているドーパミン、セロトニン、オキシトシンが分泌されて気分が良くなり、さらには、生殖活動を促すために、セックスをしたらエクスタシーを感じるようにも作られている。
知らず知らずの内に、「人間の脳の作者」である神によって、あるべき形へと誘導されているのだ。
「人間の脳」は神が創作した1つの芸術作品なのであって、だからこそ、「記憶力」や「記憶処理速度」ですらも、「人間に出来るのはココまで」と神によって制限がかけられている。
頭の回転が速い人と遅い人がいるけど、どんなに速い人であっても、「神の思考速度」には到底及ばず、その差は歴然だ。
リミッターが付いていない「神の脳」は、驚異的なスピードで思考することが可能で、天文学的で膨大な情報量を記憶することも可能で、人間のソレとは次元が違って、全く比べ物にならない。
そして、もちろん、「人間の脳の作者」である神が、人間の脳内構造を知り尽くしている存在であり、「人間の脳」を実体化しているのは神なのだから、現存している全ての「脳内構造の形」を再現できる存在であることは、言うまでもない。
この世で実現できていることの全てが、神には、再現可能なこと。
神の脳が、全てを実体化させているのだから、全ての型を再現できる。
全てが、神の想定内にある「1つの型」であり、想定外ではない。
すなわち、「人間は記憶喪失になることがある」という事実は「神はいつでも人間を記憶喪失にすることが出来る」ということを意味し、交通事故にあった人が、事故の前後の記憶が「部分的にない」という事実は「神は人間の記憶を部分的に喪失させることも出来る」ということを意味することになる。
神がそういう処置を施しているから、人間は、「生まれる前の記憶を神に封印された状態で」生まれてくるのだ。
一時的に喪失させる封印もあれば、できなくする封印もある。
オウムは人間の言葉を真似してしゃべることが出来るのに、ニワトリは、どんなに努力してもしゃべれない。
オウムには、できる。
ニワトリには、できない。
どういう方法で封印が施されているのかは分からないけど、明確な線引きが行われている。
そして、もちろん、これら全てが、神が定めた設定であり、神には、いかようにも変更可能であることは、言うまでもない。
人間は、「木」や「鉄」などの雛形を使って「家」を作ったりして、雛形から派生させることは出来るけど、雛形そのものを作ることは出来ない。
神が、元々の形である雛形を作ったのであって、試行錯誤して「原子の性質」という雛形をも生み出したのであって、「水素はこういう存在だ」「酸素はこういう存在だ」「水素は酸素よりも軽い」と定めたのは神であり、同じく、「人間はこういう存在だ」「男と女で体の仕組みを変える」と定めたのも神なのだ。
人間が、体を鍛えて「かっこいい」をさらにかっこよく表現したり、化粧品でメイクして「かわいい」をさらにかわいく見せたり、遺伝子組み換え技術で新たな品種を生み出したりしているけど、元々の、根源である「遺伝子システム」を考案したのは神であり、「かっこいい」「かわいい」「男らしい」「女らしい」「美しい」「セクシー」などの雛形を用意してくれたのも神、ということになる。
今までの科学者たちの功績は、薄氷の上で成り立っている。
遺伝子や脳内ホルモンなどを、神が可視化して「わざと人間の目で確認できる形で残してくれた」からこそ、科学的に解明できたにすぎず、もし、神が、その形跡を消して、ヒントを与えなければ、科学者はペラッペラな存在となり、「科学的に解明できていません」「科学的に解明できていません」と連呼するだけの木偶の坊へと成り下がる。
科学者が「何を科学的根拠としているのか」を考えてみれば、科学者は「神に踊らされているだけにすぎない存在」だと分かってくる。

科学者「地中を詳しく調べたら発見できたんです」
(神が埋めておいた作品を掘り起こしただけ)
科学者「顕微鏡で拡大してみたら、なんと、こんなことを発見できたんですよ」
(神が創った作品をじっくり見ただけ)
科学者「大発見だ!遺伝子を調べたらビックリ仰天な事実が分かったぞ!」
(神が書いたメモ帳を読んだだけ)

どれもこれも、科学者たちが発見するのは、神が「あらかじめ教育用に用意しておいた教材」ばかりで、真面目に研究を頑張っている人達だろうから笑っちゃいけないんだろうけど、神目線から見ると、とんだ茶番で、「作者がそう設定しただけだぞ」って話なのだ。
例えるなら、科学者たちは、真剣な顔をして「“千と千尋の神隠し”を調べたら“人間は息を止めて橋を渡らないと化け物たちに見つかってしまう”という事実が判明したぞ!」と誇らしげに言っているだけなのだ。
科学者たちが集まる学会は、神を評する会で、神作品の品評会をするために映画評論家(神評論家)が集まって、「神作品の素晴らしさ」を語り合ってワイワイガヤガヤと盛り上がっているだけの会合で、1つの例え話をするなら、神が化学方程式を人間に学ばせるためにサンプル的に用意しておいてくれた「水」というアート作品に魅せられた科学者が、「水素と酸素で水が作れる」ということを発見して、それを、周りの人々に自慢顔で言い聞かせているだけの話なのだ。


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神は「人の心」を重要視している

2020年02月14日 | メイン【4周目】
外面をいくら取りつくろっても、内面が伴っていなければ、何の意味もない。
神は、内面を、心を、重視しているのだから、外面は、見てくれは、お飾り程度の存在価値でしかない。
逆に、性格的に気弱で、周りの目が気になったりして、どうしても一歩踏み出す勇気がなくて「やりたくても出来ない」という感じなら、神世界は「思ったことが実現できてしまう世界」なのだから、ちゃんと正しく思えているのなら、それだけでも、十分、神から好評価をもらえていることになる。
行動に移せたら、さらに良いのだけど、まず最初の段階である「心の中でちゃんと正しく思えているのかどうか」が最重要事項なのであって、詐欺師がダマす目的で人に優しく接していたとしても、それが評価されないことは誰の目にも明らかで、もちろん、全てをお見通しである「神の目」を欺くことは絶対に出来ない。
神世界では「固定化された体」「固定化された顔」で過ごしていないのだから、神が「体形」や「顔立ち」で評価することはない。
そもそもからして、神が「人間の体」を創作して、「遺伝子」ですらも神が設計監理しているのだから、そこから派生した「美男美女」も、遺伝子的に流動して成し得た奇跡的な神作品の1つにすぎないのだ。
神からしてみたら、服にポケットを付ける程度の感覚で、人間の体に遺伝子を付けている。
付けた理由は、車の運転席で表示されているメーターパネルみたいに、車(人体)の状態を分かりやすくするために可視化しているだけなのだ。
人間の目からは、簡単に見て確認することは出来ないんだけど、神の目からは、簡単に見て確認することが出来ている。
もちろん、見るだけじゃなく、作り手である神は、全ての遺伝子の初期設定をした立場なのだから、いくらでも自由に設定を変更し放題なのだ。
アニメ映画「千と千尋の神隠し」で銭湯の入り口である橋を渡る時、人間は、息を止めないと正体がバレてしまう設定で、千尋が失敗して息をしてしまいカエルの化け物に見つかってしまった場面があったけど、2001年7月に公開されてから18年たった2019年9月現在でも変わらずに、作者がリニューアルを行わない限り、ずっと「息を止めないと見つかってしまう橋」のまま存在している。
それと同じで、ずっと昔に神が思いついた「人間の子供は母親似か父親似の顔になりやすい」という設定も、その後、作者によってリニューアルが行われていないから、今現在でも残っているだけの話なのだ。
「人間的な意思」が加味されている法則は、神が作った法則。
「親に似た子が生まれた方がより愛着が湧くだろう」という「人間的な意思」が加味されているから、そういう法則になっているのだ。
神は、普段、自分の体の外側にある「神が住んでいる世界」で暮らしているから、自分の体の内側にある「人間が住んでいる世界」をメインとして行動していないから、なかなか人間世界のリニューアルは行われない。
体内において、自動的に魂が成長していける世界は構築してあるから、神自身は、だいたい、体外で、神生活を満喫しているのだ。


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人間の体は神の手で固定化されている

2020年02月13日 | メイン【4周目】
どこかに雛形がないと、人間を人間たらしめる体の形を保ち続けることは出来ない。
誕生時に1個体の「人間の脳」が形成される前から、その雛形は存在しているのだから、人間の脳内に雛形が存在している訳ではない。
そう、人間達が「アカシックレコード」と名付けた巨大な神の脳内に、その雛形は存在しているのだ。
神が忘れないから、人間は、人間として存在することが出来ている。
「人間の一生」「鳥の一生」「魚の一生」という風に、体の成長過程が固定化されている雛形は、親から子へと受け継がれるものではなく、神が手助けする形で、上手いこと装って「親から子へと受け継がれているように見せかけている」だけなのだ。
本来、自分の体というのは、自分の手で、自分が望む形へと変化させていくのが自然な流れなのであって、それが、神世界における通常運転となっている。
そんな、元々からある当然の権利を失ってしまっているのが今の人間の現状であり、神が設定した原子的な性質や現存比率、遺伝子的な体の形状固定などの制約によって「できない」「これもできない」「あれもできない」と出来ないことだらけで過ごしているのが、「人間」という生き物の正体なのだ。
空気、水、火、土、さらには重力ですらも「神が作ったもの」だと考えれば、いかに、人間が不自由な世界で生きているのかが見えてくる。
それらを「作る側」である神世界が、いかに、自由な世界であるのかが見えてくる。
もちろん、人間以外の知的生命体にも同じことが言えて、あらかじめ体の成長過程が決められていて、そのレールに沿う形で成長していっているのであれば、その体は「神が思い描いて作り出した雛形」を元にして存続している、ということになる。
そして、これは、生き物だけに限った話じゃない。
無生物に対しても、神の意向が反映されていて、教育的なレールが敷かれているのだ。
神が、ゴールドを希少価値がある存在とするために、わざと、少な目にゴールドを土の中に埋めておき、それを、土を掘って発見した人間が「希少価値があるゴールドを手に入れたぞ!」と大興奮して大喜びしている。
ゴールドというのは、神世界では、「原子発生装置」を調整し直せば、いくらでも作り放題な量産品で、人間世界におけるオモチャの金貨程度の価値しかなく、安っぽく作られた偽物のブランド品みたいな存在なのだ。
ゴールドだけじゃなくダイヤモンドやルビーなどの宝石類全てに同じことが言えて、「作られた世界」に住んでいる人間は、どこに行っても、何をしても、神の掌の上で踊っているだけの存在にすぎないのだ。
土中の金の比率、銀の比率、銅の比率、空中の酸素の比率、二酸化炭素の比率、水素の比率、これら全てが神によって定められた「空想上の比率」なのであって、「宇宙の作り手」である神には、いかようにも変更可能なこと。
神がテストする側で、人間はテストされている側、この関係性は、あなたが神となるまで、ずっと、続くこととなる。
テストするために、様々なシチュエーションを作るために、人間の体は子供から大人へと成長していき、そして、老いていくのであって、さらには、病原ウィルスやガン細胞や悪玉菌などを、あえて、存在させている。
テストされる立場ではない神は、人間みたいに「子供」「大人」「老人」という風に強制的に体を固定化されていないし、病気にもならないし、ケガもしないし、自分の手で自分の体を何度でも自由に作り直せるのだから、ずっと、健康な状態のままで生きている。
「子供用の体」「大人用の体」「老人用の体」「病気の体」「ケガの体」という風に固定化されている「人間の体」は、テスト用に作られた体なのであって、「子供」「大人」「老人」「病人」「ケガ人」、それぞれの立場を体験させるために、あえて、わざと、神の手によって固定化されているのだ。
人間が切望している「永遠の命」は、人間が思っているほど特別なものではなく、元々から神世界に住む者にとっては、最初から当たり前に持っている当然の権利であり、強く望まぬとも簡単に手に入れることが出来ている。
今の人間は、その当然あるべき姿が奪われてしまっている状態で、ずっと、「なぜ与えてくれないんだ」と嘆いて、渇望して、懇願している悲しき生き物なのだ。
いくら懇願しても、テストに合格しなければ、その状態から脱して、「永遠の命」を、自由を、手に入れることは出来ない。
自由な世界に住むためには、自由であるが故に、「自分で自分を律する精神」である自制心が不可欠なのだ。
相手の気持ちを思いやれない者を、神世界に住まわせる訳には、いかない。
だから、神世界の下に、試験的な世界である「人間世界」が存在しているのだ。
老人、子供、病人、障害者、様々なシチュエーションで、自分がそうだったら、相手がそうだったら、どう感じて、どう接して、どう対処するのかを試されている。
そのための「体の固定化」なのだ。
電車で老人に席を譲ってあげて、沈みゆく船から女・子供を優先して救命ボートに乗せてあげて、障害者用のバリアフリーを作ってあげて、病気やケガで困っている人がいたら手助けしてあげる。
手助けをされることを嫌がる人もいるけど、まずは、「助けたい」「救いたい」「喜ばせたい」という相手を思いやる心が大切で、それから、「相手の性格によって対応を変える」という高度なことを学んでいく。
生と死を繰り返して、様々な立場を体験して色々なことを学び終えて、立派な魂となって「神になってもいいよ」という合格ラインに達したら、いよいよ、待ち望んでいた光り輝く世界である「神世界での生活」がスタートすることになるのだ。


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