心が一つとなる
(2歴代誌6:9)
「主はその御目をもって,
あまねく全地を見渡し,
その心が
ご自分と全く一つになっている人々に
御力をあらわしてくださるのです。」
旧約の時代,
神は
「心がご自分と全く一つになっている人々」
を見つけ出そうとしました。
神は,イエス・キリストを世に送り,
イエス・キリストを信じる者を
神と一つにしてくださいます。
イエス・キリストの恵みは,
ここにあります。
○
(ヨハネ15:4,5)
「わたしにとどまりなさい。
わたしも,
あなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木についていなければ,
枝だけでは実を結ぶことができません。
同様にあなたがたも,
わたしにとどまっていなければ,
実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で,
あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり,
わたしもその人の中に
とどまっているなら,
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては,
あなたがたは
何もすることができないからです。」
○
(2歴代誌6:7-9)
「 そのとき,
予見者ハナニが
ユダの王アサのもとに来て,
彼に言った。
『あなたはアラムの王に拠り頼み,
あなたの神,
主に拠り頼みませんでした。
それゆえ,
アラム王の軍勢は
あなたの手からのがれ出たのです。
あのクシュ人とルブ人は
大軍勢ではなかったでしょうか。
戦車と騎兵は
非常におびただしかったでは
ありませんか。
しかし,
あなたが主に拠り頼んだとき,
主は彼らを
あなたの手に渡されたのです。
主はその御目をもって,
あまねく全地を見渡し,
その心が
ご自分と全く一つになっている人々に
御力をあらわしてくださるのです。
あなたは,
このことについて
愚かなことをしました。
今から,
あなたは数々の戦いに
巻き込まれます。』」
○
御恵みを待ち望む者
(詩編147:10,11)
「神は馬の力を喜ばず,
歩兵を好まない。
主を恐れる者と
御恵みを待ち望む者とを
主は好まれる。」
神は人の力,
能力にたよることを好まれません。
敬虔な信仰者を主は好まれます。
○
長く生きて住む。
(申命記30:19,20)
「私は,きょう,
あなたがたに対して天と地とを,
証人に立てる。
私は,いのちと死,祝福とのろいを,
あなたの前に置く。
あなたはいのちを選びなさい。
あなたもあなたの子孫も生き,
あなたの神,主を愛し,
御声に聞き従い,主にすがるためだ。
確かに主はあなたのいのちであり,
あなたは主が,あなたの先祖,
アブラハム,イサク,ヤコブに
与えると誓われた地で,
長く生きて住む。」
神に選ばれたイスラエルの民は,
カナンの地で長く生きて住むと祝してくださいました。
主がイスラエルの民のいのちであると言います。
☆
イエス・キリストを信じる者にも,
主のいのちである永遠のいのちが与えられます。
(ヨハネ3:15)
「それは,信じる者がみな,
人の子にあって
永遠のいのちを持つためです。」
○
恐れてはならない
(申命記31:7,8)
「ついでモーセはヨシュアを呼び寄せ,
イスラエルのすべての人々の目の前で,
彼に言った。
『強くあれ。雄々しくあれ。
主がこの民の先祖たちに与えると
誓われた地に,
彼らとともにはいるのはあなたであり,
それを彼らに
受け継がせるのもあなたである。
主ご自身があなたの先に進まれる。
主があなたとともにおられる。
主はあなたを見放さず,
あなたを見捨てない。
恐れてはならない。
おののいてはならない。」
イスラエルの民は
神の選ばれた民であるといいます。
イエス・キリストが
会堂管理者のヤイロに
次のようにおっしゃいました。
(マルコ5:36)
「イエスは
その話している言葉を聞き流して,
会堂司に言われた,
『恐れることはない。
ただ信じなさい』」。
「恐れてはならない」は,
イエス・キリストを信じる者に,
いつも神から語られています。
○
神に拠り頼む
(イザヤ50:10)
「あなたがたのうち,
だれが主を恐れ,
そのしもべの声に聞き従うのか。
暗やみの中を歩き,
光を持たない者は,
主の御名に信頼し,
自分の神に拠り頼め。」
主の御名は,イエス・キリストによりあらわされました。
イエス・キリストが私たちに光りを示してくださいます。
イエス・キリスト自身が光だからです。
(ヨハネ8:12)
「イエスはまた彼らに語って言われた。
『わたしは,世の光です。
わたしに従う者は,
決してやみの中を歩むことがなく,
いのちの光を持つのです。』」
わたしたちは,イエス・キリストを信じ,
拠り頼んで生きていきたいと思います。
○
見捨てない神
(イザヤ42:16)
「わたしは盲人に,
彼らの知らない道を歩ませ,
彼らの知らない通り道を行かせる。
彼らの前でやみを光に,
でこぼこの地を平らにする。
これらのことをわたしがして,
彼らを見捨てない。」
イザヤがイエス・キリストを預言した言葉です。
私たちは罪があるために,神によって見捨てられるはずでした。
しかし,罪のないイエス・キリストを十字架につけ見捨てました。
それは,わたしたちの身代わりでした。
そして,神は私たちを見捨てず,共にいて永遠に守って下さいます。
私たちに光の中の道を歩ませてくださいます。
○
地を受け継ぐ
(詩編61:5-8)
「まことに,神よ。
あなたは私の誓いを聞き入れ,
御名を恐れる者の受け継ぐ地を
私に下さいました。
どうか王のいのちを延ばし,
その齢を代々に至らせてください。
彼が,神の御前で,
いつまでも王座に
着いているようにしてください。
恵みとまこととを彼に授け,
彼を保つようにしてください。
こうして,私は,あなたの御名を,
とこしえまでもほめ歌い,
私の誓いを日ごとに果たしましょう。」
神がこの地を造られました。
イエス・キリストを信じる者は,神の子とされます。
そして,この地を受け継ぐことが出来ます。
イエス・キリストを信じるなら,
イエス・キリストとすべての恵みを受けることが出来ます。
○
インマヌエル
(マタイ1:23)
「見よ,処女がみごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと,
神は私たちとともにおられる,
という意味である。)
イエス・キリストは受肉された神です。
イエス・キリストは,全き神であり,全き人です。
ですから,イエス・キリストが私たちと共にいてくださいます。
それは,神が共にいてくださるのです。
同じマタイ福音書の最後の言葉は次のようです。
(マタイ28:20)
「わたしがあなたがたに命じておいた
すべてのことを守るように,
彼らを教えなさい。
見よ。わたしは,世の終わりまで,
いつも,あなたがたとともにいます。」
○
無から有を生じる神
(ローマ4:17-22)
このことは,
彼が信じた神,すなわち死者を生かし,
無いものを有るもののように
お呼びになる方の御前で,
そうなのです。
彼は望みえないときに
望みを抱いて信じました。
それは,
「あなたの子孫はこのようになる。」
と言われていたとおりに,
彼があらゆる国の人々の
父となるためでした。
アブラハムは,
およそ百歳になって,
自分のからだが
死んだも同然であることと,
サラの胎の死んでいることとを
認めても,
その信仰は弱りませんでした。
彼は,不信仰によって
神の約束を疑うようなことをせず,
反対に,
信仰がますます強くなって,
神に栄光を帰し,
神には約束されたことを
成就する力が
あることを堅く信じました。
だからこそ,
それが彼の義とみなされたのです。
神さまは無いところ万物を造られました。
イエス・キリストは死からよみがえりました。
聖霊は神の前では死んでいた私たちの魂を活かしてくださいました。
わたしたちは,この無から有を生じる神を信じるとき救われます。
それは,私たちの罪を赦し,義としてくださいます。
☆
(ローマ10:9,10)
「なぜなら,
もしあなたの口で
イエスを主と告白し,
あなたの心で
神はイエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと
信じるなら,
あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ,
口で告白して救われるのです。」
○
「アバ,父。」
(ガラテヤ4:6)
「あなたがたは子であるゆえに,
神は『アバ,父。』と呼ぶ,
御子の御霊を,
私たちの心に
遣わしてくださいました。」
イエス・キリストを信じていると,
神が本当の父であることがわかります。
ですから,神を「お父さん」と呼ぶことが出来ます。
それは,私たちの心に聖霊を受けているからです。
○
「とともに十字架につけられました」
(ガラテヤ2:20)
「私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが
私のうちに生きておられるのです。
いま私が,
この世に生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった
神の御子を信じる
信仰によっているのです。」
イエス・キリストを信じる者は,古い罪の力に死にました。
そして,キリストの復活のいのちによって,生きているのです。
パウロは,次のようにも言います。
(ローマ6:6)
「生くる甲斐(かい)も無しと」
(新聖歌111)
1.
生くる甲斐(かい)も無しと 独り 定めたりし者を
死をも賭(と)して 救いませる 深きイェスの愛よ
(くり返し)
十字架 十字架 そこに 君は 付きて死に給えり
十字架 十字架 そこに 我の 罪も共に死せり
2.
罪をそこに付けし今は いかで 罪に問われん
神にありて 常にきよく 生くる身にしあれば
(くり返し)
3.
君の御手(みて)に支えられて 道を歩む我に
御名(みな)を誉むる 称(たた)え歌の 絶ゆる時はあらじ
(くり返し)
○
思い煩うな(マタイ1:23)
「何も思い煩わないで,
あらゆるばあいに,
感謝をもってささげる
祈りと願いによって,
あなたがたの願い事を
神に知っていただきなさい。
そうすれば,
人のすべての考えにまさる神の平安が,
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって
守ってくれます。」
(ピリピ4:6,7)
「何事も思い煩ってはならない。
ただ,事ごとに,
感謝をもって祈と願いとをささげ,
あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば,
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が,
あなたがたの心と思いとを,
キリスト・イエスにあって守るであろう。」
私たちが思い煩うと,多くの事に失敗します。
イエス・キリストご自身が,次のようにおっしゃっています。
(マタイ6:25)
「わたしはあなたがたに言います。
自分のいのちのことで,
何を食べようか,
何を飲もうかと心配したり,
また,からだのことで,
何を着ようかと心配したりしてはいけません。
いのちは食べ物よりたいせつなもの,
からだは着物よりたいせつなものではありませんか。」
○
明けの明星
(2ペテロ1:19)
「また,私たちは,
さらに確かな預言のみことばを持っています。
夜明けとなって,
明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは,
暗い所を照らすともしびとして,
それに目を留めているとよいのです。」
「明けの明星」とは,再臨のキリストのことです。
キリストの再臨は客観的で,可視的なものです。
今の私たちは,心に受け止めるのです。
○
真実の愛
(1ヨハネ3:18)
「子どもたちよ。
私たちは,
ことばや口先だけで愛することをせず,
行ないと真実をもって
愛そうではありませんか。」
使徒ヨハネの言葉です。
ヨハネは,イエス・キリストの弟子として,
イエス・キリストの言葉を聞き,行いを見ていました。
ヨハネはイエスが十字架にかかっているときも,
逃げずに立ち会っていました。
ですから,ヨハネはイエス・キリストの真実の愛を知っていました。
そして,イエス・キリストを倣うことを勧めています。
○
(ヨハネ13:1)
「さて,過越の祭りの前に,
この世を去って父のみもとに行くべき
自分の時が来たことを知られたので,
世にいる自分のものを愛されたイエスは,
その愛を残るところなく示された。」
2013-06-23