福音書は,イエス・キリストはどのような方で,何をしたか,
その行動と,その思い,また霊さえも教えてくれます。
そして,そこから私たちが得るものを見せてくれます。
イエスはいろいろな人と関わりました。
病人,罪人,悪霊につかれた人を救います。
そして,救われた人にイエスの業,教えを託していきます。
ここに逆転があるのです。
○
人となった言葉
(ヨハネ1:14)
「ことばは人となって,
私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られた
ひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに
満ちておられた。」
イエスが私たちの住まいと
なって下さいました。
そして,
わたしたちのうちに
イエスが住んでくださいました。
このことが受肉の奥義です。
(マタイ1:23)
「見よ,処女がみごもっている。
そして男の子を産む。
その名は
インマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと,
神は私たちとともにおられる,
という意味である。)」
○
受胎告知
(ルカ1:38)
「マリヤは言った。
『ほんとうに,
私は主のはしためです。
どうぞ,あなたのおことばどおり
この身になりますように。』
こうして御使いは
彼女から去って行った。」
マリヤに天使があらわれる。
天使は神からの重要なメッセージを
伝えています。
復活の時にも,
マグダラのマリヤに
現われています。
マリヤは15,6歳ぐらいでは
なかったかと考える学者がいます。
天使の言葉に驚き,尋ねますが,
当然の疑問です。
マリヤは,
主の言葉をちゅうちょせず
受け入れます。
ルカ1:37の天使の言葉は,
聖書を貫く重要な言葉です。
「神にとって不可能なことは
一つもありません。」
(ルカ1:37)
マリヤの信仰は次のようです。
(ルカ1:38)
「ほんとうに,
私は主のはしためです。
どうぞ,
あなたのおことばどおり
この身になりますように。」
☆彡
(ルカ1:26-38)
1:26 ところで,その六か月目に,
御使いガブリエルが,
神から遣わされてガリラヤのナザレという町の
ひとりの処女のところに来た。
1:27 この処女は,
ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで,
名をマリヤといった。
1:28 御使いは,入って来ると,
マリヤに言った。
「おめでとう,恵まれた方。
主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし,
マリヤはこのことばに,ひどくとまどって,
これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると御使いが言った。
「こわがることはない。マリヤ。
あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 ご覧なさい。
あなたはみごもって,男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。
1:32 その子はすぐれた者となり,
いと高き方の子と呼ばれます。
また,神である主は
彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め,
その国は終わることがありません。」
1:34 そこで,マリヤは御使いに言った。
「どうしてそのようなことになりえましょう。
私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。
「聖霊があなたの上に臨み,いと高き方の力があなたをおおいます。
それゆえ,生まれる者は,聖なる者,神の子と呼ばれます。
1:36 ご覧なさい。
あなたの親類のエリサベツも,
あの年になって男の子を宿しています。
不妊の女といわれていた人なのに,今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
1:38 マリヤは言った。
「ほんとうに,私は主のはしためです。
どうぞ,あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
こうして御使いは彼女から去って行った。
○
マリヤの賛歌
(ルカ1:46-55)
1:46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ,
1:47 わが霊は,わが救い主なる神を喜びたたえます。
1:48 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ほんとうに,これから後,
どの時代の人々も,私をしあわせ者と思うでしょう。
1:49 力ある方が,私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く,
1:50 そのあわれみは,主を恐れかしこむ者に,
代々にわたって及びます。
1:51 主は,御腕をもって力強いわざをなし,
心の思いの高ぶっている者を追い散らし,
1:52 権力ある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ,
1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ,
富む者を何も持たせないで追い返されました。
1:54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで,
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
1:55 私たちの父祖たち,
アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」
1:56 マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして,
家に帰った。
○
ヨセフの夢
(マタイ1:19-21)
「夫のヨセフは正しい人であって,
彼女をさらし者にはしたくなかったので,
内密に去らせようと決めた。
彼がこのことを思い巡らしていたとき,
主の使いが夢に現れて言った。
『ダビデの子ヨセフ。
恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。
その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マリヤは男の子を産みます。
その名をイエスとつけなさい。
この方こそ,
ご自分の民をその罪から
救ってくださる方です。』」
マリヤの受胎の告知は天使からされました。
いいなずけのヨセフには,
夢によってなされました。
イエスが受胎したことは
マリヤに天使によって告げられたことは,
よく知られたことです。
☆彡
(マタイ1:18-25)
1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。
その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが,
ふたりがまだいっしょにならないうちに,
聖霊によって身重になったことがわかった。
1:19 夫のヨセフは正しい人であって,
彼女をさらし者にはしたくなかったので,
内密に去らせようと決めた。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき,
主の使いが夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ。
恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。
その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
この方こそ,ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
1:22 このすべての出来事は,
主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
1:23 「見よ,処女がみごもっている。
そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと,神は私たちとともにおられる,という意味である。)
1:24 ヨセフは眠りからさめ,主の使いに命じられたとおりにして,
その妻を迎え入れ,
1:25 そして,子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく,
その子どもの名をイエスとつけた。
○
イエスの降誕
(ルカ2:10,11)
「御使いは彼らに言った。
『恐れることはありません。
今,私はこの民全体のための
すばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で,あなたがたのために,
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。』」
(ルカ2:8-14)
「さて,この土地に,羊飼いたちが,
野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
すると,主の使いが彼らのところに来て,
主の栄光が回りを照らしたので,
彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。
『恐れることはありません。
今,私はこの民全体のための
すばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で,
あなたがたのために,
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなたがたは,
布にくるまって飼葉おけに寝ておられる
みどりごを見つけます。
これが,あなたがたのためのしるしです。』
すると,たちまち,その御使いといっしょに,
多くの天の軍勢が現れて,
神を賛美して言った。
『いと高き所に,栄光が,
神にあるように。
地の上に,平和が,
御心にかなう人々にあるように。』」
神は「飼い葉桶」で寝ている
乳飲み子として出現しました。
人が,神に恐れを抱かないで会う方法でした。
それは,神がへりくだるという方法でした。
(ピリピ2:6-8)
「キリストは神の御姿である方なのに,
神のあり方を捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ,
自分を卑しくし,
死にまで従い,
実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は,
この方を高く上げて,
すべての名にまさる名をお与えになりました。」
神はわたしたちと同じ人となり。
神が私たちの罪の身代わりとなり死ぬためには,
神が私たちと同じ人となることが必要だったのです。
(1ペテロ3:18)
「キリストも一度罪のために死なれました。
正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。
それは,肉においては死に渡され,
霊においては生かされて,
私たちを神のみもとに導くためでした。」
○
讃美歌(ワーシップ)になっています。
大変美しい曲です。
「いと高き所に栄光が」
「いと高き所に栄光がかみにありますように
地の上に平和が御心にかなう人々にあるように」
○
羊飼いと天使
(ルカ2:11)
「きょうダビデの町で,
あなたがたのために,
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。」
羊飼いに与えられた天使の言葉です。
降誕の時の最も有名なことばです
イスラエルの民は長い間「救い主」を求めていました。
まさに,きょう生まれたのです。
救い主は,
わたしたちを罪の奴隷から解放して下さる方として,
示されていきます。
○
少年イエス
(ルカ2:52)
「イエスはますます知恵が進み,
背たけも大きくなり,
神と人とに愛された。」
イエスは,
このとき神の子であるという思いがありました。
イエスは神であり,人でした。
ここでは,
成長していく人としてのイエスを見ることが出来ます。
☆彡
(ルカ2:49-52)
「するとイエスは両親に言われた。
『どうしてわたしをお捜しになったのですか。
わたしが必ず自分の父の家にいることを,
ご存じなかったのですか。』
しかし両親には,
イエスの話されたことばの意味がわからなかった。
それからイエスは,いっしょに下って行かれ,
ナザレに帰って,両親に仕えられた。
母はこれらのことをみな,心に留めておいた。
イエスはますます知恵が進み,
背たけも大きくなり,神と人とに愛された。」
「母はこれらのことをみな,心に留めておいた。」
とあります。
ルカは受胎告知,降誕から子供の時代は
マリヤから聞いたと思われます。
2024.1.28