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朝の光(聖書の言葉)

ヨブ記 初めと終わり  解説 2018-01-17

  
ヨブの初めと終わり  
 
 
ヨブ記の著者,書かれた時代は,

はっきりしません。
 

ヨブ記は,族長時代のヨブの体験であり,
 
神の啓示が書かれています。
 
 
 
 
ヨブは正しい人でした
 

(ヨブ1:1)

「ウツの地にヨブという人がいた。
無垢な正しい人で,神を畏れ,
悪を避けて生きていた。」
 
 
ヨブは正しい人でした。
 
ヨブの不幸は,サタンからの試練でした。


☆彡

 
 (ヨブ1:1-12)

ウツの地にヨブという人がいた。
無垢な正しい人で,
神を畏れ,悪を避けて生きていた。
七人の息子と三人の娘を持ち,
羊七千匹,らくだ三千頭,
牛五百くびき,
雌ろば五百頭の財産があり,
使用人も非常に多かった。
彼は東の国一番の富豪であった。
息子たちはそれぞれ順番に,
自分の家で宴会の用意をし,
三人の姉妹も招いて
食事をすることにしていた。
この宴会が一巡りするごとに,
ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し,
朝早くから彼らの数に相当する
いけにえをささげた。
「息子たちが罪を犯し,
心の中で神を呪ったかもしれない」
と思ったからである。
ヨブはいつもこのようにした。
ある日,主の前に神の使いたちが集まり,
サタンも来た。
主はサタンに言われた。
「お前はどこから来た。」
「地上を巡回しておりました。
ほうぼうを歩きまわっていました」
とサタンは答えた。
主はサタンに言われた。
「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。
地上に彼ほどの者はいまい。
無垢な正しい人で,
神を畏れ,悪を避けて生きている。」
サタンは答えた。
「ヨブが,
利益もないのに神を敬うでしょうか。
あなたは彼とその一族,
全財産を守っておられるではありませんか。
彼の手の業をすべて祝福なさいます。
お陰で,
彼の家畜はその地に溢れるほどです。
ひとつこの辺で,
御手を伸ばして
彼の財産に触れてごらんなさい。
面と向かって
あなたを呪うにちがいありません。」
主はサタンに言われた。
「それでは,彼のものを一切,
お前のいいようにしてみるがよい。
ただし彼には,手を出すな。」
サタンは主のもとから出て行った。
 
 
 
 
神は贖う方

 
(ヨブ19:25,26)

「わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。
この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
わたしは神を仰ぎ見るであろう。」
 

ヨブが苦難にあって後の信仰です。

 
この箇所での贖うとは,

相手を愛するがゆえに,

自らの命の代価を払って買戻し,

ご自分のものとしてくださることです。

 

 
「贖う方」とは,「救い主」のことです。
 

新約聖書になって,

「贖う方」がわかります。

 
「贖う方」は黄泉の国まで下り,

わたしたちを救ってくださるといいます。

 

 
わたしたちが神を見るのは,

神が謙譲な方でもあるからです。
 

それは,神の受肉によって,

示してくださっています。
 

新約聖書で,

パウロは次のように言っています。
 
 
(ピリピ2:6-8)

「キリストは,
神の身分でありながら,
神と等しい者であることに
固執しようとは思わず,
かえって自分を無にして,
僕の身分になり,
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ,
へりくだって,
死に至るまで,
それも十字架の死に至るまで
従順でした。」
 
 
 
 
主なる神のことば

 
(ヨブ38:1-4)

「この時,
主はつむじ風の中からヨブに答えられた,
『無知の言葉をもって,
神の計りごとを暗くするこの者はだれか。
あなたは腰に帯して,男らしくせよ。
わたしはあなたに尋ねる,
わたしに答えよ。
わたしが地の基をすえた時,
どこにいたか。
もしあなたが知っているなら言え。』」
 
 
ヨブに神は突然介入されます。
 
ヨブ記38章で,神がヨブに現れます。
 

ヨブ記38:1から42:6は,

神とヨブとの対話です。

 
それは,神への賛美となっています。
 
 
 
 
ヨブの悔い改め

 
(ヨブ42:5,6)

「あなたのことを,
耳にしてはおりました。
しかし今,この目であなたを仰ぎ見ます。
それゆえ,わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け,悔い改めます。」
 
 
ヨブは神は,天地を造り,

全知全能のお方だと知ります。

 
そして,ヨブは

「私は,自分で悟りえないことを告げました。」

と悔い改めます。
 
 
(ヨブ42:1-6)

「ヨブはに答えて言った。
あなたには,すべてができること,
あなたは,
どんな計画も成し遂げられることを,
私は知りました。
知識もなくて,
摂理をおおい隠す者は,だれか。
まことに,私は,
自分で悟りえないことを告げました。
自分でも知りえない不思議を。
さあ聞け。わたしが語る。
わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。
私はあなたのうわさを
耳で聞いていました。
しかし,今,この目であなたを見ました。
それで私は自分をさげすみ,
ちりと灰の中で悔いています。」







 
 
 詩編では次のような

神への賛美があります。

 
(詩編8:1-10)

(指揮者によって。
ギティトに,合わせて。
賛歌。ダビデの詩。)

「主よ,わたしたちの主よ,
あなたの御名は,いかに力強く,
全地に満ちていることでしょう。
天に輝くあなたの威光をたたえます
幼子,乳飲み子の口によって。
あなたは刃向かう者に向かって砦を築き,
報復する敵を絶ち滅ぼされます。
あなたの天を,あなたの指の業を,
わたしは仰ぎます。
月も,星も,あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは,
人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう,
あなたが顧みてくださるとは。
神に僅かに劣るものとして人を造り,
なお,栄光と威光を冠としていただかせ,
御手によって造られたものを
すべて治めるように,
その足もとに置かれました。
羊も牛も,野の獣も,空の鳥,
海の魚,海路を渡るものも。
主よ,わたしたちの主よ,
あなたの御名は,
いかに力強く,
全地に満ちていることでしょう。」
 
 
○         
 
 
ヨブの祝福

 
(ヨブ42:10)

「ヨブが友人たちのために祈ったとき,
主はヨブを元の境遇に戻し,
更に財産を二倍にされた。」
 
 
ヨブが悔い改め,友のために祈ったとき,

以前にもました,祝福が与えられました。
 

ヨブの苦悩は,神に出会い,

悔い改めることによって,

ヨブは祝福されたのです。


 
 

 
 
ヨブ記は,ヨハネ9:1-3の

生まれつきの盲人の記事に似ています。

不幸の原因は、本人の罪ではないのです。
 

 
(ヨハネ9:1-3)

「さて,イエスは通りすがりに,
生まれつき目の見えない人を
見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。
『ラビ,
この人が生まれつき目が見えないのは,
だれが罪を犯したからですか。
本人ですか。それとも,両親ですか。』
イエスはお答えになった。
『本人が罪を犯したからでも,
両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。』」
 
 
 
 2018-01-17 
 

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