ルカの福音書 字数が多い
ルカの福音書は,
医者のルカが書きました。
ル力は,パウロとともに
伝道旅行をしています。
ルカは,この福音書と
「使徒の働き」を書いています。
ルカは,テオピロと呼ばれる人に,
イエスについて確かなことを
知らせるために書いています。
受胎告知
(ルカ1:30,31)
「すると御使いが言った。
『こわがることはない。マリヤ。
あなたは神から恵みを受けたのです。
ご覧なさい。
あなたはみごもって,
男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。』」
このとき,天使はマリヤに,
イエスを宿すと告げます。
聖書では,
天使は大事な事がらを
告げるときに出てきます。
マリヤが天使の言葉を
受け入れたのは,
聖霊も働いたからです。
(ルカ1:38)
「マリヤは言った。
『ほんとうに,私は主のはしためです。
どうぞ,あなたのおことばどおり
この身になりますように。』
こうして御使いは
彼女から去って行った。」
神が私たちに臨むとき,
信じられない出来事が
起きます。
処女のマリヤが聖霊によって,
子を宿しました。
神は全知全能だからできました。
イエス・キリストの誕生
(ルカ2:11,12)
「きょうダビデの町で,
あなたがたのために,
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなたがは,
布にくるまって
飼葉おけに寝ておられる
みどりごを見つけます。
これが,
あなたがたのためのしるしです。」
イエス・キリストは,ダビデの町である
ベツレヘムでお生れになります。
当時は,さげすまれていた羊飼いに,
御使い(天使)が
イエス・キリストの誕生を知らせます。
小さな「飼い葉おけ」が,
救主のしるし(印)となります。
神様は最も大切なことを,
さげすまれていた人,
最も弱い人に知らせました。
イエス・キリストの洗礼
(ルカ3:21,22)
「民衆がみなバプテスマを
受けていたころ,
イエスもバプテスマをお受けになり,
そして祈っておられると,天が開け,
聖霊が,鳩のような形をして,
自分の上に下られるのをご覧になった。
また,天から声がした。
『あなたは,わたしの愛する子,
わたしはあなたを喜ぶ。』」
洗礼者ヨハネは,
イエス・キリストが来られるのに備えて,
人々に洗礼を授けていました。
イエス・キリストは
ご自分の働きを始める前に,
洗礼を受けるためヨハネのところに
来られました。
そして,このときイエス・キリストは,
洗礼者ヨハネから洗礼を受けます。
天から次の声がありました。
(ルカ3,22)
「あなたは,
わたしの愛する子,
わたしはあなたを喜ぶ」
イエス・キリストの洗礼は
わたしたちへの模範でした。
荒野の誘惑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/85/81e29276d156b4d3c3ccaa8165618f97.jpg)
悪魔は
イエスをエルサレムに連れて行き,
神殿の頂に立たせて,こう言った。
「あなたが神の子なら,
ここから飛び降りなさい。
『神は,
御使いたちに命じて
あなたを守らせる。』とも,
『あなたの足が
石に打ち当たることのないように,
彼らの手で,あなたをささえさせる。』
とも書いてあるからです。」
するとイエスは答えて言われた。
「『あなたの神である主を
試みてはならない。』
と言われている。」
イエス・キリストは
「第二のアダム」と言われています。
アダムが罪を犯したのは,
神の温かい愛のある楽園でした。
アダムは最も恵まれた環境の中で,
言いつけを破りました。
イエス・キリストは
耐えがたい苦しみの中で,
厳しい誘惑を受けましたが,
罪を犯しませんでした。
宣教の開始
(ルカ4:21)
「イエスは人々にこう言っ
て話し始められた。
『きょう,聖書のこのみことばが,
あなたがたが聞いたとおり
実現しました。』」
イエス・キリストは,洗礼の後,
お育ちになった
ナザレの会堂で教えました。
そのときの言葉です。
「主の恵みの年」が,
実現したということです。
イエス・キリストを信じる者が,
この恵みを受けます。
(ルカ4:15-18)
「イエスは、彼らの会堂で教え,
みなの人にあがめられた。
それから,
イエスはご自分の育ったナザレに行き,
いつものとおり安息日に会堂に入り,
朗読しようとして立たれた。
すると,
預言者イザヤの書が手渡されたので,
その書を開いて,
こう書いてある所を見つけられた。
『わたしの上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に
福音を伝えるようにと,
わたしに油をそそがれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕らわれ人には赦免を,
盲人には目の開かれることを
告げるために。
しいたげられている人々を自由にし,
主の恵みの年を
告げ知らせるために。』」
ペテロを召す
(ルカ5:10,11)
「シモンの仲間であった
ゼベダイの子ヤコブやヨハネも
同じであった。
イエスはシモンにこう言われた。
『こわがらなくてもよい。
これから後,
あなたは
人間をとるようになるのです。』
彼らは,舟を陸に着けると,
何もかも捨てて,イエスに従った。」
イエス・キリストが
ペテロを召されたとき,
ペテロはすべてを捨てて
イエス・キリストに従いました。
主に従うとは,
生活の中でイエス・キリストを
第一にすることです。
イエスは,
ご自分がだれであるかを
人々に知らせ,
ご自分に従う人々を
招き始められました。
心の貧しい者
(ルカ6:20)
「貧しい者は幸いです。
神の国は
あなたがたのものですから。」
貧しいとは,
神の他に何も持たない人です。
その人は幸いだと,言うのです。
この貧しい人は
イエス・キリスト御自身だとも
いえます。
やもめの息子を生き返らす
(ルカ7:13)
「主はその母親を
見てかわいそうに思い,
『泣かなくてもよい。』
と言われた。」
死の問題を解決し,
慰めを与える方は,
死んでよみがえられた
イエス・キリストだけです。
(ルカ7:14,15)
「そして近寄って
棺に手をかけられると,
かついでいた人たちが
立ち止まったので,
『青年よ。
あなたに言う,起きなさい。』
と言われた。
すると,その死人が起き上がって,
ものを言い始めたので,
イエスは彼を母親に返された。」
「種蒔き」のたとえ
(ルカ8:8)
「『また,別の種は良い地に落ち,
生え出て,百倍の実を結んだ。』
イエスは,これらのことを話しながら
『聞く耳のある者は聞きなさい』
と叫ばれた。」
イエスはたとえで,人々に話しました。
弟子に次のように解き明かしています。
(ルカ8:11)
「このたとえの意味はこうです。
種は神のことばです。」
(ルカ8:15)
「良い地に落ちるとは,
こういう人たちのことです。
正しい,良い心でみことばを聞くと,
それをしっかりと守り,
よく耐えて,実を結ばせるのです。」
神の言葉を,
良い心で聞き,しっかり守るなら,
実を結ぶことが出来ます。
風をしずめるイエス
(ルカ8:24b)
「イエスは,起き上がって,
風と荒波とをしかりつけられた。
すると風も波も治まり,
なぎになった。」
(ルカ8:25)
「弟子たちは
驚き恐れて互いに言った。
『風も水も,
お命じになれば従うとは,
いったいこの方は
どういう方なのだろう。』」
弟子たちは,漁師であり,
風も水もよく知っていました。
その弟子たちが,
イエス・キリストの言葉と
業に驚きました。
イエス・キリストは
自然を支配することのできる
お方だったのです。
「5つのパンと2匹のさかな」
(ルカ9:16,17)
「するとイエスは,
五つのパンと二匹の魚を取り,
天を見上げて,
それらを祝福して裂き,
群衆に配るように
弟子たちに与えられた。
人々はみな,
食べて満腹した。
そして,
余ったパン切れを取り集めると,
十二かごあった。」
5つのパンと2匹のさかなを,
主にささげることから始まりました。
イエス・キリストは
祈りをささげました。
この奇蹟によって,
イエスは
救い主であることを示しました。
山上の変貌(へんぼう)
(ルカ9:35)
「すると雲の中から,
『これは,わたしの愛する子,
わたしの選んだ者である。
彼の言うことを聞きなさい。』
と言う声がした。」
神が,
「(イエス・キリストは)
わたしの愛する子」
であると宣言します。
イエスが神の子であるという
神の宣言です。
この山上の変貌の出来事は,
イエスが十字架にかかり
復活することの予告でした。
よいサマリヤ人
(ルカ10:33)
「ところが,あるサマリヤ人が,
旅の途中,そこに来合わせ,
彼を見てかわいそうに思い,
近寄って傷に
オリーブ油とぶどう酒を注いで,
ほうたいをし,
自分の家畜に乗せて
宿屋に連れて行き,
介抱してやった。」
イエス・キリストの
話されたたとえ話です。
「憐れに思い」は,
イエス・キリストの性格です。
イエス・キリストの言葉と業は,
この「憐れに思い」から
出発しています。
このサマリヤ人は,
イエス・キリスト
ご自身のことだったのです。
祈り
(ルカ11:13)
「あなたがたも,
悪い者ではあっても,
自分の子どもには良い物を
与えることを知っているのです。
とすれば,なおのこと,
天の父が,求める人たちに,
どうして聖霊を
下さらないことがありましょう。」
イエス・キリストは,
わたしたちが,祈ることによって
「良い物」と「聖霊」が
与えられることを
教えてくださいました。
思い悩むな
「何はともあれ,
あなたがたは,
神の国を求めなさい。
そうすれば,これらの物は,
それに加えて与えられます。」
神の国をもとめるなら,
神は全知,全能ですから,
必要なものすべてが
与えられるというのです。
イエス・キリストは,
私たちに思い煩うなと言います。
(ルカ12:29-31)
「何を食べたらよいか,
何を飲んだらよいか,
と捜し求めることをやめ,
気をもむことをやめなさい。
これらはみな,
この世の異邦人たちが
切に求めているものです。
しかし,あなたがたの父は,
それがあなたがたにも
必要であることを
知っておられます。
何はともあれ,あなたがたは,
神の国を求めなさい。
そうすれば,これらの物は,
それに加えて与えられます。」
腰の曲がった婦人をいやす
(ルカ13:15,16)
「主は彼に答えて言われた。
『偽善者たち。
あなたがたは,安息日に,
牛やろばを小屋からほどき,
水を飲ませに
連れて行くではありませんか。
この女はアブラハムの娘なのです。
それを十八年もの間
サタンが縛っていたのです。
安息日だからといって
この束縛を解いてやっては
いけないのですか。』」
イエス・キリストは,
サタンに縛られている人を
解放してくださいました。
そして,病をいやされました。
弟子の条件
「わたしのもとに来て,
自分の父,母,妻,子,兄弟,姉妹,
そのうえ自分のいのちまでも
憎まない者は,
わたしの弟子になることができません。
自分の十字架を負って
わたしについて来ない者は,
わたしの弟子になることはできません。」
イエスの弟子は,
この世の愛ではなく,
神の愛で生きることを教えています。
放蕩息子のたとえ
「こうして彼は立ち上がって,
自分の父のもとに行った。
ところが,まだ家までは遠かったのに,
父親は彼を見つけ,
かわいそうに思い,
走り寄って彼を抱き,
口づけした。」
この父は,イエス・キリストご自身です。
わたしたちも,悔い改め,
イエス・キリストのところに帰るなら,
神はわたしたちを
受け入れてくださいます。
律法と神の国
(ルカ16:15)
「イエスは彼らに言われた。
『あなたがたは,
人の前で自分を正しいとする者です。
しかし神は,
あなたがたの心をご存じです。
人間の間であがめられる者は,
神の前で憎まれ,きらわれます。』」
わたしたちは,信仰によってのみ,
神によって,正しいとされます。
使徒のパウロは次のように言います。
「すべての人は,罪を犯したので,
神からの栄誉を受けることができず,
ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」
「信仰が,あなたを直したのです」
(ルカ17:19)
「立ち上がって,行きなさい。
あなたの信仰が,
あなたを直したのです。」
このとき,イエス・キリストは,
重い皮膚病を患っている
10人をいやしました。
イエス・キリストは,
病をいやすことが出来ます。
いやされるには,信仰が必要です。
「やもめと裁判官」のたとえ
「まして神は,
夜昼神を呼び求めている選民のために
さばきをつけないで,
いつまでもそのことを
放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが,
神は,すみやかに彼らのために
正しいさばきをしてくださいます。」
イエス・キリストは,
「神は,すみやかに彼らのために
正しいさばきをしてくださいます」
(ルカ18:8)と言います。
神はイエス・キリストを
信じる者を助けてくださいます。
それは,正しい裁きを
することによってなされます。
○
エルサレム入城
(ルカ19:38)
「祝福あれ。
主の御名によって来られる王に。
天には平和。
栄光は,いと高き所に。」
エルサレムに
入城するイエスに弟子たちは,
讃美をします。
わたしたちは主を信じ,
主に祈ること,
神を讃美することが
わたしたちの生活です。
神殿から商人を追い出す
(ルカ19:46)
「わたしの家は,
祈りの家でなければならない。」
神殿は,
神との交わりの場所でありました。
神との交わりを
第一にしないといけないことを
イエスは教えています。
権威について
「イエスは宮で民衆を教え,
福音を宣べ伝えておられたが,
ある日,祭司長,律法学者たちが,
長老たちといっしょに
イエスに立ち向かって,
イエスに言った。
『何の権威によって,
これらのことをしておられるのですか。
あなたにその権威を
授けたのはだれですか。
それを言ってください。』」
イエスは,
質問をした人には答えませんでした。
そして,次のように言います。
(ルカ20:8)
「わたしも,
何の権威によって
これらのことをするのか,
あなたがたに話すまい。」
イエスの権威は神からのものでした。
わたしたちが主と交わることは,
いかに畏れ多いいいことかを
示しています。
やもめの献金
(ルカ21:3)
「わたしは真実を
あなたがたに告げます。
この貧しいやもめは,
どの人よりも
たくさん投げ入れました。」
このやもめは
生活費のすべてをささげました。
神を信じるということは,
神にすべてをささげることです。
人の子が来る
「そのとき,人々は,
人の子が力と輝かしい栄光を帯びて
雲に乗って来るのを見るのです。」
今の霊的な神とのまじわりも
素晴らしいですが,
もっとすばらしい恵みがあります。
それは,主が再度来て,
主と顔と顔を合わせて
会うということです。
主の晩餐
「この杯は,
あなたがたのために流される
わたしの血による新しい契約です。」
イエスが十字架で流す血は,
イエスを信じる者の罪を
赦すというしるしです。
「これは,
あなたがたのために与える,
わたしのからだです。
わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
パンは,
十字架で裂かれたからだのことです。
オリブ山で祈る
(ルカ22:42)
「父よ。みこころならば,
この杯をわたしから
取りのけてください。
しかし,わたしの願いではなく,
みこころのとおりにしてください。」
イエス・キリストは朝早く,
決まった場所で祈っていました。
(ルカ22:39)
「それからイエスは出て,
いつものようにオリーブ山に行かれ,
弟子たちも従った。」
十字架にかかる前に,
イエスはオリーブ山で祈り,
神の御心を受け入れます。
十字架につけられる
イエスは,彼に言われた。
「まことに,あなたに告げます。
あなたはきょう,
わたしとともにパラダイスにいます。」
十字架でイエス・キリストを信じた
犯罪人の一人は,
パラダイス(天国)に
入ることが出来ました。
イエスの復活
「恐ろしくなって,
地面に顔を伏せていると,
その人たちはこう言った。
『あなたがたは,
なぜ生きている方を
死人の中で捜すのですか。
ここにはおられません。
よみがえられたのです。』」
主の降誕と同じように御使が,
主の復活を知らせました。
エマオへの途上で,弟子の二人が
復活したイエスに会います。
天に上げられる
(ルカ24:50-53)
「それから,イエスは,
彼らをベタニヤまで連れて行き,
手を上げて祝福された。
そして祝福しながら,
彼らから離れて行かれた。
彼らは,
非常な喜びを抱いて
エルサレムに帰り,
いつも宮にいて
神をほめたたえていた。」
イエス・キリストは天に上げられます。
イエス・キリストは,
天で私たちのために
祈って下さっています。
2016-06-03