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朝の光(聖書の言葉)

イエスの生涯 2 誕生から宣教へ 

イエスの生涯   2 誕生から宣教へ

 

神は預言者をとおして,

予めイエス・キリストによる救いを

あらわして下さいました。

 

それは,旧約聖書に書かれています。

 

また,天使がイエス・キリストの降誕,

復活,昇天のときあらわれています。

 

そして,

天使はイエス・キリストが昇天するとき,

再臨の予告をします。

 

イエス・キリストの生涯は,

4つの福音書に書かれています。

 

次に,弟子たちがイエスの言葉,

出来事を説明するために,

手紙に書きました。

 

聖書にある新約聖書の手紙は,

聖書の他の書と同じように,

神からの啓示であり,

聖霊の働きによるものです。

 

このブログ(冊子)「イエスの生涯」は,

H.Kさんの好きな聖書の言葉を集めました。

 

この冊子には,

新共同訳聖書と口語訳聖書を用いています。

 

2016.11.20

 

○ 

 

 降誕(クリスマス)

 

 

イエスの誕生がマリヤに予告される

 

(ルカ1:30-33)

「天使は言った。

『マリア,恐れることはない。

あなたは神から恵みをいただいた。

あなたは身ごもって男の子を産むが,

その子をイエスと名付けなさい。

その子は偉大な人になり,

いと高き方の子と言われる。

神である主は,

彼に父ダビデの王座をくださる。

彼は永遠にヤコブの家を治め,

その支配は終わることがない。』」

 

 旧約聖書の時代では,

大きな出来事が起きる前に

イスラエルの人々に,

神は預言者をとおして

何が起きるかを伝えました。

 

このときは,神は天使をとおして,

マリヤにキリストの受胎を告げています。

 

天使は,神が大事なことを伝える

「使者」(メッセンジャー)です。

 

 ○

 

 天使はイエス・キリストの誕生を

ヨセフに告げる

 

(マタイ1:20,21)

「このように考えていると,

主の天使が夢に現れて言った。

『ダビデの子ヨセフ,

恐れず妻マリアを迎え入れなさい。

マリアの胎の子は

聖霊によって宿ったのである。

マリアは男の子を産む。

その子をイエスと名付けなさい。

この子は自分の民を

罪から救うからである。』」

 

つぎに,

天使は夫のヨセフに夢であらわれます。

 

天使は,

「マリアの胎の子は聖霊によって

宿ったのである」こと,

「この子(イエス・キリスト)は

自分の民を罪から救う」と伝えます。

 

天使のことばのとおり,

イエスはわたしたちの罪を救うために,

世に来てくださいました。

 

イエスの受胎と誕生は,

マタイの福音書と

ルカの福音書に出てきますが,

両方とも天使が現れます。

 

 ○

  

羊飼いにあらわれた天使

(ルカ2:11,12) 

「今日ダビデの町で,

あなたがたのために

救い主がお生まれになった。

この方こそ主メシアである。

あなたがたは,

布にくるまって飼い葉桶の中に

寝ている乳飲み子を見つけるであろう。

これがあなたがたへのしるしである。」

 

 その次に,

天使は野宿をしていた羊飼いにあらわれ,

救い主の誕生を告げます。

 

 ルカの福音書では,

イエス・キリストの誕生を

次のように書いています。

 

(ルカ2:11 口語訳)

「きょうダビデの町に,

あなたがたのために

救主がお生れになった。

このかたこそ

主なるキリストである。」

 

 イエス・キリストは,

わたしたちを暗やみから

光へと救い出してくれる,

救主(すくいぬし)です。

 

 

♪ 「まぶねのかたえに」 

( 讃美歌21 256)

1.

まぶねのかたえに われは立ちて,

受けたるたまもの ささげまつる。

いのちの主イエスよ,わが身も 心も

とりて祝したまえ。

6.

愛する主イエスよ, 今ささぐる

ひとつの願を 聞きたまえや。

この 身と 心を  主のまぶねとなし,

とわに宿りたまえ。

 

 

(ルカ2:8-14)

「その地方で羊飼いたちが

野宿をしながら,

夜通し羊の群れの番をしていた。

すると,主の天使が近づき,

主の栄光が周りを照らしたので,

彼らは非常に恐れた。

天使は言った。

『恐れるな。

わたしは,

民全体に与えられる

大きな喜びを告げる。

今日ダビデの町で,

あなたがたのために

救い主がお生まれになった。

この方こそ主メシアである。

あなたがたは,

布にくるまって飼い葉桶の中に

寝ている乳飲み子を見つけるであろう。

これがあなたがたへのしるしである。』

すると,突然,

この天使に天の大軍が加わり,

神を賛美して言った。

『いと高きところには栄光,

神にあれ,

地には平和,

御心に適う人にあれ。』

天使たちが離れて天に去ったとき,

羊飼いたちは,

『さあ,ベツレヘムへ行こう。

主が知らせてくださった

その出来事を見ようではないか』

と話し合った。

そして急いで行って,マリアとヨセフ,

また飼い葉桶に寝かせてある

乳飲み子を探し当てた。

その光景を見て,羊飼いたちは,

この幼子について天使が

話してくれたことを人々に知らせた。」

 

 

 キリストは,

人間と同じ者になりました。

 

(ピリピ2:6,7)

「キリストは,神の身分でありながら,

神と等しい者であることに

固執しようとは思わず,

かえって自分を無にして,

僕の身分になり,

人間と同じ者になられました。」

 

後にパウロは,

イエスの誕生について説明をしました。

 

イエス・キリストは神でありましたが,

人となってこの世に来られました。

 

イエス・キリストは,

十字架の死を含めて,

父なる神に従順でした。

 

そして,罪のない生涯でした。

 

ですから,神はこのイエスを復活させ,

天国に引き上げられました。

 

いま,わたしたちは

「イエス・キリストは主である」

(ピリピ2:11)と

公に宣言することができるのです。

 

神の計画と愛は,

人には計(はか)ることの

出来ないことです。

 

驚くべき神の業,神の愛です。

 


キリストを模範とせよ

 

(ピリピ2:6-11)

「キリストは,神の身分でありながら,

神と等しい者であることに

固執しようとは思わず,

かえって自分を無にして,

僕の身分になり,

人間と同じ者になられました。

人間の姿で現れ,へ

りくだって,死に至るまで,

それも十字架の死に至るまで従順でした。

このため,神はキリストを高く上げ,

あらゆる名にまさる名を

お与えになりました。

こうして,天上のもの,

地上のもの,

地下のものがすべて,

イエスの御名にひざまずき,

すべての舌が,

『イエス・キリストは主である』

と公に宣べて,

父である神をたたえるのです。」

 

 


 

 キリストの生涯

 

イエス,洗礼を受ける

 

(マタイ3:16,17)

「イエスは洗礼を受けると,

すぐ水の中から上がられた。

そのとき,天がイエスに向かって開いた。

イエスは,神の霊が鳩のように

御自分の上に

降って来るのを御覧になった。

そのとき,

『これはわたしの愛する子,

わたしの心に適う者』と言う声が,

天から聞こえた。』」

 

イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受け,

救い主(キリスト)の生涯を始めます。

 

このとき,神の霊(聖霊)が,

イエスに降(くだ)ったとあります。

 

このときから,

イエスは聖霊に満たされた生涯となります。

 

わたしたちが

イエス・キリストを信じるなら,

つぎのように

 「これはわたしの愛する子,

わたしの心に適う者」

と神は言って下さいます。

 



イエス,洗礼を受ける

 

(マタイ3:13-17)

「そのとき,イエスが,

ガリラヤから

ヨルダン川のヨハネのところへ来られた。

彼から洗礼を受けるためである。

ところが,ヨハネは,

それを思いとどまらせようとして言った。

『わたしこそ,

あなたから洗礼を受けるべきなのに,

あなたが,

わたしのところへ来られたのですか。』

しかし,イエスはお答えになった。

『今は,止めないでほしい。

正しいことをすべて行うのは,

我々にふさわしいことです。』

そこで,

ヨハネはイエスの言われるとおりにした。

イエスは洗礼を受けると,

すぐ水の中から上がられた。

そのとき,天がイエスに向かって開いた。

イエスは,神の霊が鳩のように

御自分の上に

降って来るのを御覧になった。

そのとき,

『これはわたしの愛する子,

わたしの心に適う者』

と言う声が,天から聞こえた。」

 

 

 

 

洗礼者のヨハネは,

「最大の預言者」だといわれています。

 

それは,イエスを神の子として直接,

指し示したからからです。

 

洗礼者のヨハネは

このとき次のように言っています。

 

(ヨハネ1:29)

「その翌日,

ヨハネは自分のほうに

イエスが来られるのを見て言った。

『見よ,世の罪を取り除く神の小羊。』」

 

 

(ヨハネ1:34)

「私(洗礼者のヨハネ)は

それを見たのです。

それで,

この方が神の子であると

証言しているのです。」

 

 

○ 

 

 ガリラヤで伝道を始める

 

(マルコ1:14,15)

「ヨハネが捕らえられた後,

イエスはガリラヤへ行き,

神の福音を宣べ伝えて,

 『時は満ち,神の国は近づいた。

悔い改めて福音を信じなさい』

と言われた。」

 

 「神の国は近づいた」とは,

イエス・キリストが

来られたことによります。

 

神の国は,

イエス・キリストを

信じることによってきます。

 

「悔い改め」とは,

「方向転換」を意味しています。

 

神に背を向けていた人生から,

神を見上げる人生に向きを変えることです。

 

 

 

 

小福音書

 

(ヨハネ3:16)

「神は,

その独り子をお与えになったほどに,

世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで,

永遠の命を得るためである。」

 

 福音書を短い言葉にまとめると,

この言葉になるといいます。

 

この言葉は,

小福音書と呼ばれることがあります。

 

 

(ヨハネ3:13-17)

「天から降って来た者,

すなわち人の子のほかには,

天に上った者はだれもいない。

そして,

モーセが荒れ野で蛇を上げたように,

人の子も上げられねばならない。

それは,信じる者が皆,

人の子によって

永遠の命を得るためである。

神は,その独り子を

お与えになったほどに,

世を愛された。

独り子を信じる者が

一人も滅びないで,

永遠の命を得るためである。

神が御子を世に遣わされたのは,

世を裁くためではなく,

御子によって世が

救われるためである。」

 


 (ヨハネ3:14)

「モーセが荒れ野で蛇を上げたように,

人の子も上げられねばならない。」


(民数記21:4-9)

旧約聖書のイスラエルの民が,

青銅で作った蛇を仰ぎ見ることによって,

イスラエルを襲った災難を免れました。


 

そのように,

わたしたちには,

イエス・キリストを仰ぎ見る,

すなわち信じることで,

救われるというのです。

 

「人の子が上げられる」は,

「十字架に上げられる」と

「栄光のうちに天に上げられる」

の2つのことをあらわしています。

(ヨハネ8:28,12:32)

 

「信じる者が皆,

人の子によって

永遠の命を得るためである。」

(ヨハネ3:15)

 

 ○

 

永遠の水

 

(ヨハネ4:14)

「わたしが与える水を飲む者は

決して渇かない。

わたしが与える水は

その人の内で泉となり,

永遠の命に至る水がわき出る。」

 

イエス・キリストは,

サマリヤの女にイエスは声をかけます。

 

そして,イエス・キリストは言います。

 

(ヨハネ4:10)

「もしあなたが,

神の賜物を知っており,

また,

『水を飲ませてください』と言ったのが

だれであるか知っていたならば,

あなたの方からその人に頼み,

その人は

あなたに生きた水を

与えたことであろう。」

 

 

サマリヤの女は言います。

 

(ヨハネ4:11)

「主よ,

あなたはくむ物をお持ちでないし,

井戸は深いのです。

どこからその生きた水を

手にお入れになるのですか。」

 

イエス・キリストに「主よ」と呼びます。

 

イエスの答えが次の言葉でした。

 

(ヨハネ4:14)

「わたしが与える水を

飲む者は決して渇かない。

わたしが与える水は

その人の内で泉となり,

永遠の命に至る水がわき出る。」

 

☆彡 


(ヨハネ4:3-14)

ユダヤを去り,再びガリラヤへ行かれた。

しかし,

サマリアを通らねばならなかった。

それで,

ヤコブがその子ヨセフに

与えた土地の近くにある,

シカルというサマリアの町に来られた。

そこにはヤコブの井戸があった。

イエスは旅に疲れて,

そのまま井戸のそばに座っておられた。

正午ごろのことである。

サマリアの女が水をくみに来た。

イエスは,

「水を飲ませてください」と言われた。

弟子たちは

食べ物を買うために町に行っていた。

すると,サマリアの女は,

「ユダヤ人のあなたが

サマリアの女のわたしに,

どうして

水を飲ませてほしいと頼むのですか」

と言った。

ユダヤ人はサマリア人とは

交際しないからである。

イエスは答えて言われた。

「もしあなたが,神の賜物を知っており,

また,『水を飲ませてください』

と言ったのが

だれであるか知っていたならば,

あなたの方からその人に頼み,

その人は

あなたに生きた水を

与えたことであろう。」

女は言った。

「主よ,

あなたはくむ物をお持ちでないし,

井戸は深いのです。

どこからその生きた水を

手にお入れになるのですか。

あなたは,

わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。

ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え,

彼自身も,その子供や家畜も,

この井戸から水を飲んだのです。」

イエスは答えて言われた。

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。

しかし,

わたしが与える水を飲む者は

決して渇かない。

わたしが与える水は

その人の内で泉となり,

永遠の命に至る水がわき出る。」

 

 

イエスとサマリヤの女の会話を通して,

わたしたちはイエスの教えを

知ることができます。

 

サマリヤの女は,

サマリヤの多くの人に救いをもたらしました。

 

 

 

 ガリラヤを巡り歩く

 

(マタイ4:23)

「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて,

諸会堂で教え,御国の福音を宣べ伝え,

民の中のあらゆる病気,

あらゆるわずらいをおいやしになった。」

 

 

イエスは成人となり,洗礼を受け,

 

荒野で試練にあいますが,打ち勝ちます。

 

そして,ガリラヤの地で,

救い主としての活動を始めます。

 

それは,福音を宣べ,

病気,わずらいをいやすことでした。

 

 

○ 

 

 

 山上の説教を始める

 

(マタイ5:1,2) 

「イエスはこの群衆を見て,

山に登られた。

腰を下ろされると,

弟子たちが近くに寄って来た。

そこで,イエスは口を開き,

教えられた。」

 

 イエスは,

ペテロたちを召し出し,弟子とします。

 

その後,ガリラヤ湖の近くの山上で,

 弟子たちに

「神の義と神の国」を教えられました。

 

  

♪ 「ガリラヤの風かおる丘で」

(新聖歌40番)

 

1.

ガリラヤの風かおる丘で

ひとびとに話された

恵みの御言葉を

わたしにも聞かせてください

 

2.

嵐の日波たける湖(うみ)で

弟子たちを諭された

力の御言葉を

わたしにも聞かせてください

 

3.

ゴルゴダの十字架の上で

罪人を招かれた

救いの御言葉を

わたしにも聞かせてください

 

4.

夕暮れのエマオへの道で

弟子たちに告げられた

命の御言葉を

わたしにも聞かせてください

 

 ○

 

 心の貧しい人びとは幸いです。

 

(マタイ5:3)

「心の貧しい人々は,幸いである,

天の国はその人たちのものである。」

 

 

イエスは山上で弟子たちに説教をします。

 

「心の貧しい人々」とは,

自分は何も持っていない,

 

すべてのものは,

神のものだと思っている人です。

 

その人は天の国に入るのです。

 

 

(マタイ5:10)

「義に飢え渇く人々は,

幸いである,

その人たちは満たされる。」

 

自分のうちに義はないと思う者は幸いです。

 

義は神にだけあるからです。

 

 

 

ここでは,

8つの幸いな人々を取り上げています。

 

「心の貧しい人々」,

「悲しむ人々」,

「柔和な人々」,

「義に飢え渇く人々」,

「憐れみ深い人々」,

「心の清い人々」,

「平和を実現する人々」,

「義のために迫害される人々」は,

幸いであるといいます。

 

そして,「天の国」は,

その人たちのものであるといいます。

 

☆彡


幸い

 

(マタイ5:3-12)

「心の貧しい人々は,幸いである,

天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は,幸いである,

その人たちは慰められる。

柔和な人々は,幸いである,

その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は,幸いである,

その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は,幸いである,

その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は,幸いである,

その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は,幸いである,

その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は,

幸いである,

天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ,

迫害され,

身に覚えのないことで

あらゆる悪口を浴びせられるとき,

あなたがたは幸いである。

喜びなさい。

大いに喜びなさい。

天には大きな報いがある。

あなたがたより前の預言者たちも,

同じように迫害されたのである。」

 

 

主の祈り

 

(マタイ6:9,10)

「天におられるわたしたちの父よ,

御名が崇められますように。

御国が来ますように。

御心が行われますように,

天におけるように地の上にも。」

 

 

神に対して,父よと呼びかける,

御名が崇められる,御国が来ること,

御心が行われますように,

との主の祈りは,

救われる者,

あるいは救われた者の祈りです。

 

「主の祈り」は,

イエスが弟子に教えたものです。

 

わたしたちは心を込めて,

祈りたいものです。

 

☆彡


主の祈り

 

(マタイ6:9-13)

「だから,こう祈りなさい。

『天におられるわたしたちの父よ,

御名が崇められますように。

御国が来ますように。

御心が行われますように,

天におけるように地の上にも。

わたしたちに必要な糧を

今日与えてください。

わたしたちの負い目を赦してください,

わたしたちも自分に負い目のある人を,

赦しましたように。

わたしたちを誘惑に遭わせず,

悪い者から救ってください。』

もし人の過ちを赦すなら,

あなたがたの天の父も

あなたがたの過ちをお赦しになる。

しかし,もし人を赦さないなら,

あなたがたの父も

あなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

○ 

 

 神の国と神の義を求めなさい

 

(マタイ6:25-27)

「だから,言っておく。

自分の命のことで

何を食べようか何を飲もうかと,

また自分の体のことで

何を着ようかと思い悩むな。

命は食べ物よりも大切であり,

体は衣服よりも大切ではないか。

空の鳥をよく見なさい。

種も蒔かず,刈り入れもせず,

倉に納めもしない。

だが,あなたがたの天の父は

鳥を養ってくださる。

あなたがたは,

鳥よりも価値あるものではないか。

あなたがたのうちだれが,

思い悩んだからといって,

寿命をわずかでも

延ばすことができようか。」

 

天の父は,「鳥を養ってくださる」のです。

 

教会のある方のお話です。

「家に,野良だった猫が2匹います。


猫の名前は,

家の前の「ときわ公園」で

拾ったので「ときわ」です。


もう一匹は「るりこ」です。


この猫をも,

神は愛し,育ててくださっています。


もちろん神は,

わたしたちを価値あるものとして,

愛して養ってくださってると思います。」

 

 

 ○

 

  

5羽のすずめ

 

(ルカ12:6,7)

「五羽の雀が

二アサリオンで売られているではないか。

だが,その一羽さえ,

神がお忘れになるようなことはない。

それどころか,

あなたがたの髪の毛までも

一本残らず数えられている。

恐れるな。

あなたがたは,

たくさんの雀よりも

はるかにまさっている。」

 

イエスはルカの福音書で,

一羽の雀さえも忘れられていないと

言われています。

 

わたしたちは雀よりも,

はるかに愛されています。

 

 

(イザヤ43:4a)

「わたしの目には,

あなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。」

 

 

 ○

 

 

神の国と神の義を求めなさい

 

(マタイ6:33,34)

「何よりもまず,

神の国と神の義を求めなさい。

そうすれば,

これらのものはみな加えて与えられる。

だから,明日のことまで思い悩むな。

明日のことは明日自らが思い悩む。

その日の苦労は,

その日だけで十分である。」

 

このとき,イエスは,

人々に「神の国と神の義を求めなさい」,

そして「思い悩むな」と言います。

 

イエス・キリストのガリラヤ湖畔にある

山上での説教の中心は,

「神の国と神の義」でした。

 

 

 

 

信じる者の義

 

(マタイ5:20)

「言っておくが,

あなたがたの義が律法学者や

ファリサイ派の人々の義に

まさっていなければ,

あなたがたは

決して天の国に入ることができない。」

 

イエス・キリスト御自身は,

ご生涯と十字架の死によって,

この義を成し遂げました。

 

しかし,わたしたちにとって,

この義は行いによっては,

成し遂げることが出来ないのです。

 

わたしたちは,

イエスの義を信仰によって,

受け取ることができるのです。

 

 


 

 2018-08-23


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