イエスの生涯 9 神の義と神の国
(口語訳)
○
罪がおおわれる
(詩編32:1)
「そのとががゆるされ,
その罪がおおい消される者は
さいわいである。」
旧約聖書のイスラエルの王ダビデが,
バテ・シェバに姦淫し,
その夫を殺した後のことです。
ダビデは罪を悔い改めることによって,
神に赦されました。
(詩編32:5)
「わたしは自分の罪をあなたに知らせ,
自分の不義を隠さなかった。
わたしは言った,
『わたしのとがを主に告白しよう』と。
その時あなたは
わたしの犯した罪をゆるされた。」
パウロはローマ書に
この詩編を引用しています。
○
(ローマ4:6-8)
「ダビデもまた,
行いがなくても
神に義と認められた人の幸福について,
次のように言っている,
『不法をゆるされ,
罪をおおわれた人たちは,
さいわいである。
罪を主に認められない人は,
さいわいである』。」
イエス・キリストが十字架にかかって,
わたしたちの罪の身代わりになって
死んでくださいました。
ですから,わたしたちも,
イエス・キリストを信じ,
わたしたちが,罪を悔い改めるならば,
わたしたちの罪は赦されます。
(ローマ3:23,24)
「すべての人は,罪を犯したので,
神からの栄誉を受けることができず,
ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」
ここでの贖いとは,
キリストの死によって,
人間の罪が赦され,
神との正しい関係に入ることです。
弟子のヨハネは次のように言っています。
(1ヨハネ1:8,9 口語訳)
「もし,罪がないと言うなら,
それは自分を欺くことであって,
真理はわたしたちのうちにない。
もし,
わたしたちが自分の罪を告白するならば,
神は真実で正しいかたであるから,
その罪をゆるし,
すべての不義から
わたしたちをきよめて下さる。」
○
永遠の思い
(伝道の書3:11)
「神のなされることは
皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に
永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお,
人は神のなされるわざを
初めから終りまで
見きわめることはできない。」
神は無限のお方で,
わたしたちは有限な者です。
ですから,わたしたちは
神のすべてを知ることはできませんが,
しかし,神の一部を知ることができます。
そして,わたしたちは神の存在を
信じることが出来るのです。
「永遠を思う思い」は,
イエス・キリストによって,
わたしたちに与えられています。
そして,
わたしたちが
イエス・キリストを信じるとき,
永遠の命をいただくことが出来ます。
(ヨハネ3:16 口語訳)
「神はそのひとり子を賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
○
「主を待ち望む」
(イザヤ40:31)
「しかし
主を待ち望む者は新たなる力を得,
わしのように翼をはって,
のぼることができる。
走っても疲れることなく,
歩いても弱ることはない。」
旧約聖書の預言者イザヤに与えられた,
神からの言葉です。
主を待ち望む者に,
神は新しい力を与えてくださるといいます。
♪
「主を待ち望む者は」
(リビングプレイズ81番)
主を待ち望む者は
新たに力を受けてのぼる
走り疲れず 歩みてうまず
鷲のようにのぼる
旧約聖書の人々は,
救い主の誕生を待っていました。
そして,復活したイエスは,
次のように言いました.。
(使徒1:4,5 口語訳)
「そして食事を共にしているとき,
彼らにお命じになった,
『エルサレムから離れないで,
かねてわたしから聞いていた
父の約束を待っているがよい。
すなわち,
ヨハネは水でバプテスマを授けたが,
あなたがたは間もなく聖霊によって,
バプテスマを授けられるであろう』」。
待っている弟子に,約束どおり
聖霊を与えてくださいました。
そして今,わたしたちは,
主が再び来られることを待っています。
(ヨハネ黙示22:20)
「これらのことをあかしするかたが
仰せになる,
『しかり,わたしはすぐに来る』。
アァメン,主イエスよ,きたりませ。」
わたしたちは,
今も「主を待ち望む者」なのです。
○
主の僕
(イザヤ53:5)
「彼が刺し貫かれたのは,
わたしたちの背きのためであり,
彼が打ち砕かれたのは,
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって,
わたしたちに平和が与えられ,
彼の受けた傷によって,
わたしたちはいやされた。」
旧約聖書のイザヤにあたえられた,
神の言葉です。
神の救いの計画が示されています。
イエス・キリストの十字架が,
この箇所で,はっきり預言されています。
イエス・キリストが,
人類の罪を負い
十字架にかかることによって,
この預言を成就して下さいました。
(イザヤ53:12)
「わたしは彼に大いなる者と共に,
物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで,
自分の魂をそそぎだし,
とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い,
とがある者のためにとりなしをした。」
わたしの罪の赦しのために,
イエス・キリストは
十字架の上で,
執り成しの祈りをしてくださいました。
(ルカ23:34a)
「そのとき,イエスは言われた,
『父よ,彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか,
わからずにいるのです』。
人々はイエスの着物を
くじ引きで分け合った。」
○
主のいつくしみ
(哀歌3:22,23)
「主のいつくしみは絶えることがなく,
そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく,
あなたの真実は大きい。」
このことばは,
旧約聖書の預言者エレミヤのものです。
主はイスラエルの人々を,
いつくしみとあわれみとによって
導きました。
イエスはあわれみによって,
病の人,苦難の中の人々に
あわれみを尽くしました。
(マルコ1:41 口語訳)
「イエスは深くあわれみ,
手を伸ばして彼にさわり,
『そうしてあげよう,きよくなれ』
と言われた。」
イエス・キリストの御業と
ことばのすべては,
深いあわれみによっています。
主は,わたしたちの価値によらないで,
無条件に,
わたしたちを愛して下さっています。
○
神の国と神の義
(マタイ6:33)
「まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば,これらのものは,
すべて添えて与えられるであろう。」
「神の国と神の義」は,
イエス・キリストを信じると与えられます。
信仰によって,すべてのものが,
わたしたちに与えられるからです。
信仰によって,
わたしたちに与えられるものとは,
罪が赦され,義とされ,聖められ,
イエスに似たものとなることです。
主が再び来られるとき
神の国(天国)に入れられます。
パウロは次のように言います。
(ローマ5:1,2)
「このように,わたしたちは,
信仰によって義とされたのだから,
わたしたちの主イエス・キリストにより,
神に対して平和を得ている。
わたしたちは,さらに彼により,
いま立っているこの恵みに
信仰によって導き入れられ,
そして,神の栄光にあずかる希望をもって
喜んでいる。」
○
空の鳥を良く見なさい
(マタイ6:26)
「空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず,刈り入れもせず,
倉に納めもしない。
だが,あなたがたの天の父は
鳥を養ってくださる。
あなたがたは,
鳥よりも価値あるものではないか。」
(マタイ6:28)
「なぜ,衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか,
注意して見なさい。
働きもせず,紡ぎもしない。」
(マタイ6:33,34)
「何よりもまず,
神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば,
これらのものはみな加えて与えられる。
だから,明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は,
その日だけで十分である。」
神は空の鳥にも,
野の花にも良くしてくださっています。
わたしの家の猫にも,
良くしてくれています。
わたしの家の猫は前は野良でした。
今は,わたしに懐(なつ)いています。
空の鳥,野の花,家の猫に
神は良くしてくださっています。
神は,わたしたちには,
もっとよくしてくださるはずです。
神は,わたしたちが考える以上に,
良くしてくださっているのです。
思い煩わないで,
神を信じて生きていきたいものです。
♪ 「心くじけて」(新聖歌285)
1.
心くじけて 思い悩み
などて寂しく 空を仰ぐ
主イエスこそ わが真の友
(折り返し)
一羽のすずめに 目を注ぎ給う
主はわれさえも 支え給うなり
声高らかに われは歌わん
一羽のすずめさえ 主は守り給う
2.
心静めて 御声聞けば
恐れは去りて 委ぬるを得ん
ただ知らまほし 行く手の道
(折り返し)
○
ぶどうの木とその枝
(ヨハネ15:5)
「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており,
またわたしがその人とつながっておれば,
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては,
あなたがたは何一つできないからである。」
イエス・キリストが十字架につけられる前,
弟子たちに話した言葉です。
わたしたちが
イエス・キリストを信じるならば,
ぶどうの木と枝のように,
イエス・キリストとわたしたちは,
結びつきます。
イエス・キリストを,信じるわたしたちは,
イエス・キリストと一つとなっています。
この確信と喜びは,
イエス・キリストを信じている限り,
変わることがありません。
○
内なる人
(2コリント4:16)
「わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても,
内なる人は日ごとに新しくされていく。」
「外なる人」は,生まれながらの人です。
「内なる人」は,
イエス・キリストを信じて
新しくされた人です。
わたしたちの「内なる人」は,
日ごとに新しくされていきます。
イエス・キリストは生きているときに,
弟子たちに聖霊を送る
約束をされていました。
○
新しく造られた者
(2コリント5:17)
「だれでもキリストにあるならば,
その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った,
見よ,すべてが新しくなったのである。」
イエス・キリストを
わたしたちが信じるなら,
神はわたしたちを新しくしてくださいます。
神は,無から,天地を造られました。
神の子であるイエス・キリストは,
死からよみがえりました。
そして,聖霊は,
罪の中にあるわたしたちを,
新しくしてくださいます。
イエスは,
ニコデモに次のように言いました。
(ヨハネ3:3 口語訳)
「イエスは答えて言われた,
『よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ,
神の国を見ることはできない』」。
○
恵みと信仰による
(エペソ2:8,9)
「あなたがたの救われたのは,
実に,恵みにより,信仰によるのである。
それは,
あなたがた自身から出たものではなく,
神の賜物である。
決して行いによるのではない。
それは,
だれも誇ることがないためなのである。」
わたしたちは,
良いことをしたのでもなく,
清いからでもなく,
神の一方的な恵みと,
イエス・キリストへの信仰によって,
救われます。
イエスが十字架につけられたとき,
犯罪人の一人に次のように言っています。
(ルカ23:42,43 口語訳)
「(犯罪人の一人が)言った,
『イエスよ,
あなたが御国の権威をもって
おいでになる時には,
わたしを思い出してください』。
イエスは言われた,
『よく言っておくが,
あなたはきょう,
わたしと一緒に
パラダイスにいるであろう』」。
「パラダイス」とは,
エデンの園であり,神の国であり,
天国です。
業によらず,
イエスを頼り信じたこの犯罪人は,
神の恵みと,信仰によって救われたのです。
「カルバリ山の十字架」(新聖歌112)
1.
カルバリ山の十字架に付きて
イエスは尊き血潮を流し
救いの道を開き給えり
カルバリの十字架 我が為なり
(くり返し)
ああ十字架 ああ十字架
カルバリの十字架 我が為なり
2.
かくも妙なる愛を知りては
身も魂(たましい)もことごと捧げ
ただ哀れみに縋(すが)る他なし
カルバリの十字架 我が為なり
(くり返し)
3.
イエスよ血潮を我に注ぎて
今より我を清き宮とし
永久(永遠)(とこしえ)までも
住まわせ給え
カルバリの十字架 我が為なり
(くり返し)
○
神の秘けつ
ピリピ4:12,13 (口語訳)
「わたしは貧に処する道を知っており,
富におる道も知っている。
わたしは,飽くことにも飢えることにも,
富むことにも乏しいことにも,
ありとあらゆる境遇に処する
秘けつを心得ている。
わたしを強くして下さるかたによって,
何事でもすることができる。」
神はすべてを可能にしてくださいます。
神が秘けつを知っているので,
わたしたちは神に頼ればよいのです。
わたしたちには,いつも神が必要なのです。
2016年 10月 2日