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朝の光(聖書の言葉)

イエスの生涯 6 復活

イエスの生涯 6


復活  (イースター)

 

 

(マタイ28:5,6)

「天使は婦人たちに言った。

『恐れることはない。

十字架につけられた

イエスを捜しているのだろうが,

あの方は,ここにはおられない。

かねて言われていたとおり,

復活なさったのだ。

さあ,

遺体の置いてあった場所を見なさい。」

 

 

(ルカ24:6) 

「あの方は,ここにはおられない。

復活なさったのだ。

まだガリラヤにおられたころ,

お話しになったことを思い出しなさい。」

 

 

天使が墓に来た婦人たちにあらわれ,

イエス・キリストの復活を告げました。

 

天使がイエスの復活を

弟子たちに伝えたことは,

4つの福音書にすべてに書かれています。

 

 ☆彡


(ルカ24:1-9)

「週の初めの日の明け方早く,

準備しておいた香料を持って墓に行った。

見ると,石が墓のわきに転がしてあり,

中に入っても,

主イエスの遺体が見当たらなかった。

そのため途方に暮れていると,

輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。

婦人たちが恐れて地に顔を伏せると,

二人は言った。

『なぜ,

生きておられる方を死者の中に捜すのか。

あの方は,ここにはおられない。

復活なさったのだ。

まだガリラヤにおられたころ,

お話しになったことを思い出しなさい。

人の子は必ず,

罪人の手に渡され,

十字架につけられ,

三日目に復活することになっている,

と言われたではないか。』

そこで,

婦人たちはイエスの言葉を思い出した。

そして,墓から帰って,

十一人とほかの人皆に

一部始終を知らせた。」

 

 ○

 

 

復活の主,マグダラのマリヤに現れる


(ヨハネ20:16) 

「イエスは彼女に言われた。

『マリヤ。』

彼女は振り向いて,ヘブル語で,

『ラボニ(すなわち,先生)

とイエスに言った。」

 

 

このマリヤはマグダラのマリヤです。

 

マグダラのマリヤは,

イエス・キリストに

「七つの悪霊を追い出していただいた」

婦人であり,

イエス・キリストに奉仕していました。

 

そして,

イエスが十字架にかけられたとき,

そばにいました。

 

 

 

(ルカ8:1-3)

「すぐその後,

イエスは神の国を宣べ伝え,

その福音を告げ知らせながら,

町や村を巡って旅を続けられた。

十二人も一緒だった。

悪霊を追い出して

病気をいやしていただいた

何人かの婦人たち,

すなわち,

七つの悪霊を追い出していただいた

マグダラの女と呼ばれるマリア,

ヘロデの家令クザの妻ヨハナ,

それにスサンナ,

そのほか多くの婦人たちも一緒であった。

彼女たちは,自分の持ち物を出し合って,

一行に奉仕していた。」

 

 

(ヨハネ19:25)

「イエスの十字架のそばには,

その母と母の姉妹,

クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが

立っていた。」

 

 ☆彡



イエス,

マグダラのマリヤに現れる


(ヨハネ20:11-18)

「マリアは墓の外に立って泣いていた。

泣きながら身をかがめて墓の中を見ると,

イエスの遺体の置いてあった所に,

白い衣を着た二人の天使が見えた。

一人は頭の方に,

もう一人は足の方に座っていた。

天使たちが,

『婦人よ,なぜ泣いているのか』

と言うと,

マリアは言った。

「わたしの主が取り去られました。

どこに置かれているのか,

わたしには分かりません。」

こう言いながら後ろを振り向くと,

イエスの立っておられるのが見えた。

しかし,

それがイエスだとは分からなかった。

イエスは言われた。

「婦人よ,なぜ泣いているのか。

だれを捜しているのか。」

マリアは,園丁だと思って言った。

「あなたが

あの方を運び去ったのでしたら,

どこに置いたのか教えてください。

わたしが,あの方を引き取ります。」

イエスが,「マリア」と言われると,

彼女は振り向いて,

ヘブライ語で,「ラボニ」と言った。

「先生」という意味である。

イエスは言われた。

「わたしにすがりつくのはよしなさい。

まだ父のもとへ上っていないのだから。

わたしの兄弟たちのところへ行って,

こう言いなさい。

『わたしの父であり,

あなたがたの父である方,

また,わたしの神であり,

あなたがたの神である方のところへ

わたしは上る』と。」

マグダラのマリアは

弟子たちのところへ行って,

「わたしは主を見ました」と告げ,

また,主から言われたことを伝えた。」





 

○ 

 

 復活する,弟子たちに現われる

 

(ルカ24:45-49)

イエスは,

聖書を悟らせるために

彼らの心の目を開いて,

言われた。

「次のように書いてある。

『メシアは苦しみを受け,

三日目に死者の中から復活する。

また,罪の赦しを得させる悔い改めが,

その名によって

あらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。

エルサレムから始めて,

あなたがたはこれらのことの証人となる。

わたしは,

父が約束されたものをあなたがたに送る。

高い所からの力に覆われるまでは,

都にとどまっていなさい。」

 

 

復活したイエスは,

エルサレムで弟子たちにあらわれます。

 

そのときのイエス・キリストの言葉です。

 

イエス・キリストが

十字架につけられ復活したのは,

聖書(旧約聖書)に

預言されたとおりだといいます。

 

罪のない方を死で縛ることは

できませんでした。

 

神はイエス・キリストを復活させました。

(使徒2:24)

 

イエス・キリストは,

その後,40日の間,

弟子たちに姿を現されました。

 

そして,イエス・キリストは,

父なる神が約束した聖霊が,

弟子たちに送られると言います。

 

この聖霊のおかげで,

わたしたちは心で

イエス・キリストは復活したと,

信じることができるのです。

 

 

エマオ途上のイエス

 

(ルカ24:30,31)

「一緒に食事の席に着いたとき,

イエスはパンを取り,

賛美の祈りを唱え,

パンを裂いてお渡しになった。

すると,二人の目が開け,

イエスだと分かったが,

その姿は見えなくなった。」

 

 

復活したイエスは,

エマオに行こうとしている

弟子に現れます。

 

この弟子には,

イエスがわかりませんでした。

 

イエスと食事をしているとき,

初めて復活したイエスだとわかりました。

 

この記事は,不思議です。

 

普通とは違うのです。


普通には起こりえないのです。

 

しかし,驚くべき事実なのです。

 

(ルカ24:28-35)

「一行は目指す村に近づいたが,

イエスはなおも

先へ行こうとされる様子だった。

二人が,

『一緒にお泊まりください。

そろそろ夕方になりますし,

もう日も傾いていますから』と言って,

無理に引き止めたので,

イエスは共に泊まるため家に入られた。

一緒に食事の席に着いたとき,

イエスはパンを取り,賛美の祈りを唱え,

パンを裂いてお渡しになった。

すると,二人の目が開け,

イエスだと分かったが,

その姿は見えなくなった。

二人は,『道で話しておられるとき,

また聖書を説明してくださったとき,

わたしたちの心は燃えていたではないか』

と語り合った。」

そして,時を移さず出発して,

エルサレムに戻ってみると,

十一人とその仲間が集まって,

本当に主は復活して,

シモンに現れたと言っていた。

二人も,道で起こったことや,

パンを裂いてくださったときに

イエスだと分かった次第を話した。」

 


「とどまり給え、われらと共に」

(バッハ コラール)
「ああ、とどまってください、
私たちと共に、
主イエス・キリストよ、
もう夕べとなっていますから
あなたの神の言葉と明るい光を
私たちのもとから
消し去らないでください」
(1節)




 

 

復活のイエス,トマスに現れる

 

(ヨハネ20:28)

「トマスは答えて,

『わたしの主,

わたしの神よ』と言った。」

 

トマスは,

復活したイエス・キリストに会い,

「わたしの主,わたしの神よ」と言います。

 

トマスは,

復活の主に会うことによって,

信仰は確かなものになり,

その救いも確かなものになりました。

 

 

(ローマ10:13)

「主の名を呼び求める者は

だれでも救われる」のです。

 

 

 

(ヨハネ20:24-29)

十二人の一人で

ディディモと呼ばれるトマスは,

イエスが来られたとき,

彼らと一緒にいなかった。

そこで,ほかの弟子たちが,

「わたしたちは主を見た」と言うと,

トマスは言った。

「あの方の手に釘の跡を見,

この指を釘跡に入れてみなければ,

また,

この手をそのわき腹に入れてみなければ,

わたしは決して信じない。」

さて八日の後,

弟子たちはまた家の中におり,

トマスも一緒にいた。

戸にはみな鍵がかけてあったのに,

イエスが来て真ん中に立ち,

「あなたがたに平和があるように」

と言われた。

それから,トマスに言われた。

「あなたの指をここに当てて,

わたしの手を見なさい。

また,あなたの手を伸ばし,

わたしのわき腹に入れなさい。

信じない者ではなく,

信じる者になりなさい。」

トマスは答えて,

「わたしの主,わたしの神よ」と言った。

イエスはトマスに言われた。

「わたしを見たから信じたのか。

見ないのに信じる人は,幸いである。」

 

 

○ 

 

  

弟子たち,復活の主に会う

 

(ヨハネ21:7)

「イエスの愛しておられた

あの弟子がペトロに,

『主だ』と言った。

シモン・ペトロは『主だ』と聞くと,

裸同然だったので,

上着をまとって湖に飛び込んだ。」

 

復活したイエスが弟子たちに,

ガリラヤで会うことになると,

約束をしていました。

 

 

(マタイ28:10)

「イエスは言われた。

『恐れることはない。

行って,わたしの兄弟たちに

ガリラヤへ行くように言いなさい。

そこでわたしに会うことになる。』

 

弟子たちが,

イエスの復活に会ったのは3度目でした。

 

ペテロが湖に飛び込んだのは,

イエスに裸の姿を

見せたくなかったからでしょうか。

 

ペテロは,

復活したイエス・キリストに会い,

驚いたための

行動だったのかもしれません。

 

 

 イエス,七人の弟子に現れる

(ヨハネ21:1-14)

その後,イエスはティベリアス湖畔で,

また弟子たちに御自身を現された。

その次第はこうである。

シモン・ペトロ,

ディディモと呼ばれるトマス,

ガリラヤのカナ出身のナタナエル,

ゼベダイの子たち,

それに,ほかの二人の弟子が一緒にいた。

シモン・ペトロが,

「わたしは漁に行く」と言うと,

彼らは,

「わたしたちも一緒に行こう」と言った。

彼らは出て行って,舟に乗り込んだ。

しかし,その夜は何もとれなかった。

既に夜が明けたころ,

イエスが岸に立っておられた。

だが,弟子たちは,

それがイエスだとは分からなかった。

イエスが,

「子たちよ,何か食べる物があるか」

と言われると,

彼らは,「ありません」と答えた。

イエスは言われた。

「舟の右側に網を打ちなさい。

そうすればとれるはずだ。」

そこで,網を打ってみると,

魚があまり多くて,

もはや

網を引き上げることができなかった。

イエスの愛しておられた

あの弟子がペトロに,

「主だ」と言った。

シモン・ペトロは「主だ」と聞くと,

裸同然だったので,

上着をまとって湖に飛び込んだ。

ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて,

舟で戻って来た。

陸から二百ペキスばかりしか

離れていなかったのである。

さて,陸に上がってみると,

炭火がおこしてあった。

その上に魚がのせてあり,

パンもあった。

イエスが,

「今とった魚を何匹か持って来なさい」

と言われた。

シモン・ペトロが舟に乗り込んで

網を陸に引き上げると,

百五十三匹もの大きな魚で

いっぱいであった。

それほど多くとれたのに,

網は破れていなかった。

イエスは,

「さあ,来て,朝の食事をしなさい」

と言われた。

弟子たちはだれも,

「あなたはどなたですか」

と問いただそうとはしなかった。

主であることを知っていたからである。

イエスは来て,

パンを取って弟子たちに与えられた。

魚も同じようにされた。

イエスが死者の中から復活した後,

弟子たちに現れたのは,

これでもう三度目である。

 

 ○

 

  死者からの復活

 

(2テモテ2:8)

「イエス・キリストのことを

思い起こしなさい。

わたしの宣べ伝える福音によれば,

この方は,ダビデの子孫で,

死者の中から復活されたのです。」

 

パウロは,

イエス・キリストの復活を

宣べ伝えました。

 

パウロは次のようにも

言っています。

 

(1コリント15:3-5)

「最も大切なこととして

わたしがあなたがたに伝えたのは,

わたしも受けたものです。

すなわち,キリストが,

聖書に書いてあるとおり

わたしたちの罪のために死んだこと,

葬られたこと,また,

聖書に書いてあるとおり

三日目に復活したこと,

ケファに現れ,

その後十二人に現れたことです。」

 

パウロはコリントの信徒に,

イエスの十字架と復活が

「最も大切なこと」だといいます。

 

今のわたしたちにとっても,

同じように大切なことです。

 

 ○ 

 

 復活の体

 

(1コリント15:44)

「自然の命の体が蒔かれて,

霊の体が復活するのです。

自然の命の体があるのですから,

霊の体もあるわけです。」

 

 

イエスは復活しました。

 

また,

私たちも天国に向かえられるとき,

わたしたちの体も復活します。

 

コリントの信徒は,

復活した体はどのようなものだろうと

疑問に思い,次のように言います。

 

 (1コリント15:35)

「ある人はこう言うでしょう。

『死者は,

どのようにしてよみがえるのか。

どのようなからだで来るのか。』」

 

 

それにパウロが,

復活のからだは「霊の体」だと答えます。

 

 

(1コリント15:41-44)

「太陽の輝き,月の輝き,

星の輝きがあって,

それぞれ違いますし,

星と星との間の輝きにも違いがあります。

死者の復活もこれと同じです。

蒔かれるときは朽ちるものでも,

朽ちないものに復活し,

蒔かれるときは卑しいものでも,

輝かしいものに復活し,

蒔かれるときには弱いものでも,

力強いものに復活するのです。

つまり,自然の命の体が蒔かれて,

霊の体が復活するのです。

自然の命の体があるのですから,

霊の体もあるわけです。」

 

 

(1コリント15:52,53)

「最後のラッパが鳴るとともに,

たちまち,一瞬のうちにです。

ラッパが鳴ると,

死者は復活して朽ちない者とされ,

わたしたちは変えられます。

この朽ちるべきものが朽ちないものを着,

この死ぬべきものが

死なないものを

必ず着ることになります。」

 

 

♪ 「球根の中には」 

(讃美歌21 575)  

 

1.

球根の中には 花が秘められ,

さなぎの中から いのちはばたく。

寒い冬の中 春はめざめる。

その日,その時を ただ神が知る。

 

2.

沈黙はやがて 歌に変えられ,

深い闇の中 夜明け近づく。

過ぎ去った時が 未来を拓(ひら)く。

その日,その時を ただ神が知る。

 

3.

いのちの終わりは いのちの始め。

おそれは信仰に,死は復活に,

ついに変えられる 永遠の朝。

その日,その時を ただ神が知る。

 

○ 

 

 わたしたちの救い

 

(ローマ10:9) 

「口でイエスは主であると公に言い表し,

心で神がイエスを死者の中から

復活させられたと信じるなら,

あなたは救われるからです。」

 

パウロの手紙の一節です。

 

わたしたちが

イエスは主であると公に言い表し,

イエスの復活を心で信じるなら

救われるのです。

 

この言葉は,今も変わらず,

信じる者の救いの確信となります。

 

この言葉を暗唱するなら,

思い起こすことによって,

 

わたしたちに救いの確信が

与えられます。

 

 ○

 

 いつもあなたがたと共にいる

 

(マタイ28:20b)

「わたしは世の終わりまで,

いつもあなたがたと共にいる。」

 

復活したイエス・キリストが

ガリラヤの山で,

11人の弟子に語った言葉です。

 

 

(マタイ28:16-20)

「十一人の弟子たちはガリラヤに行き,

イエスが指示しておかれた山に登った。

そして,イエスに会い,ひれ伏した。

しかし,疑う者もいた。

イエスは,近寄って来て言われた。

「わたしは天と地の一切の権能を

授かっている。

だから,あなたがたは行って,

すべての民をわたしの弟子にしなさい。

彼らに父と子と聖霊の名によって

洗礼を授け,

あなたがたに命じておいたことを

すべて守るように教えなさい。

わたしは世の終わりまで,

いつもあなたがたと共にいる。」

 

 

 2018-08-23


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