見出し画像

朝の光(聖書の言葉)

コリントの信徒への手紙1 その1 解説 重要 2019-06-27

コリントの信徒への手紙1 解説  


2019-06-27


1-14章




十字架の言葉 


(1コリント1:18)

「十字架のことばは,
滅びに至る人々には
愚かであっても,
救いを受ける私たちには,
神の力です。」


パウロは,

コリントの教会の多くの問題,

あるいはすべての問題の

解決があると考えています。


「十字架のことば」は,

敗北のように思われ,

信じない人には愚かに見えます。


「十字架のことば」は,福音です。


コリント教会での問題の解決は,

福音でした。


そして,福音の中心は,

イエス・キリストでした。




十字架につけられたキリスト


(1コリント1:23,24)

「しかしわたしたちは,
十字架につけられた
キリストを宣べ伝える。
このキリストは,
ユダヤ人にはつまずかせるもの,
異邦人には愚かなものであるが, 
召された者自身にとっては,
ユダヤ人にもギリシヤ人にも,
神の力,
神の知恵たる
キリストなのである。」

 
十字架につけられたキリストが,

福音です。
 

このキリストとは,

キリストご自身と生涯すなわち,

降誕,生涯,復活,昇天,

聖霊降臨,再臨を含むものです。




知恵,義,聖,贖い


(1コリント1:30)

「しかしあなたがたは,
神によって
キリスト・イエスのうちに
あるのです。
キリストは,私たちにとって,
神の知恵となり,
また,義と聖めと,
贖いとになられました。」


コリントの教会における,

あらゆる問題において,

また信じる者の生活の

あらゆる領域において,

キリストによって

解決が与えられます。


キリストは適切で十分な答えです。


イエス・キリストは,

知恵,義,聖めと贖いです。

キリストを信じたとき,

わたしたちのうちに

キリストが入ります。


そして,キリストは,

わたしたちに

神の知恵,義,聖と贖いと

なります。




神の知恵


(1コリント2:6,7)

「しかし私たちは,
成人の間で,
知恵を語ります。
この知恵は,
この世の知恵でもなく,
この世の過ぎ去って行く
支配者たちの知恵でもありません。
私たちの語るのは,
隠された奥義としての
神の知恵であって,
それは,
神が,私たちの栄光のために,
世界の始まる前から,
あらかじめ定められたものです。」


「隠された奥義としての神の知恵」

(2:7)とは,

人間の知恵では理解できないが,

神が良しとされるときに,

啓示される救いの計画です。


神の啓示は,

神の御霊によってのみ

与えられます。




聖霊の働き

霊は知っている,聖霊による啓示


(1コリント2:10)

「神はこれを,
御霊によって私たちに
啓示されたのです。
御霊はすべてのことを探り,
神の深みにまで
及ばれるからです。」


御霊は,

わたしたちの心の底にまで

来てくださり,

神のすべての真理を

知らせてくださいます。




(ヨハネ16:13)

「その方,
すなわち真理の御霊が来ると,
あなたがたを
すべての真理に導き入れます。
御霊は自分から語るのではなく,
聞くままを話し,
また,
やがて起ころうとしていることを
あなたがたに示すからです。」





成長させて下さる神


(1コリント3:6,7)

「私が植えて,
アポロが水を注ぎました。
しかし,成長させたのは神です。
それで,たいせつなのは,
植える者でも
水を注ぐ者でもありません。
成長させてくださる神なのです。」


わたしたちを

成長させてくださるのは神です。




主の再臨と審判


(1コリント4:5)

「あなたがたは,
主が来られるまでは,
何についても,
先走ったさばきを
してはいけません。
主は,やみの中に隠れた事も
明るみに出し,
心の中のはかりごとも
明らかにされます。
そのとき,神から各人に対する
称賛が届くのです。」


この世の終わりに,

キリストが

再び天から地上に来られます。


キリストは栄光のうちに

天の雲に乗って来られます。


そして,さばきの座に着いて,

すべての者をさばき,

救いを完成します。





純粋な生き方


(1コリント5:11)

「私が書いたことの
ほんとうの意味は,
もし,兄弟と呼ばれる者で,
しかも不品行な者,貪欲な者,
偶像を礼拝する者,
人をそしる者,酒に酔う者,
略奪する者がいたなら,
そのような者とは
つきあってはいけない,
いっしょに食事をしてもいけない,
ということです。」


兄弟(教会に属する者)で,

不品行な者とは,

付き合うなと言います。


イエスを信じる者は,

互いに悪に染まらないように

気をつけなさいといいます。




聖なる者,義と認められた者


(1コリント6:11)

主イエス・キリストの御名と
私たちの神の御霊によって,
あなたがたは洗われ,
聖なる者とされ,
義と認められたのです。」


「洗われ」とは,

罪が洗い清められることです。


「義と認められ」とは,

罪人がキリストを

信じることによって,

罪を赦され,

キリストの義のゆえに,

義と認められることです。

(義認と言います)


義と認められる(義認)とは

法的用語であり,

無罪とされ,

神の前に正しい者として

すべての権利が

与えられることを意味します。


「聖なる者」とされるとは,

聖霊が信者の心の中に

積極的に働き,

神の汚れから解放し,

神のかたちに似せて

新しい人として,

良い行いをすることが

できるようになることです。


神に属する者は,

聖なる者とされます。

聖化と呼ばれます。




主の復活


(1コリント6:14)

「神は主をよみがえらせましたが,
その御力によって
私たちをも
よみがえらせてくださいます。」


神は,

イエス・キリストを

復活させました。


イエス・キリストを信じる者は,

復活の力が与えられています。





体は聖霊の宮


(1コリント6:19,20)

「あなたがたのからだは,
あなたがたのうちに住まれる,
神から受けた聖霊の宮であり,
あなたがたは,
もはや
自分自身のものではないことを,
知らないのですか。
あなたがたは,
代価を払って買い取られたのです。
ですから自分のからだをもって,
神の栄光を現わしなさい。」


イエスを信じる者は,

代価を払って

買い取られた(贖われた)のです。


すなわち,救われたのです。


体は聖霊の宮です。

自分のからだを大切にしましょう。


イエス・キリストを信じるものは,

自分の体の内に

聖霊が宿るからです。





贖い


(1コリント6:20)

「あなたがたは,
代価を払って買い取られたのです。
ですから自分のからだをもって,
神の栄光を現しなさい。」


「贖い」は,

元来は代価を払って

買い取るという意味ですが,


キリストによる救いを

意味するようになりました。


キリストの十字架における死は

贖いの代価であり,

それにより罪人は罪を赦され,

義と認められます。



(ローマ3:24)

「神の恵みにより,
キリスト・イエスによる
贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」






自由人


(1コリント7:22,23)

「奴隷も,
主にあって召された者は,
主に属する自由人であり,
同じように,自由人も,
召された者は
キリストに属する奴隷だからです。
あなたがたは,
代価をもって買われたのです。
人間の奴隷となっては
いけません。」



この代価と言う言葉は,

「身代金」という言葉です。


ですから,他の訳ですと,

「あなたがたは,

身代金を払って

買い取られたのです。

人の奴隷となってはいけません。」

となります。




神を愛する人


(1コリント8:3)

「しかし,人が神を愛するなら,
その人は
神に知られているのです。」




わたしたちは

イエス・キリストによって存在する


(1コリント8:6)

「私たちには,
父なる唯一の神がおられるだけで,
すべてのものは
この神から出ており,
私たちもこの神のために
存在しているのです。
また,
唯一の主なるイエス・キリストが
おられるだけで,
すべてのものは
この主によって存在し,
私たちもこの主によって
存在するのです。」


父なる神は,唯一の神であり,

天地を造られた方です。


イエス・キリストは

父なる神と共に,

天地を造られました。


私たちは,

このイエス・キリストにおいて,

存在しているのです。






自由


(1コリント9:19)

「私はだれに対しても自由ですが,
より多くの人を獲得するために,
すべての人の奴隷となりました。」



(1コリント9:22)

「弱い人々には,
弱い者になりました。
弱い人々を獲得するためです。
すべての人に,
すべてのものとなりました。
それは,何とかして,
幾人かでも救うためです。」






試練


(1コリント10:13)

「あなたがたのあった試練は
みな人の知らないようなものでは
ありません。
神は真実な方ですから,
あなたがたを
耐えることのできないような
試練に会わせるようなことは
なさいません。
むしろ,
耐えることのできるように,
試練とともに,
脱出の道も備えてくださいます。」




神の栄光をあらわす


(1コリント10:23,24)

「すべてのことは,
してもよいのです。
しかし,
すべてのことが
有益とはかぎりません。
すべてのことは,
してもよいのです。
しかし,
すべてのことが
徳を高めるとはかぎりません。
だれでも,
自分の利益を求めないで,
他人の利益を心がけなさい。」


イエス・キリストを信じる者は,

自由にされました。


しかし,

その自由は徳をたかめるために,

用いるべきです。


そして,

「他人の利益を心がけなさい」

と言います。


まとめて,

神の栄光をあらわすために

するべきだとパウロは言います。






神の栄光


(1コリント10:31)

「こういうわけで,
あなたがたは,食べるにも,
飲むにも,何をするにも,
ただ神の栄光を
現わすためにしなさい。」


「栄光」は,

神の臨在をあらわしています。


それは神の恵み,

義,あわれみををあらわします。


イエス・キリスト自身が,

神のの栄光をあらわしています。



(へブル1:3)

「御子は神の栄光の輝きであり,
神の本質の真の姿であって,
その力ある言葉をもって
万物を保っておられる。
そして罪のきよめのわざを
なし終えてから,
いと高き所にいます大能者の右に,
座につかれたのである。」


私たちには,

何事にも神の栄光をあらわすように

求められています。






聖餐式 


(1コリント11:23-29) 

「私は主から受けたことを,
あなたがたに伝えたのです。
すなわち,
主イエスは,
渡される夜,パンを取り,
感謝をささげて後,
それを裂き,こう言われました。
『これはあなたがたのための,
わたしのからだです。
わたしを覚えて,
これを行いなさい。』
夕食の後,
杯をも同じようにして言われました。
『この杯は,
わたしの血による新しい契約です。
これを飲むたびに,
わたしを覚えて,
これを行いなさい。』
ですから,あなたがたは,
このパンを食べ,
この杯を飲むたびに,
主が来られるまで,
主の死を告げ知らせるのです。」



主の晩餐の制定を書いています。

イエスの最後の晩餐を

受けたものです。


(マタイ26:26-29)




聖霊の賜物  


( 1コリント12:8ー10)

「ある人には御霊によって
知恵のことばが与えられ,
ほかの人には同じ御霊にかなう
知識のことばが与えられ,
またある人には
同じ御霊による信仰が与えられ,
ある人には同一の御霊によって,
いやしの賜物が与えられ,
ある人には奇蹟を行なう力,
ある人には預言,
ある人には霊を見分ける力,
ある人には異言,
ある人には異言を解き明かす力が
与えられています。」


イエス・キリストを信じる者には,

愛を中心とした御霊の実が

与えられると共に

神のために働くために御霊の賜物が

与えられています。


「御霊の賜物」(12:4)とは,

信者が教会で奉仕するために

必要なものを,

神が聖霊によって

恵みとして

お与えになったものです。




さらにまさる道,愛 


(1コリント12:31b,13:1)

「あなたがたは,
よりすぐれた賜物を
熱心に求めなさい。
また私は,
さらにまさる道を
示してあげましょう。
たといわたしが,
人々の言葉や御使たちの
言葉を語っても,
もし愛がなければ,
わたしは,
やかましい鐘や
騒がしい鐃鉢と同じである。」


パウロは12章で,

霊の賜物について述べました。


そして,

その賜物を生かす道は,

愛です。


愛は聖霊の実であるといいます。


(ガラテヤ5:22,23)

「御霊の実は,
愛,喜び,平安,寛容,親切,
善意,誠実, 柔和,自制です。
このようなものを禁ずる律法は
ありません。」





愛 


(1コリント13:4-8)

「愛は寛容であり,愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず,高慢になりません。
礼儀に反することをせず,
自分の利益を求めず,
怒らず,人のした悪を思わず,
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし,
すべてを信じ,
すべてを期待し,
すべてを耐え忍びます。
愛は決して
絶えることがありません。
預言の賜物ならばすたれます。
異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。」


愛はギリシャ語ではアガペーです。

13章は「愛の章」と呼ばれます。

ここでは,

愛の不滅性を示しています。


ここでの愛(アガペー)は神の愛です。


それは,わたしたちが,

他者に自分を与える愛です。




いつまでも残るもの


(1コリント13:13)

「こういうわけで,
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは
愛です。」




御霊の賜物


(1コリント14:12)

「あなたがたの場合も同様です。
あなたがたは御霊の賜物を
熱心に求めているのですから,
教会の徳を高めるために,
それが豊かに与えられるよう,
熱心に求めなさい。」


コリントの教会は,

問題が多かったと同時に,

聖霊が働いていたことも

分かります。


パウロは,霊の賜物で教会を

作り上げるために

求めるように言います。





異言

 
(1コリント14:18,19)

「わたしは,
あなたがたのうちのだれよりも
多く異言が語れることを,
神に感謝する。 
しかし教会では,
一万の言葉を異言で語るよりも,
ほかの人たちをも教えるために,
むしろ五つの言葉を知性によって
語る方が願わしい。」
 

パウロは,

異言を伴う聖霊のバプテスマを

受けていました。

 
しかし,

教会では

異言を語ることに慎重でした。
 
 




預言の賜物


(1コリント14:24,25)

「もしみなが預言をするなら,
信者でない者や初心の者が
入って来たとき,
その人はみなの者によって
罪を示されます。
みなにさばかれ,
心の秘密があらわにされます。
そうして,
神が確かにあなたがたの中に
おられると言って,
ひれ伏して神を拝むでしょう。」

2019-06-27

2022-09-01  改定










ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「コリント人への手紙 第1」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事