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朝の光(聖書の言葉)

コリント人への手紙第2 1章ー5章 (1) 解説 2017.5.2

コリント人への手紙第2 


1章ー5章 解説






この手紙の著者はパウロです。

(1:1,10:1)


コリント第1の手紙が書かれたのち,

1年以内56,57年ごろ

マケドニア(現在ギリシャ)から

書かれたと思われます。

 

コリント第2の手紙の中から

1章1か所ぐらい取り上げます。

 

主題は次の言葉です。


(2コリント4:5)


「わたしたちは,

自分自身を宣べ伝えるのではなく,

主であるイエス・キリストを

宣べ伝えています。

わたしたち自身は,

イエスのために

あなたがたに仕える僕なのです。」


コリントの教会には,

パウロが使徒であることを

疑問視する者がいました。

 

パウロは自分が

使徒であることを弁明するために

コリントに宛てて手紙を書きました。

 

 ○


1章 

 

慰め 


(2コリント1:4)


「神は,どのような苦しみのときにも,

私たちを慰めてくださいます。

こうして,私たちも,

自分自身が神から受ける慰めによって,

どのような苦しみの中にいる人をも

慰めることができるのです。」

 

神は,

わたしたちを慰めてくださいます。


パウロは,

苦しみを通して,神に慰められました。


ですから,パウロは,

どのような苦しみの中にいる人をも

慰めることが出来るといいます。

  

 

 復活の神に頼む者

 

(2コリント1:9)


「ほんとうに,

自分の心の中で死を覚悟しました。

これは,もはや自分自身を頼まず,

死者をよみがえらせてくださる神に

より頼む者となるためでした。」

 

神は死者を復活させてくださる方です。


神の真理を学ぶには,

わたしたちは御言葉を聞くだけでなく,

より頼むこと,従うことが必要です。

 

パウロは,

自分の力は頼れないことをとおして,

神に希望を見出しました。

 

パウロは,

イエスの生涯,イエスのことば,

聖霊の働きを自分の体験で

確認しました。


パウロは体験した

信仰生活をのべています。


 ○


心に聖霊を受ける


(2コリント1:22)

 「神はまた,
わたしたちに証印をおし,
その保証として,
わたしたちの心に
御霊を賜わったのである。」


神が与える証印は聖霊です。


イエス・キリストを信じる人は

すべて聖霊を受けています。


信じる者の心にある聖霊は

救いの保証となります。


☆彡

使徒行伝を読むと,

当時のキリスト者は

異言を伴う聖霊のバプテスマを

受けていました。


そして,

聖霊を受けた体験を

持ち続けることができました。


それは救いの確信となっていました。





信仰

 
(2コリント1:24b)

「あなたがたは,

信仰に堅く立っているからである。」
 

イエス・キリストへの信仰によって,

イエスのなされた

恵みのすべてを受けます。

パウロの教えは,

聞く者の体験と一致しました。



2章

 

キリストの香り

 

(2コリント2:14)


「神はいつでも,

私たちを導いてキリストによる

勝利の行列に加え,

至る所で私たちを通して,

キリストを知る知識のかおりを

放ってくださいます。」

 

当時,征服者は捕虜をつれて,

勝利の行進をして帰ってきました。

 

この例を取り上げて,

わたしたちはキリストと共に,

行進していくのだといいます。

 

そして,

福音を宣べる者とされます。

 


赦し、慰める


(2コリント2:7-9)

「あなたがたはむしろ彼をゆるし、
また慰めてやるべきである。
そうしないと、
その人はますます深い悲しみに
沈むかも知れない。
そこでわたしは、
彼に対して愛を示すように、
あなたがたに勧める。
わたしが書きおくったのも、
あなたがたがすべての事について
従順であるかどうかを、
ためすためにほかならなかった。」


教会を困らせた人を

赦しなさいといいます。



3章

 

心に刻まれた言葉

 

(2コリント3:3)


「あなたがたが私たちの

奉仕によるキリストの手紙であり,

墨によってではなく,

生ける神の御霊によって書かれ,

石の板にではなく,

人の心の板に書かれたものであることが

明らかだからです。」

 

 モーセに与えられた言葉である十戒は,

石の板に書かれました。

 

イエス・キリストから

与えられた言葉は,

信仰をもつすべての人の心に

刻まれます。

 

 

新しい契約 

 

(2コリント3:6)


「神は私たちに,

新しい契約に仕える者となる

資格をくださいました。

文字に仕える者ではなく,

御霊に仕える者です。

文字は殺し,

御霊は生かすからです。」

 

イエス・キリストを信じる者は,

聖霊によって生きます。


☆彡

 

(2コリント3:1-8)


「私たちはまたもや自分を推薦しようと

しているのでしょうか。

それとも,ある人々のように,

あなたがたにあてた推薦状とか,

あなたがたの推薦状とかが,

私たちに必要なのでしょうか。

私たちの推薦状はあなたがたです。

それは私たちの心にしるされていて,

すべての人に知られ,

また読まれているのです。

あなたがたが私たちの奉仕による

キリストの手紙であり,

墨によってではなく,

生ける神の御霊によって書かれ,

石の板にではなく,

人の心の板に書かれたものであることが

明らかだからです。

私たちはキリストによって,

神の御前でこういう確信を持っています。

何事かを自分のしたことと考える資格が

私たち自身に

あるというのではありません。

私たちの資格は神からのものです。

神は私たちに,

新しい契約に仕える者となる

資格を下さいました。

文字に仕える者ではなく,

御霊に仕える者です。

文字は殺し,御霊は生かすからです。

もし石に刻まれた文字による,

死の務めにも栄光があって,

モーセの顔の,

やがて消え去る栄光のゆえにさえ,

イスラエルの人々が

モーセの顔を見つめることが

できなかったほどだとすれば,

まして,御霊の務めには,

どれほどの栄光があることでしょう。」


 ○


「新しい契約」とは,

キリストの血によって,

救われるという福音です。


(マタイ26:27,28)

「また杯を取り、
感謝して彼らに与えて言われた、
『みな、この杯から飲め。
 これは、
罪のゆるしを得させるようにと、
多くの人のために
流すわたしの契約の血である。』」



「新しい契約」とは,

わたしたちが

イエス・キリストを信じるなら

神は罪を赦し,罪から救うという

契約です。

 

 

 

栄光から栄光へ

 

(2コリント3:16-18)


「しかし,人が主に向くなら,

そのおおいは取り除かれるのです。

主は御霊です。

そして,

主の御霊のあるところには

自由があります。

私たちはみな,

顔のおおいを取りのけられて,

鏡のように主の栄光を反映させながら,

栄光から栄光へと,

主と同じかたちに

姿を変えられて行きます。

これはまさに,

御霊なる主の働きによるのです。」

 

 わたしたちが,

神がわからなくなったとき,

自由がないと感じたとき

自分がみじめであると感じたとき,

聖書の言葉と聖霊が,

わたしたちを助けてくださいます。

 

「主の栄光」は,

旧約聖書のモーセが

顔を光で放ったことに対応します。


(出エジプト34:35)

「イスラエルの人々は

モーセの顔を見ると、

モーセの顔の皮が光を放っていた。

モーセは行って主と語るまで、

また顔おおいを顔に当てた。」



 

主の栄光 

 

(2コリント3:18)


「私たちはみな,

顔のおおいを取りのけられて,

鏡のように主の栄光を反映させながら,

栄光から栄光へと,

主と同じかたちに

姿を変えられて行きます。

これはまさに,

御霊なる主の働きによるのです。」

 

 

イエス・キリストを信じる者の目標は,

「主に似ること」です。

 

 

♪ 「栄光から栄光へと」

(「こころの中でメロディーを」4 )

 

「栄光から栄光へとわたしをかえて

栄光へとかえてくださる

主とおなじすがたにかえられるまで

主はわたしをかえてくださる」




主の霊


(2コリント3:17,18)

「主は霊である。
そして、主の霊のあるところには、
自由がある。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、
主の栄光を鏡に映すように見つつ、
栄光から栄光へと、
主と同じ姿に変えられていく。
これは霊なる主の
働きによるのである。」 


 

 

4章

 

土の器

 

(2コリント4:6)


「私たちは,この宝を,

土の器の中に入れているのです。」

 

パウロが宣べ伝えたのは,

「土の器」-すなわち自分-ではなく,

「宝」-すなわちキリスト自身また福音-

です。

 

旧約聖書では,

神殿に神が宿りました。


新約聖書では,

わたしたちのからだに

聖霊が宿るのです。

 

 

 

イエスのいのち

 

(2コリント4:11)


「私たち生きている者は,

イエスのために

絶えず死に渡されていますが,

それは,

イエスのいのちが

私たちの死ぬべき肉体において

明らかに示されるためなのです。」

 

神のために生きるには,

自分に死ななければなりません。

 

この世に迎合しないで,

神のために生きることが,

この世のためになることでした。

 

 

 

 

イエスと共に復活


 (2コリント4:14


「主イエスをよみがえらせた方が,

私たちをもイエスとともによみがえらせ,

あなたがたといっしょに御前に立たせて

くださることを知っているからです。」

 

わたしたちの「死の体」は

永久に生きることは出来ません。


キリストは死を滅ぼし,

永遠のいのちを与えてくださいました。


イエス・キリストの再臨のとき,

わたしたちの体はよみがえります。

 

 

 

 

内なる人,永遠の栄光

 

 (2コリント4:16-18)


「ですから,

私たちは勇気を失いません。

たとい私たちの外なる人は衰えても,

内なる人は日々新たにされています。

今の時の軽い患難は,

私たちのうちに働いて,

測り知れない,

重い永遠の栄光をもたらすからです。

私たちは,見えるものにではなく,

見えないものにこそ目を留めます。

見えるものは一時的であり,

見えないものは

いつまでも続くからです。」

 

「外なる人」とは,

生まれながらの人間です。

 

「内なる人」とは,

 キリストによって

新しくなった人間のことです。

 

勇気のなくなったとき,

患難のとき,

神を見上げたいと思います。

 

そこに永遠の栄光があるからです。

 

 ○


5章 

 

地上の幕屋

 

(2コリント5:1)


「私たちの住まいである

地上の幕屋がこわれても,

神の下さる建物があることを,

私たちは知っています。

それは,人の手によらない,

天にある永遠の家です。」

 

人間の体は壊れますが,

 イエス・キリストを信じる者には,

死後, 永遠に生きる新しい霊的な

 体が与えられます。

  

イエス・キリストは,

ご自身の体が壊されましたが,

 新しい体が与えられました。

 

 イエスを信じる者も,

 同じ恵みを受けることが出来るのです。

 

イエスは次のように言われました。


(ヨハネ14:2,3)

「わたしの父の家には、
すまいがたくさんある。
もしなかったならば、
わたしはそう言っておいたであろう。
あなたがたのために、
場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、
場所の用意ができたならば、
またきて、
あなたがたを
わたしのところに迎えよう。
わたしのおる所に
あなたがたもおらせるためである。」

 ○

 

キリストのさばきの座


(2コリント5:10)口語訳

「なぜなら,わたしたちは皆,
キリストのさばきの座の前にあらわれ,
善であれ悪であれ,
自分の行ったことに応じて,
それぞれ報いを受けねばならないからである。


わたしたちは裁きの座に立ちます。

イエスを信じる者は,

イエスによって義とされます。


(2コリント5:21)口語訳

「神はわたしたちの罪のために,
罪を知らないかたを罪とされた。
それは,わたしたちが,
彼にあって神の義と
なるためなのである。」




 すべての人が死んだ

 

(2コリント5:14-15)


「というのは,

キリストの愛が

私たちを取り囲んでいるからです。

私たちはこう考えました。

ひとりの人が

すべての人のために死んだ以上,

すべての人が死んだのです。

また,キリストが

すべての人のために死なれたのは,

生きている人々が,

もはや自分のためにではなく,

自分のために

死んでよみがえった方のために

生きるためなのです。」

 

 イエス・キリストが

十字架で死んだということは,

イエス・キリストを信じる者は皆,

キリストと共に死んだのです。

 

 (ローマ6:8)

「もし私たちが

キリストとともに死んだのであれば,

キリストとともに生きることにもなる,

と信じます。」


 

わたしたちが生きる目的は,

キリストのために生きることです。

 

 

 

 新しく生きる

 

(2コリント5:17) 


「だれでもキリストのうちにあるなら,

その人は新しく造られた者です。

古いものは過ぎ去って,

見よ,

すべてが新しくなりました。」

 

 わたしたちは

イエス・キリストを信じたときから,

 新しい人生があたえられます。

 

キリストによって新しく生きることは,

 神が与えてくださった

最も素晴らしいものです。




和解

(2コリント5:19) 


神はキリストにおいて
世をご自分に和解させ,
その罪過の責任を
これに負わせることをしないで,
わたしたちに和解の福音を
ゆだねられたのである。」


キリストの死は,

人の罪を取り除き,

神と人とがもう一度和解することを

可能にしました。 




2017.5.2

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