コリントの信徒への手紙1 (2)
7-16章 解説
2018.10.4
○
自由人
(1コリント7:22,23)
「奴隷も,
主にあって召された者は,
主に属する自由人であり,
同じように,自由人も,
召された者は
キリストに属する奴隷だからです。
あなたがたは,
代価をもって買われたのです。
人間の奴隷と
なってはいけません。」
この代価と言う言葉は,
「身代金」という言葉です。
ですから,他の訳ですと,
「あなたがたは,
身代金を払って
買い取られたのです。
人の奴隷となってはいけません。」
となります。
○
神を愛する人
(1コリント8:3)
「人が神を愛するなら,
その人は
神に知られているのです。」
○
わたしたちは,主によって存在する
(1コリント8:6)
「私たちには,
父なる唯一の神がおられるだけで,
すべてのものは
この神から出ており,
私たちもこの神のために
存在しているのです。
また,
唯一の主なる
イエス・キリストが
おられるだけで,
すべてのものは
この主によって存在し,
私たちもこの主によって
存在するのです。」
父なる神は,唯一の神であり,
天地を造られた方です。
イエス・キリストは
父なる神と共に,
天地を造られました。
私たちは,
このイエス・キリストにおいて,
存在しています。
○
自由
(1コリント9:19)
「私はだれに対しても自由ですが,
より多くの人を獲得するために,
すべての人の奴隷となりました。」
☆
(1コリント9:22)
「弱い人々には,
弱い者になりました。
弱い人々を獲得するためです。
すべての人に,
すべてのものとなりました。
それは,何とかして,
幾人かでも救うためです。」
○
試練
(1コリント10:13)
「あなたがたのあった試練は
みな人の知らないようなものでは
ありません。
神は真実な方ですから,
あなたがたを
耐えることのできないような
試練に会わせるようなことは
なさいません。
むしろ,
耐えることのできるように,
試練とともに,
脱出の道も備えてくださいます。」
○
神の栄光をあらわす
(1コリント10:23,24)
「すべてのことは,
してもよいのです。
しかし,
すべてのことが
有益とはかぎりません。
すべてのことは,
してもよいのです。
しかし,
すべてのことが
徳を高めるとはかぎりません。
だれでも,
自分の利益を求めないで,
他人の利益を心がけなさい。」
イエス・キリストを信じる者は,
自由にされました。
その自由は徳をたかめるために,
用いるべきです。
そして,
「他人の利益を心がけなさい」
と言います。
まとめて,
「神の栄光を
あらわすためにしなさい」
(10:31)
とパウロは言います。
○
神の栄光
(1コリント10:31)
「こういうわけで,
あなたがたは,
食べるにも,飲むにも,
何をするにも,
ただ神の栄光を
現わすためにしなさい。」
「栄光」は,
神の臨在をあらわしています。
それは神の恵み,
義,あわれみををあらわします。
イエス・キリスト自身が,
神のの栄光です。
(へブル1:3)
「御子は神の栄光の輝きであり,
神の本質の真の姿であって,
その力ある言葉をもって
万物を保っておられる。
そして罪のきよめのわざを
なし終えてから,
いと高き所にいます大能者の右に,
座につかれたのである。」
私たちには,
何事にも神の栄光をあらわすように
求められています。
○
聖餐式
(1コリント11:23-29)
「私は主から受けたことを,
あなたがたに伝えたのです。
すなわち,
主イエスは,
渡される夜,パンを取り,
感謝をささげて後,
それを裂き,こう言われました。
『これはあなたがたのための,
わたしのからだです。
わたしを覚えて,
これを行いなさい。』
夕食の後,
杯をも同じようにして
言われました。
『この杯は,
わたしの血による新しい契約です。
これを飲むたびに,
わたしを覚えて,
これを行いなさい。』
ですから,あなたがたは,
このパンを食べ,
この杯を飲むたびに,
主が来られるまで,
主の死を告げ知らせるのです。」
主の晩餐(聖餐式)の制定です。
イエスの最後の晩餐を
受けています。
☆
最後の晩餐
(マタイ26:26-29)
「彼らが食事をしているとき,
イエスはパンを取り,
祝福して後,これを裂き,
弟子たちに与えて言われた。
『取って食べなさい。
これはわたしのからだです。』
また杯を取り,感謝をささげて後,
こう言って彼らにお与えになった。
『みな,この杯から飲みなさい。
これは,わたしの契約の血です。
罪を赦すために
多くの人のために
流されるものです。
ただ,言っておきます。
わたしの父の御国で,
あなたがたと
新しく飲むその日までは,
わたしはもはや,
ぶどうの実で造った物を
飲むことはありません。』
○
御霊の賜物
(1コリント12:8ー10)
「ある人には御霊によって
知恵のことばが与えられ,
ほかの人には同じ御霊にかなう
知識のことばが与えられ,
またある人には
同じ御霊による信仰が与えられ,
ある人には同一の御霊によって,
いやしの賜物が与えられ,
ある人には奇蹟を行なう力,
ある人には預言,
ある人には霊を見分ける力,
ある人には異言,
ある人には異言を解き明かす力が
与えられています。」
イエス・キリストを信じる者には,
愛を中心とした御霊の実が
与えられると共に
神のために働くために御霊の賜物が
与えられています。
「御霊の賜物」(12:4)とは,
信者が教会で奉仕するために
必要なものを,
神が御霊によって
恵みとして
お与えになったものです。
☆
この手紙が書かれた時代は,
水のバプテスマを受けると,
異言を伴う
聖霊のバプテスマを受けました。
そして,聖霊に満たされ,
聖霊に導かれ,
神の臨在を感じていました。
その人たちには,
御霊の実が与えられ,
御霊の賜物が与えられました。
御霊の賜物は,
教会での奉仕に用いられました。
○
さらにまさる道,愛
(1コリント12:31b,
13:1)
「あなたがたは,
よりすぐれた賜物を
熱心に求めなさい。
また私は,
さらにまさる道を
示してあげましょう。
たといわたしが,
人々の言葉や
御使たちの言葉を語っても,
もし愛がなければ,
わたしは,
やかましい鐘や
騒がしい鐃鉢と同じである。」
パウロは12章で,
霊の賜物について述べました。
そして,
その賜物を生かす道は,
愛です。
☆
愛は聖霊の実であるといいます。
(ガラテヤ5:22,23)
「御霊の実は,
愛,喜び,平安,寛容,親切,
善意,誠実, 柔和,自制です。
このようなものを禁ずる律法は
ありません。」
○
愛
(1コリント13:4-8)
「愛は寛容であり,愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず,高慢になりません。
礼儀に反することをせず,
自分の利益を求めず,
怒らず,人のした悪を思わず,
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし,すべてを信じ,
すべてを期待し,
すべてを耐え忍びます。
愛は決して
絶えることがありません。
預言の賜物ならばすたれます。
異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。」
愛はギリシャ語ではアガペーです。
13章は「愛の章」と呼ばれます。
ここでは,
愛の不滅性を示しています。
ここでの愛(アガペー)は
神の愛です。
それは,わたしたちが,
他者に自分を与える愛です。
○
いつまでも残るもの
(1コリント13:13)
「こういうわけで,
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で
一番すぐれているのは愛です。」
○
御霊の賜物
(1コリント14:12)
「あなたがたの場合も同様です。
あなたがたは御霊の賜物を
熱心に求めているのですから,
教会の徳を高めるために,
それが豊かに与えられるよう,
熱心に求めなさい。」
コリントの教会は,
問題が多かったと同時に,
聖霊が働いていたことも
分かります。
パウロは,霊の賜物で教会を
作り上げるために
求めるように言います。
○
異言
(1コリント14:18,19)
「わたしは,
あなたがたのうちのだれよりも
多く異言が語れることを,
神に感謝する。
しかし教会では,
一万の言葉を異言で語るよりも,
ほかの人たちをも教えるために,
むしろ五つの言葉を知性によって
語る方が願わしい。」
パウロは,
異言を伴う聖霊のバプテスマを
受けていました。
しかし,
教会では異言を語ることに
慎重でした。
○
預言の賜物
(1コリント14:24,25)
「もしみなが預言をするなら,
信者でない者や初心の者が
入って来たとき,
その人はみなの者によって
罪を示されます。
みなにさばかれ,
心の秘密があらわにされます。
そうして,
神が確かにあなたがたの中に
おられると言って,
ひれ伏して神を拝むでしょう。」
○
最もたいせつなこと
(1コリント15:3-5)
「私があなたがたに
最もたいせつなこととして
伝えたのは,
私も受けたことであって,
次のことです。
キリストは,聖書の示すとおりに,
私たちの罪のために死なれたこと,
また,葬られたこと,
また,聖書の示すとおりに,
三日目によみがえられたこと,
また,ケパに現れ,
それから
十二弟子に現れたことです。
その後,キリストは五百人以上の
兄弟たちに同時に現れました。
その中の大多数の者は
今なお生き残っていますが,
すでに
眠った者もいくらかいます。」
ここでの福音(15:1)とは,
イエス・キリストが,
十字架にかかり
復活したことにより,
罪と死に打ち勝ったことです。
このパウロが
最も大切なこととして
伝えたことは,
聖書の中の
最も大切なことであり,
わたしたちの信仰の
最も大切なことでもあります。
☆
イエス・キリスト次のように
弟子に話していたことは,
そのまま実現しました。
(マタイ16:21)
「その時から,
イエス・キリストは,
ご自分がエルサレムに行って,
長老,祭司長,律法学者たちから
多くの苦しみを受け,
殺され,そして三日目に
よみがえらなければならないことを
弟子たちに示し始められた。」
○
キリストの復活
(1コリント15:17)
「そして,もしキリストが
よみがえらなかったのなら,
あなたがたの信仰はむなしく,
あなたがたは今もなお,
自分の罪の中にいるのです。」
「キリストのよみがえり」,
キリストは十字架の上で死んだが,
3日目に復活した。
復活の体は,
十字架につけられた
同じ体であったが,
朽ちることのない
栄光ある体でした。
この復活は,
キリストが
神の子であることを証明し,
義とされることの保障です。
(ローマ1:4)
イエス・キリストの復活は,
イエス・キリストを信じる者の
罪の赦しと
義認の保証となりました。
(ローマ1:17)
○
再臨のときの復活
(1コリント15:20-23)
「しかし,今やキリストは,
眠った者の初穂として
死者の中からよみがえられました。
というのは,
死がひとりの人を通して
来たように,
死者の復活もひとりの人を通して
来たからです。
すなわち,アダムにあって
すべての人が死んでいるように,
キリストによって
すべての人が
生かされるからです。
しかし,
おのおのにその順番があります。
まず初穂であるキリスト,
次にキリストの再臨のとき
キリストに属している者です。」
キリストは復活の第一のものです。
古い人は,
アダムの内にあり,死にます。
イエスを信じる人は,
キリストの内にあり生きます。
信じる者が受ける,
終末の復活の希望となります。
イエス・キリストの復活は,
信じる者の将来の復活の
保証でもあります。
○
復活のからだ
(1コリント15:41,42)
「太陽の栄光もあり,
月の栄光もあり,
星の栄光もあります。
個々の星によって栄光が違います。
死者の復活もこれと同じです。
朽ちるもので蒔かれ,
朽ちないものによみがえらされ,」
(1コリント15:47-49)
「第一の人は地から出て,
土で造られた者ですが,
第二の人は天から出た者です。
土で造られた者はみな,
この土で造られた者に似ており,
天からの者はみな,
この天から
出た者に似ているのです。
私たちは土で造られた者の
かたちを持っていたように,
天上のかたちをも持つのです。」
○
復活の体
(1コリント15:49)
「私たちは土で造られた者の
かたちを持っていたように,
天上のかたちをも持つのです。」
わたしたちは,
イエス・キリストが
もう一度来られるとき,
新しい体を受け取ります。
その体は
「天上のかたち」だといいます。
○
「死は勝利にのまれました」
(1コリント15:54)
「朽ちるものが朽ちないものを着,
死ぬものが不死を着るとき,
『死は勝利にのまれた』
としるされている,
みことばが実現します。」
死の解決は,
イエス・キリストを
信じたときです。
わたしたちのからだの
完全な救いは,
再臨のときです。
再臨の時に,
わたしたちが変えられることにより
与えられます。
賛美歌に,
この言葉にふさわしい
歌詞があります。
「球根の中には」
(讃美歌21 575)
1
球根の中には 花が秘められ,
さなぎの中から いのちはばたく。
寒い冬の中 春はめざめる。
その日,その時を ただ神が知る。
2
沈黙はやがて 歌に変えられ,
深い闇の中 夜明け近づく。
過ぎ去った時が 未来を拓く。
その日,その時を ただ神が知る。
3
いのちの終わりは いのちの始め。
おそれは信仰に,死は復活に,
ついに変えられる 永遠の朝。
その日,その時を ただ神が知る。
○
結びのことば
(1コリント16:13,14)
「目を覚ましていなさい。
堅く信仰に立ちなさい。
男らしく,強くありなさい。
いっさいのことを
愛をもって行いなさい。」
パウロの最後のメッセージは,
信仰と愛と言えるでしょう。
○
マラナ・タ(主よ,来てください)
(1コリント16:22-24)
「主を愛さない者は,
神から見捨てられるがいい。
マラナ・タ
(主よ,来てください)。
主イエスの恵みが,
あなたがたと共にあるように。
わたしの愛が,
キリスト・イエスにおいて
あなたがた
一同と共にあるように。」
2019-06-27