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朝の光(聖書の言葉)

(存在) 茨木のり子

の詩に次のようなのがありました。

(存在)

「あなたは もしかしたら

存在しなかったのかもしれない

あなたという形をとって 何か

素敵な気がすうっと流れただけで

わたしも ほんとうは

存在していないのかもしれない

何か在りげに

息などしてはいるけれども

ただ透明な気と気が

触れあっただけのような

それはそれでよかったような

いきものはすべてそうして消え失せてゆくような」


解説は次のようです。

この詩稿にはタイトルが付されておらず,

目次のメモにあったタイトルをこの詩に付くべきものと推測し,括弧でくくって示したという。

亡夫の肉体の記憶はだんだん薄れてゆき,

「素敵な気がすうっと流れただけ」のように思えてきた。

それとともに,自分の存在も「気」であるかのようにおぼつかない。

最終連は存在の悲しみを超えて,胸を打つ。


 ☆

イエスに次の言葉があります。

(ヨハネ8:23,24)

イエスは彼らに言われた。

「あなたたちは下のものに属しているが,わたしは上のものに属している。

あなたたちはこの世に属しているが,わたしはこの世に属していない。

だから,あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると,わたしは言ったのである。

『わたしはある』ということを信じないならば,

あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」


わたしたちは存在しているのですが,神によって造られ,依存しているに過ぎません。

そして,神のみの存在は揺らぐことがなく,

神のみが「あってある方」「わたしはある」と自らを言うことができるのでしょう。

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