神の国
(ルカ17:20,21)
「さて,神の国はいつ来るのか,
とパリサイ人たちに尋ねられたとき,
イエスは答えて言われた。
「神の国は,
人の目で認められるようにして
来るものではありません。
『そら,ここにある』とか,
『あそこにある』とか
言えるようなものではありません。
いいですか。
神の国は,
あなたがたのただ中にあるのです。」
まず,神の国は,
イエス・キリストが来られたときに
来ました。
そして,
神の国はイエス・キリストを
信じる者の心に,
また交わりの中にあります。
罪深い女を赦す
(ルカ7:36-38)
「さて,あるファリサイ派の人が,
一緒に食事をしてほしいと願ったので,
イエスはその家に入って
食事の席に着かれた。
この町に一人の罪深い女がいた。
イエスがファリサイ派の人の家に入って
食事の席に着いておられるのを知り,
香油の入った石膏の壺を持って来て,
後ろからイエスの足もとに近寄り,
泣きながらその足を涙でぬらし始め,
自分の髪の毛でぬぐい,
イエスの足に接吻して香油を塗った。」
ファリサイ派のシモンの家に,
イエス・キリストの対応です。
この罪み深い女を,
イエスはこの女の信仰によって,
罪を赦します。
(ルカ7:48-50)
「そして,イエスは女に,
『あなたの罪は赦された』と言われた。
同席の人たちは,
『罪まで赦すこの人は,
いったい何者だろう』と考え始めた。
イエスは女に,
『あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい』と言われた。」
☆彡
罪深い女を赦す
(ルカ7:36-7:50)
さて,あるファリサイ派の人が,
一緒に食事をしてほしいと願ったので,
イエスはその家に入って
食事の席に着かれた。
この町に一人の罪深い女がいた。
イエスがファリサイ派の人の家に入って
食事の席に着いておられるのを知り,
香油の入った石膏の壺を持って来て,
後ろからイエスの足もとに近寄り,
泣きながらその足を涙でぬらし始め,
自分の髪の毛でぬぐい,
イエスの足に接吻して香油を塗った。
イエスを招待した
ファリサイ派の人はこれを見て,
「この人がもし預言者なら,
自分に触れている女がだれで,
どんな人か分かるはずだ。
罪深い女なのに」と思った。
そこで,イエスがその人に向かって,
「シモン,あなたに言いたいことがある」
と言われると,
シモンは,
「先生,おっしゃってください」と言った。
イエスはお話しになった。
「ある金貸しから,
二人の人が金を借りていた。
一人は五百デナリオン,
もう一人は五十デナリオンである。
二人には返す金がなかったので,
金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。
二人のうち,
どちらが多くその金貸しを
愛するだろうか。」
シモンは,
「帳消しにしてもらった額の
多い方だと思います」
と答えた。
イエスは,「そのとおりだ」と言われた。
そして,女の方を振り向いて,
シモンに言われた。
「この人を見ないか。
わたしがあなたの家に入ったとき,
あなたは足を洗う水もくれなかったが,
この人は涙でわたしの足をぬらし,
髪の毛でぬぐってくれた。
あなたはわたしに
接吻の挨拶もしなかったが,
この人はわたしが入って来てから,
わたしの足に接吻してやまなかった。
あなたは頭に
オリーブ油を塗ってくれなかったが,
この人は足に香油を塗ってくれた。
だから,言っておく。
この人が多くの罪を赦されたことは,
わたしに示した愛の大きさで分かる。
赦されることの少ない者は,
愛することも少ない。」
そして,イエスは女に,
「あなたの罪は赦された」と言われた。
同席の人たちは,
「罪まで赦すこの人は,
いったい何者だろう」
と考え始めた。
イエスは女に,
「あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい」と言われた。
○
信仰による義
(ローマ3:22)
「ところが今や,律法とは関係なく,
しかも律法と預言者によって立証されて,
神の義が示されました。
すなわち,
イエス・キリストを信じることにより,
信じる者すべてに与えられる神の義です。」
パウロのローマ人に宛てた手紙の1節です。
神の義は,わたしたちの行いによって,
得ることはできません。
神の義は,
イエス・キリストを信じることによって,
神から与えられます。
わたしたちが,
イエス・キリストを信じることによって,
神は,あなたは義人(良い人)ですと
言ってくださるのです。
○
恵みにより,救いにより
(エペソ2:8)
「事実,あなたがたは,
恵みにより,信仰によって救われました。
このことは,自らの力によるのではなく,
神の賜物です。」
恵みとは,
神がイエス・キリストをこの世に送り,
十に字架につけわたしたちに
救いを示してくださいました。
わたしたちは,
このイエスを信じるによって救われます。
☆
信仰によって義とされる
(ローマ5:1,2)
「このように,
わたしたちは信仰によって
義とされたのだから,
わたしたちの主イエス・キリストによって
神との間に平和を得ており,
このキリストのお陰で,
今の恵みに信仰によって導き入れられ,
神の栄光にあずかる希望を
誇りにしています。」
わたしたちは,
イエス・キリストを信じることによって,
神によって義とされます。
神の義は,
イエス・キリストからの恵みとして,
信じる者に与えられています。
私たちが良い行い(義とする行い)を
することによっては,
義とはなれません。
わたしたちは
イエス・キリストを信じることによって,
罪は赦され,義とされ,
神との平和を持ち,
神の栄光にあずかる希望を
持つことが出来るのです。
イエス・キリストを受け入れ,
信じることによって,
イエス・キリストからのすべての恵みと,
イエス・キリスト御自身を
受けることが出来るのです。
○
主の名を呼ぶ
(ローマ10:11-13)
「聖書にも,
『主を信じる者は,
だれも失望することがない』
と書いてあります。
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく,
すべての人に同じ主がおられ,
御自分を呼び求めるすべての人を
豊かにお恵みになるからです。
『主の名を呼び求める者は
だれでも救われる』のです。」
わたしたちが,
イエス・キリストを呼び求めるなら,
救われるのです。
ヨハネの福音書では言
(受肉された神,イエス・キリスト)を
受け入れる者が神の子,
すなわち救われた者になります。
(ヨハネ1:12)
「言は,自分を受け入れた人,
その名を信じる人々には
神の子となる資格を与えた。」
○
敵を愛しなさい
(マタイ5:43,44)
「あなたがたも聞いているとおり,
『隣人を愛し,敵を憎め』
と命じられている。
しかし,わたしは言っておく。
敵を愛し,
自分を迫害する者のために祈りなさい。」
山上の説教で,
イエス・キリストは,十戒で示された,
殺すな,盗むな,姦淫をするな,
などの意味を説明します。
そして,その結論が
「敵を愛し,
自分を迫害する者のために
祈りなさいです。」
「敵を愛する」ことは,
イエス・キリストだけができました。
私たちが「敵を愛する」ことは,
イエスを信じ,新しくされて,
初めてできることです。
私たちは,
イエス・キリストと聖霊によって
変えられます。
(マタイ5:43-48)
「あなたがたも聞いているとおり,
『隣人を愛し,敵を憎め』
と命じられている。
しかし,わたしは言っておく。
敵を愛し,
自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ,
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで,
あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも,
同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで,
どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ,
同じことをしているではないか。
だから,
あなたがたの天の父が
完全であられるように,
あなたがたも完全な者となりなさい。」
○
太陽の愛
(マタイ5:45)
「あなたがたの天の父の子と
なるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ,
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らせてくださるからである。」
イエスは,私たちを愛し,
敵をも愛する愛を,
太陽の愛にたとえました。
そして,信じる者は滅びないで,
永遠の命を得ることができます。
(ヨハネ3:16)
「神は,
その独り子をお与えになったほどに,
世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
○
人を裁くな
(マタイ7:1)
「人を裁くな。
あなたがたも裁かれないように
するためである。」
「さばく」とは,
自らを絶対化して他人を断罪することです。
最後に人を裁くのは,
わたしたちではなく,神なのです。
(マタイ7:1-5)
「あなたがたは,
自分の裁く裁きで裁かれ,
自分の量る秤で量り与えられる。
あなたは,
兄弟の目にあるおが屑は
見えるのに,
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
兄弟に向かって,
『あなたの目から
おが屑を取らせてください』と,
どうして言えようか。
自分の目に丸太があるではないか。
偽善者よ,
まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば,はっきり見えるようになって,
兄弟の目から
おが屑を取り除くことができる。」
2018-08-23