主が私の右におられる
(詩篇16:8)
「私はいつも,私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので,
私はゆるぐことがない。」
「右」とは保護者の位置です。
すなわち,「主が私の右におられる」とは,
神が私を守っていてくださるということです。
主は私たちといつもいっしょにいてくださり,
私たちを守ってくださっています。
ですから,私たちは恐れることがないのです。
これは,ダビデの詩ですが,
ペテロがペンテコステの後の説教の中に引用しています。
(使徒2;25-28)
「ダビデはこの方について,
こう言っています。
『私はいつも,
自分の目の前に主を見ていた。
主は,私が動かされないように,
私の右におられるからである。
それゆえ,
私の心は楽しみ,
私の舌は大いに喜んだ。
さらに私の肉体も望みの中に安らう。
あなたは私のたましいを
ハデスに捨てて置かず,
あなたの聖者が朽ち果てるのを
お許しにならないからである。
あなたは,
私にいのちの道を知らせ,
御顔を示して,
私を喜びで満たしてくださる。』」
☆彡
(詩篇16:8-11)
「私はいつも,
私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので,
私はゆるぐことがない。
それゆえ,私の心は喜び,
私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
まことに,
あなたは,
私のたましいをよみに捨ておかず,
あなたの聖徒に
墓の穴をお見せにはなりません。
あなたは私に,
いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち,
あなたの右には,
楽しみがとこしえにあります。」
2015-04-25