庭で育てたピーマンが緑色から、赤色へ,色素変化した。
2001年2月2日、中通病院4病棟へ入院した。その時期、父は食道がんで日赤病院へ入院中だった。
だから父には、オレが胃癌になったのも、入院することになったのも教えなかった。心配させたくなかったのだ。
入院部屋は4人部屋で、大腸がん、食道がんの人もいた。みんなオレより10歳以上は年上のようだった。なぜかみんな元気に見えた。
その日は担当医師から今後の検査日程の説明を受けて終わった。夜は早めに床に入ったがなかなか眠れず、他人のいびきも気になった。
2日目からは、いろんな検査が始まった。エコー、CT、胃カメラ、問診等、さまざまな検査結果をもとに、手術方法を決定するらしい。
場合によっては、全摘もありうると言われた。もう医者に身を委ねる事に腹をくくった。
2月3日は節分。その日の夕食に落花生豆が付いてきたのを、嫁にメールで知らせた。その事は今でも鮮明に覚えてる。
初めての入院だったが、午前中検査をすると午後はほとんど何もすることが無かった。なんて暇な生活か
しかし友人のヨシオ君は仕事を終えると毎日のように来てくれ、オレを近くのスーパー銭湯に連れ出してくれた。
それがゆういつ、ストレス解消になった。持つべきものは友達だなと、そのとき、つくづく思った。
それと、入院してから、嫁と娘が千羽鶴を織り始めたらしく、手術日に間に合わせるために毎夜大変だったらしい。おもわず涙腺がゆるんだ。
1週間ほとんど毎日のように検査して、手術方法の説明を受けた。自分のがん細胞は、吐出しておらず、中に潜んでいたらしく、バリウムでは
たぶん発見が難しかっただろうと、言われた。開腹手術で、胃を2/3摘出して食道と縫い合わせる方法らしい。
しかし、摘出後、病理検査をしてがん細胞が転移していた場合は、胃を全摘すると言われた。説明は図を描いて説明してくれたので
分かりやすかった。
手術日も2月16日と決まり、いよいよだ。
だから父には、オレが胃癌になったのも、入院することになったのも教えなかった。心配させたくなかったのだ。
入院部屋は4人部屋で、大腸がん、食道がんの人もいた。みんなオレより10歳以上は年上のようだった。なぜかみんな元気に見えた。
その日は担当医師から今後の検査日程の説明を受けて終わった。夜は早めに床に入ったがなかなか眠れず、他人のいびきも気になった。
2日目からは、いろんな検査が始まった。エコー、CT、胃カメラ、問診等、さまざまな検査結果をもとに、手術方法を決定するらしい。
場合によっては、全摘もありうると言われた。もう医者に身を委ねる事に腹をくくった。
2月3日は節分。その日の夕食に落花生豆が付いてきたのを、嫁にメールで知らせた。その事は今でも鮮明に覚えてる。
初めての入院だったが、午前中検査をすると午後はほとんど何もすることが無かった。なんて暇な生活か
しかし友人のヨシオ君は仕事を終えると毎日のように来てくれ、オレを近くのスーパー銭湯に連れ出してくれた。
それがゆういつ、ストレス解消になった。持つべきものは友達だなと、そのとき、つくづく思った。
それと、入院してから、嫁と娘が千羽鶴を織り始めたらしく、手術日に間に合わせるために毎夜大変だったらしい。おもわず涙腺がゆるんだ。
1週間ほとんど毎日のように検査して、手術方法の説明を受けた。自分のがん細胞は、吐出しておらず、中に潜んでいたらしく、バリウムでは
たぶん発見が難しかっただろうと、言われた。開腹手術で、胃を2/3摘出して食道と縫い合わせる方法らしい。
しかし、摘出後、病理検査をしてがん細胞が転移していた場合は、胃を全摘すると言われた。説明は図を描いて説明してくれたので
分かりやすかった。
手術日も2月16日と決まり、いよいよだ。
今日、秋田市は今年最高の36、1度を観測した。9月での最高気温、9月の真夏日11日という観測史上初ずくめだった。
さすがに体もまいってしまう。
北見市も今日は暑かったみたいだね。
さすがに体もまいってしまう。
北見市も今日は暑かったみたいだね。
看護婦から入院までの説明を聞いた。
22日癌宣告されて、2日後の24日、嫁と、秋田市の焼肉大昌園へ肉をたらふく食べに行った。
もしかしたら、これが最後という思いもあった。
秋田ではメジャーな焼肉やだ。
高級な部材をたくさん食べた。
嫁は、退院したらまた食べに来ようねと言ってくれた。
しかし、それからの日々が長く、入院の日程の連絡が来ない。
1週間が過ぎた。まだ連絡が来ない。
その間癌が進行してるのではないかと不安がよぎった。これは、当事者ではわからないだろう。
そのあいだ、パチンコ,競艇、温泉と気をまぎらわせた。酒も量が増えた。
そうこうしていると、10日後の31日に連絡が病院から来た。
2月2日の入院決定のこと。
あるいみほっとした。酒をたらふく飲んだ。
第5節は入院してからを書いてみよう。
22日癌宣告されて、2日後の24日、嫁と、秋田市の焼肉大昌園へ肉をたらふく食べに行った。
もしかしたら、これが最後という思いもあった。
秋田ではメジャーな焼肉やだ。
高級な部材をたくさん食べた。
嫁は、退院したらまた食べに来ようねと言ってくれた。
しかし、それからの日々が長く、入院の日程の連絡が来ない。
1週間が過ぎた。まだ連絡が来ない。
その間癌が進行してるのではないかと不安がよぎった。これは、当事者ではわからないだろう。
そのあいだ、パチンコ,競艇、温泉と気をまぎらわせた。酒も量が増えた。
そうこうしていると、10日後の31日に連絡が病院から来た。
2月2日の入院決定のこと。
あるいみほっとした。酒をたらふく飲んだ。
第5節は入院してからを書いてみよう。
9月4日、今日は、串の日。
息子の誕生日でもある。
7月20日の県職員の1次試験に合格したらしい。
いよいよ2次試験は、9月7日みたいだ。
今テレビの、さんま御殿で子供の親ばかの番組を放映していた。
芸能人も、一般家庭もみな同じだと思った。親心は、同じだと。
思い起こせば、息子のおかげで、甲子園にもつれて行ってもらえた。
沖縄合宿にも2回一緒に行った。北海道遠征にも2回一緒に行った。
そんな息子を、まだ応援している。
2次試験もがんばれよ
息子の誕生日でもある。
7月20日の県職員の1次試験に合格したらしい。
いよいよ2次試験は、9月7日みたいだ。
今テレビの、さんま御殿で子供の親ばかの番組を放映していた。
芸能人も、一般家庭もみな同じだと思った。親心は、同じだと。
思い起こせば、息子のおかげで、甲子園にもつれて行ってもらえた。
沖縄合宿にも2回一緒に行った。北海道遠征にも2回一緒に行った。
そんな息子を、まだ応援している。
2次試験もがんばれよ
精密検査の2週間後、1月22日、検査結果を聞きに、中通病院へ行った。
2週間が、すごく憂つで、長い感じだった。
検査結果を話してくれたのは、消化器外科科長だった。
胃カメラの写真を見ながら説明が進んだ。
俺の顔色を伺いながら本題に入った。
「あなたは、初期の胃癌です。」
ストレートだった。
頭が真っ白になっていくのが分かった。
一通り、説明を終えると、看護婦から入院の手続きの説明があるとの事だ。
看護婦は、俺を呼び出し、こう言った。
「先生が、家族に説明するのではなく、本人に直接告知するのは、間違いなく大丈夫です。」と
しかし、半信半疑だった。
すぐ会社に行って、報告した。
気力が下がったので、明日から休むと言った。
嫁に連絡をして、すぐ会社を後にした。
家に帰る車の中で、死への恐怖で、独り泣いた。
2週間が、すごく憂つで、長い感じだった。
検査結果を話してくれたのは、消化器外科科長だった。
胃カメラの写真を見ながら説明が進んだ。
俺の顔色を伺いながら本題に入った。
「あなたは、初期の胃癌です。」
ストレートだった。
頭が真っ白になっていくのが分かった。
一通り、説明を終えると、看護婦から入院の手続きの説明があるとの事だ。
看護婦は、俺を呼び出し、こう言った。
「先生が、家族に説明するのではなく、本人に直接告知するのは、間違いなく大丈夫です。」と
しかし、半信半疑だった。
すぐ会社に行って、報告した。
気力が下がったので、明日から休むと言った。
嫁に連絡をして、すぐ会社を後にした。
家に帰る車の中で、死への恐怖で、独り泣いた。