泌尿器科が好きなタダのおっさん

_とある医局の風景をつづります_

世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ

2020年10月20日 23時50分29秒 | 社会・制度

こんばんは。TERAOです。

 

最近、子供に絵本を読み聞かせるのが楽しみになっております。

どんな絵本が良いのかインターネットやら図書館のおススメなど調べ、入手しておりますが、いわゆる名作と言われる絵本はここ数十年あまり変化ないようです。

 

そんな中で、「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という絵本に出会いました。

恥ずかしながら全然知らなかったのですが、大人が読んでも考えさせられる絵本でした。

 

物を買う為に働き、買ってまた次の物が欲しくなりまた働く。人生のほとんどを仕事に費やす人生。どんどん物を売る為に生産する使い捨てのような経済成長だけを考えた世の中。このままで地球は持つのかなって考えさせられます。でも、そんな世の中の仕組みを享受している自分自身もいるからこそ、今更どうしようもないとも思わせる絵本でした。

 

子供に読み聞かせていましたが、自分自身が最後まで夢中になって読んでいました。

 

 

子供は気づいたら途中で寝ていました。

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公序良俗という名のK点超え

2014年02月10日 01時39分02秒 | 社会・制度

「くりぼう」です。

近年記憶にないくらい少ない降雪量に、このまま春になってもいまいち納得がいかないと思っていた矢先、本格的な寒波がやってまいりました。暦の上では一足早く春を迎えたこの時季、都心では豪雪地帯の御株を奪うような記録的降雪に世間が注目しました。また、インフルエンザなど体調を崩されている方もちらほらで、何やかんや冬らしくなっております。

 

そんな中で先日開会したソチオリンピックですが、お約束の時差については大したことなかろうと、開幕するまで全く意に介していませんでした。しかし、そこは東西に長いロシア。わずか5時間とはいえ、日本の時刻が先に進んでいるため、興奮・感動の代償には夜更かしが避けられない状況です。

ただいま、医局のでっかいテレビで熱烈観戦中。いつものような当直の夜ではありませんので、手元にはアツアツのコップ酒です。暇さえあれば、幼い娘二人の身の上を案じている私ゆえ、自分より年下の女性が魅せるパフォーマンスには滅法弱いというか親目線になってしまうというか、特に女子のフィギュアスケートはまともに直視できないくらいの「ノミの心臓」でして、不本意ながらアルコールの力を相当借りながらの観戦であります。

 

現在、フィギュアスケート団体戦を観ている最中ですが、「トリプルルッツ」というジャンプを良く耳にしますよね。ド素人・門外漢の私には良く分かりませんが、トリプルアクセルに次いで二番目に難度の高いジャンプらしいです。普段の私ならば、「ルッツ」という響きに「下部尿路症状」を示すLUTSを想起し、なおかつLUTSの正しい読みは「ルッツ」ではなく「ラッツ」だよ、恥ずかしいから「ルッツ」と呼ぶのは止めましょう、なんてことをドヤ顔で申し上げるところですが、4年に一度、このときばかりは「良し、ルッツ決まった!」と興奮し、「ルッツ」という発音を解禁するのです。

 

 

4年に一度の寝不足による業務の支障は、一体どこまでが公序良俗の範疇なのであろうかと、そんなことも思いながらのオリンピック観戦(考え過ぎか?)。酒飲むだけが取り柄のオッサンも、これ以上ないほどに世間から注目される選手たちの苦悩を、ごく一部ではありますが共感できますよ。その選手たちの誰か一人くらいは、このブログを読んで下さっていないものかと淡い幻想を抱きつつ、これ以上イったらヤバいというK点、公序良俗の境界を気にしながらの熱い日々。安酒をわざわざ熱燗にしなくとも十分に熱い日々です。

 

くりぼうも、金文字の刺繍を施したド派手スクラブを纏いながら、生きがいの一つである競馬予想そっちのけ(注:土曜日の東京競馬が降雪で月曜日に延期、本来ならこの時間帯は翌日の勝ち馬予想に明け暮れるはず)で、眠れぬ夜を数えてゆきます。

でもね、LUTSはアレやっぱり「ラッツ」ですよ!若い先生方、何となく無難に「ルッツ」と発音するのは止めましょうね!

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サクラサク

2013年03月21日 00時37分46秒 | 社会・制度

三寒四温の三寒をあまり意識しなくなってきました。それもそのはず、関東地方はもう数日で桜が満開とのことで、まごうことなき春の到来です。今回は春分に、別に二十四節季を意識して投稿しているわけではありませんが、深夜の静かな医局から「くりぼう」が投稿いたします。

 

春は出会いと別れの季節。前回申し上げたように、4月から新生活を控えております。先日は、4トントラックに入りきらないくらいの荷物(容積は間違いなく大きいですが、高価な家財は皆無)を連れて郷里に引越ししました。

すでに金沢には住まいがなく、勤務の前日は病院で寝泊まりという根無し草です。桜の季節に根無し草というのも何ですが、しかし、誰にも邪魔されずに独り静かにキーボードを叩くこのひとときは、何にも代えがたいものがあります。

 

さて、この時期は書きたいことが色々とありますが、今回は、4月から臨床研修に来てくれる新星の、医師国家試験合格の報をお届けしましょう。

まだつぼみも固い金沢に、関東地方に負けじと一足早い桜の便りを届けてくれました。医学知識のみならず、礼節も備わった好青年です。使徒先生の投稿にある食事会にも参加していただきました。本人の許可が得られましたら、写真もアップしちゃいましょうか。

1年目の研修ということで、つぶやき先生が紹介した5名のように入局を決めているわけではなく、今後の動向が気になります。ええ、動向を気にしているんです、とっても。(読んでくれているかな?)

 

あいにく私や使徒先生には直接指導する機会がほとんどありませんが、以前も申しましたように、こういう新旧の入れ替わりは組織が健全な証拠です。1~2学年上の先輩も近年記憶にないほど充実しているこの土壌で、その先輩たちと共に大輪の花を咲かせて貰いたいところ。

そんな中で私も、去り際に「肥やし」代わりになるような何かを残していきたいのですが、今のところ余ったお茶とお菓子しか見当たりません。

 

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試験監督

2013年01月24日 12時11分25秒 | 社会・制度

「くりぼう」です。松の内もとうに明けて、センター試験、小寒大寒まで過ぎてしまい、すでに新年の祝詞を申し上げるタイミングを逸しておりますが、改めまして、本年も本ブログをどうぞ宜しくお願い申し上げます。また、今月のように忙しさにかまけて投稿がなおざりにならないよう、投稿者には十分周知してまいります。

 

さて、冒頭に触れましたように、先日、大学入試センター試験が行われましたが、私も大学の教官(・・・という自覚はあまりないのですが・・・)として、試験監督者の重責を果たしてまいりました。私の担当は、県内の現役高校生が集まる試験場でした。割と高めに設計された教壇から張り詰めた教室を見渡せば、緊張感に包まれた40数名の初々しい高校生が、静かに試験開始の時を待っています。

「多分合格するだろうけど、力を出し切れなかったら不合格」という観測のもとで臨んだ、今から17年前の私の大学入試。そのプレッシャーたるや、いまだに年に数回は「勉強不足で答案が全く書けなくて絶望する(特に数学と物理)」という悪夢に苛まれる日々です。ですから、試験監督当日、教室に入るやいなや自分の高校時代の記憶が鮮やかに蘇ってきた、ということも、皆様が想像されるに難くないところでしょう。

 

若人たちの苦しみを痛いくらいに知る者として、彼らのためにしてあげられることはただ一つ。それは、公正・公平な試験環境を提供することをおいて他にはありません。

例えば、窓際だけにある暖房は試験中オフにして、教室の環境を均一にします。当然ですが、監督者は全員、朝のミーティングで時報に合わせて時計を秒単位で調整します。あと、何百もある机のガタツキは全て厚紙で補正済み。これらはほんの一例です。世間は入学試験での色々なトラブルをこれみよがしに叩きますが、実際に試験を運営する側の努力と心労は想像以上です。

 

 

受験という、すぐには努力が報われないかもしれない困難に立ち向かう高校生に、かつての自分の姿を投影していました。試験2日目、「サクラサク」の願いを込めてピンク色を帯びたネクタイを締めて監督業務にあたりましたが、誰もそんなことは気に留めていなかったでしょう。実は腕時計もピンク色だったのですが、これは、自分自身は秒針の付いた時計を持っておらず、娘の時計を借りたためです。問題冊子や解答用紙を配る際に、どう見ても似合っていない趣味の悪いピンクの時計がチラチラと覗いていたはずですが、これで少しはリラックスさせてあげられたかな。

 

試験中の鼻血が2名ほどありましたが、当然想定内。マニュアル通りに対応し、大過なく全日程を終えました。

やや難化した科目もちらほらあり、自己採点で表情を曇らせている受験生も多そうな気がしますが、苦しみを知った人間は優しくなれますし、必ず成長します。

しかし、光あれば影あり。我々も、苦しみの先に確かにあった喜びの裏で、その瞬間自らもまた、誰かを苦しめ、泣かせてきたという競争社会の真理を思い知らされます。医者稼業が生半可な気持ちで臨む仕事ではないことを、まだスタートラインに立ったばかり、自分の半分くらいしか生きていない彼らに諭されたような気がしたのでした。

 

ところで、今週末は医局恒例のスキー旅行です。受験生の話題の直後に、滑る、転ぶのスキーの話などもってのほかと思われるかもしれませんが、あいにく私は大雪時の雪かき用にスキーウェアを持っているだけで、実際はスキーもスノボもいたしません。宴会要員です。滑りも転びもしませんのでご安心ください。

今回に限り、大したオチも付けずに稿を終えたいと思います。

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オリンピック回顧

2012年08月16日 18時09分09秒 | 社会・制度

お盆のUターンラッシュもピークを過ぎて8月も後半へ。一時、真夏日の連続も途切れ、日も徐々に短くなり、吹いてくる風に秋の気配を感じたりもしました。今年はまだ花火大会も夏祭りにも行っていない私「くりぼう」ですが、このまま夏が過ぎていくのかと多少名残惜しく思っていましたら、ここ2日間は残暑という名の猛暑日。夏を惜しむのはまだまだ早いというわけでしょうか。

 

さて、過ぎ去っていくのが惜しまれるといえば、先日閉幕したオリンピックもそうですね。金メダルの数こそ過去の大会に及びませんでしたが、銀メダル、銅メダルに輝いた競技の中にも、金メダルに勝るとも劣らぬ感動的なシーンが多かったような気がします。「負け戦にこそ華がある」っていうやつです。例えば当直中にLIVEで観戦したバドミントンの決勝、金には手が届かなかったものの試合の内容は非常に濃く、深夜の医局で独り、熱狂の渦に包まれておりました。

 

大会終盤のレスリングも興奮しましたね。もはや「国技」と呼んでも差し支えないのではないかと思わせる、4個の感動的な金メダル。

東日本大震災後に初めて迎えたオリンピックであり、また、原爆の日、日航機墜落、そして昨日の終戦記念日と、風化させることなく後世に伝えてゆかねばならない出来事も多く、無念の終焉を迎えた故人が偲ばれる時期でもあります。こんな時期、異国の地で7回響いた「君が代」が、故人にとっての鎮魂歌にもなったはずと信じたいですね。

 

というわけで、睡眠不足からも解放され、幾分落ち着きを取り戻した感のあるここ数日間ですが、3か月おきに通院されている外来患者さんの次回再診日が年末に近いという現実に、容赦なく過ぎていく時間の残酷さすら覚えたりもします。当座、あと約2週間となったこの夏をどうやって過ごせば、自分にとって納得のいく夏になるのか。まだ残っている花火大会の日程と、自分のスケジュールの書かれた手帳とを睨めっこしながらの日々。

それは、4年先を見据えてトレーニングに励むオリンピック選手たちの尊さを再認識させるものでもあります。

 

 

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ロンドン五輪観戦中

2012年08月02日 22時19分09秒 | 社会・制度

当直の合間、医局の大きなテレビでオリンピック観戦。4年に一度の至福の瞬間です。

ロンドンオリンピック開幕から約1週間。時差は日本が+8時間ということで、中継開始あたりの時間帯は問題ないのですが、最後の方まで見ているとさすがに寝不足気味です。しかしその寝不足も、日本勢がメダル争いをしていればこそ。嬉しい悲鳴ということになりますね。

それにしても、昨夜の体操個人総合、内村航平選手の見事な金メダル。私「くりぼう」も、テレビの前にかじり付きになって声援を送りました。一夜明けて歓喜の日本列島。何度みても身震いのするような演技でしたね。またその数日前には、地元金沢市出身の女三四郎・松本薫選手の大会第一号となる金メダルの朗報に、大いに沸きました。一部、ジャッジへの執拗な抗議や無気力試合など神聖なオリンピックに水を差すような出来事もありましたが、そういう嫌な話題をカバーして余りある日本勢の戦いぶりではないでしょうか。

 

ところで、私事で恐縮ですが、もうすぐ6歳になる私の長女が体操クラブに通っていたりします。床や鉄棒、跳び箱、トランポリンなどで汗を流していまして、側転なんか結構綺麗に決めていたりします。側転をしている最中に見える景色や、逆上がりで持ち上げた脚が鉄棒を捉えた時の感覚など、これまでの35年間(そしておそらく今後一生)一度も経験したことがない運動音痴の私を、早くも超えて行ってしまいました。

そんな経緯もあってか体操への関心は結構大きく、内村選手を初めとする日本体操勢の今後の活躍も、4年に一度とは言わずに注目していきたいと思っています。

 

さて、ウチの医局との関連が「大きなテレビ」しかない今回の内容ですが、娘が通う体操教室の先生から教わった教訓をひとつ。それは、本番では絶対に練習以上の結果が出せないのが体操である、ということです。要するに、まぐれが絶対に起こらない。練習中にその時点での自分の限界がはっきりし、その絶対に越えられない限界を目指した戦いであるというわけです。一流アスリートが、最後は自分との闘いと異口同音に語るのも頷けます。

そしてこれは、おそらく我々医者稼業にも通ずるところがあります。覚えたことを次々に忘れてしまうことはあっても、持っている以上の知識は絶対に沸いてきませんし、普段上手くいかない手技が患者さんを前にして突如出来るわけがありません。医師もしばしば孤独な戦いを強いられますので、焦りや気持ちの揺れが本来の力を発揮出来なくさせてしまいます。しかし、だからといって上手くいかなかったことを正当化しているようでは、それはプロの仕事とは呼べないのであって、上手くいかなかったときにも大過なく手技を遂行出来るような日頃のトレーニングが必須ということです。

 

練習で15点台の演技が当たり前のように出来る体操選手でも、オリンピック本番では12~13点台で涙をのんでいたのが印象的でした。今の自分に最低限求められる医療の水準や質は大体分かっているのですが、それを安定して発揮するために必要な練習量というのは、簡単には把握出来ません。一度でも上手くいかなければ「確実に足りていない」、だいたい上手くいっていても「多分まだ足りない」というくらいの認識でいるべきなのでしょう。

 

一流の一流たる所以が何なのか、寝不足で迎える当直の夜に、そんなことまで考えさせてくれる超一流のアスリートたち。日本勢が勝っても負けても、寝不足の日々はまだまだ続きそうです。

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お日柄もよく

2012年05月13日 17時35分50秒 | 社会・制度

風薫る新緑の季節に、わが医局期待の3年目医師と、この春まで病棟で看護師をされていたお二人が、めでたくゴールイン。昨日、市内の結婚式場に招待していただきました「くりぼう」です。

今回の主役であるお二人ですが、新婦はもちろん新郎も本ブログへの投稿歴はありませんので、呼び名がまだありません。とりあえず新郎新婦にしておきますが、その新郎は医局員としてこの春から市内の基幹病院で勤務中ですので、近いうちに本ブログ上で新婚生活ののろけ話でも披露していただき、その時に好きなペンネームを自分で決めていただくことにしましょう。

 

今回は諸般の事情で挙式には出席できなかったため、たっけーのときのように讃美歌がどうのこうのという話ではなく、披露宴とそれに引き続いて行われた二次会の模様を回顧したいと思います。

 

まず全体を総括して申し上げるとすれば、「本当に好きな者どうしが結ばれて、それが心地よく伝わってくる宴席」ということになりましょう。二人が精根込めて準備したというのが、良く伝わってきます。たっけーのときもそうでしたが、参列者に配慮しながらも、自分達がしっかりと主役を務めあげているわけですね。ですから、新郎新婦だけでいくらでも旨い酒が飲めるような気がしましたよ(また酒の話で恐縮ですが)。また、披露宴を盛り上げる他の参列者も、新郎新婦に負けていられないとばかりに奮闘し、宴の盛り上がりに一役買っていたように思います。

 

「本当に好きな者どうし」とか書いていると何かと誤解を招きそうですが、私も含めた他のカップルがそうではない、と言いたいわけでは決してありません。あえて補足させていただくなら、若さでもって全力で駆け抜けた二人が、付き合い始めた頃の無垢な感情をそのままに、混じりっけなしの愛へと力強く昇華させたということでしょうか。職業柄、非科学的なことを容易に信じない習性の私ですが、この二人に限っては、何か目に見えない力が作用していたと思わずにはいられません。実に色気のない表現ですが、基質特異性とでもいうのでしょうか。

そんなわけで、真っ直ぐひたむきな愛に圧倒され、披露宴では酒の力を借りても防戦一方のくりぼうでしたが・・・・・。

 

 

二次会で少しだけ羽目を外し、攻勢に転じることができました。放送コードを背中(股間?)に意識しながら、三十半ばの「泌尿器科が好きなタダのおっさん」が捨て身のパフォーマンスです(酒飲んで騒いだだけですが)。詳しい話は現場にいた人に聞いてください。

今こうして、人気のない静かな医局で黙々と文章を書きながら昨夜のお祭り騒ぎを回想していると、これで新郎新婦が喜んでくれなかったら(というか迷惑だったら)ちょっと俺、救いようがないなと、苦笑。ビンゴゲームで運よく当たった10,000円分の旅行券は、いつくしみ深い神が、迷える34歳に与えて下さった慈悲か、あるいは私のパフォーマンスに対する正当な対価か(そんなわけないか)。いずれにしても、勿体なくて当分使えそうにありません。

 

その二次会でも、新郎新婦ふたりの愛の誓い(チュウしろとか、どこが好きなんや→全部です、とか)をお腹いっぱい披露していただき、私自身は景品の旅行券以外には失うものが何もなくなったところで、幸せなひとときが過ぎてゆきました。

 

というわけで今宵は、ふたりの前途を祝しつつ、また、夫婦で1万円で行けそうな海外旅行でも計画しながら、妻であり母でもある我が伴侶と少し杯を酌み交わそうかな、なんて考えています。サプライズで、二次会の再現をカーネーションの代わりにして。

 

 

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春爛漫

2012年04月16日 21時33分21秒 | 社会・制度

年度最初の投稿です。油断していたらあっという間に1か月近く経ってしまいました。今年度も、本ブログならびに「くりぼう」を宜しくお願いいたします。

 

さて、下でガッシーも書いていますが、春爛漫、桜も満開です。読者の皆さんは、お花見はなさいましたでしょうか。私は昨日、兼六園の夜桜を見物してきました。昨年は、お昼に近くの公園で花見をしている最中に妊娠中の妻が破水し慌てて産婦人科に駆け込みましたので、夜桜を観ることができませんでした。3年ぶりの夜桜、ライトアップされて幻想的でしたよ。

美しく咲き誇るのも儚く散るのも魅力の桜ですが、街で見かける桜の中には、この時期になって初めて、それが桜の木だったと気が付くっていうこともありますよね。そういう謙虚な部分も日本人の心を掴む理由なのでしょうか。見習うところが多く、粋な存在だなと思います。

 

さて、春の到来とともに、我が医局にもフレッシュなメンバーが顔を揃え、職場も満開の桜に負けないくらい活気に満ちています。新入局を決めて下さった貴重な3年目、約1年ぶりに戻ってきてくれた2年目の研修医、免許取り立てホヤホヤ過ぎてまだ医療行為どころかカルテ書きすら許されていない1年目の研修医、前途明るい医学生らのほか、今年は交換留学生の先生も米国からお見えです。花見に加えて、彼ら彼女らの歓迎やら送別やらで酒を飲む理由には全く事欠かず、足りないのは時間とお金のみ、という毎日です。

 

 

この時期、研修医らの指導に携わる場面もありますが、人間としてはともかく医師としてはバカなことは言っていられません。私も研鑽の日々です。

かくいう私の医師免許取得がちょうど10年前ですから、今月から11年目のシーズンになります。早いもので、もう最初の10年が過ぎてしまったわけですが、これからは中堅どころという位置付けで、次の10年への第一歩を踏み出した格好になります。

そんな矢先、学位論文の発表や指導医の申請など、次なるステップを実感させるイベントが続いています。本当はこういうイベントの壮行会や打ち上げ、あと「つぶやき君の快気祝い」(先日急性虫垂炎で手術した)や医局の引っ越し祝いなんかでパーッとやりたいところですが、そんなことしていたらアルコールで体を壊して、酒の飲めない快気祝いを自分がしてもらう破目になりそうなので我慢しておきます。

 

医師として色々と経験していくにつれて、感動や驚きというのは徐々に減っていきます。それも成長の証のひとつなのでしょうけど、研修医の眼差しが少しうらやましいような気もします。せめて、桜の開花に高揚し、儚い花の命に胸を痛める日本人の心だけでも、この先も今と同じように持ち合わせていたいものです。

 

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祝辞@ブログ

2012年03月20日 08時16分12秒 | 社会・制度

3月17日、彼岸の入り。お日柄も申し分なし。わが医局期待の若手「たっけー」が生涯の伴侶を得て、お隣福井県で晴れ舞台です。

こちらもまた5月に挙式を控えた、もう一人の若手有望株の運転する車に、大の男4人が学生の小旅行のように同乗し式場へ向かいます。車中での会話は放送コードに触れるため割愛(というか、書けない)しますが、おのずと恋愛観、結婚観さらには人生観と、酒も入らぬうちから議論が白熱し、あっという間に到着です。ただしこの間、今日はどんな形のドレス、どんな色のタキシード、お色直しは何回で、最後はやっぱり新婦の手紙かな?といった類の会話はゼロ。これは男4人が10人、20人でも、おそらく同じはず。

 

定刻、心地よい緊張感と共に挙式が始まりました。ずいぶんと絵になる二人です。式は粛々と進行し、途中で讃美歌を歌います。私も今から6年前、自分の結婚式で歌いました。讃美歌493番だそうです。

しかし、出だしの歌詞が「いつくしみ深き」ではなく「いつくしみ深い」となっていて、メロディーは全く同じですが、何か自分のときと歌詞が違うような気しました。あとで調べてみると(こういうのいちいち調べるところ、偉いでしょ?)、「いつくしみ深き」が312番、そして讃美歌493番「いつくしみ深い」の方は、歌詞を現代風にアレンジした21世紀版だそうです。自分とたっけーとの間に、世代の境界線が引かれているような気がいたしました。

 

その後の披露宴での模様や、のろけ話(苦労話?)は、近々本人から投稿していただきましょうか(投稿する前に異動かな?)。

一言だけ書かせていただくと、21世紀ver.の讃美歌のように現代的で、二人で作り上げた感溢れる素晴らしい披露宴でした。「タダのものは一切ない」すなわち各種の演出はもとより、何気なく置いてある紙切れのひとつひとつまで「全て有料・別料金」というのが鉄則の披露宴において、我々参列者への気遣いや配慮(当然金もかかる)が随所にみられました。参列者のことをしっかり考えながら二人のために行われたセレモニー、という表現がふさわしいですね。

 

 

そんなお二人も、今頃は新婚旅行でイタリアを周遊しているはずですが、詳しいことは知りません。なぜなら、イタリアの何処へ行くか、どんなホテルに泊まるか、肝心なことは何も聞いていないので。

しかし、飛行機に乗るまでのことは多少把握していますよ。空港は関空、国内の交通手段は鉄道で、グリーン車ではなく普通車のようです。使うところは使うが、抑えるところは抑える。いいですね。利用する空港、普通車、自分のときと全く同じで、親近感を抱きます。

 

 

 

旅行から帰ったら、夢から覚めたかのようにあっという間に現実に引き戻されますが、良いこととそうでないこと、様々な経験が刻み込まれて仕事する男の顔になっていくものです。どうか夫婦仲睦まじく(別にここを強調するつもりはありませんけど・・・)、医師としても研鑽を積んで、今まで以上に白衣の似合うイケメン医師に成長してくださいね。純白のタキシードが様になるたっけーに、白衣が似合わないわけないですから。

 

彼岸の中日、桜前線北上の便りが待ち遠しいこれからの時期。新婚旅行帰りの彼の白衣に薄いピンク色が掛かって見えそうな予感、そしてそんな「予感」に本格的な春の訪れを感じる「くりぼう」からの投稿(祝辞)でした。

 

 

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明けましておめでとうございます

2012年01月01日 23時17分04秒 | 社会・制度

 

本年も当ブログをどうぞ
よろしくお願いいたします.

執筆人一同

 

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