"Competitor Running"の記事です。
私見ですが、
(1)自転車ロードのように、他人に勝つ事が目標であれば、根性練習で限界を超えることは必須です。単独練で限界を超えるのは無理なので、チームに所属して自分より”少し”強い人と一緒に走るのは大切です。
というか、その為にチームはあります。
(2)マラソンのように、自己新記録を樹立するのが目標であれば、根性練習がどれだけいるのかはちょっと分かりません。eA式のように「余裕度を引き上げる」のが良いとする考え方もありますし。
この点は、私の永遠のテーマです。
いずれにせよ、頻度との兼ね合いでしょうね。

ということで、勝手に限界を設定したがる”バカの壁”を越えるべく読み直しています。
苦痛に対する耐性がランニング能力に及ぼす影響
by Matt Fitzgerald, Nov. 19, 2013
苦痛に対する耐性がランニング能力に於いて果たす主要な役割について学ぶ
まず、二人のランナー(BillとTed)を仮定しよう。彼らの身体的なランニング能力(最大酸素摂取量/乳酸閾値等)は全て同一とする。また、彼らの痛みに対する感受性も同一とする。彼らには、レースではなく、苦痛に対する耐性の試験で競争してもらう。具体的には、ヒーターの上に座り、温度を徐々に上げていく。先にヒーターから立ち上がった方が負け、というルールである。
BillとTedはヒーターの上に座り、温度を上げ始めた。彼らの臀部は同時に損傷(≒火傷?)し始めるはずだ。ここで、BillはTedに比べ苦痛に対して鈍感なので、先に立ったのはTedだった。つまり、この競争に勝ったのはBillである。
この結果を鑑みる限り、この二人が5,000m競争で抜きつ抜かれつの激戦となった時、勝つのはどちらだと思うか?。答は当然、Billである。というのも長距離走というのは、ある意味で上記の試験と同じようなものだからだ。勿論、身体能力こそが勝利を左右する主要因であるのは間違いない。しかし、苦痛に対する耐性、言い換えると忍耐力もまた勝利を左右する主要因の一つである。
というのも、長距離走において、自らの有する身体能力を文字通り100%発揮できる人なんていないのだ。ある研究によると、レース/タイムトライアルでゴールしたアスリートには若干の余力が残っており、それは苦痛が原因であることが明らかにされている。つまり、身体能力の限界に到達する以前に、忍耐力の限界に到達するのだ。別の研究では、被験者に一定の強度でオールアウトになるまで運動させても、その直後であれば(それ迄よりずっと高強度×ごく短時間)の運動が可能である事がわかった。これは残っていた余力によるものである。
つまり、ランニング能力(ひいては運動能力)は苦痛に対する耐性によって上限が定められているので、同じ身体能力を有する二人のランナーが競った時に勝つのは、苦痛に対する耐性が高い方に違いない。この仮説を間接的に証明しようとしたのが、1981年に水泳選手を対象に行われた実験である。30名のエリートクラスの水泳選手を被験者とし、上腕部を圧迫して血流を制限した状態で1秒毎に拳を握らせ、虚血性疼痛を人工的に発生させた。苦痛に対する耐性は、拳を握る回数で表した(苦痛を感じた時点で自主的に実験を終了させた)。
その結果、エリートクラスの水泳選手とホビーレベルの選手は、最初に痛みを覚える迄の時間は同じであったが、痛みを覚えてからより長い時間拳を握る動作を繰り返したのはエリートクラスの選手達だった。同様の結果は、ホビーレベルの選手と一般の水泳愛好者の間でも見られた。
結果を簡単にまとめると、エリートクラスの選手/ホビーレベルの選手/一般の水泳愛好者の間には、苦痛に対する耐性に差が見られた。しかし、エリートクラスの選手をエリートたらしめているのは、本当に苦痛に対する耐性なのだろうか?。逆に、エリートクラスの選手として鍛えられる過程で苦痛に対する耐性が向上したのではないだろうか?。そこで実験の主宰者は、エリートクラスの選手を対象に、シーズンを通じて苦痛に対する耐性がどう変化するか測定した。その結果、シーズンが進む=トレーニング強度が次第に上がるに連れ、苦痛に対する耐性は上昇した。なので、苦痛に対する耐性はある程度は訓練で上げるのが可能と判断された。
以下は滅多に語られないことだが、競技志向のランナーのトレーニングに於けるもっとも重要な目的の一つは、苦痛に対する耐性を引き上げることである。それは、苦痛に馴れさせることでしか実現出来ない。より苦痛に耐えられるようになり、レースで好成績を収める為には、トレーニングで苦痛の限界を超える必要がある。大半のランナーがトレーニングを考える際に重視しているのは、身体能力に対する合理性だけである。それはそれで正しい。というのも、身体能力の向上を刺激する最良のトレーニングとは、ある意味で苦痛に対する耐性を身体に教えこむ最良のトレーニングともなるからである。ただ、トレーニング計画を策定する際には、自らを苦痛に晒すことで苦痛に対する耐性を向上させる重要性を意識することも大切である。
皮肉かもしれないが、トレーニングで苦しんでいる最中には、自らをそのような苦痛に晒すことで将来はもう少し耐えられるようになる、ということを意識してもらいたい。
私見ですが、
(1)自転車ロードのように、他人に勝つ事が目標であれば、根性練習で限界を超えることは必須です。単独練で限界を超えるのは無理なので、チームに所属して自分より”少し”強い人と一緒に走るのは大切です。
というか、その為にチームはあります。
(2)マラソンのように、自己新記録を樹立するのが目標であれば、根性練習がどれだけいるのかはちょっと分かりません。eA式のように「余裕度を引き上げる」のが良いとする考え方もありますし。
この点は、私の永遠のテーマです。
いずれにせよ、頻度との兼ね合いでしょうね。

ということで、勝手に限界を設定したがる”バカの壁”を越えるべく読み直しています。
苦痛に対する耐性がランニング能力に及ぼす影響
by Matt Fitzgerald, Nov. 19, 2013
苦痛に対する耐性がランニング能力に於いて果たす主要な役割について学ぶ
まず、二人のランナー(BillとTed)を仮定しよう。彼らの身体的なランニング能力(最大酸素摂取量/乳酸閾値等)は全て同一とする。また、彼らの痛みに対する感受性も同一とする。彼らには、レースではなく、苦痛に対する耐性の試験で競争してもらう。具体的には、ヒーターの上に座り、温度を徐々に上げていく。先にヒーターから立ち上がった方が負け、というルールである。
BillとTedはヒーターの上に座り、温度を上げ始めた。彼らの臀部は同時に損傷(≒火傷?)し始めるはずだ。ここで、BillはTedに比べ苦痛に対して鈍感なので、先に立ったのはTedだった。つまり、この競争に勝ったのはBillである。
この結果を鑑みる限り、この二人が5,000m競争で抜きつ抜かれつの激戦となった時、勝つのはどちらだと思うか?。答は当然、Billである。というのも長距離走というのは、ある意味で上記の試験と同じようなものだからだ。勿論、身体能力こそが勝利を左右する主要因であるのは間違いない。しかし、苦痛に対する耐性、言い換えると忍耐力もまた勝利を左右する主要因の一つである。
というのも、長距離走において、自らの有する身体能力を文字通り100%発揮できる人なんていないのだ。ある研究によると、レース/タイムトライアルでゴールしたアスリートには若干の余力が残っており、それは苦痛が原因であることが明らかにされている。つまり、身体能力の限界に到達する以前に、忍耐力の限界に到達するのだ。別の研究では、被験者に一定の強度でオールアウトになるまで運動させても、その直後であれば(それ迄よりずっと高強度×ごく短時間)の運動が可能である事がわかった。これは残っていた余力によるものである。
つまり、ランニング能力(ひいては運動能力)は苦痛に対する耐性によって上限が定められているので、同じ身体能力を有する二人のランナーが競った時に勝つのは、苦痛に対する耐性が高い方に違いない。この仮説を間接的に証明しようとしたのが、1981年に水泳選手を対象に行われた実験である。30名のエリートクラスの水泳選手を被験者とし、上腕部を圧迫して血流を制限した状態で1秒毎に拳を握らせ、虚血性疼痛を人工的に発生させた。苦痛に対する耐性は、拳を握る回数で表した(苦痛を感じた時点で自主的に実験を終了させた)。
その結果、エリートクラスの水泳選手とホビーレベルの選手は、最初に痛みを覚える迄の時間は同じであったが、痛みを覚えてからより長い時間拳を握る動作を繰り返したのはエリートクラスの選手達だった。同様の結果は、ホビーレベルの選手と一般の水泳愛好者の間でも見られた。
結果を簡単にまとめると、エリートクラスの選手/ホビーレベルの選手/一般の水泳愛好者の間には、苦痛に対する耐性に差が見られた。しかし、エリートクラスの選手をエリートたらしめているのは、本当に苦痛に対する耐性なのだろうか?。逆に、エリートクラスの選手として鍛えられる過程で苦痛に対する耐性が向上したのではないだろうか?。そこで実験の主宰者は、エリートクラスの選手を対象に、シーズンを通じて苦痛に対する耐性がどう変化するか測定した。その結果、シーズンが進む=トレーニング強度が次第に上がるに連れ、苦痛に対する耐性は上昇した。なので、苦痛に対する耐性はある程度は訓練で上げるのが可能と判断された。
以下は滅多に語られないことだが、競技志向のランナーのトレーニングに於けるもっとも重要な目的の一つは、苦痛に対する耐性を引き上げることである。それは、苦痛に馴れさせることでしか実現出来ない。より苦痛に耐えられるようになり、レースで好成績を収める為には、トレーニングで苦痛の限界を超える必要がある。大半のランナーがトレーニングを考える際に重視しているのは、身体能力に対する合理性だけである。それはそれで正しい。というのも、身体能力の向上を刺激する最良のトレーニングとは、ある意味で苦痛に対する耐性を身体に教えこむ最良のトレーニングともなるからである。ただ、トレーニング計画を策定する際には、自らを苦痛に晒すことで苦痛に対する耐性を向上させる重要性を意識することも大切である。
皮肉かもしれないが、トレーニングで苦しんでいる最中には、自らをそのような苦痛に晒すことで将来はもう少し耐えられるようになる、ということを意識してもらいたい。